不愛想な男に恋した、あるギルド受付嬢の話

弥生紗和

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最終話

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 朝、いつものように私はギルドまでの道を行く。石畳が割れているところがあるから、躓かないようにいつも気をつけていたのに、今日に限って躓いた。傾いたパン屋の看板を見るのを忘れた。いつも言い争いしている商人達の姿はなかった。

 なんだかいつもと違うと思いながらギルドに着き、着替えをして監視班の部屋に行くと、中にいた人たちが一斉に駆け寄って来た。彼らから聞いた話は、信じられないものだった。

「壊滅!?」

 私はふっと目の前が暗くなりそうな感じを覚え、なんとか踏ん張って彼らの話を聞いた。

「アドレア海岸に、巨大なドラゴンが現れたようだ」
「集まっていた魔物は、ドラゴンから逃げていたのかもな。ドラゴンはそれを追いかけてきてたんだ! クソッ」
「ドラゴンが炎を噴いて周囲を焼き払ったらしい。現地は壊滅状態で、近くの漁師町にも被害が出ている。討伐者だけでなく、回収班とも連絡が取れないんだ」

「連絡が取れないんですか? 誰とも?」

 私はようやく彼らに質問をした。そんなはずがない。きっとどこかへ避難して隠れているだけなんだ。

「ああ、誰とも連絡がつかない。緊急事態を知らせる信号も出ていない。恐らく不意打ちを食らったんだ」
「そんな……」

 私はとうとうぐらりと揺れる体を支えきれず、近くの机に掴まった。

「今、救出班をアドレア海岸に向かわせている。各地のギルドにも連絡して、討伐者を集めている。ライラ、心配するな。まだみんな死んだと決まったわけじゃない」
「……ありがとう。そうですよね、きっと生きてますよね」

 慰めてくれる言葉に、私は笑顔で応えるしかない。長くギルドで働いていると、時々こういうことは起こる。私の脳裏に過去の思い出が蘇る。自宅にいた母の所に、父が亡くなったとギルドの人がやってきた時のことを。
 あの時の母の表情は、今でも忘れることができない。全てを覚悟していた母は、父の死を静かに受け入れた。父が亡くなった後は、誰とも再婚せずに私を育て上げた。普段は明るい母だけど、きっと娘の私には気持ちを隠していたんだろう。

 母は強い人だ。私は彼女の娘だから、私も強くあるべきだ。

 私はいつも通り、その日の仕事を始めた。カウンターに立って、笑顔で討伐者を出迎えた。ドラゴンの事件は既に討伐者の間にも広まっていて、中には動揺している人もいた。私はそんな彼らを励まし、送り出した。

 そんな日を繰り返した。一日、また一日と。

 現地に到着した救出班と討伐者達の報告によると、ドラゴンの姿は近くにはなかった。その場に残されていたのは多くの魔物の死体と、巻き込まれて亡くなった討伐者の遺体だった。近くにキャンプを張っていた回収班のテントも全て燃え尽きていた。

 一言で言うと「地獄」だったという。調査班の見解では、魔物同士の争いに討伐者が巻き込まれた形だったようだ。彼らは逃げる間もなくドラゴンの炎に焼かれたと思われる。幸い、近くの漁師町の被害は建物や船に集中し、死者は出なかった。

 討伐者達は一旦戻って作戦を立て直すことになり、救出班は遺体を葬って帰還することになった。


 調査班の報告書を読んだ私は、頭がぼんやりとして何も考えられなくなっていた。ドラゴンの事件が起こってからもう六日が経っている。未だにダンケルさんの安否は分からない。
 母は私を心配していた。ダンケルさんのことは母に何も話していなかったけど、事件があった日につい彼のことを話してしまった。母は悲しそうな目で私の話を聞き、黙って私の手を握ってくれた。きっと母は、私がダンケルさんに恋をしていたことに気づいたのだろう。

 こんな形で彼とお別れをすることになるのなら、もっと素直に気持ちを伝えておくんだった。私は日々を平凡に生きていたから、討伐者の彼らが死と隣り合わせだという事実に慣れ過ぎていたのかもしれない。どこかでダンケルさんは何があっても生きていると、勝手に思い込んでいたのだ。

「そんなわけ、ないのに……」

 ギルドの廊下で、私は床を見ながら呟いた。これから仕事だ。とても笑顔を作る気になれないけど、夜が明けるとまた同じような一日が始まる。私はここから逃げるつもりはない。父が命を懸けた討伐者という存在を、私は手助けする為ここにいるのだから。

♢♢♢

 それから数日後。

 ギルドでいつものように働いていた私は、急に入り口の辺りが騒がしくなったことに気づいて目線を扉に向けた。

「戻って来た!」
「ダンケル! 無事だったのか!」

 私は見間違いかと思い、カウンターから慌てて外に飛び出した。扉の所に人だかりができている。その中心に立っていたのは、間違いなくダンケルさんだ。

「ダンケルさん!」

 私は思わず彼に向かって叫ぶ。ダンケルさんは私に気づくと、人波をかき分けて私の前に立った。ダンケルさんは焼け焦げてボロボロの防具を身に着け、髭が随分伸びていた。でも確かに彼は私の前に立っている。
 しかも帰って来たのは彼だけではなかった。ダンケルさんと一緒に五人の仲間が帰ってきていた。彼らは全員回収班のメンバーだった。みんな服がボロボロだけど、しっかり立っていて元気そうだ。

