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初めてのお別れ
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魔王城に戻ったアタシは、出迎えたメイドたちに帰還の挨拶をする。お土産はホテル・メレイアの生菓子。カナンちゃんたち魔王城チームの成長に刺激されたのか、ホテルのシェフやパティシエたちも若手には負けんとばかりに技術の向上と新製品の開発に必死だ。魔王城チームを驚かせようとしているのか、手土産にしてはえらく大きく豪華な代物だった。
「カナンちゃん、ありがとう。とっても助かったわ。“魔珠とティアラ”は、そのまま進めて。他にアイディアや修正案や、必要なものがあったら何でもいってちょうだい」
「はいッ!」
「レイチェルちゃん、解放交渉は無事締結したわ。引き渡しの詳細はメレイアに連絡が入る。王城側の交渉窓口は執事のクリミナスさん」
「……御意」
ピクリと、反応が遅れた。名前を聞いて察したのだろう。複雑な表情で頷く。
「それと、アタシの部屋にセバスちゃんを呼んで」
◇ ◇
「我が君、お呼びですか」
まだ何も知らないのか、セバスちゃんは能天気な笑顔でアタシの私室に入ってきた。
警戒した様子も気負った素振りもなく、どこで何をしていたのか上着の袖口に小麦粉とクリームが付いている。執事としての資質も覚悟も、クリミナス少佐に全く及ばない。
「訊きたいことがあるの。ずっと訊きたかったんだけど、デリケートな問題なんで時間を置いてと思ってた。それが間違いあったみたい。先王様は亡くなったものだと思ってたんだけど、あなたはどう聞いていたの」
「最期の突撃に連れて行ってはもらえませんでしたので、この目で見たわけではありません。唯一生還した兵から先王陛下は名誉の戦死を遂げられたと聞き、形見としてこれを渡されました」
胸元から見せたのは、武骨でシンプルな魔珠の首飾り。というよりお守りか。
「他には」
「遺言として、“俺のことは忘れて幸せになれ”と」
つまり、勝てもしない戦いや意味のない報復に、人生を費やすのを止めろと。
そんなことが出来るほど器用な性格じゃないことなんて、この馬鹿さ加減を見れば誰でもわかるでしょうに。
「……ホント、くだらない男」
「我が君、何か」
「いいえ、何でもないわ。その帰還兵は、いまどこに?」
「故郷のケルベアックに戻りましたが……心を病んで人が変わり、山に籠って誰とも接触せず、訪れた相手にも、ひとこともしゃべらないのだと聞きました」
ケルベアック。確か、魔王領南西部の山岳地帯にある村だ。少し前まで宰相たちの支配圏で、いまは中立という名の日和見状態。余力が出来たら村長を解任の上で接収するつもりだったけど、まだ訪れる機会もない。
その兵が心的外傷なのか、何かを隠すためのカモフラージュなのかは不明。もし本当だったとして、話を聞き出せるのかも不明だ。聞き出したいのは先代魔王が戦死されたという時期と状況。彼は何を見て、何を体験したのか。その時期が、クリミナス少佐と先代魔王が最後に会った時期より前ならば、生存の保証にはならない。その上、戦場の記憶を掘り返すことで、壊れかけた彼の心を完全に壊すことにもなりかねない。
安癒で回復させられるものならいくらでも掛けるが、心まで癒せるものなのだろうか。
考えがまとまらない。きっかけがつかめない。
いまさらだけど、帝国軍を全滅させたことで交渉チャンネルを完全に失くしてしまったのが悔やまれる。あのときは他に選択肢があったとは思えないにしても。
「我が君、何をお悩みなのですか」
この雑で繊細で真っ直ぐに歪んでて強くて脆い奇妙な爆乳執事もまた、扱いに困る要因のひとつだ。何をどこまでどう話すか。そもそも話すべきなのか。聞けば考えなしに飛び出していくことは目に見えている。
