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.ソファの上で
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秋がくると思い出すことがある。
「千尋さん、またあの恰好をしてくださいよ」
新崎迅人は、ソファの上にちょこんと座って読書している千尋に声をかけた。丸い眼鏡の下に文庫本に視線をおとした瞳を隠した千尋が、肩を小さく震わせた。
「あの恰好?」
まだ紙面から目線を離さずに千尋は新崎に問う。新崎はおそろいのマグカップをふたつ手にしていた。そっとこぼさないようにすり足で彼のもとへと近づく。
「そうです。あの恰好です」
「だから、何のこと?」
千尋が顔をあげた。目の前には、淹れたての香ばしい香りのするコーヒー。ぱたんと文庫本を閉じて膝の上に乗せた。空いた手のひらで新崎に差し出されたマグを手にとると、新崎が嬉しそうに、隣に座ってくる。千尋は端によるように詰めて、新崎を座らせた。狭い。だが、肩が触れるこの距離も悪くない。
「そろそろハロウィンなんですけど……」
新崎が唇をマグの端にくっつけたまま答えた。
「ああ、そうか。そうだね、もう十月だから」
と、ここまで言ってようやく千尋は彼が何を求めているのか、思い至った。
「嫌だよ!!」
声をあげた千尋のコーヒーが陶器の中で揺れる。
「ええ~、去年はあんなに楽しかったのに!」
「そりゃ、きみを喜ばそうとしてやったことだから……」
去年の十月。この可愛い年下の男を喜ばそうとして千尋は「仮装」をやってのけた。しかし、それは残念なことに季節を先取りしすぎたサンタクロースのコスプレだった。それでも、千尋が自分のために用意してくれたへんてこなハロウィンは新崎にとってはそれが世界て一番素敵なハロウィン体験になった、のではるが。
「あ、見てください。今年も渋谷が戦っていますよ」
いつの間にか、新崎はスマホで記事を読んでいた。新崎のスマホを覗き込んだ千尋は、目を細めた。
「ハロウィンに来ないでください、か」
「毎年、渋谷は大騒ぎですからね。ひとが集まるのはやっぱりちょっと怖いです」
記事の中には、ひとごみでごったがえす交差点の写真が載っている。遠方から撮ったその写真は、人がアスファルトが見えないくらいにたくさんあふれており、背筋を冷たいものが走る。周囲八方を人間に囲まれて、逃げ路がない。それどころか、きっと動くの大変だろう。
「確かに怖いね」
千尋はつぶやいた。この恐怖は疫病禍を味わったから故の怖さだけではない。こんなぎゅうぎゅう詰めの状態自体が危険をはらんだとても恐ろしいことだ。
満員電車に押し込めれらたような、不快感を覚えて、千尋はその感情を吐き出すように小さくため息をついた。
「なんか俺、ずいぶん枯れちゃったみたいです」
「え?」
「季節行事だとかイベント事とか、好きでもないし嫌いでもないんですけど、千尋さんが隣にいるお正月は最高ですし、去年のハロウィンなんて最高以外に何も言えなかったですし」
「ああ、もうサンタの話はよそうよ」
思い出して千尋が頬を赤く染める。
「だけど、なんだか今年はどんちゃん騒ぎしたいって気分にはなれなくて」
新崎が、唇をマグにつけた。ごくりと、彼の喉が動く。
「俺、枯れちゃいましたね」
少し困ったように笑う新崎の顔がこちらを向いた。
「何を言ってんだか」
千尋が笑った。
「え、何なんですか、千尋さん!?」
「やろうか、ハロウィン、今年も」
「ええ!? さっき、嫌だって言ってましたけど!?」
「ごめん、ぼくだってたまには気まぐれになりたいのさ」
「千尋さん!? またサンタさんしてくれるんですか?」
ぱっと新崎の表情が花咲くように輝いた。
「いや、それは却下」
「ええ~!?」
「ゆっくり出来るようなハロウィンをしよう。ふたりで幽霊にでもなって、知らない街をぶらつくとか、どう?」
「幽霊!? 千尋さんがお化けの恰好してくれるってことですか!?」
「コスプレから離れろ!!」
話あっていると、肩がぶつかる。マグの中で液体が暴れる。狭い。息苦しいくらい狭い距離なのに。
「あっ」
新崎が叫んだ。ちゃぽんと跳ねたコーヒーが新崎の手からぽたりと垂れてソファに沁みを作った。
「すすすす、すみません!」
すぐ近くにあったティッシュボックスから数枚むしりとると、必死になって沁みをとろうとする。
「俺、千尋さんの大事なものに……! ごめんなさい! 仕事のギャラが入ったら、新しいソファ買い、ます……」
「いいって。カバーを外して洗おう」
「はい!」
微笑んだ千尋に、新崎がしっぽを振る。否、しっぽなど彼に生えていないのだけれど、なんとなく仔犬がぶんぶんと振るしっぽのようなものが見えるような気がする。
「それとも、新崎くんが新しいの買ってくれるのなら、もうちょっとおっきい、ふたりでくつろげるようなものでも、お願いしようかな」
千尋がふふっと唇を震わせて笑った。
「そうですね、ふたりでゆったりできたほうがいいですよね」
「だけど、俺、このソファも好きです。千尋さんと一緒って感じがして」
新崎が愛おし気にソファを撫でた。千尋は我慢が出来なくなって、吹き出し笑ってしまった。何故、彼が笑い出したのか、わからなくて、新崎はきょとんと眼を丸くする。
「あの、千尋さん?」
「まったく面白いね、きみは」
