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最終章

84 弟がシスコンな理由1 ※ユリウス視点

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 ユリウスの世界が変わったのは、ユリウスが四歳の時だった。

 まだウィザー伯爵家が帝都ではなく領地持ちだった頃、ユリウスは母や姉が死神業という特殊な職業をしているとは知らなかった。母はとにかく忙しく、ユリウスと一歳しか変わらない姉を連れてどこか仕事へ出かけていく。ウィザー家は貧乏だったから、その頃の使用人といえばヴィアート家だけだった。ライナやラルフ、マリアの両親が唯一の使用人で、彼らも忙しかったため、ユリウスはいつも独りぼっちだった。

 少し年上だったライナやラルフたちも使用人の手伝いをしていたため、同じ年代の友人もいなかったユリウスは、庭で花や虫や小さい動物が遊び仲間だった。いつも寂しかった記憶がある。

 ユリウスが四歳のある日、姉が急に豹変した。いつも大人しく母の後を付いて行き、ユリウスとほとんど交流のなかった姉が、急にユリウスを抱きしめるようになった。

 今まで寂しくさせてごめん。帝国で二人きりの姉弟だから、仲良くしよう。一緒にいろんなことをして、遊んで勉強して、姉弟で楽しく過ごすのだ。そう言って、帝国にいる間、姉はユリウスを構った。

 最初こそ戸惑ったけれど、すぐに姉の優しさや愛情に夢中になった。死神業のことを知った後は、その仕事にも時々連れて行ってくれた。勉強も遊びもいつも一緒。姉がいれば、全然寂しくなかった。

 異世界の日本の東京には、兄と妹もいた。一生会うことはないけれど、動画や写真や手紙をやり取りして、兄や妹がちゃんと繋がりのある兄妹だと思えたのは、姉のおかげだろう。

 姉はしっかりしているように見えるが、実は泣き虫だった。東京で兄と話をして帰って来ると、時々悔し涙を流していた。どうやら兄の話す内容に理解できないことがあるらしい。

「お兄様って、時々怖いの! 私に怒ってるわけじゃないのだけれど、ウィザー家の領地経営の帳簿とか見せると、怖い顔で、これだからどんぶりは! ってぇ、なんで急にご飯の話になるのぉ? 帳簿の話じゃなかったの?」

 ユリウスもその話を聞いて、確かに何故ご飯の話になるんだ、と首を傾げたものだが、今から思えば、兄は『どんぶり』ではなく『どんぶり勘定』のことを言ったのだと理解している。姉もユリウスも、日本の言葉が時々理解できてない時があるから、勘違いしたのだ。

 そのようにして、姉はよく泣いていたが、貧乏脱却のため、姉はよく頑張ったと思う。そんな姉を手伝いたくて、ユリウスも必死に勉強した。剣術や武術だって、大事な姉を守るために頑張った。

 そんなユリウスは、友人やメイル学園の生徒からシスコンだと言われている。シスコンで何が悪い。ユリウスを放置しがちな母に代わり、今までユリウスが不便もなく寂しくもなく生きてこれたのは、姉のおかげなのだから。血の繋がりがあっても、他人行儀な家はたくさんある。ユリウスだって、父側の縁など、血の繋がりだけだ。むしろ異母弟なんか、ユリウスの邪魔ばかりしようとする。そんな気の置けない父側でなく、愛情深い姉と過ごせたことは幸運だった。

 異母弟テオバルトは、他家に住んでいようと父を同じとする兄ユリウスがいるのが許せないのだろう。兄と言っても同学年で、いつも言いがかりを付けてきては、大騒ぎをするテオバルトにユリウスは辟易としていた。そんなテオバルトの騒動を見ても、いっさい止めようとしない異母姉ユリアのことも、ユリウスは好きではなかった。いつも何を考えているか分からないユリアは、ユリウスの視線に気づいても一瞥するだけで無視がいつものことだ。

 テオバルトの言いがかりに、たとえ助けることはできなくても、揉め事は苦手のくせに姉の紗彩は気づいたらいつも止めに入ってくれる。「うちのユリウスにいつも言いがかり付けるのはやめてください」と、きっとテオバルトを睨んでいるに違いないが、前髪で隠れているので、それもテオバルトには伝わっていないだろう。テオバルトの言いがかりなど、対処し慣れているのでユリウスは辟易しているだけで支障はない。しかし姉は弟を守らなければと、精一杯虚勢を張る姉を見るとユリウスはほっこりする。姉は世界一愛しいと思う。

 そんな姉は、きっと好きになっていたのだろう流雨という男を東京で失った。しかも死者として帝国にやってきた流雨の魂を回収せねばならないと聞いて、悲しむ姉が不憫だった。彼の魂を回収すれば、姉はもっと落ち込むだろう。ユリウスが支えなければと思っていた。

