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王妃の怒り
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話は、少しさかのぼる。
姫騎士砦の試験営業、開催2日目。
……では、あるのだけど。前夜に、王妃陛下からの魔珠通信で登城要請を受けたアタシは、早朝から王都に向かっていた。
砦の方は、魔王領の頼れる部下たちと姫騎士殿下に任せてある。
共和国軍の侵攻は撃退(というか殲滅)したので、しばらく彼らで手に負えないような緊急事態は発生しないだろう。
だいたい、あのメンツで手に負えないなら、たぶんアタシがいても結果は変わらないし。
「魔王陛下、ご足労いただいて恐縮です」
「いえ、お構いなく王妃陛下。ちょうどアタシからも、いくつかご報告と、ご相談したかったことがあったものですから」
王城前まで出迎えて下さった王妃陛下は、アタシの乗ってきた多脚式自走トラックを興味深そうに観察する。
「ところで、これは?」
「機械式の荷馬車ですね。いまの魔王領には馬を飼える環境がないので、魔道具で引いています」
王妃の護衛についてきたらしい衛兵も、ポカンと口を開けたまま固まっている。
王国内で出来るだけ目立たないようにと荷台に布を掛け幌馬車風に偽装しているが、基本的な異形はどうしようもない。
イグノちゃんが手当たり次第に作りだしたトラックには、駆動方式が車輪型と多脚型、荷台が露天型とテント型と保冷庫型、車体が長い大量輸送用と短くて軽い高速移動用がある。もっとあった気がするけど、バリエーションが多過ぎて覚えてない。
「車輪ではなく、歩くんですの?」
「ええ。魔王領のような山岳地帯だと、こちらの方が便利なんです」
それは王国でも同じ、というかむしろ王国でこそ必須だった。
東端にあるソリデン平原から王都までは直線距離で90哩(約145km)、間には網目のように広がった水路と農地と半端に深い森があり、移動距離は数倍、馬車だと優に半日は掛かる。
迂回路をショートカットして最短時間で到着するためには、多脚式である必要があるのだ。車輪式でも馬無しなら目立つことに変わりはなく、それでも4時間は掛かっていただろう。
早朝で人気がない田舎道を全速力で飛ばした結果、多脚式トラックは姫騎士砦~王都間を2時間以下で走り抜けた。
見た目と動きが気持ち悪いのはこの際、目をつぶる。
「どうやって動くんだ、これ」
「巨大な魔道具みたいなものか?」
恐々と運転席を覗き込む彼らに手を振って、アタシは荷台を指す。
「後ろに王城向けのお土産を積んできたので、降ろしておいてくださいな」
「俺たちが!?」
「いきなり暴れたりは……」
「大丈夫ですよ。トラックなら、御者台にある魔珠に魔力を注がなければ動きません」
安心させようとしたのに、衛兵たちは慌てて飛び退る。
別に触ったところで噛み付きはしないわよ、もう。
◇ ◇
王城内に案内されたアタシは、いきなり王族の暮らす最上階に通される。
毎度こう平然と招かれてるけど、これでも名目上は敵対勢力の長なのよね。反対する貴族とかいないのかしら。
「昨日は大盛況だったようですね。私も行きたかったんですけれども、それどころではなくて。数日前から、帝国軍が国境近くに集結しているという知らせがあったのです」
アタシは黙って頷くだけにした。
機械式極楽鳥からの映像で、王都西部から西部領内に掛けて布陣している王国軍部隊、約4万が確認出来ている。
対する帝国軍は騎兵と軽装歩兵を中心にした2万。輜重は荷馬車が50程と補給線が薄く、王国に侵攻する意図はないように見える。
おそらく示威行為。単なる牽制だ。
「姫騎士砦も、共和国軍の侵攻があったと聞きましたが」
「ええ、3万ほどの兵がリニアス河を越えて王国領内に入りました」
「……さ、3万!?」
王妃陛下は驚愕して硬直した。
帝国側に向かわせた兵をどう再配置するべきか頭が回り始めているようだ。アタシは手を振って、彼女に笑顔を見せる。
「ご心配なく、無事に排除して砦に死傷者はありませんでした。というよりも、来客は戦闘があったことも知らないと思います」
