文学喫茶オムレット

松浦どれみ

文字の大きさ
上 下
7 / 7
ホワイトクリスマスに寄せて

ホワイトクリスマスに寄せて

しおりを挟む

 水曜日の朝、中園愛理なかぞの えりは出勤するため徒歩十五分の距離を二十分かけて歩いていた。
 愛理が働く「文学喫茶オムレット」は北海道にある。今は十二月。もうすでに根雪になっており、あたりはすっかり雪化粧して真っ白だった。

「寒っ……。昨日もたくさん降ったなあ」

 店の近くの中道を通りながら、愛理は白い息を吐いた。昨日から雪が降り積り、見上げると電柱同士を繋ぐ黒い電線の上にも雪が積もっていて、まるで白いリボンがかかっているようだった。

「おはようございます」
「愛理! やっときたか! もう無理だ、手伝ってくれ!」

 店に到着し、せっせとスコップに雪をのせ除雪している男性に挨拶をした。オムレットの店長、藤崎日陽ふじさき ひなただ。彼は息を漏らしながら愛理にスコップを渡し懇願した。

「あと少しですね。一緒にやりますか」
「お、おう……。頼むわ」
「あれ? リースが落ちてる」
「ん? 風か何かじゃねえの?」

 スコップを手にした愛理はドアにかけていたはずのクリスマスリースが落ちていたので拾い上げた。昨夜は風は強くなかったはずだ。リースはよく見ると少し形が崩れていて、押しつぶされたように葉の部分が曲がっていた。

「そうですかね……」

 例年だと初雪後、一旦雪は溶け根雪になるのは十二月中旬から下旬だったが、今年はどうやら違うらしい。十二月初旬に降った雪が溶けきらず、そのまま根雪になってしまった。その後は雪が降っては積もるの繰り返しで、いつもより多く除雪をするハメになったのだ。昨年初めて北海道の冬の洗礼を受け、大雪で除雪が大変だった愛理としては、例年の方が幻だった。

「やっと終わった!」
「さあ、入って開店準備しましょう」
「いや、愛理ちゃん、まずは簡単な朝食とコーヒーを用意してくれないか……」
「もう! そんなに時間ないのに。しょうがないですねえ」
「やった! 愛理様~」

 店に入って開店準備をしながら、愛理は藤崎に朝食のトースト、スクランブルエッグ、コーヒーを用意した。店内には香ばしい小麦の香り、バター、そしてほろ苦いコーヒーの香りが立ち込めた。
 愛理もコーヒーを一杯飲んでから、レジ金の準備やランチ、デザートの用意をしはじめる。
 その後、食事を終えた藤崎が店内の簡単な清掃をして、店の入り口のドアにオープンと書いた看板を出した。

「うわ! また降ってきやがった」

 店内に戻った藤崎は寒さからか、両肘を手で押さえ肩を縮ませながら眉を寄せていた。彼の言葉に窓の外に視線を向けると、雪が降り始め、景色の中にちらついていた。

「あら……。最悪ですね」
「また雪かきだなこりゃ」


 ランチタイムは雪のせいかいつもより客の入りがまばらだった。愛理は今日は除雪で体力を使ってしまっていたため、少しありがたいと思ってしまった。
 一旦雪はやみ、藤崎はその隙に除雪、愛理は店内の清掃をした。そして、一仕事を終えた愛理は、同じく除雪を終えた藤崎と昼食を取ろうと準備を始める。

「愛理、今日の昼メシ何~?」
「ツナちくチートーストとコンソメスープです」
「最高じゃん! 俺チー多めな!」
「はい。わかりましたよ」

 ツナちくチートーストは、北海道のご当地パン『ちくわパン』に感銘を受けた愛理が考案した賄いメニューだ。ツナサラダ、刻んだちくわ、チーズをのせたトーストで、愛理の大好物だった。ちなみに藤崎はチー多め、愛理はちく多めが好きだ。

「はいどうぞ」
「今日もうまそう。いっただきま~す!」

 藤崎がツナちくチートーストを一口かじったとき、ちょうど店のドアが開き、上部のベルがチリンチリンと来客を告げた。カウンターに自分の食事を用意した愛理も手を止めて入り口に視線を送った。

