月見に誘う

阿沙🌷

文字の大きさ
上 下
2 / 4
✿年下×年上 テレフォン月見

✿月を見るだけで

しおりを挟む
「かーどくーらさん、一緒にお月見でもしませんかーっ」
 門倉史明、独身独り身現在フリーの侘びしいアパートにかかってきた電話の発信者は松宮侑汰三十路超えの男からだった。
 しかし、彼は只者ではない。年齢にそぐわぬ童顔と可愛らしさで門倉を誘惑し、一時は彼の恋人の座まで射止めた男だ。しかし、猫を被っていたのがばれて、残念な本性を顕にした途端に門倉と歪にこじれた奇妙な関係になってしまった。つまり、松宮は門倉を追い、門倉は松宮の奇天烈な言動に振り回されているのだ。
「やだよ」
 門倉は即答した。
「えーっ、どうしてですか?」
「この間、お前と天体観測だなんだといってでかけて行ってひどい目にあった」
「あー、なるほど。そのときの体験が忘れられず、お月見だのなんだのにかまけずに直球ストレートに俺といちゃいちゃしたいんですね」
「違う。忘れたい。あの日のことは、忘却の彼方まで吹っ飛びたいくらいにブラック・ヒストリー」
「わー、それでも俺といちゃいちゃしたいだなんて……門倉さんったら」
「したかねーよ!!」
「もー、照れちゃってぇ」
「照れてない。つか、もう、切るぞ」
「わー、切らないでください。さ、そのまま、ベランダにゴー!」
「は?」
「いいからいいから。俺も今日は仕事がこんがらがっちゃって、ここを抜け出せないから」
 仕事がこんがらがるとはどういう状態なのだろうか。すこし気になったが、なんとなく嫌な予感しかしない。ここは聞かないほうがいい。門倉はそう思った。
「ベランダ? ベランダに出ればいいのか?」
「そうです、そうです、はい、レッツゴー!」
 松宮に急かされるように門倉はベランダに面した窓を開けた。びゅっと風が入ってくる。
 めんどうだから、裸足のまま、窓枠を踏み越える。ベランダに立つと、夜の匂いがもうすぐそこまで迫ってきていた。
「見えますか!?」
「何が?」
「月です、月、月」
「あ、ああ、月ね……月。おい、一回、下に行ったほうがいいかも」
 門倉の部屋はアパートの二階なのである。
「え?」
「部屋出てぐるっとまわってみるから、少し待ってろ」
「え、あ、はい」
 門倉は、ベランダから室内に戻るとそのまま玄関で外履きに足を突っ込んだ。部屋を飛び出すと、今にも壊れそうな外付けの階段を下る。
「あ、見えた」
 門倉の瞳が月を捉えた。
「なん、か丸いな」
「そりゃそうでしょう、月ですもん」
「月だなぁ」
「ふふ、門倉さんってやっぱり謎です」
「は?」
「俺のために、外まで駆け出てくれるところ」
 あ。
 確かにわざわざこんなこと、しなくても良かった。いまさらながら後悔。
「でも、好きです。ほんと、そううところ」
「あー、いはい。そーでございますか」
「門倉さん、今日は、これから雨が降るみたいなので、もうお部屋に戻ってくださいね」
「へいへい」
「あと、俺、ほんと、一緒に月、見たかったので、嬉しかった」
「はいはいよ。もういいか、要件は済んだんだろ」
「ありがとうございます、門倉さん」
「はいはい、切るからな、仕事、頑張れよ」
 通話終了のボタンを押したあと、門倉は、頭上を見上げた。夕闇に溶け出していく空に薄っすらと小さな星が見える。
「やっちまったなぁ」
 妙だ。つい、やってしまうところ。
 うざくてたまらないのに、つい、うっかり、松宮にかまってしまう自分がいる。まいった。これ以上はないぞ。これ以上、生活の中に松宮が侵入してきたら。門倉は自分の生活が崩壊してしまうさまを想像してぶるっと身を震わせた。
 そうだ、雨が降ると彼は言っていた。はやく部屋に戻ろう。

 (了)

しおりを挟む

処理中です...