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砂の揺籠は脆く崩れる
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王宮の庭園で開かれたお茶会で、子どものような癇癪が響き渡る。
「いやよいやよ!どうして!?私は高貴な存在なのよ!?なんでこんな安物で満足しなきゃいけないの!!」
ヒステリックな金切り声に、他の令嬢達は青ざめたり、顔を顰めたり、珍獣を見るような嘲笑と、三者三様の反応を示した。
今日は、この国の王太子妃が開催したお茶会の日である。
それをぶち壊しているのは、レイラ・ハーブロート公爵令嬢である。
しかし、公爵令嬢と言っても、彼女は愛人の子である。
本妻が死んだ後、喪が明ける前に、公爵がさっさと後妻とレイラを招き入れた。
本妻との子である、シローヌ・ハーブロート公爵令嬢も参加しているが、主催で従姉妹でもあるララ・ユフォン王太子妃と共に別室で少し話をしている筈だ。
「まあ、聞きしに勝る癇癪ぶりですわ。まるで、幼子のよう」
ここにいる高位貴族の令嬢の大半は、かの有名なレイラ・ハーブロート公爵令嬢を一目見たいと楽しみにしていたのである。
レイラの癇癪は凄まじく、美しいはずの金髪を振り乱し、歯を剥き、顔を真っ赤にさせて涙を流しながらテーブルを叩いている。
レイラの醜態は、社交界中に轟き、吟遊詩人が声高に歌っている程だ。
曰く、デビュタントの際に、凄まじい癇癪を起こして周囲の男性に密着し、姉を困らせた。
曰く、どこに行っても癇癪を起こし、恐ろしい辺境伯から平民に御者に泣きついた。
曰く、姉が招かれたお茶会に、無理矢理着いていって台無しにした。
曰く、思い通りに行かずにタウンハウスをめちゃくちゃにした。
貴族の庶子問題は、それはそれは魑魅魍魎、悲喜交々としたストーリーが多々ある。しかし、ここまで露骨にまずいのは珍しい。
本妻の子よりも愛して甘やかす馬鹿親は星の数程おり、大抵碌な教育をされずに大醜態を晒すが、一応取り繕ってはいる筈だ。
しかし、目の前の珍獣は、取り繕うどころか曝け出している。
貴族の幼児でもこんな無様は晒さないだろう。
予想を上回る醜態っぷりに、周囲は冷ややかに、それでいて好奇に目を細め、目の前の獲物をどうしてくれようかと画策している。
その中でも、貴族の中で一際悪どいという侯爵令嬢が嗤った。
「ふふふ、お見事ですわね。レイラ・ハーブロート公爵令嬢。ここにいる全ての令嬢の心を鷲掴みにして、王太子妃殿下よりも目立っておりますわね」
無論、称賛ではなく挑発である。
そうすれば、更なる醜態を晒すと思ったからだ。
しかし、反応は予想外のものが返ってきた。
あれだけ喚き散らし、暴れていたレイラの動きがピタリと止まり、侮辱した侯爵令嬢を見つめた後、にっこりと屈託なく笑ったのである。
「本当!?褒めてくれてありがとう!」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────はい?」
目の前の珍獣が何を言ったのか理解できず、侯爵令嬢は数度瞬く。
ありがとう?
お礼?を?言われた???
何故????????????
他の令嬢達も、混迷の境地に入っていた。
先程まで醜態を晒していた珍獣が、ニコニコと嬉しそうに笑って、殆ど気絶している侯爵令嬢の手を取って振っている。
なんだ?どういうことだ?
ただのバカで愚かな愛人の子ではないのか?
