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報恩の宴2

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 思わぬスピードで開通した新開発のロープウェイを、王国に対する軍事的脅威にはならない提示するべきという判断から始まった、今回の接待旅行。
 せっかくだから、王女殿下御一行様にはバッセン高級温泉旅館の試験運用テストとして利用させてもらう。問題点があれば直すし、好評な部分や要望があれば応える。

 そのひとつが、今夜の料理。

 目新しさを狙って、懐石をベースにしてある。ひとつずつお出しして、温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま楽しんでもらう。とはいえ、慣れないうちは調理に手間取ることもあろうかと、前菜だけは少し多めに用意してもらった。
 分量ではなく、数を。

「「「「……」」」」

 あら、無言。王女殿下だけでなくお付きの皆さんも反応もなく固まっている。

「反応に困るのは毎度のことだが、これはなんだ? 前菜はわかるが、見たこともないものばかりだ」
「素材は、バッセンとヒルセンで取れたものですから、ほとんどが殿下が収穫祭でお上がりになったものですよ」
「……なるほど。では、いただくとするか」

「このお魚、とっても美味しい……器もよく見ると細かな細工や模様が入っていて美しいです……」
「この丸い皿は、鉄なのか? いや……石?」

 また、中身より容れ物に注目が集まってしまっている。磁器の小鉢を木箱に収めて松花堂弁当のようにしてみたんだけど、物珍しさもあって好評のようだ。
 箸を使わないこちらの人たちには小さめのフォークとスプーンで食べてもらうことになる。箸に比べると、つまみ上げるような動きが出来ないため、皿も箱も浅く広めに作ってある。また、フォークやスプーン自体も、金属製は磁器に当たると嫌な音がするので木製にした。王国で木製食器は庶民のもの(中流以上は金属器と陶器)と思われているが、そこは細工と材質で高級感を演出する。

「器は、特殊な土を高温の窯で焼き締めたものですね。その酒器もです。お料理に合わせて温かいお酒を用意しました」

 食前酒よりも風味とアルコール度数を抑えめにしたものを温めの熱燗で出す。ぐびりと呑んで息を吐いたマーシャル殿下はまたなにかを嗅ぎ取ったようだ。ふふんと小さく鼻を鳴らすようなティスティングが怖いわ。

「さっきの酒を温めただけかと思えば、酒造工程……いや、熟成の過程が違うな。湯気から木肌のような香りがするのは樽の違いか? こちらも実に美味い」

 前菜をひと通り堪能してもらったところで、椀物。こちらの人にもわかりやすいスープだ。野菜と魚介の旨みを凝縮した黄金色の汁に、丸い団子がひとつだけ。一瞬キョトンとしたのは王国料理の作法にないミニマリズムを目指したからだ。ただし、タダでは帰さないのが魔王領の流儀。

「「「……!?」」」

 口にした人たちはそのまま固まる。王宮で御馳走になったときコンソメに近い物があったけど、いってみれば一点素材凝縮の力技だ。雑味と臭みを取るための洗練過程で旨味も削ぎ落してしまっている。一方で、庶民の食事で出るスープはあるもの全てを叩き込んだごった煮のようなもの。雑味どころか灰汁もそのまま。
 そのどちらでもあり、どちらでもないところを、攻めた。

「意外とそっけない感じのスープが出てきたと思ったが……これは、なんという味わいの奥深さだ。それでいて、余計なものは何ひとつないといっても良い」
「あら、このフワフワして丸い物は、面白いですね。とても単純な味なのに複雑、そして濃厚なのに、後味はすっきりしています」

 魔王領産の海老真薯えびしんじょも好評のようだ。

 懐石にならうとしたら、ここで御作り(お刺身)を出したいところなのだけど、内陸出身者にはちょっとハードルが高いかと思って軽くあぶったものにした。案外抵抗なく食べてもらえたみたい。お腹が落ち付いたどころか、ますます食欲が高まると鼻息も荒い。

 そこで、焼き物と揚げ物を投入。こっちの人たち、少なくとも王国のひとたちはボリューム感のある食事に慣れているようなので、少し多めで、タイミングを詰めて出してもらう。