しばらくの間、まだこの狭いソファには現役でいてもらわないといけないらしい。
(了)
「千尋さん、またあの恰好をしてくださいよ」
新崎迅人は、ソファの上にちょこんと座って読書している千尋に声をかけた。丸い眼鏡の下に文庫本に視線をおとした瞳を隠した千尋が、肩を小さく震わせた。
「あの恰好?」
まだ紙面から目線を離さずに千尋は新崎に問う。新崎はおそろいのマグカップをふたつ手にしていた。そっとこぼさないようにすり足で彼のもとへと近づく。
「そうです。あの恰好です」
「だから、何のこと?」
千尋が顔をあげた。目の前には、淹れたての香ばしい香りのするコーヒー。ぱたんと文庫本を閉じて膝の上に乗せた。空いた手のひらで新崎に差し出されたマグを手にとると、新崎が嬉しそうに、隣に座ってくる。千尋は端によるように詰めて、新崎を座らせた。狭い。だが、肩が触れるこの距離も悪くない。
「そろそろハロウィンなんですけど……」
新崎が唇をマグの端にくっつけたまま答えた。
「ああ、そうか。そうだね、もう十月だから」
と、ここまで言ってようやく千尋は彼が何を求めているのか、思い至った。
「嫌だよ!!」
声をあげた千尋のコーヒーが陶器の中で揺れる。
「ええ~、去年はあんなに楽しかったのに!」
「そりゃ、きみを喜ばそうとしてやったことだから……」
去年の十月。この可愛い年下の男を喜ばそうとして千尋は「仮装」をやってのけた。しかし、それは残念なことに季節を先取りしすぎたサンタクロースのコスプレだった。それでも、千尋が自分のために用意してくれたへんてこなハロウィンは新崎にとってはそれが世界て一番素敵なハロウィン体験になった、のではるが。
「あ、見てください。今年も渋谷が戦っていますよ」
いつの間にか、新崎はスマホで記事を読んでいた。新崎のスマホを覗き込んだ千尋は、目を細めた。
「ハロウィンに来ないでください、か」
「毎年、渋谷は大騒ぎですからね。ひとが集まるのはやっぱりちょっと怖いです」
記事の中には、ひとごみでごったがえす交差点の写真が載っている。遠方から撮ったその写真は、人がアスファルトが見えないくらいにたくさんあふれており、背筋を冷たいものが走る。周囲八方を人間に囲まれて、逃げ路がない。それどころか、きっと動くの大変だろう。
「確かに怖いね」
千尋はつぶやいた。この恐怖は疫病禍を味わったから故の怖さだけではない。こんなぎゅうぎゅう詰めの状態自体が危険をはらんだとても恐ろしいことだ。
満員電車に押し込めれらたような、不快感を覚えて、千尋はその感情を吐き出すように小さくため息をついた。
「なんか俺、ずいぶん枯れちゃったみたいです」
「え?」
「季節行事だとかイベント事とか、好きでもないし嫌いでもないんですけど、千尋さんが隣にいるお正月は最高ですし、去年のハロウィンなんて最高以外に何も言えなかったですし」
「ああ、もうサンタの話はよそうよ」
思い出して千尋が頬を赤く染める。
「だけど、なんだか今年はどんちゃん騒ぎしたいって気分にはなれなくて」
新崎が、唇をマグにつけた。ごくりと、彼の喉が動く。
「俺、枯れちゃいましたね」
少し困ったように笑う新崎の顔がこちらを向いた。
「何を言ってんだか」
千尋が笑った。
「え、何なんですか、千尋さん!?」
「やろうか、ハロウィン、今年も」
「ええ!? さっき、嫌だって言ってましたけど!?」
「ごめん、ぼくだってたまには気まぐれになりたいのさ」
「千尋さん!? またサンタさんしてくれるんですか?」
ぱっと新崎の表情が花咲くように輝いた。
「いや、それは却下」
「ええ~!?」
「ゆっくり出来るようなハロウィンをしよう。ふたりで幽霊にでもなって、知らない街をぶらつくとか、どう?」
「幽霊!? 千尋さんがお化けの恰好してくれるってことですか!?」
「コスプレから離れろ!!」
話あっていると、肩がぶつかる。マグの中で液体が暴れる。狭い。息苦しいくらい狭い距離なのに。
「あっ」
新崎が叫んだ。ちゃぽんと跳ねたコーヒーが新崎の手からぽたりと垂れてソファに沁みを作った。
「すすすす、すみません!」
すぐ近くにあったティッシュボックスから数枚むしりとると、必死になって沁みをとろうとする。
「俺、千尋さんの大事なものに……! ごめんなさい! 仕事のギャラが入ったら、新しいソファ買い、ます……」
「いいって。カバーを外して洗おう」
「はい!」
微笑んだ千尋に、新崎がしっぽを振る。否、しっぽなど彼に生えていないのだけれど、なんとなく仔犬がぶんぶんと振るしっぽのようなものが見えるような気がする。
「それとも、新崎くんが新しいの買ってくれるのなら、もうちょっとおっきい、ふたりでくつろげるようなものでも、お願いしようかな」
千尋がふふっと唇を震わせて笑った。
「そうですね、ふたりでゆったりできたほうがいいですよね」
「だけど、俺、このソファも好きです。千尋さんと一緒って感じがして」
新崎が愛おし気にソファを撫でた。千尋は我慢が出来なくなって、吹き出し笑ってしまった。何故、彼が笑い出したのか、わからなくて、新崎はきょとんと眼を丸くする。
「あの、千尋さん?」
「まったく面白いね、きみは」
しばらくの間、まだこの狭いソファには現役でいてもらわないといけないらしい。
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