相反する白と黒

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激動の帝例特区

七番目の被検体

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「大事な情報を随分とゲロってくれるんだねえ。上から始末書を書かされたりして?」

「心配は要らん。貴様はここで四肢を切り落とし、海外の紛争地帯に兵隊として派遣してやる。無様に死ぬだけだが弾除けにはなるだろう」

「派遣ってさあ、普通は帰って来るはずなんだよね。もう少し言葉の勉強したら? ねえ、吉瀬君?」

 急激に跳ね上がった殺意が爆ぜる。上半身の捻りを利用して右手を大きくぐ詩音。応えるように噴水口より降り注ぐ水が凍結し、鋭利な氷柱となりて艶やかな煌めきを晒す。「下らん」と吐き捨てた吉瀬は居合いの要領で刀を走らせ、たった一撃で全ての氷柱を叩き落とした。その隙を突いて振り上げられた右脚が吉瀬の喉元へと牙を剥く。だが蹴り抜くには至らない。顔面横で止められたブーツの刃が、刀と競り合って不快な音を発した。

「なるほど。左側面からの攻撃に対する反応速度は今までと変わらない。あんたはまだ促進剤を接種していないね」

「それがどうした。俺は最期まで人で在ることにこだわるつもりだ」

「へえ、何それカッコイイ。もしかして厨二病?」

 刀ごと蹴り抜こうと右脚に力を込める詩音と、それをさせまいと押し返す吉瀬。皮肉にも力は拮抗しており、互いに食い縛られた歯が衝撃の重さを代弁していた。

「私のパンツを見るチャンスだよ?」

「死ね、下品なんだよ」

「……あっそ!!」

 吉瀬は重心を下げながら、肩を内側へと折り込み無理矢理に競り合いを切り上げる。上手い具合になされたブーツの刃。間髪入れずに両脚を曲げた吉瀬は、円形噴水からの脱出を試みて靴底に魔力を収束させた。

「ここから逃がす訳ないでしょ」

 殺意を孕んだ声が発せられると同時に、噴水を閉鎖するようにドーム状の凍結空間が展開する。脱出に失敗した吉瀬が閉じ込められたのは氷の監獄。追い討ちをかけるように、急激に下降した気温がやすりの如く肌を撫でた。

「吉瀬君さあ、そろそろ白黒つけようよ」

「黒瀬の心配でもしたらどうだ? 今頃八つ裂きにされているかもな」

「あらら、もしかして揺すり? 八つ裂きになっているのはあんたの仲間だよ。來奈は強い。あんた等程度じゃ手に負えない」

「黒瀬の正体を知っても、果たしてそんなことが言えるか?」

「……何が言いたいの」

「一つ良いことを教えてやる。黒瀬 來奈は左目が見えない」

 訪れた僅かな間。早くなった鼓動が胸を内側から叩き付ける。無意識に吐き出された息と共に、詩音の纏う魔力が動揺を物語って微かに揺らいだ。

「どうしてあんたがそれを……」

 夜に侵されて怪しく煌めく純黒の氷。凍結した空間越しに透き通る外の景色が蜃気楼のように歪んでいる。氷の檻内に囚われた二人は真逆の表情をしていた。

「さあな。貴様の言う通りただの揺すりだ。黒瀬は我々の仲間であり、貴様を殺す為に同行している可能性もあるだろう?」

 更なる動揺が押し寄せる。だが、そんな刺々とげとげしい感情の起伏は胸の奥底で無理矢理に鎮められた。俯いた詩音の表情を覆い隠す濡れた髪。露出した口元が三日月型に吊り上がっていた。

「あんたに來奈の何が解る」

「その言葉は本当に俺に向けるものか? ならば四咲、貴様に黒瀬の何が解る?」

 猜疑心などあるはずがないのにも関わらず、僅かでも思考を巡らせてしまった自身に苛立つ詩音。頭を振り雑念を掻き消した彼女は、來奈という存在を信じて心で寄り添った。

「私はあの子の過去を知っている。意地悪だけれど優しいし、小さいけれど強い。意地っ張りだけれど可愛いし、強気だけれど照れ屋さん。私の大事な仲間だよ」

「そんなものは稚拙な感情論に過ぎない。黒瀬の過去を知っているだと? 貴様は何も知らない」

「來奈は素直だし人を騙すような子じゃない。共に過ごした時間は嘘をつかない」

「黒瀬は左目を失明している。何故だか解るか? 促進剤を接種したからだ」

「そんなの偶然。彼女が失明したのは十三歳から十四歳の頃だから、促進剤とは何の関係も無い」

 発言ののち、目を見開いた詩音。

「ちょうど五年前……促進剤の開発が始められた頃と被る……」  

「それが答えだ。我々は促進剤の開発初期段階で、帝例特区第三研究棟に十人の被検体を集めた。もちろん失踪事件として揉み消してな」

「だから何」

「まだ解らないか? その中には黒瀬も居た。化け物となった八人は我々が殺め、黒瀬を含めた二人は逃亡した。抗体を持つ人間など信じられなかったがな。最も……当の本人に記憶は無いようだが」