「あ、もしかして準備中ですか?」
「あ、いいえ。いらっしゃいませ! お好きな席へどうぞ」
「ありがとうございます」

 入り口に立っていたのは、体格の良い男性だった。身長は百八十センチの藤崎にわずかに届かないくらいで、筋肉質。藤崎との違いは髪の色と知性を感じさせる話し方だ。男性客は窓際の二人用の席に座った。

「ご注文がお決まりになりましたら、お声がけください」
「ありがとう、ちなみに小腹が空いたんですが……すぐに出せるものはありますか?」

 彼の言葉に、愛理はカウンターを一瞥した。まだアツアツのツナちくチートーストとコーヒーがある。

「お急ぎですか?」
「実は、朝から何も口にしていなくて……」
「そうですか……。私の賄いでよければ、お譲りします」
「いや、それじゃああなたの分がなくなってしまいますよね?」
「大丈夫です。まだ材料はありますし」

 愛理が柔らかな笑顔で返事をすると、男性客は安堵したように息をもらし軽く頭を下げた。

「じゃあ、お言葉に甘えて、いただきます」
「はい、かしこまりました。コーヒーは淹れ直しましょうか?」
「いや、猫舌なのでそのまま……」
「かしこまりました」

 恥ずかしそうに男性客がはにかむ。愛理はカウンターのコーヒーとツナちくチートーストを彼の席に届けた。

「いただきます……! おいしい! ちくわパンみたいですね」
「あ、はい。ちくわパンが好きなので作ってみたんです。お口に合ってよかったです」

 にこにこと嬉しそうに男性客はツナちくチートーストを頬張って時折コーヒーを飲んだ。愛理はその様子を眺めながら、男性客にどこかで会ったような既視感を覚えた。店の客の可能性が高い。時期もこんな冬だった気がする。

「ねえ店長。あのお客様、見覚えがありませんか?」
「ん? う~ん……。わからん」

 藤崎がコーヒーを飲みながら眉と目をグッと寄せ考えるようなそぶりを見せたが、愛理の期待した答えは返ってこなかった。「そうですか」と言って空になった皿を下げた。
 愛理は自分用のツナちくチートーストとコーヒーを用意しながら、皿を洗い一生懸命彼が何者かを考え、過去を遡っていた。この店、しかもあの席に彼はいたはずだった。

 そして、ついに彼を思い出したのだ。一瞬「あ!」と声が漏れ、藤崎と男性客に注目されたが笑ってごまかした。

 彼は去年の今時期にこの店に訪れていた。あのときも今のようなにこにことした笑顔でコーヒーを飲んでデザートのいちごオムレットを食べていた。確かあの時は向かいに女性が座っていて、数時間話し込んでいた。それがふたりともずいぶん楽しそうで、幸せそうで、当時の愛理には眩しく印象的だったのだ。
 愛理が回想し終えたところで、キッチンからトースターのタイマーの音が聞こえた。皿に焼き上がったツナちくチートーストを乗せ、コーヒーと一緒にカウンターに置いた。入れ違いで藤崎がカウンターに入り、自分で使ったコーヒーカップを洗い始める。

「じゃあ私も、いただきます」
「おう」

 相変わらずツナ、ちく、チーのバランスが素晴らしい。グランドメニューにしたいが、このまま賄いメニューとして大事にしたいとも思える。そんなことを考えながら、愛理は残りのトーストも食べすすめた。


 愛理の食事が終わったところで、藤崎が銀行と買い出しに出掛けていった。この分だと夜もそんなに混雑はしなさそうだなと思いながら、愛理は男性客の席に向かう。

「お済みのお皿をお下げしてもよろしいでしょうか?」
「お願いします。美味しかったです。譲ってくれてありがとう」
「いいえ、メニューにはないのでお客さまの反応が見られてよかったです。コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「ああ、お願いします」
「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ」

 皿を下げた愛理はコーヒー豆をミルに入れて挽き、準備を始めた。フィルターに挽いた豆を入れて、丁寧にドリップする。

「お待たせいたしました。ブレンドです」
「ありがとう。いただきます」

 愛理は、男性客が熱さに注意しながらコーヒーを小さく一口飲んだところで、答え合わせをするべく、彼に声をかけた。

「あの……違っていたら申し訳ありません。お客様は昨年の今頃も、ここにご来店いただいていませんか?」
「あ、ああ……はい。実はそうなんです。あの日、一度だけなのに覚えてていただけてたなんて……」