王妃陛下は探るような目になったが、しばらくすると困惑の表情で首を振る。
呼び出したのは自分とはいえ、アタシがここにいることで危機が去ったのが事実だと判断したのだろう。
「本命は姫騎士砦だった、ということですか。……鉄壁の城壁に守られているとはいえ、マーシャルも魔王陛下も、手持ちの兵力は数10名でしょう? 3万もの軍を、あっさり撃退されたとは……」
もちろん魔王領軍が精強なことは存じ上げておりますが、と慌てて付け加える。
「今回に関しては、マーシャル王女殿下の采配が見事に功を奏したというだけです」
王妃陛下は、アタシの言葉を理解した。
1000倍の敵を鎧袖一触などという冗談みたいな戦果は、うちの工廠長が作り出した規格外の兵器によるものだが、それを前面に出すのは拙い。
少なくとも、王国内で魔王領軍が大規模な軍事力を行使したなどということは、王国の民や貴族に知られる訳にはいかない。
「……魔王陛下のお気遣いに、感謝します」
「こちらこそ、ご理解いただけて助かります。ただ、敵の排除には成功したのですが、姫騎士殿下によれば、そこに黒い軽甲冑の兵士が混じっていたようだと」
「共和国と帝国が手を結んだということですか? それが事実だとすると、まったくの想定外ですね。この大陸でもっとも相容れない国同士だったのですが」
「王国と魔王領との協力関係に、それだけ危機感を募らせているということでしょう」
「そもそも、共和国の内部事情を考えると大規模な侵攻など不可能な筈だったのです。もちろん、そんなことは言い訳にもなりませんが。何かあったらこちらの責任問題では済まないところでした」
「内部事情というのは?」
「ここ数カ月で“賢人会議”と称する共和国の指導者層が、立て続けに亡くなっています。公式には事故死と病死ですが、暗殺という噂もあります」
クーデターか世代交代か、あるいは派閥抗争か。
なんにせよ、生き残りを賭けて改革に出たのは、魔王領や王国だけではないということなのだろう。
「アタシがお訊きしたかったのは、今回の侵攻計画に王国側の内通者が……ん?」
いきなり廊下が騒がしくなる。ドヤドヤと押し掛けてくる足音と、怒声。
「いけません閣下、この先は陛下の許可を得たものしか……」
「ええい、離せ!」
「我らは、いますぐ王妃陛下に進言せねばならんのだ! 王国の歴史を支えた貴族に対し、このような扱い、もう我慢ならん!」
押し留めようとする衛兵と、貴族と思しき男たちが、揉めているようだ。
王妃陛下が向かうより早く、荒々しくドアが開かれる。
「何事ですか、ノックもなしに無礼な!」
「王妃陛下、どうしてもお聞き入れいただきたいことが」
「黙りなさい! ハーンボルト公爵にマインヘイム侯爵。軍令部のソーンダイク卿まで。国の一大事に、あなたたちはここで何をしているのですか」
「一大事だからこそです。いま必要なのは、魔族と馴れ合うことではありますまい!?」
王妃陛下の顔色が変わる。目が細められ、突き刺すような視線で男たちを見る。
「……もう一度、いってみなさい」
偉そうに訴えていた小太りの中年――おそらくこいつがマインヘイム侯爵だろう。彼は睨まれると怯んだように口をつぐんだ。
腰に剣を佩いた壮年の男、ソーンダイクは無表情のまま。公爵と思われる初老の男だけはまったく動じず、どこか小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
なるほど、魔王領との関係に不満を持った貴族はいたわけね。
粛清された旧第一王子派閥だけではなく、王党派閥にも守旧勢力はいて、それはむしろ考えなしの跳ねっ返りでないだけ、より性質が悪かったりすると。
「良いんですよ、王妃陛下。彼らの気持ちも理解出来なくはありません」
アタシは椅子に掛けたまま、睨み合う王国陣に笑顔を向ける。
頭のなかには、王国北部貴族領の略図が浮かんでいた。
ハーンボルト領とマインヘイム領、ソーンダイク領は北東部にあり、それぞれ隣接していて、共和国領に近い。
今朝までに機械式極楽鳥から送られてきた領内の兵力配置はごく単純なものだった。
そう、あまりにも、単純。
