黒い空

希京

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迷い

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最近静の機嫌が悪いので呼ばない限り侍女たちは近くにいない。

誰にも見つかることなく静は孫庇を進んでいく。

事実上の主であるアルノがいなくても、政所に勤めるものたちは忙しく動いている。
これだけ広い屋敷だと仕事は多岐にわたる。

特に今は一触即発の事態を抱えていた。情報収集に余念がないだろう。

それを横目に見てさりげなく通り過ぎた。

灰色の侍女たちは旧本殿に近づくほどいなくなり、日光を建物に遮られた空間は肌寒い。

総帥のみが住んでいる、ほぼ無人の館。

そこも通り過ぎて、塔に続く長い橋までやってきた。

明るい日差しに目を細めながら塔を見る。
塔が見えるという事はあれは夢ではなく現実だったということ。

橋につながる境界線の前で静は心拍数が上がるのを感じる。

律にウソをついてまで何故かここまで来た。

怖い思いをしたのに、どうして来てしまったんだろう。
奈落の底へ落ちながら、最後に総帥の笑顔を目に焼き付けて死ぬのだと思った。

次の瞬間、何事もなかったかのように自分の部屋にいた。

時間が早回しされたような感覚。

「…‥」

遠いのは知っている。
塔まで行かなくてもいい、行ける所まででいい。

誰かに咎められたら暇だから散歩してたか、本を借りに来たとでも言って頭を下げればいい。

歩きやすいようにくるぶしが見える所まで袴を手繰り寄せて、旅行者のように袿も腰あたりまで持ち上げてから一歩を踏み出す。

いちばん言い訳しているのは自分自身の心だと感じながら、緊張しつつ歩みは止められない。

夏が近づく日差しの下、川の照り返しを受けながらゆるゆる進んでいった。

予想していた通り、途中で疲れて座り込んだ。

曲線を描く橋の、ちょうど真ん中あたりだと思う。

袴から素足がのぞいているのをそのままにして欄干に寄りかかって塔を見る。

地上より高い位置にいるせいで暑い。

扇を部屋に置いてきたことを後悔しながらぬるい風にあたって涼を求めた。

ここまで来るのに総帥の気配は感じなかった。
あの塔でまた本を読んでいるのだろうか。

会わなくても近くにいればなんとなく安心する。

体の向きを変えて欄干に両腕を置いて座り直していたとき、大きな影が自分に覆いかぶさった。

「あ…」

逆光で一瞬夫に見えたが、総帥クルトが目の前に立っていた。
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