 照れ隠しのように男性客が右手を首に当て、頭を傾げていた。愛理は当時を振り返るようにゆっくりと話し始める。

「そのときもこの席をご利用でしたよね。ご一緒にいた方と、とても仲が良さそうで、おふたりとも本当に楽しそうにしていたので記憶に残っていたんです」
「そうでしたか……。それならよかった。実は自分、こういう者でして」

 男性客がスーツの内ポケットから、茶色い革製の名刺入れを取り出し、そこから名刺を一枚手渡してきた。愛理は受け取り、名前と彼の会社名を見て呟く。

桑原啓くわばら けいさん、スポーツ雑誌のお仕事なんですね……」
「はい。今年の四月から。三月までは札幌で道内向けの旅雑誌の営業をしていました」
「そうでしたか」

 愛理は桑原の職業を知り、わずかに警戒した。彼は藤崎日陽のことを知ってオムレットにきたのだろうかと。
 それを察したのか、桑原が眉を下げ申し訳なさそうな声で話し始めた。

 「藤崎さんのことは知っています。自分も学生時代にサッカーをしていて、彼の一つ年下なので。正直前回は別冊でカフェ特集をやるので、その取材で訪問しました。元Jリーガーが経営するカフェなんて、それだけで目をひきますから。ただ店内に結構女性が多かったし、空いていたのが窓に面した二人掛けの席だけだったので、躊躇っていたんです。そこで、偶然同じように店の前に立ち止まって中の様子を見ながら尻込みしている女性に、声をかけたんです。「一人では入りづらいので、相席してくれませんか?」って」
「え、おふたりは初対面だったんですか?」

 愛理は桑原の言葉に目を丸くして驚いた。記憶の中のふたりはどう見ても互いに思い合っているようだったし、女性の左の薬指にはシンプルな指輪が光っていたはずだ。

「はい。意外でしたか?」
「ええ。本当に仲が良さそうでしたから……」
「彼女、結婚していたようですしね」

 愛理の困惑に気づいたかのように、桑原がつぶやいた。どう返事しようかと息を吸ったところで、彼が話を続ける。

「気づいたのは、デザートを食べ終えてからでした。彼女に謝罪すると、「気にしないでください」と笑っていました。そしてまた、他愛のない話をして。気がついたら夜の七時でした。三時間……あっという間でしたよ。取材のこともすっかり忘れていたくらいです」

 桑原が正面の空席を見つめる。その表情は柔和で、瞳は店内の照明を反射し輝いていた。きっと、当時の彼女を思い浮かべているのだろうと愛理は思った。

「本当に、楽しい時間だったんですね」
「はい……。だから、自分は帰り際に「友達になってくれませんか?」と彼女に聞いてしまいました。今思えば結婚している女性になんてことをいっているんだとわかるんですが……」
「それで、彼女は?」

 愛理の問いかけに、桑原がふっと息を漏らして笑った。そして、窓の外を眺め言った。

「また偶然、会えたらと……。普通に考えれば断り文句だし、それをわかって僕もそのときはぜひ、と言って春には東京で働き始めました。なのに、毎日ってわけじゃないんです、けど、例えば帰宅して一息ついたときなんかに彼女を思い出すんです。それで会社に無理を言って有休を取り、ここにきました。自分の気持ちに区切りをつけるために」
「そうなんですか。また会えるといいですね」
「はい。あ、一応二十六日の午後の飛行機で帰ります。なんで前日の二十五日、それまで毎日お邪魔してもいいでしょうか?」
「はい。もちろんです。お待ちしていますね」

 愛理は笑顔で頷く。すると、桑原がさらに眉と目尻を下げながら、追加の頼み事をした。

「これ、自分の滞在先と連絡先です。もし自分のいない時間に彼女がきたら、渡してもらえませんか?」
「はい。わかりました、お預かりしますね」
「ありがとうございます!」


 十五時を回ったところで、店内の客は桑原のみだった。愛理が外を眺めると、雪が降っていた。いつもなら常連の大学職員たちがコーヒーとデザートをテイクアウトしていく時間だが、今日は来ないだろうと思いながら、愛理はカウンターで備品の補充を始めた。
 すると、入り口のドアが開き、チリンチリンと錆茶色のベルが鳴る音と、真冬の冷たい空気が店内に入り込んできた。