つまりは、王妃陛下に内通者を尋ねるまでもなく、答えの方から、こちらに来てくれたという訳だ。
「魔王陛下、それはどういう意味です?」
「彼らは、焦っているのですよ。手間暇かけて作り上げた茶番劇が、意図した結果にならないとわかってね」
怪訝そうな顔の王妃陛下と対照的に、貴族連中は怒りを露わにする。
そこは惚けるところだと思うんだけど、バレないと高を括っているのかしら。
「……なん、だと?」
「得体の知れぬ魔族ごときが、王国貴族を愚弄するか!?」
忌々しげに睨んでくる貴族たちに見せつけるように、アタシはポケットから出した魔珠をテーブルの上に置く。
映し出されているのは、上空からの映像。それが何なのか理解するに従って、王国貴族たちの顔が強張り、青褪めて行く。
数千の兵が森に潜んで、何かを待っている。甲冑や馬車に記された紋章は、当然ながら各貴族に特有のものだ。いい逃れは出来ない。
「これ、王都の北東にあるポルレアの森よね。お三方の領地軍だけが、なぜこんなところに? 王国貴族の領地軍は、ほとんどが帝国国境に対して布陣しているようですけど」
「そ、それは」
「まるで、兵を王都に向けているみたいに見えますね」
「馬鹿なことをいうな! 我々は、王都に万が一のことがあってはいけないと、防衛のために……!」
「防衛のために森に潜むっていうのも理解出来ませんが、仮にそうだとしても、ずいぶん東寄りですね。向いているのも王都側。まるで、共和国からの援軍と、王都制圧の号令を待ってるような」
マインヘイム侯爵の目が泳いで、ハーンボルト公爵を見ようとする。
公爵はマインヘイムを無視して、ソーンダイクにだけ話し掛ける。
「どうやら陛下の説得は難しそうだ。貴公は戻って兵の指揮を……」
「ああ、動かない方がいいわよ。いま下手に領地軍を動かしたりしたら、空から天罰が落ちるかも」
脅しでしかないアタシの言葉を、正確に理解したのはソーンダイクだけだ。
こいつは、たぶん魔王領軍の戦いがどんなものか知ってる。どこかの戦場で爆撃の威力を見たのかもしれない。目顔で退出させようとする公爵に小さく首を振り、この場に留まる事を決めた。
「王妃陛下、姫騎士砦が敵の侵攻を受けたと聞きました。我々は、領民の安否を確認するために兵を返したに過ぎません」
侯爵が唐突に声を上げ、場の主導権を取り戻そうとする。その下手くそな演技を、アタシは鼻で嗤う。
「つい先ほどの説明と矛盾してますね。そもそも、それを誰からどうやって聞いたか、教えてもらえないかしら?」
「ふん、軍事機密を魔族などに……」
「まあ、いいわ。じゃあ、あなたが知らないことを教えてあげましょうか。共和国軍は壊滅したわ。砦は無傷。姫騎士殿下は、いまごろ英雄として祭り上げられている頃じゃないかしら」
実際にはキッチンでドーナッツでも揚げてるか野菜の皮でも剥いてるんだろうけど、そこは伏せておく。
「そんな嘘に乗せられるとでも思うか」
「宴の様子が見たければ、映しましょうか? 祝辞でも送りたいのなら、音声も繋いであげますけど」
手のなかで魔珠を転がして、マインヘイムに笑いかける。わずかに響いた耳障りな音は、侯爵が歯軋りする音だろう。
「あら? どうされました、マインヘイム侯爵。王女殿下が安泰だとわかったというのに、ずいぶんと悔しそうな顔をしてるじゃないですか」
「……くッ!」
「それはそうよね、王都制圧の夢は潰され、頼みの綱の共和国軍は壊滅。その結果として、唯一無二の戦功を得ることになったのが、戻られない筈だったマーシャル王女殿下だけなんですから、ねえ?」
憤怒の表情に変わったマインヘイムの陰で、静かに剣を抜いたソーンダイクが無表情のまま斬り掛かってくる。
軍令部に所属するという偉丈夫だが、思った以上に頭は残念なようだ。
「バン」
囁くようなアタシの声に、ソーンダイクは膝を砕かれて転がる。
イグノちゃんの新作は、手のひらにスッポリと収まるような小型拳銃。
見た目は例によって銃身と銃把だけの玩具だけど、魔力に指向性と物理攻撃力を持たせる魔道具だ。
王宮内に施された魔力無効化の魔法陣も、魔王の魔力量に対しては誤差程度のものでしかない。
時代を読み違えた老将は、剣を握り締めたままアタシを見る。
「貴様さえ、いなければ……!」
