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最後の夜
しおりを挟む「明日、何時」
背中の向こうから声が聞こえたのは、駿介とヒロがベッドに潜り込んでからもう2時間は経った頃だった。
ヒロはベッドに入って1分何も喋らないとすぐに眠ってしまうほど寝付きがいいから、駿介は心底驚いた。
幻聴かと思って無視してしまうほどには。
けれど後ろからふくらはぎを踵で蹴られたので幻聴じゃないらしい。
体勢を変えヒロの方を向いても、ヒロはこっちに背中を向けたままだ。
「9時」
「9時に出んの?起きんの?」
「出る」
「ふーん」
自分で聞いたくせに興味ないと言わんばかりにヒロは適当な返事で済ませる。
ヒロは気分屋でマイペースでわがままな野良猫みたいな奴だ。けれど惚れた弱みでそんなところすら愛おしい。
ヒロの綺麗に染められたプラチナブロンドの髪がやけに明るい月の光に晒されて、絹のように輝いていて思わず手を伸ばしてしまった。
気分じゃない時に触られるのをヒロはとても嫌がるから怒られるかもしれない。
まぁ、その時はその時だ。
それに、ヒロに怒られるのが駿介は嫌いではなかった。ヒロは駿介に怒られるのが大嫌いだったけど。
男にしては長めの、綺麗に整えられたレイヤーカットに指を通して掬って手触りを楽しむ。
ヒロは大人しく駿介の手の動きを受け入れていた。
可愛いなぁ。可愛いと言ったらヒロが怒るのが目に浮かぶけれど、駿介にとってヒロはずっと可愛い。可愛くて愛おしくてこの世の嫌な事も汚いことも傷つくこともヒロには降りかからないで欲しいと本気で願ってしまうほど大切な人。
心から溢れるヒロへの気持ちが止まらなくなって、こっちを向かない細い身体を無理矢理抱き竦め腕の中にしまい込む。
駿介と違って美容院で買っているシャンプーとコンディショナーを使っているヒロの髪からは、上品で甘くて苦しくなるくらい、いい香りがした。
匂いを嗅いだり、細い腕を辿って手を握ったり、うなじに唇を押し当てたりしていたらそれまで大人しく体を硬くしていたヒロが凄い勢いで飛び起きた。
流石に触り過ぎたか。
ご褒美タイムの終焉に少々残念な気持ちになりながら仰向けになり、ベッドの端っこで顔を真っ赤にしているヒロの顔を見つめる。
謝るべきか、もう寝るぞと言って不必要な接触をせずに目を瞑るべきか、ヒロの顔を見て対応をしっかり見極めないといけない。
頭の下に腕を入れてヒロの顔を観察しようとしたら、自分の髪の毛がチクチク刺さる。
柔らかい猫っ毛のヒロと、ヤマアラシみたいな剛毛の駿介。
気分屋で繊細で自由なヒロと、真面目で従順でだけど頑固な駿介。
チグハグな大の大人2人が同じベッドで相手の出方を伺っているのが不格好で面白い。
ここで笑ったらヒロが怒って部屋から出ていってしまう気がしたから何とか耐えていると、腹の上にドスンと衝撃がはしる。
「グエッ」と呻いて見上げると、怒ったような困ったような泣き出しそうな顔をしたヒロが駿介の腹の上に跨っていた。
不満タラタラと言った顔のくせにヒロは何故か寝巻きにしているバスローブの紐を解きはじめた。普段なら絶対にしない行動に、体が固まる。
え?そういう雰囲気でした?今?
俺怒られるんじゃなくて?