「ほら! 入れ、クソガキが!」
「押すなよおっさん! 警察呼ぶぞ!」
「はあ? 警察呼ばれて困るのはお前じゃねえの?」

 入り口には店長の藤崎と、彼の手前には小学生と思われる少年がいた。ふたりは入り口で押し問答をしていて、なかなかドアを閉めない。風に乗って雪が少し吹き込んだ。愛理は急いでカウンターから入り口に早足で向かう。

「店長! 早く入ってドア閉めてください!」
「いや、だってコイツが……」
「うわ! この人すんげえデカ乳じゃん! おっさんの彼女?」
「ばか、お前! 余計なこと言うな」

 愛理は少年の言葉に目を見開いた。そして、口角をグイッと上げる。目は身開いたままだ。そのタイミングで外から流れ冷気が強さを増した。

「ふたりとも早く中に入ってください。他のお客様にご迷惑です」
「はい」
「それからキミ、人の身体的特徴を大声で言うものじゃないわ。わかった?」
「はい……」

 少年は背筋を伸ばし、顎をひき、小さく頷いた。
 藤崎と少年は並んでカウンター席に座った。愛理は桑原にデザートを出し、カウンターでコーヒーの準備をしながらことの経緯を聞き出した。

「で、どうしたんですか? この子」
「ああ……最近、この辺の店でクリスマスのポスターとか飾りがイタズラされる事件が増えてたんだと」
「そうだったんですか……」
「コイツはその犯人。なーんか事情がありそうだったから連れてきたんだけどこの通りだよ」
「…………」

 席についてから、少年は黙り込んだままだった。愛理はコーヒーをドリップしながら、店先で壊れていたクリスマスリースを思い浮かべた。
そして、桑原にコーヒーを届けてから、少年の前にマグカップを置いた。

「外、寒かったでしょう? まずはこれを飲んで」
「ココア?」
「あ! なんか浮かんでる! 愛理、なんだよそれ」
「あ、それは……」
「マシュマロだろ? そんなのも知らねえのかよ、おっさん」

 愛理の実家では、ココアには小さなマシュマロが浮いていたので、たまに自分で飲むときにもそうしていた。少年が何やら文句を言う藤崎を無視しながら、ココアを一口飲んで息を吐いた。彼の肩の力が抜け、先ほどより表情の強張りも和らいでいる。

「おいしい?」
「うん。母さんの作るやつと一緒だ。おいしいよ」

 カップの中を見つめながら呟く少年は、どこか寂しそうだった。これが「事情がありそう」な部分だろうか。愛理は彼と目線を合わせ口を開いた。

「私は愛理。あなたの名前は?」
吉岡瑛人よしおか えいと
「瑛人くん、もしよかったら、事情を聞かせてくれる?」
「うん……」

 瑛人はポツリポツリと、少しずつ話し始めた。
 彼は近所の小学校に通う四年生で、一昨年に母が亡くなり、レストランを経営する父は週末や休日に不在となること。特にクリスマス時期は多忙を極め、自分はひとりで過ごさないといけないこと。世間のクリスマスムードに苛立ち、イタズラをしてしまったこと。

「ここのリースも、今日学校に行くときに壊しちゃったんだ……。ごめん」
「さっき直したし、もうしないならいいよ」
「うん。もうしない。約束するよ」
「よし! もうひとつ、俺とも約束しろ」
「なんだよ、おっさん」

 藤崎が右隣に座る瑛人の方を向いて、彼の頭にポンと手を置いた。そして、白い歯を見せて笑った。

「明日の放課後、俺と一緒にイタズラした店に謝りに行くこと! それができたら、二十五日はこの店でクリスマスパーティーだ!」
「本当? 本当にパーティーしてくれるの?」
「ああ、本当だ。なあ愛理?」
「あ、はい。本当です」
「ありがとうおっさん、愛理!」

