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波乱

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「いらっしゃい、待っていたわよマーカス」

 ルーイン商会会頭のマーカスは、妻と娘を連れて季節外れの花が咲き誇る庭に立っていた。中心に置かれた華奢なティーテーブルに座っているのは、元・筆頭宮廷魔導師コーラル・モニュア・メルケン。妻ロレインの父方の祖母になる。
 王都の貴族街、その片隅に建つ瀟洒な佇まいの家は、コーラルの研究室だったもの。かつて王国最強の魔導師で薬学の権威でもあった彼女が引退したいまでは、優雅に隠居生活を送る終の棲家となっていた。
 家屋そのものは小さいとはいえ敷地自体は並みのお屋敷より広く、そのほとんどが花と薬草でいっぱいの庭になっている。
 魔女の森。貴族街では畏怖と敬意を込めて、そう呼ばれているらしい。

「メルケン様、お招きいただきありがとうございます」
「他人行儀なご挨拶は結構よ。さあ、掛けてちょうだい。それにしても、可愛い孫のお婿さんがここまで立派になるとは……」
「思ってもみませんでしたか」

 苦笑を浮かべたマーカスに、コーラルは悪戯っぽい笑みで応える。
 妻の父方の祖母である彼女は齢90に届こうとしている筈だが、いまでも少女のように明るく朗らかで若々しい。どうやら血縁のどこかに森精族エルフの血が混じっているのではないかというのが、妻の家系で囁かれている噂だ。

「いいえ。ロレインは不思議な子で、ひとを見る目があるの。それでも、王都を揺るがす大商会にまで登り詰めるとなると、さすがに驚きを隠せなかったわね」
「自分でも、まだ信じられません。聖女が傍にいてくれたせいでしょう」
「もう、恥ずかしいわマーカス」

 当のロレインは照れたような顔でマーカスの脇腹を突く。
 娘のネリスは歩き始めたばかりで、咲き誇る花の間をよちよちと縫っている。危険な植物はきちんと隔離されているうえに管理も行き届いているので、毟るなり齧るなり好きなようにしてもいいといわれている。

「いくつか新商品をお持ちしました。サラ嬢にお渡ししましたので、是非お試しください」
「あら、いくら仕入れても店に並ばないと聞いていたのだけれど」
「そうなの、お婆さま。それでマーカスは困っているんですよ、商館なんて要らなかったんじゃないかって」

 それは夫婦の間で何度も交わされている冗談だった。“小門”前の新生ルーイン商会は商館の前よりも商品搬入用の裏口の方が客足が激しい。さすがにこれは拙いと裏通りを関係者以外立ち入り禁止にすることで、ようやく商館として機能するようになったほどだ。

「奥さま、こちらマーカス様からの頂き物でございます」

 老メイドのサラ嬢が庭に出てくると、ティーポットと菓子を載せた銀のトレイをテーブルに置いた。
 それこそが、商館に混乱をもたらす一因となった新商品のひとつ。香草茶と生菓子・・・だ。

「こちらのお菓子、火を通してないのね」
「ええ。焼いてあるのは台座だけです。日持ちはしないのですが、干菓子や焼き菓子とは全く違う、桁違いの風味と味わいを持っているのです。そして……」
「……効能・・も」
「おわかりですか。魔王領特産の香草……というよりも、薬草ですが。それをふんだんに使ったものです」
「ここからでも香りがするわ。細工も上手だけど、素材の色彩も綺麗なものね。こんなに状態が良い薬草をお菓子に・・・・使うなんて」
「そうなんですよ、お婆さま。魔王陛下から贈っていただいた“花輪”も」
「ええ。凄まじいばかりの代物だったわね。あのとき分けてもらった種子で、いくつか芽が出始めたの。近いうちにお礼をしなくちゃ」
「いいえ、メルケン様お気遣いなく。頂き物のお裾わけですから」
「それが常軌を逸してるのよ。あの種子の価値がわかる? 薬学的価値や博物学的価値はいておいたとして、金銭的価値だけでも、上手く育てば貴族街に屋敷が買えるわ」

