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〜過去編(桜夜)〜

誘拐犯と照らす月

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 だいぶ疲れていたのだろうか、タイムカードを切って店を出る頃には、既に歩くことすら覚束無かった。
 気持ち悪い、頭痛い、早く寝たい・・・・それしか考えられない。
 あと、この角を曲がったら着く。あぁ、早く寝たい。というか、リンゴ食べたい。あれは気分がスッキリするし、頭痛も鎮めてくれるから。
 寒くてぶるりと震えが起きた。冬の澄んだ空気は、満月の光を綺麗に差し込ませる。いっそ眩しいくらいだ。
 角を曲がると、見慣れない車が一台と、その車に背をもたれて、腕を組んでいる男の人が一人居た。
 月に照らされて微かに見えたその人は、目が覚めるくらいに綺麗な顔をしていた。誰か待っているのだろうか。こんなに綺麗なら、女は引く手数多だろうな。
 なんて考えながら、私は通り過ぎようと、した。
「蒲原桜夜」
 ふと、男が喋った。言い放った、という表現の方が正しいのかもしれない。
 何で、何で、どうして、私の名前を・・・
「君の事が好きだ。蒲原桜夜」
「だ、れ・・・」
 なんだコイツ、急に人の名前言って。頭イッテンノカ?
 いや、本当に誰?え、怖い
「僕は絢辻香楓・・・たった今から、誘拐犯さ」
 香楓と名乗った男が、私の手を取った。
「い、や・・・離せ!」
「ごめんね、大人しくしてて」
 


 そこからの記憶は曖昧だ。抵抗しようと手を振り払おうとしても、力では適わない。強引に車に乗せられ、そのまま気を失った。
 気がついたら、知らない部屋。白い天井。
「どこ、ここ・・・」
 目覚めて、知らない場所にいたら、誰だって飛び起きる。私も例に漏れず、その行動をとった。
「おはよう、桜夜ちゃん」
「お、まえ・・・」
 私はどうやら、ベットに寝かされていたらしい。足元にあの男が腰掛けていた。
 男はにこやかに私を見詰めている。怖いくらいに、笑顔だ。
 くそっ、腕を後ろで縛られてる。これは、タオルか?なら、もしかしたら、解けるかも。いや、親指に布とは違う感触。あぁ、結束バンドか。これは解けないな・・・
「へぇ、冷静なんだね」
 男が興味深そうに呟く。いや、内心冷や汗ダラダラですが?
 相手は誘拐犯、下手に刺激しても駄目だ。慎重に、いかなければ。
「な、何が目的だ・・・」
「僕、言っただろ?君の事が好きなんだ」
 やばい、コイツやばい。
 私はジト目で確信する。
「私をどうする気だ・・・」
「どうするって・・・それは」
 男がゆっくりと私に近付いて、その指が、手のひらが、私の・・・・額を覆った。
「・・・熱ある、よね?」
「えっ?」
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