 瑛人が藤崎と愛理を交互に見て、にっこりと微笑んだ。その目は期待からか、キラキラと輝いている。

「じゃあ、明日学校が終わったら店に来いよ。今日はそろそろ暗くなるからそれ飲んだら寄り道しないで帰るんだぞ」
「うん! わかった!」

 こうして、瑛人はココアを飲み干し、機嫌よく店を後にした。


 瑛人が帰宅した店内では、藤崎がマグカップなどを下げる愛理を上目遣いで追っていた。

「愛理ちゃん、そういうわけだからさ、準備とか……」
「もう! 勝手にあんなこと言って……。でも私も約束したんでやりますよ」
「ありがとな! 早速ツリーとかの買い出し頼むわ! 俺は料理とかケーキとか、その辺調達するからさ!」
「はいはい、わかりました。真白くんにも応援頼んでおきますね」
「よろしく~!」

 にっこりと笑って片手を上げ、もう片方の手でスマートフォンを持ち、藤崎は厨房へ入っていった。早速どこかに電話するようだ。
 愛理はコーヒーを飲んでいる桑原の元へ向かう。

「桑原さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。空いたお皿をお下げしますね」
「ありがとうございます。あ、愛理さん」
「はい」
「少しお話が聞こえたんですけど、クリスマスパーティーの件……」
「あ、はい。急に決まりました。すぐ思いつきで行動しちゃうんです、うちの店長」
「あの……もしよかったら、自分にも手伝わせてもらえませんか?」
「え?」

 予想外の桑原の申し出に、愛理の声は裏返った。彼は気に留めることなくそのまま話を続ける。

「いや、毎日ここに顔を出す予定ですし、何かお力になれればと思いまして……」
「本当にいいんでしょうか? 例えば雪道の運転とか」

 愛理は桑原の顔を覗き込むように肩と首を少し縮め、様子を伺った。すると、桑原は藤崎に似た白い歯をのぞかせる笑顔で返事をした。

「もちろんです! 十年近く北海道で運転していますから、安心してください」
「それじゃあ、お言葉に甘えて、お願いします」


「へえ、それでその人、閉店までいたんですか?」
「うん……。結局今日はその女性は来なかったんだよね」

 帰宅後、愛理はダイニングで軽い夕食を摂りながら、今日起きた出来事をルームメイトで仕事仲間の佐藤真白さとうましろに話していた。真白が話を聞きながら、口を尖らせている。

「ふうん。まあそっちは奇跡でも起きない限り再会はないでしょう。あとはクリスマスパーティーですか?」
「そうなんだよね……。で、申し訳ないんだけど、真白くんも少し手伝って欲しいなって思って」
「店長の思いつきも困ったもんですね。まあ手伝いますよ」
「ありがとう、真白くん」
「いいですけど……」

 ため息をつきながら話をする真白を見て、愛理はここのところ彼の顔に疲れが見えることは気づいていた。学生の本文は勉学なので、学校が忙しいのであれば遠慮しなくてはと、状況を確認する。

「ねえ真白くん、最近何か疲れてる? もし調子が良くなかったり忙しかったら無理しなくていいんだよ」
「ああ、いや、疲れてはいますけど……そうじゃないんです」
「どうしたの?」

 愛理は向かいに座る真白の顔を上目遣いで覗いた。彼は再び大きなため息をついて話を始めた。

「実は今月に入ってから、やたらと告白されたり、プレゼントを渡したいと校内でいろんな人に追われてて……」
「ああ、なるほど……。クリスマスか……」
「毎日、たいした話もしたことない人とか、知らない人に呼び出されるのに辟易としていまして」
「それは大変だね」

 真白はいわゆる美青年というやつで、彼目当ての客たちがいるくらいだ。学校でもモテるのは愛理にも予想がついていた。クリスマスというイベント効果で必死になっている人間も少なくないのだろう。イケメンも苦労するなと愛理は彼に同情した。

「あ、そうだ。もうクリスマスが終わるまで学校サボっちゃおう。単位も落とさないしパーティーの手伝いもできるし一石二鳥ですよ」
「え、いいのかな……。年明け、試験じゃなかった?」
「その方が精神安定上いいし、試験にも集中できるはずです」
「まあ、真白くんがいいなら、私たちは助かるけど……」
「よし、そうします! 明日のランチから入りますね」

 そう言って真白が食後の皿洗いを始めた。席を立つとき、心なしか彼はとても身軽そうだと愛理は思った。


 そしてクリスマス当日。朝から雪が降ったりやんだりしていたが、オープンと共に子供たちやその保護者がオムレットにやってきた。常連だけかと思った客も、真白がSNSで宣伝したからか、初めての人も少し混ざっていた。

