伯爵令嬢と想いを紡ぐ子

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 殿下は城下の端に大きな屋敷を構えており、迦具夜工房からの通り道では屋敷の前を通る。チリちゃんがいうには『糸』は城下町から伸びているとのことだったので、素通りして城下町を目指した。


 そして、夕陽が傾き始める頃、私たちは城下町に着いた。


「もうすぐ評議会館に着きます!」


「着いてからも急いでね、ルーナお姉ちゃん! もう『灰色の糸』は見えないの……」


「それって、もう……」


「た、多分まだ大丈夫だよ! 『灰色の糸』が見えなくなってもまだ切れてはないから! それにまだ新しい『糸』も残ってる! ……だけど、ここからオージさんともう一度やり直せるかどうかはルーナお姉ちゃん次第だよ」


「私次第……」


「大丈夫だから! ルーナお姉ちゃんなら絶対大丈夫だから! ルーナお姉ちゃん! ほら、笑顔笑顔~!」


 私ははっとしてすぐに笑顔を作った。


 ――弱気になってはだめ。頑張るのよ、私……。


 馬車は私たちを乗せて、城下の町を颯爽と駆けた。



 ◇◇◇



 評議会館は城下町の中央に位置している。


 馬車から降りた私たちは、建物の中に入ろうとすると正面玄関の前で二人の衛兵が立ち塞がった。


「今日の評議会は既に閉会されました。御用がお有りでしたら明日に改めてお越し下さい」


 チリちゃんに目を向けると、「ううん、お姉ちゃん。『糸』は中へ伸びてる。オージさんはまだ中だよ」


「私はルーナと申します。まだ建物の中には殿下がいらっしゃるはずです。至急、お伝えせねばならないことがあります! 通していただけませんか?」


「ルーナ様? もしや婚約を破棄されたというディエス家のご令嬢か!? ならんぞ! 殿下からのその書簡は本日の議会をもって受理されている! あなた様はもう、評議会館の中に入れるご身分ではございません!」


 ――そんな……。この中に殿下はいらっしゃるのに……すぐお近くにいらっしゃるのに……お会いできないなんて……。


「も~う、このわからずや! か弱いレディが二人でできることなんてたかがしれてるんだから、つべこべいわずにいれなさいよ~!」


 鎧を纏った二人の衛兵の間を、無理矢理に身体をねじ込もうとするチリちゃんを尻目に、私は頭を下げて何度もお願いをする。


「お願いです! 今を逃すともう……」


「なりません!」


 チリちゃんを上から掴むように持ち上げた衛兵は、「これ以上の反抗は罪に問われる可能性もございます。お帰り下さることがご賢明かと存じますが」


 ――殿下に会うためには、いったいどうすればいいの……。


 と、考えたその時――。


「ああああああ!」


 ――チリちゃんの叫び声!? いったい何ごと!? 


「『糸』が……『糸』が……」


「『糸』が……何……?」


 その先、どんな言葉が返ってくるのか、私にはわかっていた。でも、その予想に反して違う言葉が返ってくるかもしれない。そういう淡い期待を裏切るかのように、チリちゃんはいった。


「『糸』が……切れちゃった……」



 ◇◇◇



 ――間に合わなかったの!?


「ああ~ん! もう放してよ~!」


 衛兵に抱えられたチリちゃんは衛兵の腕の中でバタバタと手足を振るっている。


「まだ抵抗するようでしたらあなた方を捕らえることになります!」


 ――ここは一度引き下がる他ない……。


 チリちゃんは尚も抵抗する素振りを見せたが、私が名前を呼ぶことでチリちゃんは落ち着きを取り戻した。


 そして私たちは馬車へと戻った。


「チリちゃん……間に合わなかったね」


「うん……」


「でもね、もう、別にいいの。『糸』が切れてしまっても別に構わないわ」


「え? それって……」


「私、気づいたの。私はチリちゃんのように『糸』なんて見えないけど、今日一日いろんな人と話をしてみて、確かに人の想いは繋がっているのだわと感じることができたの。チリちゃんのおかげで、私は大切なことを学ぶことができたわ。ありがとう」


「ルーナお姉ちゃん……」


「それでね、チリちゃんのいう『糸』が切れたように、殿下とはもう昔のような関係に戻ることはできなくなったとしても、私は今のこの想いを殿下に伝えたいって思うの。だから、私は最後まで諦めないわ」