呆然としていると、駿介の表情に気がついたのかヒロは綺麗な顔をくしゃ、と歪めた。
そのままヒロはベッドに1つしかない枕(ヒロは普段駿介の腕枕で眠るから)を駿介の頭から無理矢理抜き取って枕で駿介の顔を殴り始める。
可愛いと、苦しいが交互にきて幸せで胸が張り裂けそうだった。
降りかかる枕を捕まえてヒロの手から奪い取り、ポイっとベッドの孤島から投げ捨てる。
あ、ヒロの腰の下に入れるのに使うの忘れてた。後で取りに行くのめんどくせぇ。でもそれよりもまずはヒロのご機嫌取りをしないと。
「ヒロ、そんな怒るな」
「……」
黙りこくるヒロはちょっとバランスが崩れればわんわん泣き出してしまいそうなほど、目に涙を浮かべていた。ヒロは家だと非常に涙脆い。
「明日早いからそんな雰囲気じゃねえと思ったんだよ」
宥めるように優しく言うと、ヒロの表情がムッとする。
「だって……お前がやらしい触り方してきたから!!」
「そうか?」
「そうだろ!匂い嗅いでくるし、手握ってくるし、首にキスしてくるし!」
もう何千回もお互いの身体に触れ合っているのに、ヒロはいつまで経っても初心で小さなスキンシップにすら頬を上気させる。
外では凛としていて誰も近寄らせない鉄壁、潔癖の王子様キャラで通しているのに、駿介の前ではずっとずっと変わらない、初心で意地っ張りで間の抜けた可愛い子猫だ。
「悪かった」
こしょこしょと子猫にやるように顎の下を撫でてやると、ヒロは一瞬だけトロンと蕩けたような表情をしてから慌てて駿介の手を振り払う。
「もういい!寝る!」
そう言って駿介の上から降りようとするヒロを慌てて引っ張り腰を掴む。
普段はすぐ寝る癖に、今日に限って2時間も起きていた理由を駿介は知っていた。
「悪かったって」
「うっさい!」
「ヒロ」
常時あまり変えることの無い声色に、少しの甘さを混じらせて名前を呼ぶ。
するとヒロは名絵師が人生をかけて引いたような国宝級に美しい形の眉を歪め、下唇を噛む。
こんなに簡単に手のひらで転がされて、これから先の人生大丈夫なのか?
はだけたバスローブの間から、ヒロの浮き出た骨盤に手を添わせる。
無骨な駿介の手がヒロの石膏像のように滑らかで均整のとれた身体に触れた。
細くてけれど肉も筋肉も程よく付いていて、筋肉ばっかり付いている駿介の身体とは同じ男なのに全然ちがう。
腰骨から脇腹に手を滑らせると、手の凸凹に吸い付くようにヒロの肌が馴染む。
ヒロとこういう関係になってもう10年が経つからこの手はヒロの身体を隅々までよく知っていて、駿介が考えるより先にヒロを喜ばせようとひたむきに動いた。
そしてヒロの身体も、駿介にどうされるのかをよく心得ているから口で文句を言っても、従順に強ばりを解いていく。
ヒロは、駿介の上で大人しくジッとしていた。
ヒロはセックスの時、あまり動かない。
初心な性分だから、駿介があれこれ先回りしてしまうから、何回身体を重ねても緊張してしまうから、色々理由はあるようだが驚いた猫のように身体を固めて徐々に駿介の手で解れていくヒロが駿介はとても好きだった。
ヒロを驚かせないように、ゆっくりと上半身を持ち上げて未だ不満げに尖る唇に唇を重ねる。
優しく優しく慎重に、決して急がずに辛抱強く唇を合わせる。
ヒロの呼吸も、小さな身動ぎも取りこぼさないように優しく。
たっぷり時間をかけて触れるだけのキスを繰り返していると、ヒロの方からペロリと駿介の唇を気付くか気付かないかギリギリの接触で舐めてくる。
それを合図にヒロの小さな薄紅色の舌と駿介の分厚い舌は旧交を温める。
そしてもう二度と離れないとでも言うように深く深く絡みつく。
ここまでくると、ヒロも雰囲気に飲まれてちょっとやそっとの事じゃ逃げ出さなくなる。
しっかりとタイミングを見計らって、駿介はヒロの脇腹で止まっていた手を紅く主張する胸の飾りに運んだ。
やけに月が明るい夜だった。