「焼き物は、ヒルセンで揚がったマリブラントです」

 マリブラントという大魚、マグロに似た赤身で脂が乗っていて使い道が広いんだけど、祝い物に使う高級魚で漁獲はあまり望めない。帝国側では多少の流通があると聞くけど、遠洋なのでたまたま掛かったという例しかなく、ほぼ全量が貴族か王族に回されるのだとか。帝国でも庶民に常食されるのは“死肉喰らい”と忌避されつつも漁獲量の多いウルカンだそうな。ウルカンも美味しいとセヴィーリャはいってたが、正直あんまり食べたくないわ。

「こ、これがマリブラント……初めて食べますが、素晴らしいですな。噛むたび口いっぱいに旨さが溢れるようです」
「塩漬けのマリブラントは以前、王城でも祝宴に出ましたが、それほど美味しくはなかったと聞いています。同じ魚でこれほどまでに違うものなのですな……」
「ほんのりと甘いこの香気は……ヒルセンの塩? いや、違うな。魚醤か?」
「それは醤油といって、魚醤に近い製法ですが、魔王領の穀物を使った調味料ですね。それと糖蜜と酒で漬け込んであります」
「柔らかい……これは噛むまでもなくほどけて行くぞ」

「ンむーッ!」

 何事かと思ったら、揚げ物に噛み付いたマーシャル殿下がほとばしる旨み汁の熱さで驚いたのか必死にハフハフしている。王女殿下、落ち着きないわね。マナーにうるさい環境で育ったんじゃないのかしら?

「すみません、申し遅れましたが熱いのでお気を付け下さい……」
「うまッ! ハーン殿、これは!?」
「揚げ物の方は、魔王領で獲れた魚介と根菜とキノコです。フライよりも素材を生かしたてんぷらにしてみました。陛下の召し上がったものが、ヒルセン近海で獲れるカイマル海老です。殿下は串焼きやフライで召し上がったでしょう?」
「そうな。あのカリカリしたものも良かったが、このふんわりと旨味を閉じ込めたテンプラは、アレを遥かにえる。火の通し具合が弱いのは、この甘みを出すためな?」
「その通りです」

 ところどころ殿下の発音がおかしいのは、舌を火傷したみたい。和装のメイドさんに指示してテーブルに冷えたビールを運んでもらう。器は小ジョッキみたいな少し細めのグラスにしてみた。男性陣を中心にグビグビと飲み干して満足げな吐息を漏らす。

「おほほほ……素晴らしい、麦の香りとスッキリした香気。アゲモノとこれの相性は抜群ですな!」
「ヤキモノにも合います。これは、エールですか?」
「醸造過程が少し違いますが、エールの仲間ですね。魔王領では、ビールと呼んでいます」
「ええ、ええ。これが王国にも輸入されているのは知っていますが、あっという間になくなってしまうので呑んだことがなかったんですよ。しかし、ここまで冷やすのには、魔道具が必要ですね……」
「ルーイン商会さん経由で、業務用金属大樽ビアサーバーには冷却用の魔道具を付けて貸し出ししています。空になったら魔道具ごと入れ替える方式ですね」

 一体式で分解できないようになっているので、そうするしかなかったのだ。ルーイン商会さんの方で保証金を取っているみたいだけど、壊したら契約停止といい渡してあるせいか、いまのところ盗難や破損の報告はない。

「アゲモノのなかにあるこのキノコはなんだ? 王国にはないものだが……なんという分厚さと凄まじいまでの旨み汁スープだ」
魔王領こちらで常食されていたターマインという茸ですね。野生種はもっと薄くて形も大きさもバラバラなんですけど、それは菌床を作って栽培したものです」
「旨い、これは酒が進みますな……」

 お酒はお好きなものを選べるように日本酒(モドキ)を冷温2種類と、ビールと、ウィスキーと、王国産ワイン。各自で注文してもらったけど、メイドさんにワインのオーダーはなかったみたい。

 みなさんグイグイ飲みつつも、最後までお腹が持ち堪えられるのかと心配になるくらいの食べっぷり。とはいえお皿の上が綺麗になくなっているのを見ると、こちらも嬉しくなってしまう。

「では、ここで少し趣向を変えましょうか」

 アタシの言葉に、こちらを見た瞳が揃ってキラリと輝いた。
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