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初めての約束

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「ハーイ、良い子のみんな、見てる? アタシは新しい魔王、ハーンよ。それと、スタジオに新しいお友達が来ているわよ? さ、自己紹介をどうぞ」
「スティルモン王国第一王女、王位継承権三位、マーシャル・コイル・スティルモンだ」

 口いっぱいに詰め込まれた苦虫を無理くり噛み潰させられたような顔で、“純白の姫騎士”が魔珠に顔を向ける。
 城の裏手、地上階から地下にかけて吹き抜けになったイグノの工廠。広報用の魔王城スタジオはその最深部にある。このスタジオで撮影された映像は、魔王領全域に配置された無数の受像用魔珠を経由して、津々浦々の公示スペースに音声付の立体映像として投影されているらしい。ほとんどは公園(魔族の国にそんなものがあるのは初耳だったが)の中央噴水とか、村役場前とか、娯楽施設の前とか。要は、街頭テレビである。
 発信用の魔珠は巨大で希少、かつ高(魔力)コストだが、受信用の魔珠は比較的安価でありふれたものでもあり、その一部は周辺国にも流通しているそうな。
 そんなものは叛乱側が最初に押さえるべきプロパガンダ手段だと思うのだが、幸か不幸かスタジオは工廠長の管轄であり、城内に入れる程度の兵力では彼女の気紛れな魔窟を制圧どころかドアを開けることすら出来なかったのだ。
 まあ、詳細は知らない。あんまり知りたくもない。

「マーシャルちゃんは魔王領のお隣、スティルモン王国の王女さまなの。綺麗でしょ? 髪も肌もキラキラで、ホント天使みたい♪」

 あたしの能天気なコメントに、王女殿下は微妙な顔をした。そのキラキラが魔王領謹製の化粧品によるものだという屈辱か、天使という表現が宗教的な禁忌にでも引っかかったのかとも思ったが……上気した頬を見る限りどうも照れてるだけのようだ。

「魔王からみんなへのお知らせは、ふたつあるの。まずは、これ」

 アタシはカメラマンのレイチェルちゃんに手振りで指示を出し、スタジオに置かれた甲冑を示す。トルソに着せられたそれは磨き上げられ、魔術によるスポットライトに無垢な輝きを放っているが、当然のことながらその持ち主はいない。
 金色の鎧と、黒の鎧が4体。アタシはその悪趣味な金色のを指す。

「先代魔王様を裏切って、魔王領内をムチャクチャにした悪い宰相は、アタシたちが倒したわ。裏切り物は、まだ全部じゃないけど、残りはもう少しだけ・・・・・・待っててね?」

 魔珠カメラ目線でいったアタシのコメントに、王女殿下が小さく息を呑んだ。

 隣に並べた黒い鎧の兜は、大きな4枚羽根のものがひとつ。中くらいの2枚羽根のものが3つ。良く見れば上質な素材と入念な鍛え方だが、見た目で雑兵との違いは少ない。
“質実剛健を旨とする帝国軍は指揮官に華美な装飾を付けることはない”とのことだが、逆にいえば指揮官を狙い撃ちにされないための隠れ蓑でもあるのだろう。大きな違いは兜に着けられた矢羽根のような指揮官印トサカだけだ。その数と大きさが階級章の代わりになるらしい。

「ここにあるのは、その金ぴかデブが連れてきた帝国軍の偉かった奴が着ていた鎧よ。ええと……ごめんなさい、名前は聞かなかったんだけど……」
「右将軍ケイマンだ。横のは騎兵隊長と、弓兵隊長と、重装歩兵隊長のものだ」
「ああ、ありがと姫様。そのケイマンと、そいつの引き連れてた2万の兵隊は、もういない・・・の。それで、要らなくなった・・・・・・・鎧と武器と補給物資はお城にあるわ。もう少ししたら、アタシの方からみんなのところにお邪魔しようと思ってるんだけど、いまいるところが辛かったら、いつでも訪ねてちょうだい」

 穏やかながらも、ハッキリした意思表示。自分には力が――それも凄まじい力が――あり、物資があり、(路銀と換金可能な物資を含めて)資金があるということ。遠征軍がどれほどの質だったかはともかく、2万の軍勢が抱えていた輜重がそっくりそのまま手に入ったといっているのだ。片道分は消費していたとしても、それは現在の魔王軍に1万の兵を生む余力があるということに他ならない。残る問題は人員であるということも含めて。