「何も変わらないわよ。あなたたちは、付くべき相手を誤った。それだけのこと」
砕けた脚で立ち上がる素振りを見せた彼の頭を、横ざまに襲った炎が消し炭に変える。低く押し殺した声が、明白な殺意を乗せて室内に響く。
「……仮にも自国の王族を、どこまで愚弄すれば気が済むのかしら」
能面のような表情で死体を見下ろす王妃陛下は、右手に纏った炎を背後の貴族たちに向けた。
「しょせんは平民上がりの粗野な魔法使い。あんたたちがそう思ってるのは知ってたわ」
炎に照らし出されて震える彼らの顔は、いまや完全に血の気が引いて真っ白になっていた。
「……王妃、陛下。……どうか、お、落ち着いて、……お聞きください、我々、は」
「まあ、それは事実だし。国の役に立つなら、私を軽く見るくらいのこと、我慢するつもりでだった。なにより、国王陛下から預かった領民に刃を向けることだけは、どうしても避けたかったの。国体も政体も予算も領民も、国王陛下から託されたもの。可能な限りの保全に努めて、決断は玉座に戻られるであろう陛下に委ねるべきだと……そう思ってた」
「後生です、どうか……どうか」
「でもそれは、間違いだったみたい。私は内患も排除出来ない、ただの能無しだった。その咎が我が身に降り掛かるならともかく、マーシャルまでも危険に晒すことになったとは」
王妃陛下は静かに笑う。
絶対強者の怒りを目の当たりにして、アタシを含めた周囲の者たちは心の底から震え上がった。
これはアカンやつや。部屋の隅で小さく丸まってる以外に、生き残る術はない。
「陛下、お待ちぉをああぎゃああぁ……ッ!!」
マインヘルム伯爵の頭髪が燃え上がり、頭が炎に呑まれる。煙と蛋白質の焼ける異臭が部屋いっぱいに広がった。衛兵は手を出すどころか身動きひとつ出来ないでいる。
その隙に逃げようと背を向けたハーンボルト公爵は、数歩も行かないうちに無様に転がった。振り返った彼は、自分の両足首から先が炭化しているのを見て、声にならない悲鳴を上げる。
「ひッ、ひ……」
声もなく崩れ落ちたマインヘルムがハーンボルトにしなだれかかり、真黒に焼け焦げた頭蓋骨が悲鳴を上げたときのまま歯を剥き出して公爵の鼻先に噛み付く。
「ひゃああああああああッ!!?」
◇ ◇
公爵が気を喪い静まり返った室内に、疲れ切ったような王妃陛下の溜息が響く。
「……魔王、陛下」
「あひゃい!?」
「お見苦しい、真似を。……このお詫びは、如何様にも、……いたします」
「おおお、お構いなくッ!」
完全に裏返った声で拒絶しながら、アタシはブンブンと首を振る。
立ち竦んだままの衛兵がふたり、次に殺されるのは反逆者を阻止出来なかった自分たちの番だと、絶望と恐怖に動けないまま全身からいろんな汁を迸らせながら震えている。
物音に駆けつけたらしいメイドさんも、白目を剥いて失神していた。
孤立無援でうずくまるドラゴンと接近遭遇するようなものだ。
いや、ドラゴン見たことないしこの世界に居るのかどうかも知らないけど。
ここは上手いこと話を逸らして落ち着かせる以外にない。とはいえ頭は空転するばかりで、有効な手段など何ひとつ浮かんでこない。
「国王陛下は」
考えなしに口が動いて、自分がド壺にはまったことを自覚する。
この国の絶対権力者である筈の人物について、アタシはいままで一度も訊いたことがなかった。病床にあることだけは聞いていたが、誰ひとり詳しいことを話そうとしないためにそれは王国の触れてはいけない部分なのかもしれないと思っていたからだ。
よりによっていまそれを口にするのは自殺行為でしかない。
案の定、キッと顔を上げた王妃陛下はアタシにつかみかかり、滂沱の涙を零しながらガッシリとつかんだ肩を力任せに揺さぶってくる。
「あのひとさえ! 目覚めてくれたら!」
これは、完全にアカンやつや。アタシここで消し炭にされてまうわー。
急に抱き締められて、アタシは戸惑う。弱々しい声が、耳元で囁く。それは壊れそうなほど儚く、切ないものだった。
「こんな思い、しなくて済んだのに」
ごとりと床を打つ音が聞こえた。見ると限界を迎えたらしい衛兵ふたりが泡を吹いて気絶していた。
そして王妃陛下もまた、城の防御魔法陣に魔力を奪われたのか、意識を喪っているのがわかった。