「それ以上何も言わないで。私は來奈を信じる。あんたの語る偽りの過去に興味は無いの!!」

 膝丈にまで至る噴水の水。小さく揺り返す水面に手を翳した詩音は魔力を流し込み凍結させる。彼女自身は脱出して氷上に立つが、吉瀬は両脚を踏み入れたまま動きを封じられた。

「無様だねえ、吉瀬君」

 まるで底無しの闇だった。水を真っ黒に塗り替えた純黒の氷は吉瀬を捕らえて離さない。拘束力の高さを見て諦めたのか、吉瀬には藻掻もがく素振り一つ見受けられない。

「無様なのは貴様だ四咲。真実から目を背けて都合の良いことばかりを選び取る。何が反政府だ、何が信じるだ。綺麗事も大概にしておけ、反吐が出る」

「綺麗事はあんた等の常套句じゃん。政府のせいでどれだけの人が死んだと思ってるの。どれだけの人が泣いたと思ってるの」

「俺の話が信じられないのなら、黒瀬の首に身に付けられた鎖のチョーカー……その裏側を見てみるといい。錆びてはいるが文字くらいは読めるだろう。そこにはこう刻まれているはずだ。七番目の被検体……『No.VIIセブン』と」

「……黙れ。もしもそれが真実だったとしたら、來奈の命を弄んだ政府を絶対に赦さない」

 堂々たる面持ちで、身動きの取れない吉瀬に対して距離を埋める詩音。氷を叩く靴音が律動的に響き、それはまるで死へのカウントダウンのよう。明白な怒りを孕んだ声が、極寒にあてがわれて凍り付いた。

「死ね。あんた等政府に生きる価値などない。あの子の未来を奪った罪……その身をもって思い知れ」

 右脚が振り上げられた際、待っていたと言わんばかりに吉瀬の表情が狂気を帯びる。凍て付いた空間を裂くのは、身を灼いたと錯覚するほどの痛々しい魔力。含み笑いを浮かべた吉瀬は嬉々として目を見開いた。

「死ぬのはお前だ、四咲」

 詩音の足元に腕が突き出され、迸る蒼白い電流が放電音を伴い炸裂する。闇夜を彩りながら肥大化した電流は柱と化し、凄まじい熱を発しながら空を穿うがった。咄嗟に身を引いた詩音ではあるが、僅かに身体を掠めた電流が瞬く間に体内を駆け巡る。途端に自由を失う身体。侵された主導権。円形噴水を囲っていたドーム状の氷は全て砕け割れ、その際、鳴くような甲高い音が夜を裂いた。

「お前の敗因は足元の水を凍結させたこと。怒りに身を任せて判断を誤ったな。純氷でもない限り絶縁体とまではいかないが、氷はほぼ電気を通さない。さっきまでの水中とは訳が違う。それとも、馬鹿な貴様には解らなかったか?」

 両脚を拘束する氷を破壊した吉瀬は、眼前で痙攣して屈する詩音の腹部を蹴り上げた。無情にも柔肌に食い込んだ靴先。嘔吐きながら噴水外へと転げ落ちた詩音は、仰向けになりながらも視線だけを吉瀬へと向ける。

「地の利を自ら殺したな、四咲」

 間髪入れずに振り上げられた刀。切っ先が落ちる寸前、詩音を護るように純黒の氷壁が姿を見せる。「悪足掻きを」と吐き捨てた吉瀬は、互いの視界を遮る氷壁を容易く両断。同時に、不自然な事象に目を見開いた。

「あんたが最も油断する瞬間は、自身の能力で敵の動きを制限した時」

 立ち上がった詩音が眼前に迫っており、場に相応しくない可愛げな笑みを浮かべていた。水平に薙がれた刀を、上体を後ろに反らすことで躱した詩音は、そのまま重心を後ろに預けて下半身を振り上げる。繰り出されたのは三日月を描くような美しいムーンサルト。ブーツから突出した刃が、吉瀬の胴体を逆袈裟の要領で切り上げた。

「さすがだねえ、一撃で殺す気だったのに」

 吉瀬は咄嗟に下がり傷を最小限に抑える。両者間で再び有された距離。互いに殺意を押し付け合う中、詩音は不敵に微笑むと挑発じみた表情を浮かべた。

「……何故動ける」

「一瞬だけ血を凍らせて電流を遮断したの。さすがに三度目は通用しないよ。それとも、馬鹿なあんたには解らなかった?」

 舌打ちをした吉瀬が上段でかすみの構えを取った時、病院内より一人の少年が姿を見せる。入院患者なのか病衣を纏っており、痩せ細った色白の四肢が夜の中で歪に映えていた。
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