「我が君? どうして哀れな珍獣を見るような目で見つめておられるのですか」
案外、これで察しは良いのだ。性格も悪くない。こんな子に惚れられる男も、きっと悪い奴ではないのだろうとは思う。でも、為政者としては落第。思想家としては論外。兵を率いる者としても、せいぜいバーンズちゃんと同じ曹長くらいにしとくのがベストなタイプだろう。脇が甘過ぎ、考えが浅過ぎる。
「もし先代魔王様が生きていたら、あなたどうする」
「追います」
即答。そりゃそうよね。そして勘も良い。アタシの考えを読んだ。
その上で満面の笑みを浮かべ、アタシの苦悩を爽やかに笑い飛ばした。
「我が君、お悩みの件は恐らく見当違いでしょう。先代魔王様は、どんな苦境であれ助力など求めはしません。自分の救出に兵を割くことも望みません、あの方は、自らの命よりも兵の命、民の幸せを考えるひとです。新魔王軍の血が流れることを、絶対に、拒絶するでしょう。あのひとは理想のために生き、信念の下で死んだのです。ですから……」
笑みを浮かべたままの彼女の瞳から、ポロリと涙がこぼれる。
「ここで、お別れです、我が君」
◇ ◇
夜更けの魔王城の静まり返った城門を、鼻歌交じりに越えて行く人影があった。
荷物は背負われた粗末な布袋がひとつだけ。洗い晒された粗い綿の魔王軍の戦装束。磨き上げた革の手甲と胸甲、編み上げの長靴を身に着け、肩に羽織っただけのマントから覗く髪は地肌が見えるほどに短く刈られている。
音も立てずに降り立った先で、彼女は跳ね上げ橋の支柱に腰掛けたアタシと向き合う。驚いた様子はなかった。決意を秘めた顔には、静かな微笑みが浮かんでいるだけ。
「心配しないで、止める気はないわ。最初からこうなることは、わかっていて話したんだもの」
「わたしを、裏切り者として処罰してください」
セバスちゃんは穏やかな声で話す。既に遠いどこかを、見据えたような目で。
「叛乱軍に降ったとか、魔王城の物資を奪って逃げたとか。罪状は何でも構いません。身分剥奪の上で追放とでも発表していただければ、これから先どこで何があったとしても、陛下の瑕疵にはなりません」
「そんなこと、出来るわけないでしょ。魔王を名乗っておきながら臣下を見る目もないって宣伝するようなものじゃないの」
「すみません」
「謝られるようなことはないわよ。仕えてくれた者へのけじめとして、見送りに来ただけ」
「陛下には、ご迷惑をお掛けしてばかりでした。何のお役にも立てなかった。心苦しいですが、お渡し出来るものもありません」
「要らないわよ、何にも」
アタシは鼻で笑って、革袋を投げつける。胸甲に当たった重い響きに驚き、セバスちゃんは初めてアタシを見る。
「餞別よ。あなたの男がいるのは、帝国軍の海上要塞。どこでどうするつもりか知らないけど、文無しで行ける訳ないでしょうが。まあ、せいぜい上手いことやりなさい」
城に戻りかけたアタシの背に、彼女は自分自身の声を上げた。
「セヴィーリャです」
その声は思ったより弱く、思ったより幼い。
「……え?」
「わたしの名は、セヴィーリャ。あの方の他には誰にも、その名を口にして欲しくはなかったから、真名を捨てました。あの方の他には誰にも、この身を任せたくはなかったので、性別も偽りました。本当のわたし、真実のわたしは、あの日、あのとき、あの方とともに、冥府へと旅立ったのです。ですが、我が君。あなたにだけは、偽りの身を捨てて、本当のわたしを知っていただきたかった」
「……そう、ありがと」
間抜けな返答。でも他に何と、いえばいいというのだろう。ほぼ確実に死が待つ敵陣に、ここまで嬉しそうに向かってゆく女を前にして。アタシに止めることは出来ない。その力も資格も、さらにいえば止める気もない。去る者は去り、死ぬ者は死ぬ。ただ少し、寂しくなるというだけだ。
「では、おさらばです。いつか永遠の地で相見えるその日まで、良き夢を」
