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手紙
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ある日、金持ちの坊ちゃんから依頼が舞い込んだ。
あの、聡明で麗しい伯爵令嬢に恋をしたのだという。
手紙で想いを伝えたいが、知識も教養も彼女には到底及ばず、とてもじゃないが自分では書けない。
――だから、代わりに恋文を綴ってほしい、と。
こうした依頼は、これまで数えきれないほど受けてきた。恋に落ちた男たちの“言葉の代筆”。もはや日常業務の一環だ。
早速、手紙の作成に取りかかる。
まずは彼に、彼女を初めて見た場所、目を引かれた仕草や言葉を聞き出す。
そこから、令嬢がいた場所の由来、彼女の家の歴史、関わりのある文学や芸術の引用などを添えていく。
知識を愛する令嬢には、単なる甘い言葉より、好奇心をくすぐる知的な贈り物の方が響くだろう。
恋心は、知の器に注ぐことで、輝きを増すのだ。
*
数日後、令嬢から手紙が届いた。
彼女はこう綴っていた――「ぜひ、このまま文通を続けたい」と。
私が書いた手紙に込めた知識の一つひとつに、深く感銘を受けたらしい。
これを聞いて、坊ちゃんも嬉しそうだった。
それからは、彼の伝えたい思いを私が聞き取り、それを知識で彩って手紙にする。
返ってきた手紙は二人で読み、言葉を選び、また次の手紙を考える――そんなやり取りが、しばらく続いた。
だが、ある日ふと、胸の奥からある感情が湧きあがった。
「坊ちゃんでは、彼女に釣り合わないのではないか」
「私の方が、彼女にふさわしいのではないか」――と。
そんな思いは、これまで一度たりとも抱いたことがなかった。
だが、これまで出会ってきたどの女性とも違った。
彼女は、言葉に、知識に、そしてその行間に、私の心を惹きつけてやまなかった。
*
ある日、坊ちゃんが仕事で来られなかった日。
令嬢からの手紙が届いた。
いつもなら彼が来るのを待つのだが、その時ばかりは違った。
私は、待てなかった。
彼の確認を取ることなく、私の思うままに返事を書き、封をして――送ってしまった。
後日、令嬢からの返事が届いた。
あの手紙に、とても満足してくれたらしい。
「今までで一番」とまで書かれていた。
跳ね上がりたいほど嬉しかった。
……だが、その場には坊ちゃんがいた。
彼は手紙を読んでも、特に疑問を抱いている様子はなかった。
そう――彼は、自分が関わっていない手紙が絶賛されたことに、何も感じていないのかもしれない。
だが、その手紙には思いもよらない言葉が添えられていた。
「よろしければ、今度お会いしませんか?」
――彼女から、デートの誘いが来たのだ。
私の心に、激しいざわめきが走った。
もし二人が会えば、坊ちゃんが彼女の想像していた人物ではないと分かってしまう。
その落差に、彼女はきっと失望するだろう。
……そんなこと、させたくない。
――いや、させればいいのか。
彼女が彼を振れば、私が書いていたと気づけば、きっと私のもとへ来る。
知識を交わせる相手として、共に歩むことができるはずだ。
私は坊ちゃんに、「恋愛指南の一環だ」と称して、デートの進行や使える言葉を丁寧に教えた。
だが、正直なところ、そんな上っ面の言葉だけで彼女の心をつかめるとは思っていない。
彼は――間違いなく、振られるだろう。
*
数日後、坊ちゃんが怒りをあらわにして部屋に飛び込んできた。
話してみても彼女の反応は冷たく、挙句の果てに
「あの手紙はあなたが書いていないのでしょう?」
と、直接問い詰められたらしい。
怒りの矛先は当然、私に向かった。
こんな責任を人に押し付けるような男が、彼女のお眼鏡にかなうわけがなかったのだ。
知識もマナーもなく、あるのは金だけ。
しかも、その金は戦争で稼いだ成金野郎のものだ。
