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結愛花の御所日誌①

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大殿おとど様に報告します」
「ごめんなさい! 以後気をつけます! だから、言わないで」
 畳の上に正座して、深々と頭を下げる。

「深夜の話し声に目が覚めて、驚きましたよ?
 大殿おとど様から預かった、大切な姫様がいらっしゃらないのですから」

 そう、誰にも起きてないと思ってたけど、実は近江には気付かれていた。

「更には、御簾の向こうの不審者の話し声の主が姫様で、相手が殿方とあっては、もはやこの近江の首を差し出すしか、大殿おとど様に報いる事は出来ないと、真剣に考えたのですからね」
「ごめんなさい! もうしません……たぶん」
「多分って何ですかっ 場合によってはまたやると言うことですか!?」
 近江の血がのぼって倒れるんじゃないかってくらい赤鬼さんになる。

「ま、まあまあ。近江、あまり声をあららげないであげて。第一、人払いしてあっても隣の房まで聴こえそうよ。口さがない女官の噂になったら、結愛花ゆめかの名誉や品位に関わるわ」
 姿子お姉さまの言葉に、さすがに近江も口を閉じる。

 春を見送って、まだ薄暗かったひさしで寒さに震えて御簾をくぐり、お姉さまのしとねへと這い戻る途中、角を生やして真っ赤にいかり、仁王立ちの近江に捕まった。
 猫の子のように横から抱えられ、実家から派遣された女房ばかりが寝泊まりする房に連れ込まれた。
 そこで、おろおろする姿子しなこお姉さまと、葛の葉、房子ふさこお姉さまの女房喜久乃きくの、姿子お姉さまの乳母めのとの吉野と女房安芸あきが円座を組むように待っていて、先ほどのお小言である。
 
「なにか姫にあるまじき事が起こった訳でなし。
 初めての手応えのある歌合わせが楽しかったのよね? いつも、勝手に送りつけられるおふみは、何の変哲もない面白味のない文言ばかりだと言っていたものね。結愛花ゆめか?」

 お優しい姿子お姉さまのお言葉に、首を傾げる。
「どうしてかしら? 夕べは夢中で、句を詠むのに必死で解らなかったけど、他の公達きんだちと何が違うのかしら……」
「夢中で、必死だったの?」
「だって、負けたくないもの。春よりいい句を、もっと唸らせるような句を詠まなきゃって……」
「春? 今は秋よ。春にもお会いした人なの?」
「違うわ。お祖父ほぢさまが春ってお呼びするの」
大殿おとど様のお知り合いなのですか?」
「あら、近江もお会いしたでしょう? 少し前に、お祖父さまがお連れになった方よ」

 私へのつまらない文をお祖父さまに文箱ふばこごと手渡した近江は、恐らく春の姿も見ているはず……

 近江は、真顔で考え込む。まさか、たった半月前の事なのに覚えてない とか?

大殿様おとどのお連れ様だという事で、気が緩んだのは解りました。
 ですが、今後会われるのでしたら、人々の寝静まった夜中ではなく、明るいお昼間に、ちゃんと室礼しつらえた場所で、私達がいる時にお願いします。
 教養ある、礼節を弁えた、姫たる者の嗜みでございますよ」
 一句一句区切って、噛みしめるように申し渡される。了承するしかない。でないと、お祖父さまに報告されちゃう。

「解りました。言われたとおりにします。だから、お祖父さまへの報告はしないで」
「あら、宮様のお知り合いなら、宮中でお会いしたと言っても問題はないのではないの?」
 姿子お姉さまがふわふわと微笑みながら小首を傾げて訪ねる。ああ、お姉さま可愛いらしいわ。人妻とは思えない。

「春に聞いたのだけど……
 お祖父さま、あの公達のつまらない文を総て持って帰られたの。どうしたのか気になってたわ。どうしたと思う?
 文をくださった公達を集めて、狩りを催したのだそうよ。それも天領で。
 で、お祖父さまより多く獲れなければ、今後、私に文を出したり、押しかけて妻問いしたりすると、お祖父さまのお仕置きがあるのだそうよ。随分張り切ったのですって」
「まあ、宮様らしい」
 お姉さまも近江もころころ笑う。吉野や喜久乃も押し隠しながら笑っていた。

「では、そのお方は、宮様に勝たれたの?」
「雉撃ちや鹿狩りは勝てないと思われて敢えて挑戦はせず、茸や自然薯じねんじょを二籠もお祖父さまより多く採ったって。兎も、七羽も多く獲れたって……」
「では、その肩掛けは、春様の兎なのね?」

 ……言われてみればそうだ。春自身も、落ちた兎皮の領巾ひれをかけ直してくれながら、自分が獲ったのだと言っていた。

「え、あ、そ、そうね。確か、春も、自分が獲ったって……仰ってたわ。うん」

 な、なんか、お祖父さまのお土産だからと使っていたのに、私との交際を懸けた狩猟大会の戦利品で出来てるなんて言われたら、急に掛けてるのが恥ずかしい気になるわ。

「あら、いいではないの。宮様のお土産として受け取ったのは確かなのだし、気にする事もないでしょう?
 貴女との交際を懸けた狩猟での戦利品で出来てるなんて素敵じゃない?」
「お姉さまは気軽にそう仰って朗らかに笑われるけれど、戦利品だったと聞かされた私は、お祖父さま公認で交際する事を了承したみたいじゃないの。春の前では掛けづらいわ」

 これひとつで兎が何羽使われたのか……

「だから、そこまで気にする事はないでしょう? 宮様も、春様からの贈り物だと仰られた訳でなし、きっと宮様の獲られた兎も入ってるわよ」
 そりゃそうだろう。これだけ長く幅広く肩掛けをつくるのに、小さな兎十羽くらいじゃきかないと思われる。

「私が悪かったです。軽率でした! だから、もうこの話は終わり!
 だいたい私の事はいいの。私は、公達とお話したり歌合わせしたり、お祖父さまの武勇伝を広めるためにここに居るんじゃないわ。
 お加減のよくないお姉さまのたすけになるために残ったのよ」
 あくまでも、房子お姉さまの依頼で後宮に来たのではなく、お祖父さまのお土産をお持ちしたらお姉さまの不調を聞いて、お側についているというていで行くのだから。

「でも、今日一日、結愛花がいてくれて、だいぶよくなったのよ」
 確かに顔色はよくなったと思う。

「ありがとうね。お屋敷を出た事がなかったのに、不安だったでしょう?」
「ううん、お祖父さまも一緒だったし、近江だっているわ。近江は、おたあさまとここに何年も居たのだから心強いわよね」
 そりゃ少しは不安もあったけど、知らない所でどんな事があるんだろうって思ったけど、それよりはわくわくする気持ちが大きかった。

「本当に嬉しいのよ。帝はお優しくしてくださるし、女房達だってよくしてくださるし、不安はないはずなのに、どうしてか、気が弱くなるの。おかしいわよね」
 初めての懐妊だもの。それも、帝の御子を授かって、不安にもなるよね。


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