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仕事に行こうと靴を履いていると、背後から声をかけられた。
「天より舞い降りし涙の雫にて汝の装備はしとどに聖水を纏わん」
この難解な暗号のような言語を発したのは俺の妻なのだが、いつものことであるので驚きはしない。俺は「わかった」とだけ答えた。
つまり、雨が降るかもしれないので傘を持っていけと言っているのだ。
俺は傘立てから傘を取り、ドアノブに手をかける。
すると背後からまた、
「汝の旅立ちの安泰と愉悦を我は冀望する(いってらっしゃい)」
という声が聞こえたが今度は受け流し外へ出た。
夜。
俺は帰宅した。傘を傘立てに仕舞っていると妻が奥から出てきた。
「汝の帰還を祝福する管弦楽団が心地よく我が内耳を震わす(おかえりなさい)」
俺は一応「ただいま」と言い、妻の横を通り自室に向かった。スーツを脱ぎ普段着に着替える。
そしてテレビを見ようと居間に入った。
「今宵の贄は業火に焼かれた溯上せし銀鱗に、煮え滾る猪の水薬に、純白なる畑の肉より創りし食物繊維豊富な副菜なり(今日のご飯は焼き鮭と豚汁と豆腐のサラダだよ)」
「へぇ」
普通に言えば美味しそうなのに、一気に食欲が失せる。いちいち煮え滾らせるなよ。
妻はすぐに食事を用意し、俺は椅子に腰掛けた。
「犠牲となりし森羅万象よ、お命頂戴いたす(いただきます)」
「いただきます」
俺は妻の左手の中指に絆創膏が貼ってあるのに気付いた。
「指、どうしたの?」
指を差して尋ねると妻はそこを抑えて苦しそうな顔をし、
「灼熱によりて目覚める途上に在る我が秘められし力ッ……鎮まれぇ、鎮まりたまえぇぇッ……汝、決して近寄るでないッ」
と呻いた。軽い火傷なのだろう。
「そう」
俺は無益な会話を終わらせ焼き鮭に箸を伸ばした。
その後、食べながら俺はずっとテレビを見ていた。
妻は時々「血塗られし根菜の纏う鎧にて翻弄されし我が運命(人参がちょっと固かったね)」「金色に輝く倭の油掛汁をそなたに授けようぞ(和風ドレッシングもっとかける?)」「研ぎ澄まされし伝説の聖剣に喉笛を貫かれるなかれ(大きな骨があるから気を付けてね)」などと言ってきたが全て無視した。煩わしかったし、仕事で疲れてもいたからだ。
やがて食事が終わった。
「ごちそうさまでした」
「我が血肉となりし万物に感謝せり(お粗末様でした)」
風呂の後、俺は自室にこもってスマホを弄った。そして夫婦の寝室はちゃんとあったがそのままソファで眠りに落ちた。
この間「〽︎さぁ~~~、眠りィなさあィィィ~~~!!」と子守唄を熱唱されて以来、隣で寝るのが億劫なのだ。
俺たち夫婦は結婚2年目だ。まだ新婚と言っていいだろう。
しかし既に、俺からしてみれば夫婦仲は冷え切っていた。
俺はドラッグストアで働いている。妻は俺が以前勤めていた店舗の美容部員だった。
美容部員というのはメーカーから派遣され化粧品の販売や化粧に関するカウンセリングを行ったりするのである。
ニコニコと笑顔で接客している姿を見て、俺は彼女に好感を抱いた。それで思い切って映画に誘い、その後交際することになった。
その直後に俺の県外への転勤が決まった。2人とも結構いい年だったし、そろそろ身を固めたいと思っていたので「俺に付いてきてくれないか」とプロポーズした。彼女は付いてきてくれた。俺が37歳、妻が36歳の時である。
妻は仕事を辞めた。すぐにでも子どもが欲しかったからだ。しかし未だ子どもはいない。できる以前の問題なのだ。
俺は転勤したばかりで新しい店舗やメンバーに慣れるのに必死だった。加えて人手が足りず、サービス残業も多かった。遅番の次の日に早番に入ることもあり、生活リズムもガタガタだった。家に帰る頃には疲れ切っていた。