「ダンケルさん、お帰りなさい……」

 私は今にも泣きそうになりながら、必死に笑顔を作った。ダンケルさんは、今まで見たこともない優しい目をしていた。

「ただいま」

 もう涙を抑えられなかった。周囲に人が沢山いたけど、我慢できずにボロボロと涙をこぼした。ダンケルさんはきっと困っていたと思う。私をなだめるように、大きな手で私の頭を優しく撫でた。



 それからギルドは大騒ぎだった。死んだと思われていたダンケルさんが、回収班の仲間を連れて戻って来たのだ。

 ダンケルさんは最初の攻撃でなんとか炎の直撃を逃れ、討伐者の中で一人生き残った。ドラゴンの炎は二発目まで少し時間に猶予がある。その間にダンケルさんは離れた所にある回収班のキャンプへ走り、彼らを誘導して海に飛び込んだ。二発目の攻撃を逃れた彼らは近くの無人島まで泳いだ。ドラゴンがいなくなるまでそこで隠れて過ごし、いかだを作って陸に戻ったのだ。荷物をすべて失い、緊急事態を知らせる信号弾もなかったため、連絡を取れなかったのだという。

 仲間を救って帰還したダンケルさんを、ギルドは敬意を持って出迎えた。普段誰とも口を聞かない彼が、その日はあらゆる人々に話しかけられ、ダンケルさんは困惑しながら会話に応じていた。

 ようやく解放されたダンケルさんは、受付にいた私の前にやってきた。

「……少し、話せるか?」

 ダンケルさんにそう言われ、私は驚いたけどすぐに他の受付嬢に持ち場を変わってもらい、外に出て裏手に回った。ダンケルさんは大きな木の下に立っていて、ぼんやりと街の光景を見ていた。

「……悪いな、仕事中に」
「いえ。私もダンケルさんとお話したかったので」

 遠慮がちに彼の隣に立つと、ダンケルさんは私を見て目を細めた。

「ここは綺麗な街だな」
「……ええ、そうですね」

 私の大好きな街だ。ここで生まれ育った私は外の世界を知らないけど、ぎっしりと並ぶ家々も、綺麗な石畳も、全てが好きだ。

「魔物に俺達の居場所を壊されたくない。そう思って俺は討伐者になった」

 ダンケルさんが話す横顔を、私はじっと見上げる。

「前のギルドでは仲間もいた。俺達はいつもパーティを組んでいた。あいつらがどう思っていたか分からないが、少なくとも俺にとっては大切な仲間だった」

 息を飲み、私は彼の話に耳を傾ける。

「ある時、依頼とは違う魔物が乱入してきて、仲間達は全員死んだ。生き残ったのは俺一人。ギルドに戻った俺を他の連中は『お前は仲間を見捨てた』と責めた。奴らの言う通りだよ、俺は仲間達を助けることもできず、ただ運よく生き残っただけなんだから。それから俺は今のギルドに移った。もう仲間を作るのは……やめた」

 ダンケルさんは仲間を見捨てたわけじゃない。彼は仲間を裏切るような人間じゃない。命がけで回収班を助けたんだから。

「アドレア海岸にドラゴンが現れた時、俺は無我夢中で生きている連中を連れて海に飛び込んだ。無人島へ流れ着いた時、俺はようやく……仲間を救うことができたんだと思った」

 ダンケルさんは話し終わると、私に向き直るとじっと私を見た。

「俺の命など、いつ投げ出しても構わないと思っていた。だが……海に飛び込んだ時、絶対にこの街へ戻ってくると強く思った。あの時、あなたの……ライラの存在が俺の生きる力になったんだ」

 私はダンケルさんの言葉が信じられなくて、すぐには言葉が出てこない。初めて名前を呼ばれた喜びと、私を見つめる真っすぐな眼差しに私の心は混乱状態だ。胸に手を当て、深呼吸をしてから私は口を開く。

「ダンケルさん、私……アドレア海岸で壊滅状態だって聞いて……ずっと後悔していたんです。討伐者はいつ命を失うか分からないから、だから自分の気持ちを我慢せずに伝えるべきだったって」

 ダンケルさんは私の言葉を聞いて驚いた顔をしていた。

「まさか……これは俺だけの気持ちのつもりだった」
「どうやら、私達はお互い同じ気持ちかもしれませんね」

 私はダンケルさんに微笑む。

「ライラ。これからも今回のようなことが起こって、あなたを悲しませるかもしれない。それでも、俺はライラと一緒にいたい」

 ダンケルさんの硬い表情から、彼の緊張が伝わってくる。

「私も、ダンケルさんと一緒にいたいです」

 私の返答を聞いたダンケルさんはホッと表情を緩めると、そっと私を抱き寄せた。彼の身体からは、生きている匂いがした。



 いつもと同じ朝、いつもと同じ道。今日も私はギルドの受付嬢として働く。
 だけど私の日常にダンケルさんが加わり、私の人生に大きな変化が生まれたのだった。
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