「……どうすんのよ、これ」
姫騎士砦の試験営業、開催2日目。
……では、あるのだけど。前夜に、王妃陛下からの魔珠通信で登城要請を受けたアタシは、早朝から王都に向かっていた。
砦の方は、魔王領の頼れる部下たちと姫騎士殿下に任せてある。
共和国軍の侵攻は撃退(というか殲滅)したので、しばらく彼らで手に負えないような緊急事態は発生しないだろう。
だいたい、あのメンツで手に負えないなら、たぶんアタシがいても結果は変わらないし。
「魔王陛下、ご足労いただいて恐縮です」
「いえ、お構いなく王妃陛下。ちょうどアタシからも、いくつかご報告と、ご相談したかったことがあったものですから」
王城前まで出迎えて下さった王妃陛下は、アタシの乗ってきた多脚式自走トラックを興味深そうに観察する。
「ところで、これは?」
「機械式の荷馬車ですね。いまの魔王領には馬を飼える環境がないので、魔道具で引いています」
王妃の護衛についてきたらしい衛兵も、ポカンと口を開けたまま固まっている。
王国内で出来るだけ目立たないようにと荷台に布を掛け幌馬車風に偽装しているが、基本的な異形はどうしようもない。
イグノちゃんが手当たり次第に作りだしたトラックには、駆動方式が車輪型と多脚型、荷台が露天型とテント型と保冷庫型、車体が長い大量輸送用と短くて軽い高速移動用がある。もっとあった気がするけど、バリエーションが多過ぎて覚えてない。
「車輪ではなく、歩くんですの?」
「ええ。魔王領のような山岳地帯だと、こちらの方が便利なんです」
それは王国でも同じ、というかむしろ王国でこそ必須だった。
東端にあるソリデン平原から王都までは直線距離で90哩(約145km)、間には網目のように広がった水路と農地と半端に深い森があり、移動距離は数倍、馬車だと優に半日は掛かる。
迂回路をショートカットして最短時間で到着するためには、多脚式である必要があるのだ。車輪式でも馬無しなら目立つことに変わりはなく、それでも4時間は掛かっていただろう。
早朝で人気がない田舎道を全速力で飛ばした結果、多脚式トラックは姫騎士砦~王都間を2時間以下で走り抜けた。
見た目と動きが気持ち悪いのはこの際、目をつぶる。
「どうやって動くんだ、これ」
「巨大な魔道具みたいなものか?」
恐々と運転席を覗き込む彼らに手を振って、アタシは荷台を指す。
「後ろに王城向けのお土産を積んできたので、降ろしておいてくださいな」
「俺たちが!?」
「いきなり暴れたりは……」
「大丈夫ですよ。トラックなら、御者台にある魔珠に魔力を注がなければ動きません」
安心させようとしたのに、衛兵たちは慌てて飛び退る。
別に触ったところで噛み付きはしないわよ、もう。
◇ ◇
王城内に案内されたアタシは、いきなり王族の暮らす最上階に通される。
毎度こう平然と招かれてるけど、これでも名目上は敵対勢力の長なのよね。反対する貴族とかいないのかしら。
「昨日は大盛況だったようですね。私も行きたかったんですけれども、それどころではなくて。数日前から、帝国軍が国境近くに集結しているという知らせがあったのです」
アタシは黙って頷くだけにした。
機械式極楽鳥からの映像で、王都西部から西部領内に掛けて布陣している王国軍部隊、約4万が確認出来ている。
対する帝国軍は騎兵と軽装歩兵を中心にした2万。輜重は荷馬車が50程と補給線が薄く、王国に侵攻する意図はないように見える。
おそらく示威行為。単なる牽制だ。
「姫騎士砦も、共和国軍の侵攻があったと聞きましたが」
「ええ、3万ほどの兵がリニアス河を越えて王国領内に入りました」
「……さ、3万!?」
王妃陛下は驚愕して硬直した。
帝国側に向かわせた兵をどう再配置するべきか頭が回り始めているようだ。アタシは手を振って、彼女に笑顔を見せる。
「ご心配なく、無事に排除して砦に死傷者はありませんでした。というよりも、来客は戦闘があったことも知らないと思います」
王妃陛下は探るような目になったが、しばらくすると困惑の表情で首を振る。
呼び出したのは自分とはいえ、アタシがここにいることで危機が去ったのが事実だと判断したのだろう。