そんな生活が続いていた。
妻がおかしくなったのは半年程前だ。
仕事から帰るとおかえりの挨拶を例の妙な言語で表現したのが始まりだった。
「それ何語? どうしたの?」と問うと「くくく……歪んでいるのは果たして我かな? 世界かな?」と横目でこちらを睨んで笑った。
最初、妻が俺に対して怒っているのかと思った。しかし心当たりはさっぱりなく、夕食も俺の好きな汁だく筑前煮だったのでそうではないと判断した。
正直言って面倒くさかった。相手をするのもそうだが、それ以上に精神科へ連れて行くことが、である。とにかく仕事が忙しいのだ。
しかし妻は発言こそ変だったが家事はそれまで通りやっていたし、俺も最初は戸惑ったが2週間もすれば彼女の言う意味も分かってきたので様子をみることにした。
そしてずるずると時が過ぎ、半年が経過したのである。
「その話し方やめてくれない?」と頼んだこともある。
しかし妻は「これこそ我の存在証明ッ!」と言うだけでやめようとしなかった。
その際彼女はグリコのキャラメルのパッケージに描かれたスポーティーなおっさんみたいな格好をしていた。
他にも掃除をしながら「混沌を浄化に導く黒き穴よ、塵芥を闇へと葬り給へ(掃除機かけ楽しい)」と言ってみたり、不快害虫Gが出没した際は「地獄より来りし黒き悪魔よ、我らの聖域を侵すでない……今こそ力を解放する時……滅せよ! 滅せよ‼︎(Gを駆逐してやる……この世から!……一匹残らず‼︎)」と言いながら滅多打ちにしてみたりと、日々安定の暴走ぶりを見せた。
俺はいわゆる厨二病の定義を知らないし、仮に妻がそうだとして、彼女のそれは独自のテイストを加え過ぎている気もするが、俺には正しいその病のあり方へ彼女を導く筋合いも余裕も義務も能力もなかった。
そんなある日出勤すると、アルバイトの学生に呼び止められた。
「今日の送別会来ますよね」
すっかり忘れていた。長年勤めていたフリーターの女の子が別の会社に就職が決まり退職するので、送別会を開くと聞いていたのだった。
妻には伝えていない。ラインを送ろうとしたところでレジトラブルが起きたと呼ばれ、忘れたまま閉店になってしまった。
居酒屋で俺は妻のことを思い出したが、もう夕食も作った後だろうし面倒だったしで結局連絡しなかった。
どうせ電話しても「汝の気が……消えた(どこで何してるの)」などと言われるに決まっている。途中でスマホを覗くと嵐のような着信履歴が残っていた。
送別会は三次会まで続いた。俺は帰る機会を逃し、家に帰り着いたのは翌日の3時だった。
真っ暗な部屋の中で、妻はテーブルに突っ伏し寝ていた。暖房の設定温度が低いのか寒々としている。俺は電気をつけて妻の側に立った。
さすがに罪悪感を感じた。
「おい、風邪引くぞ」
なかなか起きない。
「おい、起きろって」
妻はむっくりと顔を上げた。
「旅の勇者よ、何処より来たりて何処へと向かうのか(どこ行ってたの?)」
少し寝ぼけたような声で彼女は言った。
「同僚の送別会で遅くなった。今日が飲み会だと忘れてて言ってなかった。ごめんな、抜けられない雰囲気だったから」
「我らは永遠に交わらぬ運命の哀しき惑星達(もう会えないかと思った)」
なんと妻は泣き出した。手首で涙を拭っている。
「我が魂は荒涼たる原野を彷徨いたる(寂しかった)」
妻の言語に和風テイストが加わった。妻は泣き続ける。
「ごめん、ごめん」
「白楊多悲風蕭蕭愁殺人(寂しい)」
これは昔古文で習った漢詩ではなかったか。もはや何でもありなのだろうか。
「ただ、黒洞々たる夜があるばかりである(すごく寂しかった)」
妻はしゃくり上げ出した。今のも何処かで聞いたことがある。確か「羅生門」の最後の部分ではないか?
