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魔王の責任

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 タッケレルの住人たちから熱狂的な歓迎――皆ヨダレを垂らし、いささか常軌を逸した目をしていたのが気になるところではあったが――を受けたアタシたちは、とりあえず報告を後回しにして、冷めないうちに大変美味しいご飯をいただいた後、村長宅で大人たちと向き合っていた。

 村長とラッセルのご両親、それにコネルちゃんのご両親の5人だ。息子や娘が無事に帰ってきてホッとしてはいたものの、まだ不安そうな表情を残している。
 それはそうだろう。行方不明になった直後に城から戦闘音が響いて激しい爆炎が上がっていたのだから。

「ラッセルとコネルちゃんには、魔王領軍の特殊任務のために協力してもらったの。急な話で、村長や親御さんに確認取るのが事後承諾になってしまって、ごめんなさいね。心配かけたでしょう?」
「いえ、それは構いませんが、差し支えなければ、どういう状況なのかお話しいただけますか」
「叛乱軍は、あらかた鎮圧したわ。コネルちゃんたちにお願いしたのは、討伐任務のためのルート調査、というところかしら。この辺りの地理と抜け道に詳しい彼らの助けがなかったら、魔王領軍に被害が出ていたでしょうね。本当に助かったわ。彼らには出来る限り怪我の無いよう気を使ったつもりなんだけど、怖い思いをさせてしまって申し訳ないわね」
「はあ……」

「これは少ないけど、ご褒美」

 皮袋に入れた褒賞金を、ふたりの両親に渡す。あくまでも子供たちが怒られないためのカモフラージュ用で、金額にはあまり意味はない。
 話にあらがあるのは自覚しているが、魔王自らの説得ということもあり、大人たちは納得してくれたようだ。
 話が終わって振り返り、少し離れた場所に立つラッセルたちに近付く。自分たちのせいでアタシを危険な目に遭わせたと思っている彼らは、いまだ罪悪感を隠せないでいる。

「そんな顔しないの。胸を張りなさい。叛乱軍討伐あれは、アタシたちがもっと早くやらなければいけないことだったの。それに、あなたたちがいなかったら、アタシは無事に帰ってこれなかったかもしれないんだから」

「……はい。あの、陛下……この剣、返します」
「そうね。忘れてたわ」

 アタシはラッセルが持っていた小汚い数撃ち粗悪品の剣を受け取り、代わりにイグノちゃんから受け取っておいた黒鞘の短剣を渡す。

「あなたには、これをあげるわ」
「え?」

 たしか帝国軍の弓兵将校が持っていた補助武装サイドアームだが、比較的まともな鍛冶師の鍛造品で、長剣より彼の体格に合っている。

「持っていて。でも約束してちょうだい。それを抜くときは、大事な人を守る時だけだって」
「……は、はい!」

 ラッセルは、短剣を拝むように押し頂く。
 どことなく、子供の表情から男の顔になった気がする。

「まあ、そんなものを使わなくてもいい国を作るのがアタシの目標ではあるんだけどね」

 アタシは、この後に待つ作戦について頭を悩ませていた。
 手を付けなければいけなかったのに、ずっとアレコレ理由を付けて後回しにしてた。そんな怠慢が、領民たちを危険に晒していたのだ。

 もう、これ以上は許されない。

◇ ◇

 まずい。

 まずいわ、これは。

 ケルベアックの村長、ユーフェミアは静かに焦っていた。
 魔王領南西部にあるケルベアックは叛乱軍の拠点となったメラゴン鉱山にも近く、領内でも最大の税収を生む宝の山だ。そこを統治するユーフェミアの権力は軍幹部にも匹敵する。

 だが、彼女は軍部からの参加要請を蹴った。
 彼らの勝ち目が明らかにならない限り、先代魔王を裏切った簒奪者にくみすることなど自殺行為でしかない。判断の時間を稼ぐために正面からの対立は避け、メラリス将軍から再三の協力要求にものらりくらりと明言を避け、旗幟を明らかにすることはなかった。
 どことやらから呼び寄せられ登極したという新生魔王は、兵も資産も力もない役立たずと聞く。そちらに臣従するのも論外ではあったが、メラリスもまた自分が主と仰ぐほどの器には思えなかったからだ。

