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弑逆遊戯

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 転移者に特有の症状や特徴はない。ただ、役割・・はあるのだ。

「ああ、転移によってこの国に、この世界に召喚された。わしにはどこの誰とも知れん権威者から身勝手な責務を背負わされて、“勇者”と呼ばれていた」

 数奇な運命に翻弄された異世界人といったところか。まあ、残した功績と現状の地位状況を考えると、成功者の部類に入るのだろう。
 本人の望みがどうだったのかは知らないけど。

“……魔素中毒? それに、転移者というのは”

「他の世界から飛ばされてきたひと。たいがい膨大な魔力と異常な魔術適性、奇妙な知識や技術を持ってる。良くも悪くも、この世界に大きな影響を与える存在」

「貴様…… は……?」

「だから、魔王よ。特技は安癒。趣味はお菓子作り。日本の岩手県出身で35歳独身の、オネエ」

「わしとは転移元の世界が違うのか、ニホンもイワテも聞いたことはないな」

「そう、残念ね。同じ文化圏なら情報共有で知識に広がりが持てたのに。それと、アタシは転移じゃないのよ。元の世界では、死んじゃったみたいだから」

「転生者か。しかし、転生者というのは、今世で赤子の魂を喰って・・・入れ替わるものなのでは?」

「それは知らないわね。こっちに来たときから成人ぽいこの姿だったわ。先代魔王もそう。魔族は魂の容器いれものに拘らない性質たちなのかも」

“魔素中毒というのは、魔族領に侵攻したことで呪いのようなものを?”

「だとしたらマーシャル殿下も今頃こう・・なってる筈よね? 魔王領にはたくさんの来客や来賓がいるけど、そのひとたちも体調を崩したって話は聞いてないわ。だからたぶん、逆よ」

“逆?”

「戦争が終わって、戦のない時代になって、このひとは魔力の行使が必要なくなったんじゃない? あなたも感じているんでしょう? この部屋の厳重な結界に押し込めておかなければ王都を害するほどの魔力が溢れ出してること」

“中毒症状を起こしているのは外部ではなく、体内・・の魔素ですか”

「勇者の役割として、戦い続けなければ体調を崩す、放置すれば死ぬ。平時の安全装置と考えると、けっこう良く出来てると思うわ。魔王を倒すほどの戦力が野放しだなんて、危ないもの」

“……そ、そんな”

「どうやら魔王を倒すことには成功したけど、戦後の処理は上手く行ってないみたいね。王位継承も進んでないし、王家も目的を見失ってる……というよりも、最初から知らないのかしら」

「コーウェルの王権簒奪を潰したのは貴様だろうが。余計なことをしてくれた。あれで良かったのだよ。短い平時には無能が蔓延はびこり、新生魔王が現れて危険な英雄の台頭を求める。世代としての代謝だ。この世界はそれで上手く回っていた」

“……そんなこと! 魔王陛下が犠牲になって、人間の世界をまとめるというのですか!?”

「だから、彼には聞こえてないのよ。聞こえては・・・・・いけない・・・・のかもしれないわね」

「何の話だ、魔王」

 アタシの背中に隠れていたメシャエル殿下を国王の前に出す。老いさらばえた父親は驚き、それから少し困った顔で、娘を見た。

「貴方の末娘。正真正銘の化け物・・・よ。わかっていて遠ざけたのか、怯えて逃げ出したのかによって、あなたの始末・・の仕方が変わるわ」

“魔王陛下、お止めください。わたくしは……”

「答えなさいよ、用済みの英雄さん。あなたは、メシャエル王女をどうするつもりだったの?」

 国王は、ゆっくりと身を起こす。
 身近に武器はないが、元は勇者であれば彼自身が武器のようなものだ。望めば世界を破壊できるほどの力を持ち、いまはその力によって死に掛けてる。

「王族のなかで魔力を持っている者は、宮廷魔導士だった妻くらいだと思っていた。わしとフィアラの血を引く子供らは、コーウェルもデルゴワールもマーシャルも、下級魔族程度の力しかない。まして、瀕死のまま生まれ、産声を上げる力もなく、障害を持って目も耳も開かなかった末娘はな」

「死んだものとして扱ってきた、ってわけね」

「ある意味では、そうだ。お披露目どころか、出生の沙汰も出さなかった。生まれたことを知る者さえ、家族とわずかな忠臣のみ。わしはそいつに、王族としての身分も資格も与えなかった。死んだ者として、誰にも知られることなく野にくだり……」

“……”