彼女は右手を胸に当ててしきりに「黒洞々たる夜、黒洞々たる夜」と繰り返している。
「ごめん、陽子」
俺は三たび謝罪した。
「……真実に辿りつきし者よ(やっと名前を呼んでくれた)」
妻はしゃくり上げながらも俺を見上げて笑った。ここ半年間の、口角を片方上げるやり方ではなく、以前の正常な神経を有する者が行うやり方でもって笑ったのだ。
その瞬間、俺は猛省した。陽子がおかしくなったのは俺のせいだ。
俺は彼女の、名前通りの明るい性格に惹かれたのだ。しかし陽子はすっかり、彼女の言葉を借りれば「漆黒の堕天使」と化していた。
知らない土地に連れて来られ、仕事も辞めたので話し相手もいない。俺はもっと彼女を気遣ってやるべきだった。
陽子の眼の下にクマがあるのを見て、彼女が仕事にするほど好きだった化粧を最近していないのにもやっと思い至った。そもそも彼女の顔を久しぶりに直視した気がした。
陽子は続ける。
「闇に堕ちし純閣下と共に、再び桃源郷にて祝杯をあげんと欲す(純君が全然構ってくれないから、気を引こうと思って)」
俺は陽子の後ろから肩に腕を回した。いわゆるあすなろ抱きである。
陽子は俺の腕に手を置いた。
「我は踏み入る、疾うに引き返す能わざる領域へと(もう後に引けなくなったの)」
妙な方法で俺の気を引こうとする陽子と、それによりますます彼女から遠ざかる俺。
俺も陽子も素直でないし、その上不器用だ。加えて俺は怠惰でもある。
俺は面倒な現状から逃避し惰性でここまでやってきた。仕事が忙しいのは言い訳に過ぎない、そう分かっていた。
「我らの志を継ぎし小さき天使の産声をいざ聞かん(それに、早く赤ちゃん欲しいし)」
そう陽子は言った。
俺は照れ臭くて、直接言えなかった。なので
「さて……悠久の眠りより醒めし俺の暴れん坊な暴れん棒の秘めたる精力を、超新星爆発の引き金となるべく今宵解き放つぜよ……‼︎(じゃあ、早速子ども作ろうぜ‼︎)」
と言って陽子を抱きかかえ寝室に向かった。
凄まじい下ネタを言った気が自分でもしたが、それで夫婦仲が回復するのなら全くもって風の前の塵に同じなのだ。
「天より舞い降りし涙の雫にて汝の装備はしとどに聖水を纏わん」
この難解な暗号のような言語を発したのは俺の妻なのだが、いつものことであるので驚きはしない。俺は「わかった」とだけ答えた。
つまり、雨が降るかもしれないので傘を持っていけと言っているのだ。
俺は傘立てから傘を取り、ドアノブに手をかける。
すると背後からまた、
「汝の旅立ちの安泰と愉悦を我は冀望する(いってらっしゃい)」
という声が聞こえたが今度は受け流し外へ出た。
夜。
俺は帰宅した。傘を傘立てに仕舞っていると妻が奥から出てきた。
「汝の帰還を祝福する管弦楽団が心地よく我が内耳を震わす(おかえりなさい)」
俺は一応「ただいま」と言い、妻の横を通り自室に向かった。スーツを脱ぎ普段着に着替える。
そしてテレビを見ようと居間に入った。
「今宵の贄は業火に焼かれた溯上せし銀鱗に、煮え滾る猪の水薬に、純白なる畑の肉より創りし食物繊維豊富な副菜なり(今日のご飯は焼き鮭と豚汁と豆腐のサラダだよ)」
「へぇ」
普通に言えば美味しそうなのに、一気に食欲が失せる。いちいち煮え滾らせるなよ。
妻はすぐに食事を用意し、俺は椅子に腰掛けた。
「犠牲となりし森羅万象よ、お命頂戴いたす(いただきます)」
「いただきます」
俺は妻の左手の中指に絆創膏が貼ってあるのに気付いた。
「指、どうしたの?」
指を差して尋ねると妻はそこを抑えて苦しそうな顔をし、
「灼熱によりて目覚める途上に在る我が秘められし力ッ……鎮まれぇ、鎮まりたまえぇぇッ……汝、決して近寄るでないッ」
と呻いた。軽い火傷なのだろう。
「そう」
俺は無益な会話を終わらせ焼き鮭に箸を伸ばした。
その後、食べながら俺はずっとテレビを見ていた。
