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初めてのレコンキスタ3

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 城を見下ろす高台の砲座から、導火線の付いた赤い樽のようなものが打ち上げられた。
 あれが“焼夷榴弾”か。
 城壁外の数か所から、続けざまに3発。着弾した樽は弾けて炎を撒き散らし、指揮官の指示通り魔王城の下層階を火の海にした。
 城内から悲鳴が上がり、窓からは逃げ惑う叛乱軍兵士の姿が見える。

「しかし、えげつないわね……」

 この世界ではまだ火薬による銃砲火器は開発されていないらしく、砲といっても大砲の類ではない。元いた世界でいう大型投石器、古代西洋の攻城兵器だ。ピッチングマシーンのように振り抜かれたアームから岩や動物の死骸を打ち出し、敵陣に物理的破壊や病原菌をばら撒くことによによる汚染を行う。原理は単純で原始的だが、最大で何トンもの巨大な岩を数kmも投げ飛ばすことができるそれは城攻めに絶大な威力を発揮する。

 共和国軍で運用されているのは小型の投石砲だが、彼らはそれに可燃性の液体や貫通性の高い爆発物を弾体として使用しているらしい。

 城内の魔族兵を上階に集めたところで、“貫通炸裂弾”とやらで一網打尽にするつもりなのだろう。そう上手くいくものかと思って見ていると、脱出しようと外に出てきた獣人兵士が共和国軍の弓兵によってたちまち射殺される。

「うわあああぁ……」
「火を消、ッぎゃあ……」

 炎に巻かれて転げ回る獣人たちはすぐに事切れて静かになる。その間にも、炎は石壁を伝って上層階まで伸びて行く。外に逃れられない以上、城内の人間は共和国側の思惑通り、上層階に逃げるしかない。
 魔導師らしい吸精族ヴァンプの将校が鐘楼に上がり、砲座の置かれた森の方角に攻撃魔法を打ち出すが、生い茂った木々に阻まれて効果はなかったようだ。一瞬で反撃の矢が射掛けられ、ハリネズミのような姿で転落する。

「……!!」

 炎と矢によって、城内は完全なパニック状態になっているようだ。
 叛乱軍がどうなろうと知ったことではないけど、ラッセルたちに被害が及ぶのだけは止めなくてはいけない。
 アタシは覚悟を決めて走り出す。目標は城門前、指揮官のいる簡易天幕。

「いいぞ、青旗を……」
「バン」

 小さく発した声だけで、イグノちゃん特製の拳銃は魔力の波動を打ち出した。指揮官はのけ反るように吹き飛ばされて転がる。我ながら馬鹿みたいだなどと思いながらも、もう躊躇っている余裕はない。

「な、なにが……」
「バンバン」

 副官と護衛の兵士も同じように打ち倒され、意識を喪って倒れ込む。

「敵襲!」
「バン!」

 すぐ物陰に身を隠したものの、味方が攻撃された状況を察知したらしく、共和国軍の兵士たちがそれぞれ戦闘態勢に入る。それはそうだ、イグノちゃんの施した探知阻害は魔力によるものだけ。共和国軍の兵士に対しては何の効果もない。彼らは隠れているアタシの気配を探りながら、剣や弓を持って周囲を警戒する。
 回り込もうとした拍子に木箱を蹴り倒し、即座に放たれた矢が危うく足元に突き刺さる。

「そっちだ、何かいるぞ!」
「バンバンバンバンバン!」

 もんどり打って崩れ落ちる兵士たちを踏み越え、アタシは城に向かって走る。
 素通しの銃身から打ち出されたのがどういう種類のものなのか、自分でも知らない。それに当たって吹き飛ばされた彼らが死んだのか気絶しただけなのかもわからない。確認している暇はないし、そもそも興味もない。

「……ッてぇー」

 叫び声に振り返ると、伝令兵がよろめきながら手旗を持っているのが見えた。砲座のある方角を向き、青い旗を大きく振る。
 まずい、“貫通炸裂弾”が城に……

「……ッ!?」

 上空から伸びてきたいくつもの軌跡が、真っ直ぐ砲座へと突き刺さる。
 先ほど見た“焼夷榴弾”とは比較にならないほどの、凄まじい炎と爆煙。激しい地響きから一拍遅れて聞こえてきた轟音は、衝撃波を伴ってビリビリとこちらまで届いた。
 城壁近くの砲座から噴き上げられた木や鉄の残骸が宙を舞っている。なかには赤黒い飛沫や肉片が混じっていたようだが、見なかったことにして目を逸らす。これは戦争なのだ。