「うん! ……ルーナお姉ちゃん、変わったね」


 チリちゃんは微笑みながらそういった。


「ふふ。……私自身もそう思うわ」


 私も微笑み返した。


「じゃあルーナお姉ちゃん。ここで禁断の裏技……使ってみる?」


 チリちゃんは私に、一枚の紙をとって見せた。



 ◇◇◇



 私たちは再び評議会館の正面玄関に立った。


「何度お越しになられても困りますルーナ様。しつこいようですと、我々はあなた方を捕らえねばならなくなります」


 私は深呼吸する。


 ――もしも失敗をすれば全てがおしまいになる。でも、それでも私はやり遂げると決めたの。


「先程は申し訳ございません! あまりにも急ぎすぎていたために、書簡の提示を忘れておりました。これが指示書でございます! お願いです。私たちを評議会館の中まで案内していただけませんか!」


 私はシープ様より頂戴した指示書を提示した。


 ――具体的には、迦具夜工房で技師に品物を加工させる内容なのだけれど……。


 二人の衛兵は指示書を確認する。


 最後に一行を書き足した。『かの一品を提出のため、本日中に評議会館にて受け渡しされたし』と。


 これは明らかな公文書偽造。見つかれば重罪。


 だけど、手段なんて選んでられない――。


「殿下のものに間違いはないな。かしこまりました。では我々が案内致します」


 ――よかった……無事に通過できそうだ。


 そういって衛兵が振り返ろうとしたその刹那。


「……待て」


 片方の衛兵が止めに入る。


「んん? どうした?」


 ――やはり……見つかってしまったの……?


 頬を一滴の汗が流れる。


 評議会館への侵入は国への反逆と見なされる場合がある。また殿下の名を騙ることも不敬罪となり、見つかると最悪打ち首だ。


「……殿下は審議室にいらっしゃる。正面玄関からでは遠回りだ」


「そうか。ならば裏口からお連れ致します。どうぞこちらへ」


 ――ほ……。何とか凌ぎましたね……。



 ◇◇◇



 私たちは評議会館に入った。


 廊下を歩き、そして一つの扉の前までやってきた。


「殿下はこの中にいらっしゃいます。……では私はこれで失礼します」


「案内下さり感謝致します」


「『糸』はここに伸びてる……。うん、中にいるよ、ルーナお姉ちゃん」


 私は頷き、そして意を決して扉を開いた。



 ◇◇◇



『それでは明日の評議会は予定通り十時より執り行います。殿下の宣誓に関しては最初の議題と致しますので、お時間までにはこちらにお越し下さい。尚、明日に改めて今の内容を議会の場でお話いただくことになりますが、よろしいですね?』


『構いません』


『ありがとうございます。では明日の評議会はその流れで進行させていただきます』


『わかりました。この度は突然の訪問にも関わらず迅速に対応下さりありがとうございます。審議官のご配慮には重々感謝しております』


『いやいや滅相もございません。殿下が意思を述べていただくだけで我々としても国政が円滑にこと運ぶこと受け売りなのです。今後も私たちは殿下の御心のままに国の運営をお助け致しますので、どうぞこれからもよろしくお願い致します』


『こちらこそ、よろしくお願いします』


 私が扉を開いた時、殿下は頭を下げていたところだった。


「殿下!」


 私の声が広い審議室に響き渡る。


 殿下はとても驚いた表情をしていた。


「ルーナ!? どうして君がここに……」


 私は足早に殿下に駆け寄る。チリちゃんがぼそっといった「ルーナお姉ちゃん、頑張ってね」という声援に、「もちろん」とこたえるほど冷静なままに。


 私は自分が成したいことのために殿下に想いを伝える――。


「殿下、お話がございます」


「ルーナ……どうして君がここにいるのだ!?」


「はい。シープ様にお尋ねするとこちらにいらっしゃるとお聞きしました」


「何? シープが? どうしてシープが私の居場所を君に……?」


「それは、私がシープ様にお願いをしたからです。……殿下、私は殿下にお伝えせねばならないことがございます」


「伝えねばならないこと?」


「はい。……婚約の件です」


 婚約破棄の件は今日に評議会で受理されたとのことだった。なので側にいる審議官も事情は察している。


「殿下、私は席を外します。部屋の施錠は後程参りますので最後は開けたままでご退出下さい」


 そういい残し、審議官は返答を待たず部屋を出ようとする。


「待って下さい。審議官に迷惑を掛けるつもりはありません。こちらが席を外すので後のことをお願いできますか?」


「かしこまりました」


「ルーナ、申し訳ないが場所を移すよ。私についてきて」



 ◇◇◇




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