「本命は姫騎士砦だった、ということですか。……鉄壁の城壁に守られているとはいえ、マーシャルも魔王陛下も、手持ちの兵力は数10名でしょう? 3万もの軍を、あっさり撃退されたとは……」
もちろん魔王領軍が精強なことは存じ上げておりますが、と慌てて付け加える。
「今回に関しては、マーシャル王女殿下の采配が見事に功を奏したというだけです」
王妃陛下は、アタシの言葉を理解した。
1000倍の敵を鎧袖一触などという冗談みたいな戦果は、うちの工廠長が作り出した規格外の兵器によるものだが、それを前面に出すのは拙い。
少なくとも、王国内で魔王領軍が大規模な軍事力を行使したなどということは、王国の民や貴族に知られる訳にはいかない。
「……魔王陛下のお気遣いに、感謝します」
「こちらこそ、ご理解いただけて助かります。ただ、敵の排除には成功したのですが、姫騎士殿下によれば、そこに黒い軽甲冑の兵士が混じっていたようだと」
「共和国と帝国が手を結んだということですか? それが事実だとすると、まったくの想定外ですね。この大陸でもっとも相容れない国同士だったのですが」
「王国と魔王領との協力関係に、それだけ危機感を募らせているということでしょう」
「そもそも、共和国の内部事情を考えると大規模な侵攻など不可能な筈だったのです。もちろん、そんなことは言い訳にもなりませんが。何かあったらこちらの責任問題では済まないところでした」
「内部事情というのは?」
「ここ数カ月で“賢人会議”と称する共和国の指導者層が、立て続けに亡くなっています。公式には事故死と病死ですが、暗殺という噂もあります」
クーデターか世代交代か、あるいは派閥抗争か。
なんにせよ、生き残りを賭けて改革に出たのは、魔王領や王国だけではないということなのだろう。
「アタシがお訊きしたかったのは、今回の侵攻計画に王国側の内通者が……ん?」
いきなり廊下が騒がしくなる。ドヤドヤと押し掛けてくる足音と、怒声。
「いけません閣下、この先は陛下の許可を得たものしか……」
「ええい、離せ!」
「我らは、いますぐ王妃陛下に進言せねばならんのだ! 王国の歴史を支えた貴族に対し、このような扱い、もう我慢ならん!」
押し留めようとする衛兵と、貴族と思しき男たちが、揉めているようだ。
王妃陛下が向かうより早く、荒々しくドアが開かれる。
「何事ですか、ノックもなしに無礼な!」
「王妃陛下、どうしてもお聞き入れいただきたいことが」
「黙りなさい! ハーンボルト公爵にマインヘイム侯爵。軍令部のソーンダイク卿まで。国の一大事に、あなたたちはここで何をしているのですか」
「一大事だからこそです。いま必要なのは、魔族と馴れ合うことではありますまい!?」
王妃陛下の顔色が変わる。目が細められ、突き刺すような視線で男たちを見る。
「……もう一度、いってみなさい」
偉そうに訴えていた小太りの中年――おそらくこいつがマインヘイム侯爵だろう。彼は睨まれると怯んだように口をつぐんだ。
腰に剣を佩いた壮年の男、ソーンダイクは無表情のまま。公爵と思われる初老の男だけはまったく動じず、どこか小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
なるほど、魔王領との関係に不満を持った貴族はいたわけね。
粛清された旧第一王子派閥だけではなく、王党派閥にも守旧勢力はいて、それはむしろ考えなしの跳ねっ返りでないだけ、より性質が悪かったりすると。
「良いんですよ、王妃陛下。彼らの気持ちも理解出来なくはありません」
アタシは椅子に掛けたまま、睨み合う王国陣に笑顔を向ける。
頭のなかには、王国北部貴族領の略図が浮かんでいた。
ハーンボルト領とマインヘイム領、ソーンダイク領は北東部にあり、それぞれ隣接していて、共和国領に近い。
今朝までに機械式極楽鳥から送られてきた領内の兵力配置はごく単純なものだった。
そう、あまりにも、単純。
つまりは、王妃陛下に内通者を尋ねるまでもなく、答えの方から、こちらに来てくれたという訳だ。
「魔王陛下、それはどういう意味です?」
「彼らは、焦っているのですよ。手間暇かけて作り上げた茶番劇が、意図した結果にならないとわかってね」