 あまりのことに、思わず言葉に詰まる。ただ綺麗な花としか認識できていなかった私には、過ぎた贈り物だ。

「……あら」

 カップに注がれたお茶を覗き込むコーラルは、ロレインの優しい祖母としての顔ではなく宮廷魔導師時代の凛とした表情が戻っている。彼女の慧眼けいがんは、また何かを読み解いたのだろう。

「魔王陛下は、お上手・・・ね」
「と、いいますと?」
「心を鎮めるマイネルビーンに、身体の回復機能を助けるケイロンフラワー、毒素を洗い出すメイルリーフ、若さを取り戻すパフベリー。どれも独特の苦味や渋味を出さないように乾燥と発酵で調整しているのね」
「美味しいわ。お婆さま、これでも薬草なの?」
「稀少で高価で効能も高い一級品ね。もしかしたら、調整は味よりも薬効を抑えることの方が目的なのかもしれないわね。効き過ぎない・・・・・・ように」
「効き過ぎると良くないのですか?」
「この量の薬草を生のまま直に摂取したら、サラでも笑いながら通りを駆け回るわね」
「奥さま」

 怒った顔のメイドに冗談だと手を振って下がらせ、今度は生菓子に手を付ける。底辺に敷かれた茶色の薄い台座は、焼き菓子を砕いたものを飴を混ぜて固めたらしい。その上に白茶けた細かな粒を混ぜた白くもっちりした本体があり、その上にふんわりとしたクリームと果実が飾られている。
 果実はお茶にも入っていたパフベリーと、野生種より大粒の野苺――栽培種か? それを砂糖漬けにしたものだ。

「お婆さま、こちらもとっても美味しいわ。ふんわりしていて、甘みと豊かな香りが口いっぱいに広がる……けど、これはお酒か何かが?」
「お酒ではないけど、効果は似ているかもしれないわね。ルビコンシードと、たぶん野生のタティアナ・ナッツ。血行促進と、ごく弱い酩酊効果があるのよ。素晴らしい味。どちらも、そのままではとても食べられるようなものではないのだけど」

 野生動物でもよほど飢えるか体調不良のときしか口にしないというエグ味があるのだ。それは干すか水に晒すかすると押さえられるが、風味も薬効も薄まってしまう。これはどこをどう加工したのか、エグ味だけを抜いて野性味溢れる滋味に作り替えている。

「まるで、魔法ね」
「ええ。なにせ相手は魔族の王ですから、何か秘訣があるのでしょう」

 しばしの談笑の後、空になった皿を脇に置いてコーラルは姿勢を正した。本題に入るという意思表示に、マーカスは気を引き締めた。わざわざ貴族街に呼び出したのは茶の品評のためではない。何か伝えたいことがあるのだ。

「これは他言無用なのだけど、あなたは関係者として聞く資格があると思ったの」
「はい」
「コーウェル第一王子が処刑されるわ。コーウェル派閥の軍人軍属4名と、レイモンド商会の元会頭フォル・レイモンドもね」

 あまりの内容にマーカスは緊張するが、同時に心のなかで首を傾げる。王宮内で接点があったのは、商品納入で謁見を許されたフィアラ王妃と、魔王陛下の紹介状により何かと気を掛けてくださるようになったマーシャル王女殿下だけだ。
 コーウェル王子は会ったこともなければ顔も絵姿でしか知らない。彼の派閥についても何の知識もない。ということはつまり、フォル・レイモンドが今回の件と自分とを繋ぐ何か・・だということになる。

「……私が関係者というのが、よくわからないのですが。彼らの罪状は?」

「前第一王妃ケイスメル陛下とその父親モルフォ・コイル伯爵の殺害容疑」
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