 ところが、異例にも流雨は魂を回収されず、よりによってルーウェン・ウォン・リンケルト公爵令息として生きることになった。

 姉の東京での話では、流雨はいつも優しくて、甘やかしてくれて、カッコよくて、と姉は流雨のことが大好きだった。それを聞くたび、姉を流雨に取られているようで、ユリウスはあまり気分は良くなかった。その流雨がルーウェンとなり、ウィザー家に毎日やって来るようになると、ユリウスのイライラは増した。

 最初こそ姉は、ルーウェンの顔をした流雨と視線を合わせにくそうにしていたが、流雨が距離感をぐいぐいと詰め、いつのまにか姉は流雨に可愛がられることに嬉しそうにするようになった。姉と流雨は長い間仲良かったと聞いているから、気を許した相手に対して姉が流されやすいのを流雨は知っているはずだ。それを利用するなんて、なんてズルイ奴。

 流雨のことを全面的に信用している姉は、流雨の躾に順応してしまった。帝国では、姉を甘やかすのも甘えるのも、すべてユリウスのものだったのに。意外と頑固な姉を、ユリウスでは説得しきれない時があるが、簡単に姉を諭してしまう流雨は、なんだかユリウスを負けた気にさせるのだ。

 姉からは、流雨は姉を妹のように思っていると聞いていたが、流雨が東京にいるときから、本当にそうなのだろうかとユリウスは疑っていた。しかし、その疑惑は流雨が帝国にやってきてから、確信に変わった。どうみても流雨は姉が好きだ。しかも、確実に姉を妻にしようと狙っている。

 今まで姉をどれだけ甘やかして可愛がってきたのか知らないが、あの異常な可愛がりを姉に普通だと思いこませている流雨が怖い。どれだけ姉を躾してきたら、あれを普通と思えるようになるんだ。あれだけ可愛がられれば、姉が流雨に男として好意を抱くのも無理はない。

 姉は普段からユリウスや死神業を手伝う双子など、可愛がる相手にハートの視線を飛ばす。見えなくても好意が伝わるのだ。目は口ほどに物を言うというが、姉は愛情が分かりやすい。「ユリウス可愛い」と言っていなくても聞こえてくる。そんな分かりやすい姉が、ルーウェンとなった流雨にハートの視線を投げている。それが流雨に対して、兄に向ける視線なのか、好きな男に対する視線なのか、流雨は測りかねているようだ。

 ユリウスは帝国で生きることになった流雨のことを、姉は再び好きになっているのだと気づいていた。姉は自分では気づいていないだろうと思っていたが、ついに気づいたらしい。今日、暗い顔でこんなことを言った。

「もうすぐ学年も変わってしまうでしょう。そろそろ私の婚約者を決めたいの。三人いる候補から、ユリウスが一番いいと思った人に、婚約の承諾の連絡を送ってくれる?」
「……いいのですか?」
「もちろんよ。むしろ今まで先延ばしにしすぎたわ。今度の秋にはデビュタントがあるのだから、それまでに婚約者と親しむ時間も必要でしょう?」

 そう言いながら、だんだんとうつむく姉は、どう見ても感情が納得していない。

「本当にいいのですか? 姉様は流雨さんが好きなのでは?」

 驚いたように顔を上げた姉は、ぼそっと泣きそうな顔で呟いた。

「ユリウスにも、そう見える? るー君を好きになったらだめなのに」
「……どうしてですか?」

 ユリウスは姉の婚約者など、どんな相手でも嫌だった。しかし姉が婚約者が必要だというから、それに従い選んだだけだ。死神業の後継者が必要なのは分かっているから、無理な反対だってしなかった。どうしても婚約者が必要というなら、姉が好きになった相手のほうがいい。流雨のことは気に入らないけれど、姉の事は大事にしてくれるだろう。そういう相手なら、ユリウスだって納得する。

 なのに、姉だけが好きな男との結婚に拒否をする。

「どうしてもよ。るー君はリンケルト公爵家の後継者になったのだから、相応しい人と結婚することになるでしょう」
「ウィザー伯爵家だって、リンケルト公爵家とつり合いがとれない、ということはありませんよ?」
「それはそうかもしれないけれど、より相応しい人がいいと思うの。それに、るー君だって、妹と思っている相手から、好意を向けられたら嫌なんじゃないかしら」
「そんなことないと思います。姉様を可愛がっているではないですか、きっと姉様の好意に答えて下さると――」
「それで嫌だと思われたら? もし、るー君から距離を取られるようになったら、私耐えられないもの」

 いつもだったら泣いていそうなのに、姉は堪えるような表情で笑った。
 流雨が姉のことを好きだと、ユリウスは言ってしまいたいのを、ぐっと我慢した。それを伝えるべきは、ユリウスではない。

「婚約の承諾の件、お願いね」

 そう言って、姉は自室に下がっていった。
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