「もうひとつ、発表するわね。姫様とアタシで、決めたことがあるの。王国と魔王領が、じゃないわよ。いまのところは・・・・・・・、姫様が治めておられる王国南部領とだけね。条約とか協定とかいう段階まで進める気もないわ。罰則もなし、拘束力もなし、担保も、付随条件もなし。わかりやすくいうと、ちょっとした口約束。ね?」

 アタシが目をやると、憮然とした表情の王女殿下が、わずかに首肯する。いまのところは、それで十分だ。

「戦うときは正々堂々とやる。戦わないときは商売の邪魔をしない。それだけよ」

「王国南部領軍には既に通達を出した。王都の意向は知らんが、魔王領と国境を接する王国南部の各戦線は戦闘を停止、魔王領内の兵は引く。今後のことは……折衝によって解決するつもりだ」

 王女殿下の言葉が終わると、魔珠の上に浮かんだ指向性魔法陣タリーがこちらに向けられる。ちょびっとズームになったのをチェック用魔珠モニターで確認して、アタシはとびっきりの笑みを浮かべた。

「でね、アタシ、お城でお店をやることにしたの。来てくれた人には、どこの国の誰でも・・・・・・・・サービスしちゃうわよ?」

◇ ◇

「……うがぁるんだらああああぁーッ!?」

 床に叩き付けられた酒杯が粉々に砕け散り、ワインが血飛沫のように飛び散る。スティルモン王国第一王子コーウェルの声は極度の怒りと憤りで言葉の体を成してはいなかったが、誰もがその意思だけは完全に理解した。それはその場にいた全員が痛感したことでもあったからだ。

「何だこれは! 何なんだ、これは一体!!」

 そんなものはこちらが訊きたい、というのがそこにいた重臣たちの共通見解だが、まさかそれを口にするわけにもいかない。王子の憤怒が――少なくとも対話可能な程度までは――収まるのを静かに息を潜めて待つ以外になかった。
 第一王子の派閥だけが顔を揃えた離宮の別室。広いだけの殺風景な部屋に、嫌な沈黙だけが広がってゆく。

「魔王の手に落ちた、ということか?」

 最初に口を開いたのは、王子の懐刀である王国軍参謀オークス。第一王女を魔王領に送り出したのは彼の発案・・によるものだ。裏から手を回して入手した魔珠を前にコーウェルの重臣たちを集めたのは、新魔王から魔王領全域に事前予告のあった“重大発表”とやらを聞くため。それが王女の死、もしくはそれに類するものと思い込んでいた。なぜなら。
 帝国軍に降った魔王領の宰相コーラルは、オークスとも通じていたからだ。利害調整の名の下、コーラルは帝国(軍閥)と、王国(第一王子派閥)双方に情報を与え、引き換えに自身の地位と利益を得ていた。
 それも全て、水泡に帰したようだが。

「そう考えるしかなかろう。あの表情を見る限り、姫が望んで降ったとは思えん」

 オークスは静かに発言者を観察する。王国軍近衛師団第一騎兵隊長レクリー大佐。王国軍内の序列でいえば、王女の上官になる男だ。派遣軍の編成に当たり、数々の無理やごり押しを強要してきた。特に、魔王領内に攻め込んだ帝国軍の動向を揉み消したことで、王女が無事に帰還した場合には拙い立場に置かれる。将軍まであと一歩のところで失脚などしたら、年齢的にもう後がない。それどころか。
 負けるはずのない戦に、負けるためだけに送り込まれた王国派遣軍。彼らの生還は、そのままレクリーの死に繋がっている。それが政治的な死などでは済まないことを、この場にいる誰もが知っていた。

「待て、魔王の口から王国軍の被害は語られなかったぞ。まさか戦わずに投降したとでもいうのか!? 魔王領やつらの残存兵力は、少なくとも新魔王に付いた兵力は皆無……いや、全く存在しない・・・・・・・はずだぞ!?」

「で、殿下ッ!」

「何事だ! 誰の許可を得て……」

 衛兵を跳ね飛ばして駆け込んできた銀甲冑を見て、オークスとレクリーが揃って顔を青褪めさせる。元が派閥外の人間には知られることのない場所。入ってきたのは、コーウェル閥であることに間違いはないのだが、ここにいるはずもない男だった。