駿介に、ヒロの姿をしっかりと目に焼き付けろと言っているかのように月は2人を照らした。
それはとてもありがたいことだった。
ヒロは絶対に明かりをつけたがらないから、数え切れない程セックスをしているのにヒロの裸をしっかりと見た事は数えられる程しかなかった。
だから駿介は、ヒロの身体を一瞬も取りこぼさないように見つめた。
ヒロは駿介の視線を恥ずかしがり、いやだと何度も首を振ったがその度にツンと尖った乳首を硬い指先で弄られ口を噤んだ。
「ん、ぁあ、あっ……しゅんすけ……や、や!」
プラチナブロンドを一心不乱に振り乱し、ヒロは駿介の頭に縋り付く。
けれど舌の動きも指先の動きも緩めずに、紅く切なそうに張り詰めた乳首に刺激を送った。
「んぁ!!あ、や、だめっ!いく、ふぁあ゛あぁあッ!!!」
少し掠れたハスキーな声を高め駿介の頭に縋り付き、ヒロはバスローブから覗かせていた淫茎の先から白濁した液を駿介の寝巻きのスウェットに吐き出した。
あぁ、汚しちまった。でもこのスウェット、毛玉だらけでヒロに何度も捨てろと怒られていたからちょうどいい機会だし捨てるか。
ちょうどいい機会だし。
頭に縋り付くヒロの背中を優しく叩いて、少しだけ離れてもらいスウェットを脱ぎ捨てる。
無理矢理離れさせられたヒロは、焦点の合わない、涙に濡れた顔に不満を浮かべていた。
「そんな顔するな」
目尻から頬に流れていく涙を唇で吸い取る。
甘い甘い涙だった。
ヒロをベッドに優しく寝転ばせる。
月明かりを一身に受けるヒロは浮世離れした美しさだった。
左右対称の顔と身体は月の光のせいでゾッとするほど青白いのに、頬や唇や関節は桃のエキスを垂らしたようにベビーピンクに染まり背徳的な色気を漏らして駿介の肉棒を硬くさせた。
そんな駿介の興奮に、ヒロは気が付いていないようで内腿をもじもじと動かしながら、普段は涼やかな瞳を熱で潤ませ涙を流していた。
真っ白な腹の上に置かれた左手には駿介と揃いの指はが未だ月の光を吸い取ってキラキラと輝いている。
整った顔を見つめていたら、不意にヒロが両手を伸ばして駿介の首に腕を回す。
めっずらしい~と驚いてヒロにされるがまま覆い被さると、小さな声が鼓膜を揺すぶった。
「準備してあるから、早く抱け……」
この子猫ちゃんは今夜だけで何回俺を驚かせるのでしょうか。
なんで10年付き合って、最後の日にこんなにサービスしてくれるんだ?
いや、最後の日だからか。
付き合ってから今まで一度もした事の無い、雑で激しくて噛み付くようなキスをヒロの唇に与えた。
駿介の意志を超えて、別の生き物のように動く舌でヒロの舌を暴きながらベッドサイドからゴムとローションを手探りで取り出す。
片手でキャップを開けるまでは良かったけれどローションを出すのには流石に両手が必要で、泣く泣くヒロから離れる。
酸欠でヒロはぼんやりしながら、大きく胸を上下させ駿介の手の動きを見つめていた。
「ヒロ、足広げられるか?」
キスの雑さを誤魔化すように、はだけたバスローブから見える滑らかな足の付け根から足先まで手のひらで丁寧に撫でる。
おずおずと開かれた足の中心にある薄い下生えと萎えた陰茎に喉がゴクリと鳴った。
痛いほど膨れ上がっている自身の下半身の叫びを持ちうる限りの理性で収め、たっぷりのローションを纏った指でヒロの窄まりを撫でつける。
表面を指がなぞる度にヒロの縦に割れた後孔はヒクヒクと蠢いた。
駿介を求めるような動きが可愛くて、何度も往復していたらヒロの足蹴りが飛んできて已の所で受け止める。
本当に、足癖悪いな。そんな所が可愛いんだけど。
睨んでくるヒロに詫びのキスをしたら一気に顔が蕩けて身体の力が抜けていくから、その隙に1本目の指をヒロの身体に潜り込ませた。
「ひゃあッ、ぁ……ん、ぁ……」
母親を探す子猫のように高い声をあげて、ヒロは腰を浮かした。