妻は時々「血塗られし根菜の纏う鎧にて翻弄されし我が運命(人参がちょっと固かったね)」「金色に輝く倭の油掛汁をそなたに授けようぞ(和風ドレッシングもっとかける?)」「研ぎ澄まされし伝説の聖剣に喉笛を貫かれるなかれ(大きな骨があるから気を付けてね)」などと言ってきたが全て無視した。煩わしかったし、仕事で疲れてもいたからだ。
やがて食事が終わった。
「ごちそうさまでした」
「我が血肉となりし万物に感謝せり(お粗末様でした)」
風呂の後、俺は自室にこもってスマホを弄った。そして夫婦の寝室はちゃんとあったがそのままソファで眠りに落ちた。
この間「〽︎さぁ~~~、眠りィなさあィィィ~~~!!」と子守唄を熱唱されて以来、隣で寝るのが億劫なのだ。
俺たち夫婦は結婚2年目だ。まだ新婚と言っていいだろう。
しかし既に、俺からしてみれば夫婦仲は冷え切っていた。
俺はドラッグストアで働いている。妻は俺が以前勤めていた店舗の美容部員だった。
美容部員というのはメーカーから派遣され化粧品の販売や化粧に関するカウンセリングを行ったりするのである。
ニコニコと笑顔で接客している姿を見て、俺は彼女に好感を抱いた。それで思い切って映画に誘い、その後交際することになった。
その直後に俺の県外への転勤が決まった。2人とも結構いい年だったし、そろそろ身を固めたいと思っていたので「俺に付いてきてくれないか」とプロポーズした。彼女は付いてきてくれた。俺が37歳、妻が36歳の時である。
妻は仕事を辞めた。すぐにでも子どもが欲しかったからだ。しかし未だ子どもはいない。できる以前の問題なのだ。
俺は転勤したばかりで新しい店舗やメンバーに慣れるのに必死だった。加えて人手が足りず、サービス残業も多かった。遅番の次の日に早番に入ることもあり、生活リズムもガタガタだった。家に帰る頃には疲れ切っていた。
そんな生活が続いていた。
妻がおかしくなったのは半年程前だ。
仕事から帰るとおかえりの挨拶を例の妙な言語で表現したのが始まりだった。
「それ何語? どうしたの?」と問うと「くくく……歪んでいるのは果たして我かな? 世界かな?」と横目でこちらを睨んで笑った。
最初、妻が俺に対して怒っているのかと思った。しかし心当たりはさっぱりなく、夕食も俺の好きな汁だく筑前煮だったのでそうではないと判断した。
正直言って面倒くさかった。相手をするのもそうだが、それ以上に精神科へ連れて行くことが、である。とにかく仕事が忙しいのだ。
しかし妻は発言こそ変だったが家事はそれまで通りやっていたし、俺も最初は戸惑ったが2週間もすれば彼女の言う意味も分かってきたので様子をみることにした。
そしてずるずると時が過ぎ、半年が経過したのである。
「その話し方やめてくれない?」と頼んだこともある。
しかし妻は「これこそ我の存在証明ッ!」と言うだけでやめようとしなかった。
その際彼女はグリコのキャラメルのパッケージに描かれたスポーティーなおっさんみたいな格好をしていた。
他にも掃除をしながら「混沌を浄化に導く黒き穴よ、塵芥を闇へと葬り給へ(掃除機かけ楽しい)」と言ってみたり、不快害虫Gが出没した際は「地獄より来りし黒き悪魔よ、我らの聖域を侵すでない……今こそ力を解放する時……滅せよ! 滅せよ‼︎(Gを駆逐してやる……この世から!……一匹残らず‼︎)」と言いながら滅多打ちにしてみたりと、日々安定の暴走ぶりを見せた。
俺はいわゆる厨二病の定義を知らないし、仮に妻がそうだとして、彼女のそれは独自のテイストを加え過ぎている気もするが、俺には正しいその病のあり方へ彼女を導く筋合いも余裕も義務も能力もなかった。
そんなある日出勤すると、アルバイトの学生に呼び止められた。
「今日の送別会来ますよね」
すっかり忘れていた。長年勤めていたフリーターの女の子が別の会社に就職が決まり退職するので、送別会を開くと聞いていたのだった。