怪訝そうな顔の王妃陛下と対照的に、貴族連中は怒りを露わにする。
そこは惚けるところだと思うんだけど、バレないと高を括っているのかしら。
「……なん、だと?」
「得体の知れぬ魔族ごときが、王国貴族を愚弄するか!?」
忌々しげに睨んでくる貴族たちに見せつけるように、アタシはポケットから出した魔珠をテーブルの上に置く。
映し出されているのは、上空からの映像。それが何なのか理解するに従って、王国貴族たちの顔が強張り、青褪めて行く。
数千の兵が森に潜んで、何かを待っている。甲冑や馬車に記された紋章は、当然ながら各貴族に特有のものだ。いい逃れは出来ない。
「これ、王都の北東にあるポルレアの森よね。お三方の領地軍だけが、なぜこんなところに? 王国貴族の領地軍は、ほとんどが帝国国境に対して布陣しているようですけど」
「そ、それは」
「まるで、兵を王都に向けているみたいに見えますね」
「馬鹿なことをいうな! 我々は、王都に万が一のことがあってはいけないと、防衛のために……!」
「防衛のために森に潜むっていうのも理解出来ませんが、仮にそうだとしても、ずいぶん東寄りですね。向いているのも王都側。まるで、共和国からの援軍と、王都制圧の号令を待ってるような」
マインヘイム侯爵の目が泳いで、ハーンボルト公爵を見ようとする。
公爵はマインヘイムを無視して、ソーンダイクにだけ話し掛ける。
「どうやら陛下の説得は難しそうだ。貴公は戻って兵の指揮を……」
「ああ、動かない方がいいわよ。いま下手に領地軍を動かしたりしたら、空から天罰が落ちるかも」
脅しでしかないアタシの言葉を、正確に理解したのはソーンダイクだけだ。
こいつは、たぶん魔王領軍の戦いがどんなものか知ってる。どこかの戦場で爆撃の威力を見たのかもしれない。目顔で退出させようとする公爵に小さく首を振り、この場に留まる事を決めた。
「王妃陛下、姫騎士砦が敵の侵攻を受けたと聞きました。我々は、領民の安否を確認するために兵を返したに過ぎません」
侯爵が唐突に声を上げ、場の主導権を取り戻そうとする。その下手くそな演技を、アタシは鼻で嗤う。
「つい先ほどの説明と矛盾してますね。そもそも、それを誰からどうやって聞いたか、教えてもらえないかしら?」
「ふん、軍事機密を魔族などに……」
「まあ、いいわ。じゃあ、あなたが知らないことを教えてあげましょうか。共和国軍は壊滅したわ。砦は無傷。姫騎士殿下は、いまごろ英雄として祭り上げられている頃じゃないかしら」
実際にはキッチンでドーナッツでも揚げてるか野菜の皮でも剥いてるんだろうけど、そこは伏せておく。
「そんな嘘に乗せられるとでも思うか」
「宴の様子が見たければ、映しましょうか? 祝辞でも送りたいのなら、音声も繋いであげますけど」
手のなかで魔珠を転がして、マインヘイムに笑いかける。わずかに響いた耳障りな音は、侯爵が歯軋りする音だろう。
「あら? どうされました、マインヘイム侯爵。王女殿下が安泰だとわかったというのに、ずいぶんと悔しそうな顔をしてるじゃないですか」
「……くッ!」
「それはそうよね、王都制圧の夢は潰され、頼みの綱の共和国軍は壊滅。その結果として、唯一無二の戦功を得ることになったのが、戻られない筈だったマーシャル王女殿下だけなんですから、ねえ?」
憤怒の表情に変わったマインヘイムの陰で、静かに剣を抜いたソーンダイクが無表情のまま斬り掛かってくる。
軍令部に所属するという偉丈夫だが、思った以上に頭は残念なようだ。
「バン」
囁くようなアタシの声に、ソーンダイクは膝を砕かれて転がる。
イグノちゃんの新作は、手のひらにスッポリと収まるような小型拳銃。
見た目は例によって銃身と銃把だけの玩具だけど、魔力に指向性と物理攻撃力を持たせる魔道具だ。
王宮内に施された魔力無効化の魔法陣も、魔王の魔力量に対しては誤差程度のものでしかない。
時代を読み違えた老将は、剣を握り締めたままアタシを見る。
「貴様さえ、いなければ……!」
「何も変わらないわよ。あなたたちは、付くべき相手を誤った。それだけのこと」
砕けた脚で立ち上がる素振りを見せた彼の頭を、横ざまに襲った炎が消し炭に変える。低く押し殺した声が、明白な殺意を乗せて室内に響く。