「幸せに、なって欲しかった」

“……お父、様”

「来たるべき乱世で、この国の王族が生き延びられる確率は低い。なかには好きこのんで敵の矢面に立つ馬鹿もいるが、メシャエルは違う。だったら、最初から背負わせない方が」

「馬ッ鹿じゃないの!?」

 アタシの呆れ顔に、国王は言葉もなく固まる。一応、男ではあるけれども、そんな身勝手な思いを理解してもらえるとでも思ったのかしら。

「男って、みんなそう。場違いで筋違いで勘違いで思い違い。口にしなければ、何も伝わらないのよ」

「しかし、メシャエルは耳も目も」

「見えてるし聞こえてる。あなたやアタシなんかより、よっぽどね」

「なに?」

「いったでしょう、この子は化け物・・・。そこらの人間程度じゃ相手にもならない。魔王である筈のアタシが、手も足も出ない程の傑物よ」

“……魔王陛下、わたくしに、そんな力はありませんが”

「そんだけ気を使っていれば、そうでしょうよ。怒りに任せて魔力をぶつけてごらんなさいな。こんな城くらい簡単に弾け飛ぶわ」

「そ……そうなのか?」

「まだ攻撃魔法の引き出しは少ないみたいだけど、彼女ならほんの数日で身に着けるわね。それより何より怖いのは、頭の良さと勘の良さ、それと、それをサポートする生得能力。軍人向きなマーシャル殿下、研究者向きなデルゴワール殿下とは、ずいぶん違う。誰に似たんだか知らないけど、政治向きね」

“わたくしのお話は、けっこうです。それより、お父……国王陛下の容体を、改善する方法をお聞かせ願えませんか”

「嫌よ」

“え?”

 アタシは国王に背を向け、メシャエル王女の首に手を掛ける。笑いながら首を絞めると、彼女は見開かれた目に困惑と怯えを浮かべるが、逃げようとはしない。
 ホント、変わった子。

“あああああぁッ!”

 魔力を注ぎ込むと、幼い王女様は悲鳴を上げて身悶える。

「よせ、魔王! そいつは関係ない、殺すならわしを!」

「……ふん。あなたに何が出来るの? いままで何もしてこなかった、見ようともしなかった父親に。黙って見てなさいよ、役立たずの勇者さん?」

 ベッドから転がり落ちた国王が、思うように動かない身体を引き摺って必死に這い寄る。間に合わないわよ、そんな動きじゃ。辿り着いたところで、出汁殻の勇者様などアタシの敵じゃない。

“あ、ああああぁッ!!”

 気を喪った王女の悲鳴が止まると、目を覚ますのを待って、もう一度。
 痙攣が止まると、しばらく待って、もう一度。魔力による抵抗は次第に弱まり、悲鳴も少しずつ弱くなってく。

 もうそろそろかしらね。

“……ッ!”

 何度目かの失神から目覚めた王女殿下は、もうボンヤリした深窓のお嬢様などではなかった。最初からそんな甘っちょろい存在ではなかったんだろうけど、いまや噴き上げる魔力の質と密度が、魔王であるアタシですら怯ませるほどにキツい。

 頃合いとみたアタシは、メシャエル王女を床に転がす。

「いったわよね、王女様。アタシはこいつを許さない。いままでずっと、自分の娘を見殺しにしてきたんだから、今度はこいつが見殺しにそうされる番よ。あなたはそこで見ていると良いわ、魔王に倒される勇者の姿をね」

“……! ……!”

 姫様は意識こそ取り戻したものの、まだ純粋魔力の洗礼から覚めてはいない。痺れた身体も動かない。それでも必死に手足を振り回し、国王へと向かってゆくアタシを止めようと足掻く。
 国王もまた惨めに這いつくばったまま、憎しみを込めた目でアタシを見上げる。
 こういうの、ゾクゾクするわね。

「……この悪魔め、地獄に堕ちろ!」

「あら、魔王にそれをいうの? 最期の言葉・・・・・にしちゃ、面白いわね」

 国王の顔前に手をかざした瞬間、爆風がアタシの背を叩き、胸や腕をきらめく杭が貫く。言葉を発しようとしたアタシの唇から、鮮血がほとばしる。

 あら意外ね、アタシも血は赤かったみたい。

“……ぉ”