「すごいすごい!初めて褒められた!お姉ちゃんの言った通りだ!」
「…あ、あの、今日はお姉様に何と言われてここに来たのですか?」
真っ先に正気を取り戻した気弱そうな子爵令嬢が質問すると、令嬢達が我に返ってレイラの返事を固唾を飲んで待つ。
「今日は、お姫様のお茶会だって言ってたよ。だから、レイラはいつも通りにしてって言われた」
まるで子どものような喋り方で、子どものように笑い、いまだに侯爵令嬢の手を取ってブンブン振って遊んでいる。
侯爵令嬢は正気に戻っているものの、ニコニコ笑うレイラの手を振り払うのは気が引けるのか、それともまだ混乱しているのか、困っている様子だ。
見た目と言動がチグハグだ。
演技でやっているとはとても思えない。
「いつも通りって…もしかして、さっき騒いだ事でしょうか?」
察しの良い別の公爵令嬢が、分かりやすく質問をする。顔は怒りと恐怖で強張っていた。
レイラはうん、と行儀良く頷いた。
「お姉ちゃんが言ってたの。いっぱい騒いで、いっぱい暴れれば、みんなレイラの事褒めて、好きになってくれるって!レイラとお母様は、お父様が居なくなったら家か追い出されるから、いっぱい騒いで、特に男の人と仲良くしなさいって!」
周囲が静まり返る。
恐怖、侮蔑、怒り、失望に彩った顔で、貴族令嬢達は目配せした。
「……………………………………どなたか、現ハーブロート公爵夫人を見たという方はいらっしゃいますか?」
古くから王国を支えている由緒正しい公爵令嬢が、静かだがよく通る声で質問をする。
誰も答えないのが、答えだった。
ここに居る誰もが、実物を見た者はいない。
毒婦やら、貴族の雌犬らしい下品で豪奢な格好をしているだとか、他の男をたぶらかしているとかは、全て噂でしか聞いたことがない。
それなりに社交界に出ている令嬢達もいるが、本当に、誰1人として公爵夫人を見ていない。
「では、ハーブロート公爵は?」と訊ねると、勝ち気そうな男爵令嬢が手を挙げて一歩前に出た。
公爵令嬢が続きを促すと、男爵令嬢は澱みなく滔々と答えた。
「ファーソーン男爵家のウェイラインと申します。先週の初めに、現当主である私の父と商談がありました」
「その際に何か不審な点は?」
「商談は無事に成立しましたが…数年前に比べて随分と老け込んみ痩せ細ったそうです。父が心配したと記憶しております」
「そう…よく、分かったわ」
怜悧な顔立ちの公爵令嬢は、深いため息の後に庭園の奥へ視線を向けた。
そこには、冷めた表情のララ・ユフォン王太子妃と2名のメイド、そして、死人のような顔色になったレイラの姉である、シローヌ・ハーブロートが立っていた。
ララは口元に微笑みを浮かべているものの、目は全く笑っておらず、護衛のメイドは、化け物を見るかのようにシローヌを見ていた。
シローヌは今にも倒れそうな程ふらついているが、誰も助けようとはしない。
令嬢達は見事なカーテシーをするが、レイラは無垢な瞳でララを見つめた。
無礼な行為だが、ララは咎める事はせずに、今度は本当に微笑んでレイラに近づいた。
「!?まっ───」
シローヌがララを止めようとするが、メイド2名が立ち塞がって見えなくなる。
姉が見えなくなって不安そうにしているレイラを、ララが安心させるように目線を合わせて微笑み、壊れ物を扱うように優しく手を握った。
「こんにちは、レイラ。私はララよ。貴女の言う、お姫様ね」
「!お姫様!すごい!本物!」
レイラは嬉しそうにはしゃぎ、ララの手を握り返した。
子どものように温かい手は、よく見ると細かい傷が走っていることに気づく。
「お会いできて光栄です、お姫様!」
「私もとっても嬉しいわ。貴女も私の従姉妹ですもの。お茶とお菓子は美味しかった?」
「え、あ───」
レイラは何かを思い出したかのように顔をあげ、見えなくなった姉に目を向けた後、青ざめて俯いてしまった。
「あ、あの…お姉ちゃんに、お姫様と、みんなと喋っちゃいけないって、言われてたの、忘れてました…」
「あら、それはどうして?」
「騒いでないのに喋っても、仲良くなれない、みんなから嫌われるよって…」
「そんな事ないわ。レイラとこうしてお喋りができて、とても嬉しいもの」
「ほ、ほんと…?」
レイラは恐る恐るララとシローヌを交互に見る。
すると、ララは振り返ってシローヌに穏やかな声で話しかけた。