あ、枕。と思ったけれどこの雰囲気を中断して取りにいくのもスマートじゃない。今日はごめんと思いつつ、今日が最後か。とも思った。
10年分の経験と愛情を使ってヒロの弱いところを探っていく。
2本目の指を入れると、ヒロは再び立ち上げっていた淫茎から透明の先走りをとろとろと溢しながらシーツに縋った。
3本目の指を入れると、白い精液と透明の潮がヒロの腹を汚した。
4本目の指を入れようとしたら、ヒロは涙でグショグショになった顔を横に振って「お願いだから、早く挿れろ」と言った。
ヒロへの愛撫に時間を掛けていたのはヒロのためでもあったけれど、大方自分のためだった。
時間をかけて自分を冷静にしないとヒロを壊してしまいそうだったから。
けれどヒロの方から求められてしまえば、駿介の理性はあっという間に崩れ去っていく。
童貞みたいな勢いでズボンを脱いで、手慣れたスピードでゴムを装着する。
準備が整うと大きく息を吸って一応心を落ち着けてから、ヒロに覆い被さって耳元で囁いた。
「優しくできねぇわ、ごめんな」
柄にもなく緊張していて声が少し裏返ってしまった。そんな駿介の様子に気がついたのかヒロは今夜初めての笑顔を浮かべて月にも聞かれないほど小さな声で囁き返した。
「もう二度と起きれないくらいめちゃくちゃにしろ……」
いつからそんな殺し文句を言えるようになったんだ。
でもその殺し文句は誰かに教えられたものではなくて、ヒロの心の叫びだと駿介はわかった。
駿介もヒロが二度と起きれないくらいめちゃめちゃにしたいと思っていたから。
3本の指とは質量も長さも比較にならないモノがヒロの孔を拡げて潜り込んでいく。
いつもヒロの中に入る時は快感よりも先に苦しさがあった。それはおそらくヒロも同じだろう。いや、同じどころかそれ以上だ。本来なら挿れる場所じゃないところに入っているのだから。
けれどヒロは苦しそうな素振りは一切見せず、駿介を呑み込んだ。
「っ......」
「んぁあ゛あッッ......」
ヒロのナカは信じられないくらい熱くて、さっきほぐしたのは夢だったのかと思ってしまう程キツく駿介を締め上げる。
腰を揺する前にイってしまうかと思う程だった。流石にそんな情けない姿は見せたくなかったからなんとか耐えて苦しさと快感が落ち着くのを待つ。
ヒロにナカを緩めてもらうために、顔中にたくさんの口付けを落として半開きになった薄い唇を食む。
蕾が花を綻ばせるようにキス一つでヒロの緊張を解いていった。
ヒロと付き合う前は細やかな気配りなど何一つとして出来なかったのに、恋をするというものはつくづく人間を根本から変えてしまうのだと思った。
長い間お互いの唇がふやけそうになるほど甘いキスを繰り返していたら、頭皮に引き攣るような感覚が生まれた。ヒロが意思表示のために駿介の硬い髪を掴んでいる。
これは、「もういいから腰を動かせ」だ。
幸いなことに、ヒロのナカも心地よいほどになって来ていて駿介としても快感を貪りたいと思っているタイミングだったから仕上げのキスを与えてからゆっくりと腰を前後に動かし始めた。
「あ、はんぁ......ぁん、ふぁっ......は、あ」
ヒロの甘い声が、2人だけの愛の巣に木霊する。
ヒロの声が鼓膜をくすぐる度に、興奮は熱く膨れ上がって駿介の理性を押し潰していく。
徐々に腰のスピードを早め、ヒロの事と自分の快感の意識の配分が少しずつ入れ替わる。
ヒロへの気遣いがゆっくりと薄れていき、ヒロの恋人である駿介から1匹の雄へと魂の形も性器の形も変わっていくような気がした。
「やぁ、あ、しゅんっ......しゅんすけ、んぁあっ......」
善がるヒロの手が駿介の背中へと伸びる。
あ、くる。そう思った時には、ヒロの爪が駿介の背中に深い傷跡を残し始める。被虐趣味も加虐趣味もどちらもないと自分では思っているが、ヒロに与えられるこの傷が駿介はたまらなく好きだった。