「お父様に、近付かないで!!」

 金髪を逆立てた姫君が、憤怒の表情で炎を纏う。その背には無数の氷柱が、いまにも飛びかからんばかりに鋭く光って並ぶ。

「よく出来ました」

「……へ?」

それ・・を教えてあげなさいよ。アタシなんかに頼らなくたって、あなたの方が遥かに上手でしょう? 魔力行使で滞留してる魔素を抜けば、身体の不調は改善するわ」

 一石二鳥ね。あのひと、娘と遊ぶのが夢だったみたいだから。

◇ ◇

 謁見の間。
 玉座に掛けているフィアラ王妃は首を傾げた状態のまま、半ば石化しているように見えた。白目になって口からエクトプラズムが漏れているその姿は前にどこかで見たような光景だった。
 いや、あれはマーシャル殿下だったか。

 明け方近くに眠っているところを爆音で叩き起こされた揚句に訳のわからない状況説明と理解不能な経緯の説明を受けたフィアラ殿下は、乱れた髪の毛をさらにグシャグシャと掻き混ぜる。ダメそれ、キューティクルが禿げるわ……

「……ぁああああ……と、すみませんね魔王陛下、生憎いまのわたしには何が何だか全く理解できていないようなのですけれども、それはつまり、どういうことなのですか?」

「大丈夫ですよ王妃陛下、自分も、微塵も理解できていません」

 王妃の横でデルゴワール殿下は温和に笑うけれども、こちらも動揺を隠せていないのかしきりに手汗を拭いながら目は完全に泳いでいる。

「夜中に国王陛下を襲いに行ったら、メシャエル王女が覚醒しました」

「ご、御冗談を」

「事実です」

 少なくとも、大筋では。
 ちなみに国王陛下とメシャエル王女は騒動を聞いて駆けつけた近衛兵と侍女部隊に回収され、医師の診断やら湯浴みやらで拉致されたまま帰ってこない。部屋の絨毯と姫様の炎魔法で衣服が焦げてしまったのだ。そこはアタシはあんまり悪くないと思うんだけど。

「国王陛下の私室は、王城でも特に魔力制御を厳重に掛けている筈ですが」

「それを上回るほどのものだったのでしょう。これぞ父を思う娘の愛。それを目の当たりにした魔王めは真に感服いたしました」

「何を他人事みたいにいってるんですか、魔王陛下」

 ジト目で見る王妃陛下も怒っていいやら笑っていいやら判断に困っているところだろう。
 実際、アタシもどう説明するべきなのか決断し切れずにいる。転移者としての彼が誰にどこまで情報開示しているのかを聞きそびれてしまったからだ。
 その辺のコンセンサスは事前に取っておくべきだったと反省中。

「それで、どうされたのです?」

「覚醒された王女殿下にはとても敵わないことがわかったので降伏して許しを請い、なんとか命ばかりは助けていただきました。ですから、国王陛下の快復は王女殿下の功績です」

「そのお話、後半だけで良くないですか? あるいは真ん中だけで」

 話を聞いてさらに混乱し頭を掻き毟る王妃陛下に比べて、デルゴワール殿下は、いくぶん余裕があるようだ。

「魔王ですから。あんまり立ち入ったことをするのは拙いでしょう?」

 顔を上げた王妃陛下が、白目になってカクンと口を開ける。

「もう十分過ぎるほどに立ち入っておられますし、拙いどころの話じゃないくらい拙いですよ!?」

「わかっております。が、健気な少女のお願いには弱くて……」

 王妃陛下と王子殿下は揃って首を振りながら盛大に溜息を吐く。

「王妃陛下、ここは祝勝会に華を添える素晴らしい奇跡が、とかなんとかいって誤魔化しましょう」

「そんな簡単に誤魔化せる訳ないでしょうが。貴族連中が原因やら経緯やらを根掘り葉掘り訊いてくるに決まってるわよ」

「その辺は、自分がどうにかします。ご安心を」

 後のことは医師の診断結果を待ち、本人から直接訊いた上で対策を立てようということで、この場はいったん解散となった。たぶん今日も帰れないんだろうなと、アタシはメシャエル王女の予言の恐ろしさを痛感する。

「魔王陛下、最後にひとつだけ」

「うひゃい!?」

 王妃陛下がズンズンと近付いてくる。ここは一発くらいブン殴られてもしょうがないわね。アタシは覚悟を決めて……
 全力で抱き締められた。
 ちょ、腕ごと極められて動けない上に背骨がメキメキいってるんだけど、死ぬ死ぬ死んじゃう!

「あなたには、それだけ感謝してもしきれない。本当に、ありがとうございます」

「お、お構いなく」

 一瞬、天国にいるお婆ちゃんに会ったわ。
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