坊ちゃんに殴られたが、決して殴り返さなかった。
理由はいくつもあっただろうが、何よりも――
彼と同じ土俵に立ちたくなかったのだ。
そのまま彼は金を投げつけて去っていった。
私はその事実を確認すると、意気揚々と新しい手紙を書き始めた。
「私こそが、本当にあなたを愛している人間です」と。
*
数日後、令嬢から返事が届いた。
会う場所が指定されていたので、私は約束の地へ向かった。
今までは、空想の中の存在に過ぎなかった彼女。
しかし、実際に目の前にすると――
その麗しさは言葉にできないほどで、胸が震えた。
身分だけで見れば、私など到底及ばない存在かもしれない。
だが、わざわざ呼ばれたのだから――
もしかしたら、可能性はあるのかもしれない。
対面すると、彼女のオーラが強すぎて、まともに目を見つめることができなかった。
しばらく沈黙が続いた後、彼女がぽつりと問いかけてきた。
「あなたが、あの手紙を書いていらしたの?」
私はすかさず、自分の身分も、あの手紙に込めた想いのすべてを打ち明けた。
だが、彼女の顔には喜びの色はなく、むしろ少し残念そうに口を開いた。
「あなたの書く言葉は、どんなに美しくても――
それは、本当のあなたの声じゃない。
ただの代筆よね?
私はね、本物のあなたに会いたかったの。
でも今、目の前にいるのは、誰かの言葉をなぞるだけの人。
だから言わせて。
そんなあなたが、本物の愛を語るなんて、やめてほしい。
私が欲しいのは、嘘のない、本当の想い。
でも、それはもう、ここにはないみたいね。」
そう言い残し、彼女は無言で去っていった。
振られたのだと、私は思った。
*
数日後、私は代筆屋を辞めた。
そして、文章に携わってきた経験を活かし、図書館で働き始めた。
知識に触れることで、さまざまな欲望を満たしていった。
*
数年後、知人から聞いた話だと、あの令嬢は海軍大将の息子と結婚したが、すぐに未亡人になり、彼女も間もなく後を追ったらしい。
私は自室に戻り、あの時綴った手紙をそっと取り出して、静かに読み返した。
あの、聡明で麗しい伯爵令嬢に恋をしたのだという。
手紙で想いを伝えたいが、知識も教養も彼女には到底及ばず、とてもじゃないが自分では書けない。
――だから、代わりに恋文を綴ってほしい、と。
こうした依頼は、これまで数えきれないほど受けてきた。恋に落ちた男たちの“言葉の代筆”。もはや日常業務の一環だ。
早速、手紙の作成に取りかかる。
まずは彼に、彼女を初めて見た場所、目を引かれた仕草や言葉を聞き出す。
そこから、令嬢がいた場所の由来、彼女の家の歴史、関わりのある文学や芸術の引用などを添えていく。
知識を愛する令嬢には、単なる甘い言葉より、好奇心をくすぐる知的な贈り物の方が響くだろう。
恋心は、知の器に注ぐことで、輝きを増すのだ。
*
数日後、令嬢から手紙が届いた。
彼女はこう綴っていた――「ぜひ、このまま文通を続けたい」と。
私が書いた手紙に込めた知識の一つひとつに、深く感銘を受けたらしい。
これを聞いて、坊ちゃんも嬉しそうだった。
それからは、彼の伝えたい思いを私が聞き取り、それを知識で彩って手紙にする。
返ってきた手紙は二人で読み、言葉を選び、また次の手紙を考える――そんなやり取りが、しばらく続いた。
だが、ある日ふと、胸の奥からある感情が湧きあがった。
「坊ちゃんでは、彼女に釣り合わないのではないか」
「私の方が、彼女にふさわしいのではないか」――と。
そんな思いは、これまで一度たりとも抱いたことがなかった。
だが、これまで出会ってきたどの女性とも違った。
彼女は、言葉に、知識に、そしてその行間に、私の心を惹きつけてやまなかった。
*
ある日、坊ちゃんが仕事で来られなかった日。
令嬢からの手紙が届いた。
いつもなら彼が来るのを待つのだが、その時ばかりは違った。
私は、待てなかった。
彼の確認を取ることなく、私の思うままに返事を書き、封をして――送ってしまった。