足取りも軽く、セヴィーリャは魔王城を背に旅立ってゆく。
「……ねえ、セヴィーリャ。あなたいま、とっても綺麗よ?」
聞こえる筈もないつぶやき。でも遠ざかりかけた彼女は少しだけ振り返り、恋する乙女の輝く瞳で、美しく微笑んだ。
「カナンちゃん、ありがとう。とっても助かったわ。“魔珠とティアラ”は、そのまま進めて。他にアイディアや修正案や、必要なものがあったら何でもいってちょうだい」
「はいッ!」
「レイチェルちゃん、解放交渉は無事締結したわ。引き渡しの詳細はメレイアに連絡が入る。王城側の交渉窓口は執事のクリミナスさん」
「……御意」
ピクリと、反応が遅れた。名前を聞いて察したのだろう。複雑な表情で頷く。
「それと、アタシの部屋にセバスちゃんを呼んで」
◇ ◇
「我が君、お呼びですか」
まだ何も知らないのか、セバスちゃんは能天気な笑顔でアタシの私室に入ってきた。
警戒した様子も気負った素振りもなく、どこで何をしていたのか上着の袖口に小麦粉とクリームが付いている。執事としての資質も覚悟も、クリミナス少佐に全く及ばない。
「訊きたいことがあるの。ずっと訊きたかったんだけど、デリケートな問題なんで時間を置いてと思ってた。それが間違いあったみたい。先王様は亡くなったものだと思ってたんだけど、あなたはどう聞いていたの」
「最期の突撃に連れて行ってはもらえませんでしたので、この目で見たわけではありません。唯一生還した兵から先王陛下は名誉の戦死を遂げられたと聞き、形見としてこれを渡されました」
胸元から見せたのは、武骨でシンプルな魔珠の首飾り。というよりお守りか。
「他には」
「遺言として、“俺のことは忘れて幸せになれ”と」
つまり、勝てもしない戦いや意味のない報復に、人生を費やすのを止めろと。
そんなことが出来るほど器用な性格じゃないことなんて、この馬鹿さ加減を見れば誰でもわかるでしょうに。
「……ホント、くだらない男」
「我が君、何か」
「いいえ、何でもないわ。その帰還兵は、いまどこに?」
「故郷のケルベアックに戻りましたが……心を病んで人が変わり、山に籠って誰とも接触せず、訪れた相手にも、ひとこともしゃべらないのだと聞きました」
ケルベアック。確か、魔王領南西部の山岳地帯にある村だ。少し前まで宰相たちの支配圏で、いまは中立という名の日和見状態。余力が出来たら村長を解任の上で接収するつもりだったけど、まだ訪れる機会もない。
その兵が心的外傷なのか、何かを隠すためのカモフラージュなのかは不明。もし本当だったとして、話を聞き出せるのかも不明だ。聞き出したいのは先代魔王が戦死されたという時期と状況。彼は何を見て、何を体験したのか。その時期が、クリミナス少佐と先代魔王が最後に会った時期より前ならば、生存の保証にはならない。その上、戦場の記憶を掘り返すことで、壊れかけた彼の心を完全に壊すことにもなりかねない。
安癒で回復させられるものならいくらでも掛けるが、心まで癒せるものなのだろうか。
考えがまとまらない。きっかけがつかめない。
いまさらだけど、帝国軍を全滅させたことで交渉チャンネルを完全に失くしてしまったのが悔やまれる。あのときは他に選択肢があったとは思えないにしても。
「我が君、何をお悩みなのですか」
この雑で繊細で真っ直ぐに歪んでて強くて脆い奇妙な爆乳執事もまた、扱いに困る要因のひとつだ。何をどこまでどう話すか。そもそも話すべきなのか。聞けば考えなしに飛び出していくことは目に見えている。
「我が君? どうして哀れな珍獣を見るような目で見つめておられるのですか」
案外、これで察しは良いのだ。性格も悪くない。こんな子に惚れられる男も、きっと悪い奴ではないのだろうとは思う。でも、為政者としては落第。思想家としては論外。兵を率いる者としても、せいぜいバーンズちゃんと同じ曹長くらいにしとくのがベストなタイプだろう。脇が甘過ぎ、考えが浅過ぎる。
