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幼少期編
婚約すること
しおりを挟む晴れ渡った空に、桜が舞っている。
気が付けばいつの間にか春だった。
あの雪の日以来、千種は気まぐれに姿を見せるようになった。
言っていた通り、暇なのだろう。ある時は遠くからこちらを眺め、ある時は部屋の中までついてきては茶をねだる。突然背後に現れる事もあった。
私の周辺に現れる小さな白狐は局の周辺ですっかり有名になってしまったようで、気がつけば部屋の中に千種用の小物が増えていたりする。いったい女房達は彼をなんだと思っているのだろう。いや、普通の狐に見せかけているのは千種だけど。
ちなみに言継は千種が苦手のようで、彼が来るたびに複雑そうな顔をしている。それがわかっているのだろう、最近の千種のお気に入りは言継をからかう事だ。
実態はどうあれ、じゃれあう美少年と小動物の図はとても良い目の保養となる。私は温かく見守るだけだ。
「姫様、そろそろでございますよ」
ぼんやりと桜を眺めていると、女房が呼びに来た。
今日は私のお祝いだ。
袴着という、3歳になった子どもが初めて袴を着る儀式である。とはいっても私がやらなければいけない事は少ない。おとなしく碁盤の上に立って袴を着つけられていればいいだけだ。簡単簡単。
そんな事を思っていた時期が、私にもありました。
うん。じっと立ってのって、思ってたよりも難しいね。子どもの体は頭が重い。
「……つかれた」
「お疲れ様」
諸々が終わってぐったりしてる私の頭を言継が撫でる。ついでとばかりに口に放り込まれたのは瑞々しい柿だ。
お祝いだし、良いかなって思って昨日こっそり実らせたのだ。うっかりやりすぎた事は内緒である。
きっと今頃は朔夜も家で柿をたらふく食べている事だろう。おいしいは正義だ。
「おいしい」
言継に餌付けされてむぐむぐと口を動かす私に周囲の視線は暖かい。
「お二人は本当に仲がようございますね」
「うん。にいさま、すき!」
「私も景子が大好きだよ」
しみじみとした女房の言葉にご機嫌で返事を返せば、言継も同意してくれた。
そんな私たちの様子に、彼女は口元をほころばせる。
「仲がよろしい事は結構ではございますが、そろそろ姫様は一人寝を覚えて下さいませ」
ほのぼのとした空気を壊したのは、真面目な顔をした乳母だった。
「……ひとり?」
「ええ、もう着袴も終えましたし、いつまでも若様にご迷惑をかけてはなりませんでしょう? 最近は、悪い夢も落ち着いているようですし……」
乳母の言うとおり、私は悪夢を見なくなっていた。
ひどい時にはお昼にちょっとうとうとするだけでもうなされて飛び起きていたのに、今は思う存分にお昼寝できている。
それどころか、所用で言継が遅くなったりした時に私だけが先に床につく事も珍しくなくなった。
きっと、時間がたって色々な気持ちに整理がついたのだと思う。
それに加えて私が転生者だという事を知る千種の存在も大きかったはずだ。
気まぐれで困ったところもある天狐だけれど、彼は私が転生者である事も未来を変えようとしている事も、すべて知ったうえでそっとしておいてくれる。
否定する事もなく、止める事もしない。そういうものだと面白がって、見守ってくれている。
認められた気がしたのだ。
神の眷属である存在が、人の未来を視る事の出来る存在が、未来を変えようとしているのもまたひとつの選択肢だとその行動でもって教えてくれている。
気のせいでもいい。勘違いでも構わない。
つまるところ私はただ、誰かにすべてを知ったうえで「大丈夫だ」と言ってもらいたかっただけなのだ。
けれど私は弱虫で、転生者であることを言継にすら言えなくて。
千種と言う存在はそんな私を救ってくれた。
たとえ彼にそんな意図はなくとも、私は助けられたと思っている。
千種と、それから彼の未来を、可能性を見る事が出来るという彼の力にも、だ。
だってゲームには、そんな設定はなかった。けれど千種は出来ると言い切っている。
ゲームとの齟齬。それは、この世界がゲームとは違うという証ではないのだろうか。
ならば私が未来を変えても、ゲームとは違った行動をとってもきっと許されると、そう確信をもてた。
もともと用意された悪役と言う未来に素直に従うつもりはなかったけれど、それでもこの出来事は私の決意をより固めるために大きな役割を果たしている。
そうやって気持ちに折り合いをつけて、私は悪夢から逃れられた。
言継がいなくても、眠れるようになった。
だから乳母の言うように、そろそろ言継との共寝を考えなければならないとは思う。
去年の秋、言継が一緒に眠ってくれるようになってからもう半年だ。
その間、彼に多大なる負担をかけた事は私も自覚している。
そろそろ彼を解放しなければならない事も。
けれど、それでも。なんとなく言継と離れるのは嫌だった。
どう答えればいいのかわからず、黙ったまま俯く。
すると、言継の手で顔を持ち上げられた。視線が、合わさる。
「景子はひとりで眠るのが嫌なの?」
コクリとうなずけば、言継は少し困ったように笑って。
そうして提案した。
「じゃあ、私の奥になるかい?」
「おく?」
最初、彼が何を言ったのか私にはわからなかった。
「ずっと一緒にいると未来を約束する事だよ」
それはつまり結婚ではないのだろうか。
いや、私はまだ結婚できないはずだから婚約と言うべきか。
言継の真意がわからず目を瞬かせる私を見て、彼が目を細める。
「私は景子とずっと一緒にいたいと思うよ。景子は?」
「いっしょに、いたい」
するりと、言葉がこぼれた。
特に深くは考えていなかった。「将来を約束すればこれからも一緒に眠れるよ」と笑う彼の誘惑にうっかりつられたともいう。
「それなら、私の奥になってくれるね?」
とにかくこの瞬間、私は言継との婚約に同意した事になったのだ。
ゲームでも景子と言継は婚約していたから、まぁ、なんというか既定路線という事にしておいてほしい。
視界の隅で乳母が額を抑えているのは見なかった事にしよう。
発言を取り消すことはできないし、たぶん言継が許してくれない。
何より私も嫌だとは思っていない。
好き、なのだ。
ゲームの彼に恋をした。それが、最初。
随分いびつな思いだったけれど、私は真剣だった。
転生した後、彼の優しさに触れて思いはさらに大きくなる。
半年もの間、寝所を共にしたけれど嫌だとは思わなかった。
これから一人で寝なければならないといわれて、さみしさすら覚えた。
どこかで、一緒にいる事が当たり前だと思っていたのかもしれない。
私の体はまだ小さくて、恋愛をするにはまだ早いけれど、それでも。
確かに言継の事が好きだった。
「ときつぐにいさまの、おくに、なります」
だから私は、精一杯、手を伸ばした。
後日、この事を知った千種には「さすがに早すぎるでしょ」とつっこまれた。
それでも彼はちゃんと祝ってくれて、あのいつもの読めない笑みと共に白い種をくれた。
育てたらいい事があるらしいが、どんなに力を込めても種は発芽しなかった。
どうすればいいのかわからないから言継がくれた香袋に入れてあるが、いつか花が咲くのだろうか。そうだとしたら、どんな花が咲くのだろう。
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