「ねえ、ハーブロート公爵令嬢。私とレイラが仲良くして、何か問題があるかしら?」
「ひっ…も、問題、ありません、妃殿下っ…」
「そう。───あら?貴女、顔色が悪いわね。チェレン、ミーナ、ハーブロート公爵令嬢は体調が優れないようだから、お母様の所へ連れて行って差し上げて」
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
シローヌはあっという間にメイド2人に連れて行かれた。
令嬢達は侮蔑の眼差しで見送るが、レイラは気づかず、純粋に心配していた。
「お姉ちゃん、お腹痛いの?」
「そうよ。ベッドでお休みするの。だから、シローヌが良くなるまで、私達とお喋りしましょう!」
達、と聞いて、レイラは不安げに他の令嬢達を見回す。
令嬢達はすぐさま淑女の仮面を被り、幼い子どもを安心させるように微笑んだ。
目には憐憫が宿っているが、無垢な子どもは気づかない。
レイラは満面の笑顔で頷いた。
ハーブロート公爵家の悍ましい秘密が明るみに出たのは、お茶会から5日後の事であった。
シローヌ・ハーブロート公爵令嬢は、長年に渡り実の父親と、義妹、義母を虐待し続けていた。
レイラとその母親が公爵家に迎え入れられたのは、約5年前。
シローヌは13歳、レイラは10歳であった。
義母は高級娼婦だったが、元々没落貴族の令嬢であったため、後妻でも問題ないと、現公爵が屋敷に招き入れて籍を入れて、めでたく夫婦となった。
それは、母親を亡くしたばかりのシロ─ヌにとって耐えられない事だったかもしれない。
シローヌの怒りは凄まじいものだった。
シローヌは、母親を慕っていたメイドや家令達を言含めて、義母を薬漬けにして監禁、人質にし、父親を脅迫した。
自分に従わなければ、義母とレイラを殺す。
誰にも助けを求めず、黙って仕事を続けていればいい。
そしてレイラは、檻に監禁され、虐待と洗脳が行われていた。
檻に入れられ、凄まじい体罰を受けていたせいで精神年齢はかなり下がっている。
レイラが言う事を聞かない、泣く、癇癪を起こすと、夏は高温の部屋に放置され、冬は極寒の中外に放り出された。さらに、ある時は熱湯を、ある時は冷水をかけられ、鞭を打たれ、蹴られ、殴られ、熱した火かき棒を押し付けられた。
しかし、ちゃんと言う事を聞けば、褒められたし、優しくされた。
暖かいご飯を食べられたし、ふかふかのベッドで眠ることができた。
そうやって15歳になるまで洗脳し、支配していった。
さらに、無知なのをいいことに、周囲から孤立させるように言含め、飼い殺しそうな変態男どもに引き取られるように仕向けた。
変態どもに食い散らかせ、惨めに死んでしまえば、自分達を裏切った父親への最高の復讐になるだろうと。
幸い、爵位が高かったためか、そのような人物に見初められることなく、王太子妃に救助された。
シローヌも、まさか癇癪を起こして暴れるレイラに話しかける令嬢がいるとは思ってもみなかったのである。
しかも、皮肉と嫌味とは言え、褒めたのだ。幼い心のレイラにはとても嬉しかったのだろう。
こうして、シローヌの凶行は白日の下に晒され、レイラ達は保護されたのだった。
報告書を読み終えたララは、深い深いため息をついた。
まさか、シローヌがあんな凶行に走るなんて思いもよらなかった。
空はララの気分を反映したように厚い雲が覆っている。
憂を帯びた顔が窓ガラスに映し出されて、余計に憂鬱になる。
そこへ、夫である王太子がやってきた。
金髪と海のような深い碧が美しい、容姿端麗な男だ。
貴族らしい逸物ありそうな微笑みだが、これは純粋に心配しているとララは見抜いていた。
「お疲れ様。ここ数日、大変だったろう」
「大変だったのは私ではなく、叔父様よ…」
現国王の弟であるハーブロート公爵は、前夫人の葬式以来の再会となったが、その姿はあまりにも変貌していた。
毒は盛られていなかったが、馬車馬の如く働かされ、更に愛人とその子どもは常に命の危険に晒され、助けを求められないよう魔法契約までさせられたのだ。ストレスはかなりのものだったのだろう、病人と見間違える程痩せ細っていた。
兄と姪がレイラを助けたと知った時、そのまま倒れてしまった。
目が覚めた後、レイラと5年ぶりの再会を果たし、涙を流して抱き合っていた。
「長い療養とリハビリが必要らしいわ」