 メラリスからユーフェミアに提示された地位は、“真正魔族領軍筆頭魔導技師”。
 既に強力な実権と膨大な資産を手中に収めていた彼女にとって、そんな小さな虚飾の肩書など考慮する価値もない代物だった。

 いまでも魔王領最大の――大陸でも有数の鉱山地帯を管轄下に置き、豊富な地下資源を背景に周辺国と独自の交渉を行える立場にいるのだ。
 実際、メラリスと新生魔王のどちらが勝者になろうとも、彼女の権益は微塵も揺るがない。
 仮に双方が斃れた場合には、帝国の改革派と共和国の守旧派に繋いだコネクションから魔王領の統治者として認める旨の密約を取ってある。
 個人でいっても、彼女は魔人族イヴィラ小匠族ドワーフの混血で魔力と筋力に優れ、冶金技術と加工技術でも他の追随を許さない。
 大陸広しといえど自分より優れた技術者など……

 ――いた。ひとりだけ。輜重隊の悪夢。そして私にとっての災厄。

 あいつさえいなければ、魔王領最高の技術者という肩書が手に入れられた筈なのに。
 忌々しい思いを振り払い、ユーフェミアは資源産出計画の前倒しを図る。

 内乱前から進めていた計画が狂い始めたのは、王国との国境近くに奇妙な商都が建設されてからだ。新しい魔王の即位から間もなく、廃墟同然の寒村だったメレイアが異常な速度と規模で発展を遂げたのだ。
 普通に考えれば、魔族の国に商都を築いたところでカネなど発生しない。そもそも魔王領には(彼女の鉱山を除いて)商業を支えるような産物も経済基盤もない。空っぽの革袋を飾り立てるようなものだ。
 しかし、ユーフェミアの想像を裏切って、新生魔王はメレイアに敵である筈の王国を引き込み、恐ろしいほどの人と金を動かし始めた。

 不夜城。飽食の街。大陸最大の桃源郷。鋼の兵団に守られた、商人の楽園。
 通りが黄金で敷き詰められ、木々が七色の光を放つ永遠の魔都。

 偵察に向かわせた獣人たちからの報告は要領を得ず、すんなり信じることが出来ないものばかりだったが、新生魔王が何をしようとしているのかは簡単にわかった。

 国庫の整備。

 真正魔族領軍を謳う無能な蛮族どもには理解の外だろうが、力だけで国は維持出来ない。力を支えるには補給が必須で、それには莫大な金が、それも継続的に必要なのだ。
 新生魔王は、金を手に入れた。報告内容を事実とするならば……いや、話半分だとしても、商益は王国金貨で万を下らない。
 その金で武器と兵力を整えれば、次に始まるのは簒奪された魔王領の奪還だ。
 困難な時期を乗り切った者は誰でもそうだが、新生魔王も苦境のなかで既に敵味方の識別を済ませていることは想像に難くない。メラリスたち簒奪者どもに同調こそしなかったが、ユーフェミアも新生魔王領軍への協力も拒んでいた以上は敵認定されていると考えた方が自然だ。

 自分には、もう時間がない。
 可能な限り輸出を進めて資産を確保し、いざというときの国外脱出を視野に入れなければ。

「ユーフェミア様!」

 ドヤドヤと慌てた足音が響き、執務室のドアが蹴り開けられる。
 まただ。何度いっても改善しない。鉱山街にはまともな人材がいないのか。
 息せき切って駆け込んで来たのは、鉱山労働者を取りまとめる人牛族ミノスの大男、ターマイン。馬鹿のなかではマシな方だが、こいつも馬鹿であることには変わりない。
 廊下では走らない。階段は静かに登る。ドアはノックをしてから、静かに手で・・開ける。
 どんな馬鹿でもわかることしかいってないのに。

