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0話 プロローグ
しおりを挟む32日目の夏休み。
有名なこわい都市伝説も、今思えば、あながち悪くないと思っている。
2022年、夏。
今年は俺が生まれて32年目の夏。
ゴールデンウィーク前から急激に気温は上がり、梅雨を経て、湿度に苦しむ。
うちにエアコンはない。
もともと取り付けられちゃいない、アパート暮らし、8年目。
最初は気合で乗り切った。
いずれ俺はビッグになる。いずれ引っ越す賃貸物件。今は金を使うときではない。
意地になっていたのだ。
夢を求めて上京し、のらりくらりと8年間。
現実から目を背け、えがいたビジョンに縛られ、混沌にかき乱されながら過ごしてきた。
気温上昇。最悪な夏は、今年も訪れる。
熱帯夜。
昼さえ乗り切ればなんとかなる。8年たった今でも、そういった勘違いの言い聞かせが思考に浮かぶ。
とんでもない。
蒸し暑さは継続し、扇風機を「強」にして風を体に直接当てることでギリギリ相殺できる。それが日本の夏。
外ではパトカーのサイレンの音。虫の音。扇風機の音。蚊取り線香の香り。
寝苦しさで目が覚めた時、頬を涙が伝った。そんな気がした。
夢を見ていたようだ。
まだはっきり思い出せる。
中学二年の夏休み。夏祭り。キャンプ。市民プール。海水浴。楽しかった思い出を追体験していた。
出演者は、記憶のごちゃまぜではあったが、懐かしいあの感覚は、あの時のまま。
俺は蒸し暑さも忘れ、さっきまで見ていた夢を思い返したり、過去のあの頃を思い返したり。思考は自動で上映する。
あの頃、何があったのか。語る必要はない。
誰もが知る、ごく普通の、学生時代の夏休み。
恋とか、事件とか、そういった特別なことが起こったりはしていない。でも特別な思い出となったあの頃の夏休み。
たまらなく愛おしい。
あの頃に戻りたい。
俺の人生で、最高の瞬間だった。
頬を伝う涙の跡に、追い涙が通った感覚があった。
確認はしない。動いたらきっと、意識が目覚めてしまう。
もう一度あの頃の夢を見るために、思考の再現を追加し、その世界に入るつもりで思考の目を凝らした。
享年32歳。
この日が俺の命日となった。
--------
目が覚めた時、俺は白い空間にいた。
いや、実際のところ、目覚めてはいない。
この感覚は……夢の中と同じだ。
「白い空間」は印象であって、視界に変換すれば、そういうイメージなのだろう、ということだ。
その空間に俺は突っ立っている。そういうイメージが湧いた。
しばらく夢心地でぼーっと過ごしていた俺だったが、
何一つ変化のないこの状況を受けて、意識は徐々に自我を取り戻す。
「…………寒っ!!」
俺の第一声。
新たな人生の産声がこれだ。
実際に寒かったわけではない。そこは夢と同じで、寒いイメージを受けての反応だった。
寒さを演じる自分になんとなく気づきながらも、震えを止めるつもりはないらしい。
震え彷徨いながら俺は、ありもしない記憶を辿る。
……クジラだ。
(玉山手誠さん。お疲れ様でございます。
貴方様は、環境厄「熱中症」により、原子世界における肉体の活動を停止いたしました。
通常であれば、魂は一度「神」の体内へ還ることとなるのですが、
今回、稀有なイレギュラーの発生により、急遽、
私が貴方様を取り持つこととなりました。
お詫びと致しましては、私の世界での新たな人生と、
我が「眷属」のスキルを授けさせていただきます。
何卒ご不便おかけいたしますが、ご了承くださいませ……)
……これは、記憶を辿った結果、
クジラが俺に語りかけた言葉、ということだ。
……我ながら恥ずかしい。
アラサーになってもなお、俺の脳は厨二か。
これはいわゆる異世界転生だ。
死んで神に力を授けらえれ、異世界へ転生し、圧倒的力でのし上がる。
夢の中でありながら、自分の妄想を理解し、萎える。
その上、力を授けてくれるのは、
喋る「クジラ」。
厨二を超えて、幼稚だ。
……さっさと目を覚ませ、俺。
もはや意識ははっきりしている。
夢だと理解してからは簡単だ。どうとでもなる。
正攻法は、高いところから飛び降りること。
とはいえここは、何もない空間。
飛び降りようがない。
まあいい。
俺は割と、意志は強い。
今までも、夢と気づいた後は簡単だった。
起きようと思えば、いつでも起きることができたのだ。
さて、
起きてしまおうか。
楽しい夢ならいつまでも見ていたいが、
こんな夢を見ててもしょうがない。
一旦起きよう。
出勤の時間までは、まだあるはずだ。
二度寝すればいい。次はいい夢を見よう。
……いや……そうか……熱帯夜だったな……、すぐ眠れたらいいが……
思い出した不安を胸に、意識は徐々に覚醒してゆく。
……ん?
清々しい。不快感は全くない。
雨か?気温が下がったのだろうか。
気分がいい。
二度寝はやめて、このまま起きてしまうのも気持ちがいいのかもしれない。
俺はうっすら、目を開けた。
そして俺の、
異世界生活は幕を開けた。
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