「ありがと、イグノちゃん!」

 魔珠はポケットに突っこんだままだ。音声は聞こえない。それでもアタシは大声で叫び、城門前まで駆けて行くと、両手の銃口を前に向けた。
 お腹に力を込め、出来るだけの大声を上げる。

「バン!」

 分厚い防火木材で作られ、鉄で裏打ちされた巨大な門扉が、軋みを上げて吹き飛ぶ。
 隙間をこじ開けて入りこんだ城の前庭は、焼け焦げた死体が折り重なって転がりまだ息のある何人かが呻きながらくずぶってひどい有様だった。

 炭化しかけた尻尾の残骸が見える彼らはしょせん命令に従うだけの下級兵士だ。敵とはいえ助けてやりたいと思わなくもなかったけど、優先順位としてこいつらは後回しだ。
 城の玄関を開けて、いまだ煙の立ち込めるエントランスに入る。妙に静まり返ったそこで目に入る人影はほとんどが焼死体だった。わずかに動いている者も瀕死の状態で、最期の呻き声を漏らすだけだ。
 悲鳴も物音も、上階からしか聞こえてこない。

「ラッセル! どこ!?」

 階段を駆け上がろうとしたアタシの前に、あちこち焼け焦げた魔族の男がよろめきながら姿を見せる。
 上級魔族の能力なのか、隠蔽されている筈のアタシを視認し、剣を抜いて油断なく身構える。反りの入った細い片手剣。刀身からは黒い魔力の渦が立ち昇っている。
 こいつ、どこかで見覚えがあるような、ないような……。
 曖昧な思いで向き合うアタシに、男は自嘲するような声で吐き捨てる。

「……偽王。まさか本当に現れるとは」
「アンタは……?」
「とぼけるな偽王! 我こそが真正魔族軍少佐ガレシュ、貴様が覗き見ていた侵攻部隊の指揮官だ!」

 突進してくる男の剣尖を危うく躱し、アタシは両手の銃を構えて笑う。笑いたいのは自分の迂闊さだったし、本当に笑っているのは自分の両膝だったけど。

「あら、わからなかったわ。髪の毛チリチリで、服も顔もボロボロだから」
「くッ!」

 心臓目掛けて突き出された切っ先はイグノちゃんの特製コートに阻まれて跳ね返る。当たるまで全く微塵も見えていなかったことに焦りつつ、衝撃以外は感じなかったことに安堵する。
 鼻先に突き出した空っぽの筒を通して、憤怒と嘲笑に歪んだガレシュの顔が覗いていた。

「何の真似だ偽王ッ、そんなもので俺を殺せるとでも……ッ」
「バン!」

 頭が弾け飛んで血と脳漿を振り撒き、崩れ落ちた男の身体が寄り掛かってくるのを跳ね除ける。怒りと憎しみが銃弾になったのか、共和国軍兵士のときとはまるで違っていた。

「そんなに死にたかったら、ひとりで攻めて来なさいよ。部下の獣人たちを捨て駒にして、何が真正魔族軍よ!」

 それを本当にいいたいのはメラリスに対してだけど、まだ会ったこともない相手にそれを伝える手段もない。
 アタシは階段を駆け上がり、廊下を抜けて足を止める。焼けて崩れ落ちた瓦礫が通路を分断していた。上層階に上がる道もなく、見下ろした階下では緑色の服を着た共和国軍兵士と叛乱軍の将兵が血塗れで大立ち回りの真っ最中だった。

「ラッセルは……」
“陛下、聞こえますか!?”

 ポケットの魔珠がイグノちゃんの声を伝える。取り出して応答するより早く、彼女の声がナビゲートしてくれた。

“人質を発見しました。崩落部分の縁に沿って右に!”
「煙で見えないんだけど……」
“大丈夫です。そのまま真っ直ぐ行くと、すぐ延焼部分を抜けます。突き当たりを左です!”
「了解」

 袖で口を押さえて駆け抜けると、案内通りにすぐ煙は晴れた。左に折れて戦闘中の両軍をやり過ごし、階段の残骸から下に降りて周囲を見渡す。こちらまでは火の手が回っていないのか、火照った肌に空気がひんやりしているのを感じる。
 厨房から裏木戸につながる廊下の辺りだけど、ラッセルの姿どころかひとの気配がない。

「誰もいないわよ?」
“陛下はそのまま進んでください、合流するのに少し崩しますね”
「崩す? 何を……」

 どこか上の方でボフンと小さな音がして、空気の動きが感じられるようになった。裏口方向へと吹いてゆくような風の動き。
 いや。なんだか嫌な予感がする。吹いてるんじゃない、吸われている……もしかして、これは炎が酸素を求めて……?

“3秒後に落ちてきますから、受け止めてあげてください”
「ちょッ、ど、どこから!? 何を、どうやって!?」
“2、1……上です!”