傷をつけられると風呂に入る時は染みて痛いし、会社の中にあるジムで着替える時にはいちいち気を使わなければいけないのにその煩わしさをひっくるめて幸せだと感じてしまう。
爪が深く皮膚の中に入り込むたび、駿介はヒロの中に深く潜り込む。
お互いの何かを相手の中に埋め込むように。
夢中になって腰を振り続けていたら、ヒロの体が細かく痙攣し始めついには大きく波打つように跳ね上がる。
「んやあ、んっあぁア゛ぁアァあ!!!!」
不安になるほどの嬌声をあげてヒロは快楽の世界へと意識を飛ばした。
残された体は受け止めきれない快感の衝撃を体中に走り回らせて少しずつエネルギーを薄めさせる。
蠢きながら締め付け、蕩けた孔が駿介を搾り取っていく。
「っ......ヒロッ......」
逆流するように精液が登り詰めて、2人を隔てる薄い膜の中に飛び散った。
青い部屋は2人が産んだ潤みで水中のようだった。苦しくて濡れていて溺れていた。
ヒロの中から抜け出てゴムを結んでゴミ箱に入れる。
出したはずなのに、駿介の肉棒は未だ力を保ったままだった。
ヒロに覆い被さったままなるべく体重をかけないようにヒロの首元に顔を埋めていたら、ヒロの手が駿介の髪の毛を優しく撫でた。
同棲するようになってからの8年間、駿介の髪の毛を切るのもセットするのもヒロの役目だったから別れた後はどうしようかとふと思った。
「しゅん、髪の毛......セットできる?」
出来ない。ヒロがいないと何も出来ない。
そう言いたかったけれど、ヒロを困らせたくなくて「出来る」と答えた。その声は震えていた。
「そっか」
ヒロの声も震えていた。
頭を上げてヒロの顔の見ると、ヒロの猫目からはボロボロと大粒の涙が生まれては死に、生まれては死にを繰り返していた。
今まで沢山ヒロのことを泣き止ませて来たのに、今回ばかりはどう泣き止ませればいいのか何もわからなかった。
呆然と、ただ呆然とヒロの涙を見つめる。
ヒロも自分でどうしたらいいのかわからないようで、駿介の首に腕を回してしゃくりを上げながら「抱け」といった。
今の2人にはセックスしかお互いを慰めるものがなかった。
だから駿介は小さく頷いて、ヒロの中に戻った。
初めて、なんの隔たりも持たずにヒロの中に深く、深く沈み込んだ。
今夜2度目のセックスは1度目よりも荒くて、苦しくて、辛いものだった。
これが最後のセックスだと2人とも体か、頭か、心のどこかで予感していたのだろう。
ヒロは大粒の涙をポロポロ、ポロポロ流しながら善がり声をあげ、駿介は低い声と吐息を漏らしながら腰を振り続けた。
ヒロの泣いている顔があまりにも綺麗だったから、この顔をこの先自分以外の人間が見つめると思うと我慢が出来なかった。
「お前、こんなんで女抱けるのかよ」
吐き出した声は雪山のクレバスのように深くて冷たいものだった。
数ヶ月後にはヒロは駿介の知らない女の上で、今駿介にやられていることをする。
女なんか一度も抱いたことないくせに、抱かれたことしかないくせに。
顔も知らない女に、息が詰まるほど嫉妬した。
「抱ける!」
「無理だろ。突っ込むんだぞ、今お前がやられてることやってやれんの?」
「できるっ……」
「出来ねぇだろ!!」
置いてあるローションのボトルが、駿介の慟哭でぐらりと揺れた。
付き合ってからヒロに対してこんな大きな声を出した事なんて無かったからヒロは駿介の下で体を小さくする。
怯えさせてしまった。
ただでさえビビりで繊細だから慎重に傷付けないように大切にしてきたのに最後の最後でこれって最悪だなと頭の中の客観的な自分が呟いた。
「できる……」
静まり返った部屋にヒロの細い声が小さく揺れる。
「駿介がやってくれたこと、思い出しながらする……」
ヒロの言葉に、それまで我慢していた涙がボロボロと零れ始めた。
別れるのに、ヒロの未来に駿介が与えた物が少しでもあるのが嬉しくて苦しかった。