「なによ、騒々しい。こっちは忙しいのよ、日常の些事くらいあんたたちで対処しなさい」
「魔王領軍です。村長を出せと」
「は? 金でも物資でもつかませて帰らせればいいじゃない」
「そんなわけにはいかないのよ」
「あッ!」

 部下を押しのけて入ってきたのは、ひょろっと細長い優男。
 魔力は高そうだが、体力は人間の平均程度。小奇麗な服に身を包み、どこか優雅に見える仕草で腕を組んだ彼は、笑みを浮かべて私を見る。
 鉱山街の屈強な獣人どもに囲まれながら、臆した様子は微塵もない。

 それで、わかった。
 こいつは魔王だ。

 以前に魔珠放送で姿を目にしてはいた筈だが、そのときには単なるお飾り・・・としか感じていなかったので、まるで印象に残ってはいない。

「あなたが対面しているのは……真正魔族領軍、だっけ。叛乱軍じゃないのよ。新生魔王領軍。そしてアタシは、魔王のハーン」

 ……詰んだ。
 彼女は腹のなかで、自分の愚かさを罵る。魔王が乗り込んできたということは、もう街は包囲されているのだろう。逃げるための判断が、遅過ぎたのだ。

 こちらの反応を見るように首を傾げる魔王の眼は、不自然なほど穏やかながら剣呑な光がある。

 ――弱そうなのに油断できないこの感じ、吸精族ヴァンプか?

「こッ……これはこれは、魔王陛下。わざわざ御足労いただき恐縮です。こちらから御挨拶に伺わなければいけないとわかってはいたのですが、我が魔族領を支える地下資源の産出を止める訳にもいかず、なかなか時間を割けないまま……」
そういうの・・・・・、もういいわ」

 魔王は軽く指を振って、彼女の言葉を一蹴する。

「も、もちろん、いままでの資源と税はきちんと納めさせていただきます」
「もういい、っていったじゃない」
「は」
「いまさら遅いのよ。あなたは解任。鉱山は村ごと接収するわ。労働者は、そのまま残りたければ残っても良いし、出て行きたければそれでも良い。好きにしてちょうだい」

 ターマインは目線を泳がせ、魔王の言葉に一喜一憂しているが、私はそれどころではない。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていることくらい、どんな馬鹿にでもわかる。

「……つまり私は、粛清ですか」
「まさか。もちろんあなたも、好きにしていいわよ?」
「!?」
「残りたければ残りなさい。ただし鉱山労働者としてだけど」
「……そ!」

 そんな馬鹿な。この私が。小匠族ドワーフの血を引く、希代の技術者である私が。あの愚かな獣人族ウェアどもと一緒に穴倉で鉱石を掻き出すというのか。
 そんなことが出来る訳がない。

「出て行きたければ、どこへでも行っていいわ。あなたは自由。もう義務も責任も、財産もない」
「……財、産。まさか」
「御大層な屋敷と、妙に潤沢な・・・・・私財は差し押さえたわ。もし・・不正がなかった場合、あなたに返還される物も、あるかもしれないわね」

「陛下」

 人虎族ティグラ人狼族ウォルフの兵士たちが入ってきて、魔王の横に立つ。

「どう?」
「隠匿物資と帳簿は押さえました。えらく杜撰な改竄の跡がありましたが、まあ概算は追えます。いま最上階の奥にあった隠し扉を開いてますので、隠匿資産や二重帳簿があればそれでです」
「くそッ! 獣人族ウェアごときが、勝手な真似を!」
「貴様が散々、勝手な真似をした結果がこれだろうが、阿呆」

 人虎族ティグラの女兵士が冷え切った目でこちらを一瞥すると、鉱物資源を入れる薄汚れた麻袋がひとつ、床に投げ落とされる。
 ぽふりと、軽い音。金目のものは入っていない。

「お前の私物だ」
「これからアタシたちは、隣の部屋でケルベアックこのむらの今後について話し合わなきゃいけない。少しだけあなたから目を離しちゃう|ことになる。その間にいなくなったら、わざわざ部下の手を割いてまで探したりはしないわね」