 見上げた天井が爆発するように燃え上がり、崩れた建材がガラガラと飛び散り落下してくる。広がる炎と煙の間から、小さな塊がクルクルと回りながら突き抜けてきた。

「「……ぁあああああああああ!」」
「えええええええええ!?」

 悲鳴を上げながら落ちてきた何かは、広げたアタシの腕のなかにスポッと収まる。焦げ臭い団子のようなそれは、涙と鼻水と煤に塗れた、獣人の子供たちだった。

「「へいか!?」」
「よかった、ラッセル、と……タッケレルで会った人狼の子ね?」
「こいつ、コネルっていいます」
「そう、コネルちゃん。フライドチキンお父さんに食べてもらえた?」
「うん! おとーさん、とってもよろこんでくれて……」

“お話は後です陛下! 急いで脱出してください、そこは間もなく崩落します!”

「「「えええええッ!?」」」

 慌ててチビッ子たちをひとりずつ両脇に抱え、アタシは廊下を走り始める。
 何度か煙で前が見えず迷って方向を見失い、崩れ落ちてくる瓦礫を躱しながら必死で外を目指した。そう広くもないはずの魔王城だっていうのに、いつまで走っても外まで辿り着かない。永遠に出られないような気がしてきた頃、ようやく行き当たった裏木戸を蹴り開けて外に出る。
 もう足がガクガクで腕も痺れ、煙を吸ったせいで喉が痛み息切れもひどい。チビッ子たちの手前、弱音も吐けないが正直、もう横になりたいレベルだ。

「日頃の運動不足って、こんなときに祟るわ……ね」

 ひと息つこうと顔を上げたアタシは、目の前の光景に思わず息を呑む。
 そこでは叛乱軍と共和国軍、数十人が入り乱れて戦闘の真っ最中だった。剣や短槍を振り回し、血や肉片が飛び散り矢が飛び交う。
 共和国軍の一団が吸精族ヴァンプの攻撃魔法で切り裂かれ、草色の服が真っ赤に染まってゆく。死を恐れない彼らはすぐに反撃に移り、叛乱軍側も手槍や剣を突き立てられて血飛沫のなかに沈む。

「ちょっとォ、イグノちゃんこれどうすんのよ!?」
“大丈夫です、上空から敵の配置は把握できてますから! そのまま城の裏門を抜けると、安全に脱出できます!”
「違うわよ、そこ抜けるまで・・・・・・・をどうすんのかって訊いてるの!」

 思わず上げたアタシの声に共和国軍の一団が向き直った。まずい。瀕死の叛乱軍を友軍に任せてこちらに向かってくる。銃を抜こうにも、両手はチビッ子ふたりで塞がっている。

「……ちょ、待ッ!」
“陛下、そのまま!”

 ドカンと落ちてきた何かが、共和国の軍兵士たちを吹き飛ばす。続けざまに降ってきた銃弾のような細片が周囲の兵士をバラバラに粉砕した。

“いまです、そのまま走ってください!”

「簡単に、いってくれるわねイグノちゃん!」

 プルプルする脚で動き出そうとするアタシの両脇で、チビッ子たちが必死に身を捩る。

「どうしたの? ふたりとも、どこか痛い?」
「へいか、おいてって」
「……え?」
「俺たち、いたら陛下が、逃げられない」

 いってる意味が理解できるようになると、アタシは大きく息を吸い込む。
 笑えばいいのか怒ればいいのか、自分でもよくわからない。頼りない魔王だと自覚していたが、まさかここまでとは思っていなかった。

「馬鹿いってんじゃないわよ! アンタたちくらい守れないで、何のための魔王だっての!」
「だって」
「見てなさい、こんなやつらくらいチョチョイのチョイで吹っ飛ばしてやるんだから!」

 ……イグノちゃんの機械式極楽鳥ハミングバードが、だけどね。

 行き先を塞いでいた反乱軍の魔導師部隊が攻撃魔法を放つ直前で次々に痙攣しバタバタと倒れる。僅かに遅れて、牛の鳴くような音が上空から届く。

……機関銃の斉射音?

空の上で、銀翼を並べた極楽鳥たちが旋回しながら編隊飛行で遠ざかってゆくのが見えた。彼らと入れ替わるように、上空待機中の数機が降下してくる。いままで十数回の攻撃を行ってきたにもかかわらず、いまだ上空には優に30を超える機械式極楽鳥ハミングちゃんが待機してくれている。


「行くわよ! 危ないから動かないで!」

 アタシはふたりを肩に抱え上げると、城の裏門を目掛けて一世一代の全力疾走を開始した。
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