 桑原の助けもあって、愛理は店内の装飾を完璧にこなした。店内には愛理の身長とほぼ変わらないサイズのクリスマスツリーがある。藤崎は瑛人と彼のしたイタズラを謝りに行った先々で事情を説明し、料理やケーキなどを譲ってもらう約束を取り付けていた。

「よし! みんなありがとな! おかげでいいパーティーになりそうだ」
「今回は店長もがんばったと思いますよ。いいパーティーにしましょう」
「じゃあ俺、参加者になりますね。あ、子供なんで無料ですよね」
「真白くん、もう何年も前から成人は十八歳よ。三百円払って」
「バレたか……」

 愛理は真白を嗜め、彼に手の平を差し出した。真白は渋々と言った様子で口を尖らせながら愛理に三百円を支払った。
 パーティーは大人のみ参加費三百円、子供は完全無料で開かれた。近隣の店やスナックで働く親を持つ子供たちの一部や、経済的な事情でクリスマスを特別な日として過ごせない子供も少なくないと知っていた藤崎が、いい機会だと子供たちのためにパーティーを企画したのだ。

「本当は来年からって思ってんだけどよ、瑛人のことがあって急遽今年からにしたんだ」
「そうだったんですね。いいとこあるじゃないですか」
「まあな! よし、俺もケーキ食ってこよ~」

 愛理は子供たちの混ざりに行く藤崎を見送り、今度はカウンター席に座る桑原に声をかけにいった。

「桑原さん、いろいろ手伝ってくれて、本当にありがとうございました」
「いいえ、自分も楽しませてもらいました。ありがとうございます」
「明日……東京に戻るんですよね」
「はい……」

 今日までに、結局桑原の探し人は来店しなかった。彼は店の入り口が開くたびに注目し、そっと肩を落としていて、愛理は今日まで奇跡を願い続けていた。

「まだ、もう少し時間はありますよ」
「そうですよね、最後の後片付けまで粘りますから!」
「その意気です」

 夕方過ぎから、早めに店を上がれた参加者の保護者が子供を迎えにやってきて、ひとり、またひとりと子供たちは帰っていった。十八時頃に藤崎が残りの子供たちを車で家まで送り、十九時には店内に子供は瑛人ひとりだけとなっていた。

「あ、これ……」
「ん? 瑛人くん、どうしたの?」
「これ、母さんに似てる……」

 瑛人はツリーの飾りのバレリーナの人形を指していた。それは愛理の私物で、昔出張で札幌に来たときに開催されていたクリスマス市で購入したものだった。処分したいのに捨てられない、思い出の品だった。

「この飾り?」
「うん。なんか雰囲気が似てる……。そういえばさ、俺の母さん愛理にも似てるんだ。母さんはまな板だったけど!」
「こら、そんなこと言わないの」
「へへっ」

 瑛人が少しイタズラな笑みを浮かべている。ちょうどそのとき、店の入り口のドアが開いた。そこに立っていたのは紙袋を手にした長身の男性だった。

「父さん!」
「瑛人!」

 瑛人が父に駆け寄る。父は入り口のドアを閉め、店内に入り深々と頭を下げた。

「瑛人の父の吉岡と申します。本日はうちの息子がお世話になりました」
「スタッフの中園と申します。店長は送迎で不在にしておりまして……。こちらこそ、瑛人くんのおかげで、楽しいクリスマスになりました」
「私は中央区でビストロをやっているのですが、この時期はどうしても休めずに……。こんな時間まで本当に申し訳ありません」
「吉岡さん、本当にお気になさらないでください。元々店長の藤崎が企画していたことですから」
「本当に、なんとお礼を言っていいのか……。あ、このシャンパン、よければ皆さんで飲んでください」