「……仮にも自国の王族を、どこまで愚弄すれば気が済むのかしら」
能面のような表情で死体を見下ろす王妃陛下は、右手に纏った炎を背後の貴族たちに向けた。
「しょせんは平民上がりの粗野な魔法使い。あんたたちがそう思ってるのは知ってたわ」
炎に照らし出されて震える彼らの顔は、いまや完全に血の気が引いて真っ白になっていた。
「……王妃、陛下。……どうか、お、落ち着いて、……お聞きください、我々、は」
「まあ、それは事実だし。国の役に立つなら、私を軽く見るくらいのこと、我慢するつもりでだった。なにより、国王陛下から預かった領民に刃を向けることだけは、どうしても避けたかったの。国体も政体も予算も領民も、国王陛下から託されたもの。可能な限りの保全に努めて、決断は玉座に戻られるであろう陛下に委ねるべきだと……そう思ってた」
「後生です、どうか……どうか」
「でもそれは、間違いだったみたい。私は内患も排除出来ない、ただの能無しだった。その咎が我が身に降り掛かるならともかく、マーシャルまでも危険に晒すことになったとは」
王妃陛下は静かに笑う。
絶対強者の怒りを目の当たりにして、アタシを含めた周囲の者たちは心の底から震え上がった。
これはアカンやつや。部屋の隅で小さく丸まってる以外に、生き残る術はない。
「陛下、お待ちぉをああぎゃああぁ……ッ!!」
マインヘルム伯爵の頭髪が燃え上がり、頭が炎に呑まれる。煙と蛋白質の焼ける異臭が部屋いっぱいに広がった。衛兵は手を出すどころか身動きひとつ出来ないでいる。
その隙に逃げようと背を向けたハーンボルト公爵は、数歩も行かないうちに無様に転がった。振り返った彼は、自分の両足首から先が炭化しているのを見て、声にならない悲鳴を上げる。
「ひッ、ひ……」
声もなく崩れ落ちたマインヘルムがハーンボルトにしなだれかかり、真黒に焼け焦げた頭蓋骨が悲鳴を上げたときのまま歯を剥き出して公爵の鼻先に噛み付く。
「ひゃああああああああッ!!?」
◇ ◇
公爵が気を喪い静まり返った室内に、疲れ切ったような王妃陛下の溜息が響く。
「……魔王、陛下」
「あひゃい!?」
「お見苦しい、真似を。……このお詫びは、如何様にも、……いたします」
「おおお、お構いなくッ!」
完全に裏返った声で拒絶しながら、アタシはブンブンと首を振る。
立ち竦んだままの衛兵がふたり、次に殺されるのは反逆者を阻止出来なかった自分たちの番だと、絶望と恐怖に動けないまま全身からいろんな汁を迸らせながら震えている。
物音に駆けつけたらしいメイドさんも、白目を剥いて失神していた。
孤立無援でうずくまるドラゴンと接近遭遇するようなものだ。
いや、ドラゴン見たことないしこの世界に居るのかどうかも知らないけど。
ここは上手いこと話を逸らして落ち着かせる以外にない。とはいえ頭は空転するばかりで、有効な手段など何ひとつ浮かんでこない。
「国王陛下は」
考えなしに口が動いて、自分がド壺にはまったことを自覚する。
この国の絶対権力者である筈の人物について、アタシはいままで一度も訊いたことがなかった。病床にあることだけは聞いていたが、誰ひとり詳しいことを話そうとしないためにそれは王国の触れてはいけない部分なのかもしれないと思っていたからだ。
よりによっていまそれを口にするのは自殺行為でしかない。
案の定、キッと顔を上げた王妃陛下はアタシにつかみかかり、滂沱の涙を零しながらガッシリとつかんだ肩を力任せに揺さぶってくる。
「あのひとさえ! 目覚めてくれたら!」
これは、完全にアカンやつや。アタシここで消し炭にされてまうわー。
急に抱き締められて、アタシは戸惑う。弱々しい声が、耳元で囁く。それは壊れそうなほど儚く、切ないものだった。
「こんな思い、しなくて済んだのに」
ごとりと床を打つ音が聞こえた。見ると限界を迎えたらしい衛兵ふたりが泡を吹いて気絶していた。
そして王妃陛下もまた、城の防御魔法陣に魔力を奪われたのか、意識を喪っているのがわかった。
「……どうすんのよ、これ」
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