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しおりを挟む「つかまっててね」
「うん」
トールさんに横抱きにされて、向かいの部屋へ連れて行かれた。下の酒場がにぎわう声がする。いま何時だろう。
「ナナ、今日はごめんね」
「ううん」
「もうここには来ないほうがいいと思う」
「でも……」
「ノアのことは僕がどうにかする」
洗面台に腰かけたトールさんに抱かれたまま、静かに話をした。
「僕もナナを目の前にすると普通じゃなくなる。また今日みたいなことになったらいやだろ? 連絡するから、ノアの誘いにはのらないでほしい」
「うん……わかった」
「意地悪したいんじゃない。きみを不幸にしたくないんだよ」
うなずくとぎゅっと抱き締めてくれる。
あたたかくて優しい胸だった。さっきまでのことが夢だったみたいだ。
私もこの人たちといると、普通じゃなくなる気がしている。
シャワーを借りて大通りまで送ってもらった。ノアさんは起きてこなかった。別れは告げずに帰路についた。
……——屋敷へもどると妙な気配がする。
そっと玄関を閉めたら、ランプの灯に照らされた。
「ナナ」
「……お兄さま」
そこにはエルダ夫人のサロンへいったはずの兄が立っていた。まだ帰宅するには早い。
もしかして何か勘づかれたのだろうか。
冷たい顔でこちらを見つめていた。
誰より優しい色をした青い目と白金色の髪が炎のむこうにゆれている。
「ずいぶん遅かったじゃないか」
「……すみません」
「ふん……」
兄はランプの灯で私のまわりを照らした。じろじろ見られて冷や汗がでる。
黙ってうつむいていると、肩に手がかかった。
「ほどほどにしなさい。今日はもう休め」
「……はい」
手がはなれる。兄はスタスタと階段をのぼって自室へむかったようだった。
心臓の鼓動があとからどんどん大きくなってきた。
「……ナナさま」
「マーヤ!」
台所から寝巻き姿のマーヤが不安げにのぞいていた。
駆けよると手をにぎって、ご無事でよかったといってくれた。マーヤが兄に私は友人と出かけたと嘘をついてくれたらしい。
彼女にはどこまでも迷惑をかけてしまう。
「でもなぜお兄さまはこんなに早く屋敷に……」
「エミルさまは今日お加減がすぐれなかったようで、サロンからはすぐに引き返されたんです。でもナナさまがお戻りになられないから、心配して今まで起きてらしたんですよ!」
信じられなかった。あの兄が? てっきり嫌われているのだと思っていた。
しかしマーヤが嘘をいうとは思えない。
「あのお兄さまが、私を……?」
「あたりまえです。エミルさまはいつもナナさまのことを思っておいでなんです。無口なかただから、振る舞いから察するのは難しいかもしれませんけど。でも、ナナさまにも思い当たることがたくさんあるはずです」
私は考えてからうなずいて、マーヤを自室へもどらせた。
階段をあがりそっと兄の部屋の扉をノックする。すぐに入りなさいと声がかかった。
兄はベッドに腰掛けていた。ランプの灯はまだ枕元にゆれている。
こうやって2人きりになるのはめずらしい。
「……マーヤからききました。私が帰るのを待っていたって」
「そうだよ」
「あの、なぜ……?」
兄はふんと鼻を鳴らした。やはり面倒に思われている気がする。
何も考えずここにきたことをすこし後悔した。
「ナナ、こっちへおいで」
「はい」
近づくと兄は青い目で真っ直ぐこちらを見上げていた。
「僕はお前の友達付き合いを邪魔しようとは思わない。友人は多いほうがいい。いろんな人と付き合えるようになったほうがいい。それは間違いない」
「はい」
「でもね、相手をちゃんと見極められるようにならないといけない。正直僕はまだナナにその力があるとは思ってない。まだ子どもだから仕方ない。でもだから心配してる」
心配してると兄は言った。はじめてそんなことをいわれた。そんなことを考えていたとはじめて知った。
「お前は近ごろ、以前より話ができるようになった。見た目もまぁ……まあまあ立派になってきた。いろんなやつが近づいて来るだろ? 現にエルダ夫人の邸でもそうだった。これからもっとそうなる」
「はい」
「僕はお前の身を案じてる。たった1人残った僕の血縁の妹なんだから」
お前は僕を嫌いか? と聞かれたので、そんなことはないと答えた。首をよこにふるとぽろ、と涙がこぼれる。兄は苦笑して頭をなでてくれた。
こんな事ははじめてで動悸がする。
それとともに、自分がしてきたことへのたまらない後悔にも襲われていた。
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