同時にお前はそれで良いのかよ、と自分の事を棚に上げて苛立った。
ヒロの胸に涙が落ちて、身体を伝ってシーツを濡らしていく。
「ごめん、ごめん……駿介……ごめん」
ヒロは悪くない。駿介も悪くない。
2人が悪かったことといえば、すべて捨てて一緒に生きていく決心がつかなかったことだけだ。
そしてその決心をするにはヒロも駿介もまだ捨てられないものを沢山持っていた。
金も、仕事も、友人も。そして家族も。
ただそれだけの事だった。
これ以上言葉を紡いだら、2人で決めたことが壊れてしまいそうで駿介はヒロの口を無理矢理塞いだ。
しょっぱくて、苦しい。
ヒロの赤く腫れた目元を撫で、この夜が永遠に続くことを苦しいほど願う。
生きていれば必ず次の朝が来るということを深く恨んだ。
朝になれば、駿介はこの家を出てもう二度とヒロとは会わない。
ヒロもこの綺麗なプラチナブロンドを黒く染めて新しい時を歩んでいく。
2人はお互いの10年間を無かったことにして生きていく。
止めていた腰の動きを再開して、ヒロの奥を拡げる。もう2人とも泣きながらお互いを貪ることしかできなかった。噛みついて、吸い付いて、絡み合った。
ヒロの悲鳴にも似た嬌声が部屋に響いて、それと同時に駿介の快感も大きく弾けた。
ヒロを深く穿ち、最奥に精液を注ぎ込む。
駿介の分身たちが、ずっとずっとこの先もヒロの中に残り続けろと祈りながら。
____________________
翌朝目を覚ますとヒロは駿介の腕枕でいつも通りの寝息をたてていた。
ヘッドボードに置いてあったスマホを見れば、時刻は8時32分。
別れの時間まであと30分もなかった。
さっさと準備してさっさとこの部屋から出るのが最善だと分かりきっていた。けれど駿介は動けない。
眩しい白い朝日の中でいつまでもヒロを見つめていたかった。
そんなことをしたら離れがたくなると分かっていてもしばらくの間、ヒロのいとけない寝顔を見つめた。
家を出なければいけない時間まで残り10分になったところでようやく踏ん切りがついて、駿介は体を持ち上げた。
そして眠るヒロの耳元に、小さな声で「愛してる、幸せになれよ」と囁いた。
左手につけていた指輪を抜き取って置こうとしたけれどそれは出来なかった。
ヒロのために、駿介のために置いて行きたかったけれど出来なかった。
きっとこの「愛してる」も、「幸せになれよ」もヒロにとって呪いになるだろう。
けれど何も残していけないから、せめてこの言葉だけはヒロの人生の中に残しておきたかった。
今まで沢山お前のわがままを聞いてきたから、最初で最後のわがままを許してほしい。
ヒロのいる寝室を出て扉を閉める寸前、啜り泣く声が微かに聞こえた。
いつもはどんなに揺すぶっても全然起きないくせに、今日は起きてるのかよ。
けれど今日に限ってヒロが起きている理由を駿介は分かっていた。
出掛にリビングのゴミ箱の中にヒロの精液がついた毛玉だらけのスウェットを突っ込んで、玄関に置いてあったスーツケースを握る。
振り返らないように、扉を開けて鍵を閉めて、ポストの中に鍵を入れた。
金属製のポストと鍵がぶつかってけたたましく響き合う。
5階の廊下は太陽の光に満たされていて目が開けられないほどの眩しさだった。
目を細めて1歩1歩、2人の部屋から離れていく。
エレベーターのボタンを押した時、一度だけ本気でヒロが泣いている部屋に戻ろうかと思った。
今戻って、ヒロを抱きしめて「2人で何処か遠くに行こう、一生傍に居てくれ」と言ったらヒロは来てくれるだろうと分かっていた。
けれど鍵はもうポストの中だったから、叶わない夢だった。
駿介はスーツケースを引っ張って、到着したエレベーターに乗り込んだ。
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