 吉岡が紙袋を愛理に差し出した。おそらく彼は受け取るまで帰らないだろうと判断した愛理は、素直に紙袋を受け取った。

「それでは遠慮なくいただきますね。ありがとうございます」
「また店長さんのいらっしゃるときにお礼にきます。瑛人、行こうか」
「あ、待って、瑛人くん!」

 愛理は受け取った紙袋を近くにいた真白に渡し、自分はツリーに手を伸ばした。そこからバレリーナの飾りを外し、瑛人に渡す。

「愛理、これ……」
「あげる。私からのクリスマスプレゼント」
「ありがとう!」

 愛理は外に出て、恐縮しながら何度も頭を下げる吉岡と、笑顔で手を振る瑛人を見送って店内に戻った。


 瑛人が帰ってからも、真白や桑原と店内の装飾や食器などを片づけていた愛理。外に目をやると、雪の粒が大きく、もくもくと地面に降り積もっていた。

「ただいま! すっげえ雪だ、戻るのめっちゃ時間かかった~」
「店長、お疲れ様です。さっき瑛人くんのお父さんが迎えに来ました。お礼を言っていましたよ。それであの紙袋、預かっています」

 藤崎が黒いダウンコートを脱いで空いた席に掛け、真白がカウンターに置いた紙袋の中身を覗いた。そして中身を確認し、にんまりと目尻を下げた。

「ええ、別にわざわざいいのになあ……。お、シャンパンじゃねーか。二本も! ラッキー」
「現金な人。まあ、いいですけど」

 真白がため息混じりに呟き、肩をすくめた。
 そして、その後も四人で後片付けを続ける。時刻は二十時を過ぎていて、後片付けも床の清掃とツリーのみとなった。
 愛理は窓の外に視線を移し、相変わらず降り続ける雪景色に人の通りがないことを確認した。続いて桑原を見ると、タイムリミットが迫り、彼の表情は陰っているように感じた。
 奇跡はやはり起きないのか——。愛理がそんなことを考えながらツリーの飾りを外していると、突然、店のドアをノックする音が聞こえた。

「すみません、本日は閉店しておりまして……」
「あ、いえ。あの私は……」

 愛理はドアを開け目の前にいる人物に謝罪するが、その返事は曖昧で首を傾げた。背格好から女性と判断はつくが、コートのフードを被ったその女性は全身雪まみれで、どこの誰かはわからない。

「あなたは……」

 店内の椅子を上げて床掃除の準備をしていた桑原が、目を丸くして呟いた。愛理も察する、まさか彼女は、と。

「お、お久しぶりです……。私、昨年こちらでお会いした……!」

 フードを下ろし雪を払おうとしながら挨拶する女性。桑原が入り口へ一直線に駆け寄り、雪まみれの彼女をそれごと両腕で包み込んだ。

「お久しぶりです! 自分……あなたに会いたくて、ここで待っていました」

 状況を飲み込めていないのかぽかんと口を開いて固まっている藤崎と、わずかに口角を上げた真白と視線を合わせたあと、愛理は熱い抱擁を交わす桑原たちを笑顔で見守った。


 愛理はコートを脱いでひとまず店内に女性を招き入れ、コーヒーを淹れてさしだした。彼女は「ありがとうございます」と一礼し、コーヒーを飲んでほっと一息つく。そして、これまでの身の上話を始めた。

「夫とはずっとうまくいってなかったんです。あの日も叱責されて……思わずスマホだけ持って家を飛び出しました。ここは買い物でよく通る喫茶店で、一息つきたかったけど、キャッシュレス決済ができるかわからなくて店内を覗いていました。そのとき「ごちそうするから一緒に店に入ってほしい」と誘っていただいて……。初めてお会いしたのに、彼と話す時間は本当に楽しかった」

 女性はまたコーヒーを一口飲み、話を続けた。

「その後、彼と別れて帰宅し、私は離婚を申し出ました。ちょっと時間はかかったんですけど、なんとか半年前に成立して、別居中から住んでいた旭川の実家に今も住んでいます。あの日、離婚する勇気をくれた彼にまた会いたい、そう思いながらまずは自立のために必死に仕事をしていました。」
「それで、今日会いに……?」

 愛理の問いかけに、女性は静かに頷いた。

「はい。たまたまSNSでこのお店のクリスマスパーティーのことを知ったんです。画像に、かなり小さくですが彼が写っていて、それで居ても立っても居られなくなって……。すぐに行きたかったんですが仕事が休めなくて、今日やっと日曜で公休だったんです。」
「SNS?」

 桑原が眉を上げ、驚きの表情を見せる。そういえば真白がSNSで宣伝をしていたなと愛理は思い出し、彼に視線を送った。真白がスマートフォンでおそらく宣伝の画像を見せながら笑みを浮かべている。

