夏蝉

たんぽぽ。

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元母

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 家に帰った私は全自動洗濯機に洗剤を投げ入れスイッチを入れた。今日はどうやって時間をつぶそうか。

 洗濯が終わるまでに昼ごはんでも作ることにした。昨日はチーズを乗せたトーストと目玉焼きと袋麺だけで一日を過ごしたから、体が栄養を欲しがっている気がする。ついでに「元母」の分も作ってやろう。彼女も弁当や外食ばかりで大分栄養がかたよっているはずだから。

 冷蔵庫を確かめて、献立は豚汁と卵焼きにした。面倒だから豚汁は明日の分まで多めに作っておこう。そう考えて私は冷凍しておいた豚バラを鍋に放り込んだ。

「おはよー」
豚汁を煮込みながら卵焼きを焼いていると元母が起きてきた。冷蔵庫のペットボトルをラッパ飲みしている。仕事が休みの日はいつも昼過ぎに起きるのに、思ったより早いお目覚めだ。
「おはよう。豚汁もうすぐできるけど典子のりこさん食べる?」
典子というのは元母の名前だ。「お母さんと呼ばないで」と言われているので仕方なくそう呼んでいる。もう母親じゃないのだから、この呼び方以外の選択肢はない。
「ホント? ラッキー」
元母はそう言って微笑み、洗面所に向かった。

 私の母だった人は、私が小学校に上がってすぐに母親であることをやめてしまった。「今まで家族に尽くしてきたんだからこれからは自由に生きる」そうだ。同居していた祖母が死んだのと十六も年の離れた兄が家を出たのと父親が家に帰らなくなったのがほぼ同時に起こって、完全に燃え尽きたのだと思う。

 母だった人は生きていく上での基本的なこと――例えば米の炊き方や洗濯機や包丁や火の使い方、買い物の仕方やゴミの分別法やATMの使い方など――を二週間かけて私に叩き込んで、最後に「人に期待しちゃダメよ。がっかりするだけだから」とありがたいアドバイスもくれた。つまり自分に頼ってくれるなということだろう。

 それから「余ったらお小遣いにして。足りないなら言って」と私に一月の食費である二万円を渡して、家事をほとんどしなくなった。授業参観には来たこともないし、そもそも学校からのお知らせのプリントを見ることもない。何日も平気で外泊したりもする。半導体の組み立てのパートをしながら、旅行に行ったり習い事に通ったりとなかなか忙しそうだ。

 こんな状態の元母にも今では慣れて、彼女には大人の同居人という感じで接している。私は一人家族だと思っている。すっかりレアキャラとなり果てた兄は会っても話すことがないし、父親の方も近所の詮索好きでおせっかいなおばさんによると、一緒に住んでいる女の人がいるらしいから「元父」になりつつある。

 前に「なんで私を産んだの」と元母に聞いたことがある。
「女としてこれ以上歳を取ると子どもが産めなくなると思って焦ったから」
そんな答えが返ってきた。私は元母の、女であることを確かめる道具で、彼女の自己満足のために生まれた子どもなのだ。

 最初は食事を作るのが面倒で弁当や惣菜ばかり買って食べていたのだけれど、さすがに同じものばかりでは飽きるし脂っこいしで図書館で本を借りて自分で勉強した結果、私は料理が得意になった。調理実習でコンロに火がついただけでキャーキャー言うクラスの子たちはバカにしか見えない。

 そのお陰か私はクラスですっかり浮いてしまっている。翔太も春人も違うクラスだから、私に話し掛けてくるのは委員長の岡田さんだけだ。岡田さんは世の中の汚い部分は一個も見たことがないっていう顔で、おそらく義務感を持って私に声を掛けてくる。例えば休んだ翌日に授業の進み具合を教えてくれたり、班を作らなければいけない時に誘ってくれたりする。

 岡田さんは朝ドラのヒロインみたいだといつも思う。天真爛漫でポジティブで皆が味方をしてくれて最後には全てが上手く行く、未来が保証されたヒロインだ。私が一番苦手なタイプ。私はその正反対で、ネガティブで性格もひねくれてるしいつも一人だ。翔太も春人も今は一応誘ってくれるけど、来年のことは分からない。私は将来食いっぱぐれのないような資格を取って、一人で生きて行くと決めている。誰にも頼る気はない。きっと結婚も出産もしないだろう。

 だから翔太が私のことを好きだとしても、彼の気持ちに応えるつもりはない。彼は何か勘違いしてるんだと思う。憐れみ、優越感。何より翔太は「あっち側」の人間だから。たかがクワガタ捕りくらいで楽しめるのは「あっち側」の人間、翔太も春人もクラスの男子も女子も教師もみんな「あっち側」だ。一方で父や元母は私と同じ「こっち側」の人間だ。兄のことはよく知らない。あんまり喋ったことないし。
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