妻には伝えていない。ラインを送ろうとしたところでレジトラブルが起きたと呼ばれ、忘れたまま閉店になってしまった。
居酒屋で俺は妻のことを思い出したが、もう夕食も作った後だろうし面倒だったしで結局連絡しなかった。
どうせ電話しても「汝の気が……消えた(どこで何してるの)」などと言われるに決まっている。途中でスマホを覗くと嵐のような着信履歴が残っていた。
送別会は三次会まで続いた。俺は帰る機会を逃し、家に帰り着いたのは翌日の3時だった。
真っ暗な部屋の中で、妻はテーブルに突っ伏し寝ていた。暖房の設定温度が低いのか寒々としている。俺は電気をつけて妻の側に立った。
さすがに罪悪感を感じた。
「おい、風邪引くぞ」
なかなか起きない。
「おい、起きろって」
妻はむっくりと顔を上げた。
「旅の勇者よ、何処より来たりて何処へと向かうのか(どこ行ってたの?)」
少し寝ぼけたような声で彼女は言った。
「同僚の送別会で遅くなった。今日が飲み会だと忘れてて言ってなかった。ごめんな、抜けられない雰囲気だったから」
「我らは永遠に交わらぬ運命の哀しき惑星達(もう会えないかと思った)」
なんと妻は泣き出した。手首で涙を拭っている。
「我が魂は荒涼たる原野を彷徨いたる(寂しかった)」
妻の言語に和風テイストが加わった。妻は泣き続ける。
「ごめん、ごめん」
「白楊多悲風蕭蕭愁殺人(寂しい)」
これは昔古文で習った漢詩ではなかったか。もはや何でもありなのだろうか。
「ただ、黒洞々たる夜があるばかりである(すごく寂しかった)」
妻はしゃくり上げ出した。今のも何処かで聞いたことがある。確か「羅生門」の最後の部分ではないか?
彼女は右手を胸に当ててしきりに「黒洞々たる夜、黒洞々たる夜」と繰り返している。
「ごめん、陽子」
俺は三たび謝罪した。
「……真実に辿りつきし者よ(やっと名前を呼んでくれた)」
妻はしゃくり上げながらも俺を見上げて笑った。ここ半年間の、口角を片方上げるやり方ではなく、以前の正常な神経を有する者が行うやり方でもって笑ったのだ。
その瞬間、俺は猛省した。陽子がおかしくなったのは俺のせいだ。
俺は彼女の、名前通りの明るい性格に惹かれたのだ。しかし陽子はすっかり、彼女の言葉を借りれば「漆黒の堕天使」と化していた。
知らない土地に連れて来られ、仕事も辞めたので話し相手もいない。俺はもっと彼女を気遣ってやるべきだった。
陽子の眼の下にクマがあるのを見て、彼女が仕事にするほど好きだった化粧を最近していないのにもやっと思い至った。そもそも彼女の顔を久しぶりに直視した気がした。
陽子は続ける。
「闇に堕ちし純閣下と共に、再び桃源郷にて祝杯をあげんと欲す(純君が全然構ってくれないから、気を引こうと思って)」
俺は陽子の後ろから肩に腕を回した。いわゆるあすなろ抱きである。
陽子は俺の腕に手を置いた。
「我は踏み入る、疾うに引き返す能わざる領域へと(もう後に引けなくなったの)」
妙な方法で俺の気を引こうとする陽子と、それによりますます彼女から遠ざかる俺。
俺も陽子も素直でないし、その上不器用だ。加えて俺は怠惰でもある。
俺は面倒な現状から逃避し惰性でここまでやってきた。仕事が忙しいのは言い訳に過ぎない、そう分かっていた。
「我らの志を継ぎし小さき天使の産声をいざ聞かん(それに、早く赤ちゃん欲しいし)」
そう陽子は言った。
俺は照れ臭くて、直接言えなかった。なので
「さて……悠久の眠りより醒めし俺の暴れん坊な暴れん棒の秘めたる精力を、超新星爆発の引き金となるべく今宵解き放つぜよ……‼︎(じゃあ、早速子ども作ろうぜ‼︎)」
と言って陽子を抱きかかえ寝室に向かった。
凄まじい下ネタを言った気が自分でもしたが、それで夫婦仲が回復するのなら全くもって風の前の塵に同じなのだ。
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