後日、令嬢からの返事が届いた。
あの手紙に、とても満足してくれたらしい。
「今までで一番」とまで書かれていた。
跳ね上がりたいほど嬉しかった。
……だが、その場には坊ちゃんがいた。
彼は手紙を読んでも、特に疑問を抱いている様子はなかった。
そう――彼は、自分が関わっていない手紙が絶賛されたことに、何も感じていないのかもしれない。
だが、その手紙には思いもよらない言葉が添えられていた。
「よろしければ、今度お会いしませんか?」
――彼女から、デートの誘いが来たのだ。
私の心に、激しいざわめきが走った。
もし二人が会えば、坊ちゃんが彼女の想像していた人物ではないと分かってしまう。
その落差に、彼女はきっと失望するだろう。
……そんなこと、させたくない。
――いや、させればいいのか。
彼女が彼を振れば、私が書いていたと気づけば、きっと私のもとへ来る。
知識を交わせる相手として、共に歩むことができるはずだ。
私は坊ちゃんに、「恋愛指南の一環だ」と称して、デートの進行や使える言葉を丁寧に教えた。
だが、正直なところ、そんな上っ面の言葉だけで彼女の心をつかめるとは思っていない。
彼は――間違いなく、振られるだろう。
*
数日後、坊ちゃんが怒りをあらわにして部屋に飛び込んできた。
話してみても彼女の反応は冷たく、挙句の果てに
「あの手紙はあなたが書いていないのでしょう?」
と、直接問い詰められたらしい。
怒りの矛先は当然、私に向かった。
こんな責任を人に押し付けるような男が、彼女のお眼鏡にかなうわけがなかったのだ。
知識もマナーもなく、あるのは金だけ。
しかも、その金は戦争で稼いだ成金野郎のものだ。
坊ちゃんに殴られたが、決して殴り返さなかった。
理由はいくつもあっただろうが、何よりも――
彼と同じ土俵に立ちたくなかったのだ。
そのまま彼は金を投げつけて去っていった。
私はその事実を確認すると、意気揚々と新しい手紙を書き始めた。
「私こそが、本当にあなたを愛している人間です」と。
*
数日後、令嬢から返事が届いた。
会う場所が指定されていたので、私は約束の地へ向かった。
今までは、空想の中の存在に過ぎなかった彼女。
しかし、実際に目の前にすると――
その麗しさは言葉にできないほどで、胸が震えた。
身分だけで見れば、私など到底及ばない存在かもしれない。
だが、わざわざ呼ばれたのだから――
もしかしたら、可能性はあるのかもしれない。
対面すると、彼女のオーラが強すぎて、まともに目を見つめることができなかった。
しばらく沈黙が続いた後、彼女がぽつりと問いかけてきた。
「あなたが、あの手紙を書いていらしたの?」
私はすかさず、自分の身分も、あの手紙に込めた想いのすべてを打ち明けた。
だが、彼女の顔には喜びの色はなく、むしろ少し残念そうに口を開いた。
「あなたの書く言葉は、どんなに美しくても――
それは、本当のあなたの声じゃない。
ただの代筆よね?
私はね、本物のあなたに会いたかったの。
でも今、目の前にいるのは、誰かの言葉をなぞるだけの人。
だから言わせて。
そんなあなたが、本物の愛を語るなんて、やめてほしい。
私が欲しいのは、嘘のない、本当の想い。
でも、それはもう、ここにはないみたいね。」
そう言い残し、彼女は無言で去っていった。
振られたのだと、私は思った。
*
数日後、私は代筆屋を辞めた。
そして、文章に携わってきた経験を活かし、図書館で働き始めた。
知識に触れることで、さまざまな欲望を満たしていった。
*
数年後、知人から聞いた話だと、あの令嬢は海軍大将の息子と結婚したが、すぐに未亡人になり、彼女も間もなく後を追ったらしい。
私は自室に戻り、あの時綴った手紙をそっと取り出して、静かに読み返した。
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