 身ひとつで逃げるのであれば、見逃してやると。
 他に選択肢がないことくらいわかってはいたが、それを魅力的に感じるほど、彼女の人生は安くなかった。

「……ふざけるなよ、偽王。私がこの頭脳で、この資産で、どれほどこの国に貢献してきたか、どれほどの努力と献身でこの国を支えてきたか、お前にわかるか!」

「だからよ」

 魔王は呆れたように笑う。ひどく柔らかに見えるその笑みが、なぜか彼女の肝を冷えさせ、四肢を萎えさせる。
 マーマインに目配せしようとするが、視線を合わせない。
 何度も間者を葬ってきた人牛族ミノスの巨漢が、汗だくで怯んだように身を縮み上がらせている。

「その貢献とやらに免じて、命だけは助けてあげようって、そういってるの。御自慢のモジャモジャ頭は、そんなこともわからないくらいにお粗末なの?」

 小匠族ドワーフの血統を示すクセ毛を揶揄されて頭に血が上る。腰に手を回して短剣を抜こうとした瞬間、私は鳩尾に凄まじい圧力を受けて蹲ってしまう。
 物理的な攻撃と変わらぬほど、協力で明白な殺意。
 人虎族ティグラの女兵士がひと睨みしただけで、ターマインまでもが平伏して震えている。

「……首刈り、バーンズ」

 部下が呟いたその名に聞き覚えはあったが、軍から距離を置いていたユーフェミアには個々の兵士になど面識はない。怯みそうになる心を奮い立たせる。迷いと不安を振り払う。そんな筈はない。首刈りと呼ばれた獣人なら。

 ――魔王城攻防戦で、死んだ筈だ・・・・・

「みっつ数えるまでに決めろ。そのまま這って陛下の前から消えるか、この世から消えるかだ。……ひとつ。……ふたつ」

 ターマインは悲鳴を上げ、ゴキブリのような速さで逃げ去る。
 ユーフェミアは、逡巡する間もなく立ち上がった。誇り高き小匠族ドワーフの末裔が、獣人族ウェアごときに臆することなど許されない。

 まして、どこの馬の骨かもわからない偽王・・ごときに。

 手にした短剣は、鉱山から産出した輝石を集めて自ら鍛え上げた渾身の出来だ。龍麟でさえ容易く切り裂き、金剛鋼アダマント虚心兵ゴーレムすら両断する。
 心で鳴り響く警鐘を無視して、彼女は魔王目掛けて突進しようと足を踏み出す。

「馬鹿が」

 女兵士の前で、白い光が瞬く。

 視界が揺れ、息が漏れる。足がもつれ、床に膝を突く。
 憐みを帯びた魔王の眼が、ユーフェミアを見下ろす。頭を膝に抱え込んだ手が、自分のもの・・・・・だと気付く。湿って歪んだ彼女の・・・声が、頭上・・から聞こえる。

「……うぞ、でじょ」

 目の前が暗くなる。広がるのはどこまでも深い、闇。

◇ ◇

「ありがと、バーンズちゃん」
「この程度、どうということはありません。けれども、僭越ながら申し上げますが、裏切り者に温情は通じません。中級以上の魔族であれば、尚のことです」
「そのようね。中立派の村は、あといくつ?」
「残りは4つ。ですが、叛乱軍の討伐もほとんど済みましたし、ケルベアックここを落としたのが伝われば、こちらにくだる者も増えるでしょう」

 とはいえ、これからのことを考えると、少し憂鬱になる。
 アタシは首を振り、足元にうずくま小匠族ドワーフの死体を見下ろした。
 ポカンと口を開け、眼を見開いたユーフェミアの頭が、彼女自身の膝に抱え込まれている。

 これは必要な死。避けられない犠牲。
 魔王領を統治するためには。そして領民を救い、幸せにするためには、これからも、やるしかないのだ。

「……だってアタシは、魔王なんだもの」
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