「はい、それで朝から駅でJRを待っていたんですけど、雪で結構ばかりで……。やっと夕方乗れたんです。札幌からタクシーも捕まらなくて、すすきのまで地下を歩いて、その後は地上を……」
「それは大変でしたね。三十分以上歩いたでしょう?」
「たぶん……。けど、どうしても私、お礼が言いたかったんです。あの日まで私、ずっと自分の意見も言えずにいつも暗い顔をして落ち込んでいました。自分が自分じゃないみたいな……そのうちに本当の自分がどうだったかも忘れていたんだと思います。でも、彼と話して、すごく気が楽になって、ああ、私こんなによく笑う人間だったなって、自分を取り戻すことができました。離婚を申し出る勇気も出た。あの日は「また偶然会えたら」なんて言ったけど、自分の意思で、また……あなたに会いたかった!」

 女性が目に涙を溜め、真っ直ぐに桑原を見つめていた。彼はテーブルの上に置かれた女性の手にそっと自分の手を重ねる。

「自分もです。あなたのことが忘れられずにいた。あの日は友達なんて言ったけど、後になって気づきました。あの日、たった数時間のうちにあなたに恋していました。友達からで構いません。ゆっくりでいいです。自分と……お付き合いしてくれませんか?」
「はい……。よろしくお願いします。まずは、自己紹介から……私は、上川麻美かみかわ あさみといいます」
「あ、そうだ名前も教えてなかった。桑原啓です。よろしくお願いします」

 桑原と麻美が顔を見合わせはにかんだ。
 いつの間にか外の雪はやみ、積もった雪が街灯を反射しキラキラと輝いていた。


 それから、明日も仕事で二十三時の最終に乗らないといけない麻美を送ると言って、桑原が彼女と共に店を出ていった。帰り際、時間の許す限り、彼は愛理や藤崎、真白に何度も礼を言って頭を下げていた。

「愛理さん、よかったですね。奇跡が起きて」
「真白くんのおかげでもあるね。ありがとう」
「お、おい、結局何がなんだったの? 俺だけわかんねえんだけど」

 自分と真白を交互に見て首を傾げる藤崎を見て、愛理は片付けを終わらせふっと息を漏らして笑みを浮かべた。

「話せば長くなるので、また今度話しますね」
「な、なんだよ! 俺仲間はずれかよ~」

 その後、片づけを終わらせ、愛理は店で瑛人の父、吉岡にもらったシャンパンを飲みながら桑原の話を藤崎に説明した。それを聞いた彼は感動し泣きじゃくり、さらに酒を煽って気持ちよく店舗二階の自宅へ帰っていった。
 愛理は真白と帰宅し、ダイニングでパーティーの残り物をつまんでいた。

「真白くん、今日は遅くまでお疲れ様。明日は定休日だからゆっくり休んでね」
「はい。愛理さんもお疲れ様です」

 真白がワインを取り出し二つのグラスに注いだ。片方を愛理に渡し、もう片方は自分の手に取った。

「今日は無礼講ということで。乾杯」
「君が飲むときは目を瞑るようにする。乾杯」

 真白がグラスに口をつけ、愛理は目を閉じながらワインを一口飲んだ。

「そういえば、よかったんですか? あのバレリーナのオーナメント」
「あ、ああ。あれ?」
「はい。季節関係なく部屋に飾っていましたよね。大事なものじゃなかったんですか?」

 真白の問いかけに、愛理は唇を結び、この子はよく見ているなあと思いながら小さく唸った。

「そうだなあ。思い入れがあったのは確か。でも、本当はずっと処分したいと思っていたの。だから、手放すチャンスに乗っかったの」
「そうだったんですか……」

 こういった感情を理解できないのか、心配しつつ腑に落ちなさそうに眉を寄せる真白を見て、愛理は柔らかな笑みを向けた。

「大丈夫。本当にスッキリした。手放せてよかったよ」
「そうですか。それならよかったです」
「心配してくれてありがとう、真白くん。メリークリスマス」
「メリークリスマス、愛理さん」

 愛理はグラスを軽く持ち上げ、もう一度真白と乾杯をしてワインを口にした。チラリと壁にかかった時計を見ると、すでに日付は変わっており、クリスマスは幕を閉じていた。

終わり
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...