「もし先代魔王様が生きていたら、あなたどうする」
「追います」
即答。そりゃそうよね。そして勘も良い。アタシの考えを読んだ。
その上で満面の笑みを浮かべ、アタシの苦悩を爽やかに笑い飛ばした。
「我が君、お悩みの件は恐らく見当違いでしょう。先代魔王様は、どんな苦境であれ助力など求めはしません。自分の救出に兵を割くことも望みません、あの方は、自らの命よりも兵の命、民の幸せを考えるひとです。新魔王軍の血が流れることを、絶対に、拒絶するでしょう。あのひとは理想のために生き、信念の下で死んだのです。ですから……」
笑みを浮かべたままの彼女の瞳から、ポロリと涙がこぼれる。
「ここで、お別れです、我が君」
◇ ◇
夜更けの魔王城の静まり返った城門を、鼻歌交じりに越えて行く人影があった。
荷物は背負われた粗末な布袋がひとつだけ。洗い晒された粗い綿の魔王軍の戦装束。磨き上げた革の手甲と胸甲、編み上げの長靴を身に着け、肩に羽織っただけのマントから覗く髪は地肌が見えるほどに短く刈られている。
音も立てずに降り立った先で、彼女は跳ね上げ橋の支柱に腰掛けたアタシと向き合う。驚いた様子はなかった。決意を秘めた顔には、静かな微笑みが浮かんでいるだけ。
「心配しないで、止める気はないわ。最初からこうなることは、わかっていて話したんだもの」
「わたしを、裏切り者として処罰してください」
セバスちゃんは穏やかな声で話す。既に遠いどこかを、見据えたような目で。
「叛乱軍に降ったとか、魔王城の物資を奪って逃げたとか。罪状は何でも構いません。身分剥奪の上で追放とでも発表していただければ、これから先どこで何があったとしても、陛下の瑕疵にはなりません」
「そんなこと、出来るわけないでしょ。魔王を名乗っておきながら臣下を見る目もないって宣伝するようなものじゃないの」
「すみません」
「謝られるようなことはないわよ。仕えてくれた者へのけじめとして、見送りに来ただけ」
「陛下には、ご迷惑をお掛けしてばかりでした。何のお役にも立てなかった。心苦しいですが、お渡し出来るものもありません」
「要らないわよ、何にも」
アタシは鼻で笑って、革袋を投げつける。胸甲に当たった重い響きに驚き、セバスちゃんは初めてアタシを見る。
「餞別よ。あなたの男がいるのは、帝国軍の海上要塞。どこでどうするつもりか知らないけど、文無しで行ける訳ないでしょうが。まあ、せいぜい上手いことやりなさい」
城に戻りかけたアタシの背に、彼女は自分自身の声を上げた。
「セヴィーリャです」
その声は思ったより弱く、思ったより幼い。
「……え?」
「わたしの名は、セヴィーリャ。あの方の他には誰にも、その名を口にして欲しくはなかったから、真名を捨てました。あの方の他には誰にも、この身を任せたくはなかったので、性別も偽りました。本当のわたし、真実のわたしは、あの日、あのとき、あの方とともに、冥府へと旅立ったのです。ですが、我が君。あなたにだけは、偽りの身を捨てて、本当のわたしを知っていただきたかった」
「……そう、ありがと」
間抜けな返答。でも他に何と、いえばいいというのだろう。ほぼ確実に死が待つ敵陣に、ここまで嬉しそうに向かってゆく女を前にして。アタシに止めることは出来ない。その力も資格も、さらにいえば止める気もない。去る者は去り、死ぬ者は死ぬ。ただ少し、寂しくなるというだけだ。
「では、おさらばです。いつか永遠の地で相見えるその日まで、良き夢を」
足取りも軽く、セヴィーリャは魔王城を背に旅立ってゆく。
「……ねえ、セヴィーリャ。あなたいま、とっても綺麗よ?」
聞こえる筈もないつぶやき。でも遠ざかりかけた彼女は少しだけ振り返り、恋する乙女の輝く瞳で、美しく微笑んだ。
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