「……ソーマン、なぜ、ここに」

 百の敵兵を剣風で薙ぎ払うとまでいわれた偉丈夫が、いまは目を泳がせ背中を丸めて見る影もない。何がこの男はこうまで卑屈にさせたのか、周囲の人間は発言を待ち、また怖れた。

「よもやひとりだけ逃げかえってきたのではあるまいな。姫騎士は、マーシャル王女殿下はどうされたというのだ!」
「遠征軍は、王女殿下を含めて二週間後には全員無事帰還いたします。私は、その伝令のため単騎で戻ったのです」
「……無事? 新魔王を打ち取ったわけでもあるまい。帝国軍と干戈を交えて一兵の損失もなかったというのか」

 思わず漏らしたレクリーの言に、ソーマンの目がスッと細められ、冷えた光を放つ。

「やはり、帝国軍の侵攻は先刻御承知でしたか」
「そ、そんなことはいい、王女殿下は、新魔王との戦いはどうなったかを述べよ!」

 ソーマンの目がコーウェルを見る。彼が頷くと、ソーマンは顔を伏せた。

「魔王城に踏み入った我々は、新魔王に無抵抗のまま城内に迎え入れられました。新魔王に手持ちの軍勢はなく、召使と思われる女人が数名のみ」
「それで」
「話し合いがしたいと」

 唖然とするオークスとレクリー。現実を認識し切れぬ一部の文官からは失笑が漏れた。

「貴様は“王国最強”の一角を担う剣士であろうが。敵の策略に乗ったとでもいうのか?」
「とんでもない、直ちに一騎打ちを申し出ましたが、力及ばず」
「……なんと。新魔王は、それほどの手馴れか」

 青白い優男にしか見えないあの風貌で、という言葉は辛うじて呑み込む。魔珠による放送受信の事実は、捨て駒として送り込んだ当事者たちに聞かせて良い物ではない。

「……いえ、それが……」
「どうした。殿下の御前であるぞ、ハッキリ答えんか!」

「私を倒したのは、魔王の……執事であります」

 その場にいる全員が、固まったまま身動きひとつしない。
 手も足も出ず敗れたとはいえ、ソーマンにも王国で五指に数えられる剣士として未だわずかな矜持が残ってはいた。無手の女人に一撃で昏倒させられたとまでは、いえなかった。それが、王子閥の重臣たちのなかに有形無形の憶測を呼ぶことになる。

「魔王の執事となれば、恐るべき力を持った魔人なのであろうな。貴様を倒すほどの者が、まだ残っていると。帝国軍を殲滅したのも、そいつか?」
「わかりません。その女……執事が暴れ回ったのか、何かの魔術を使ったのか、私が意識を取り戻したときには、全てが終わっておりました。戦いが行われたと思われる城の前庭に残されていたのは、形も留めぬほどの死骸の山と、膝まで浸かるような血の海だけであります」

 顔を伏せたまま絞り出すようにいったソーマンの声が途絶えると、室内にはまた重い沈黙だけが残った。誰もが縋るような目で周囲を見渡し、どこにも救いがないことを痛感してまた床に視線を戻す。
 この場を取り仕切るはずのオークスは絶句したまま動けず、派閥をまとめなければいけないコーウェルでさえ動きを止めたまま思考停止状態にある。

「……王女は魔王に魅入られ、王国に弓を引いた。既に、救いようはない」

 王子の口からボソボソと吐き出された言葉に、耳を澄ませていた重臣たちは顔を伏せたままハッと息を呑んだ。目の前に進んできたコーウェルに応えようと顔を上げたソーマンの喉に、王子の短剣が突き立てられる。

「げぶッ、な……」

 なぜ、と問いたげな目を見開き、ソーマンはその場で事切れる。周囲に立った重臣たちは身動きでひとつ出来ないまま自分たちの旗印を見詰める。行く末を見誤っていたとしても、乗せる神輿を間違えたとしても、いまさら戻るには遅過ぎた。コーウェルは場違いな笑顔を浮かべ、目には狂気を宿していた。

「魔物に降った薄汚い裏切り者どもめ。目に物見せてくれるわ」
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