「大丈夫。公爵領の運営は、予定通り親戚筋の息子が執り行う。人格にも問題ないし、お家乗っ取りとかも発生しない」
夫の報告にララは頷くが、顔色は優れない。
理由はわかっている夫は、慰めるように肩に手を添えた。
「ハーブロート公爵夫人の事は、残念だったね…」
ハーブロート公爵夫人は既に手遅れだった。
5年に渡る薬物の摂取により、廃人と化していた。
神殿の聖女や神官でも治療はできない程に、体はボロボロで、呼吸をする度にどこかしらの細胞が死滅している。
いくら元娼婦とはいえ、正式にハーブロート公爵夫人となっているので、薬物を投与していた前公爵夫人のメイド数名を拷問にかけた後、速やかに処刑した。
「その事もあるけど、問題はこっちよ…」
ララは報告書を夫に渡す。
夫は読み進めて、いつもの王太子としての仮面を完全に忘れて、愕然とした表情を浮かべた。
「え…え?これ、本当なのか?」
「ええ。親子鑑定もしたから、間違いないわ」
拷問をしていたメイドが、痛みに耐えかねて許しを乞う中、信じられない事実を口にした。
「まさか、シローヌがおばさまの不貞の子なんて…」
なんと、シローヌはハーブロート公爵の娘では無かった。
人でなしの一族と名高いデッドリー子爵との不貞の子だった。
前公爵夫人の不貞は、シローヌが生まれる前から始まっていた。
すぐに気がついて即刻離婚しようとしたが、前公爵夫人の父親である辺境伯がこれを阻止した。
娘が浮気したのは、お前が甲斐性なしだからという罵倒と共に、辺境の守りを放棄するという脅しを使ってきた。いくら王位継承権を放棄しているとはいえ、王族であつハーブロート公爵を、脅したのである。
元々、現在の辺境伯は帝国からの貸出(という名の殆ど侵略行為)で、王家の言う事を全く聞かない。
この出来事で、王家との仲が一気に悪化したといえよう。
凄まじい攻防を繰り広げた末、再構築の流れになったが、夫婦仲は冷え切っていた。
そして、性懲りも無く再び浮気をした前公爵夫人は誰の子かもわからない子を妊娠した。
王家も再構築は無理だと判断したが、これ以上辺境伯との軋轢は避けたいので、公爵は秘密裏に新しい妻を娶った。
それが、レイラの母親である。
元々は聡明な公爵令嬢だったが、婿入りした男──彼女の父親が稀代の大馬鹿者で、爵位を担保に大博打に近い投資をしたところ、王族が感知する前にあっという間に破滅した。
悪漢に売り払われる前に母親──レイラの祖母が知り合いに頼み娼館に匿った事でレイラの母親は無事だったが、これで一家離散し、父親と兄はバラされて売られ、母親は最底辺の娼館に売られて僅か2ヶ月で命を散らした。
顛末を知った王家が急いでレイラの母親を探し、ようやく見つかったところで、王家の後ろ盾を得てハーブロート公爵家へ嫁入りするという話になった。
辺境伯に気取られるように子どもを産み、育て、そして遊びすぎて性病にかかった前公爵夫人が死んだところで、公爵家に迎え入れた。
シローヌは辺境伯の養子になる予定だった。
だがしかし、狂気に駆られたシローヌによって、公爵は妻と子どもを人質に取られ、シローヌと親子関係を無理矢理続けさせざるを得なくなった。
ここで、実子じゃないと告げれば、もっと狂う可能性があったからだ。
地下牢に閉じ込められたシローヌは真実を知り、錯乱していた。
自分こそが、穢らわしいと思っていた不義の子であったと受け入れたくない様子であったため、公爵の判断は正しかった。
「…で?辺境伯の処遇は?」
「帝国に返還してお取り潰しにするそうよ」
「え!?」
予想もしなかった答えに、夫は唖然とする。
てっきり、帝国に圧力をかけられて大した処罰がされないと思っていたのだ。
それが、お取り潰し。
柔らかく言っているだけで、実質「族滅」である。
一族郎党、母親の腹の中にいる赤ん坊から、病気で伏せったお年寄りまで鏖殺である。
「どうして…辺境伯と皇帝は、親戚だろう?」
「イングラス公爵」
「?それはレイラの母親の実家だろう?」
「前皇帝の大恩人だそうよ。50年前の魔族侵攻で戦った際に、イングラス公爵は前皇帝を命懸けで救ったの」
50年前。禁足地である北の果ての大地から、魔族が侵攻してきた。
暗雲立ち込め、大地は魔で黒く覆われ、空気が汚れた。
魔族達は、通りすがらに町や村、小国を完膚なきまでに粉砕し、踏み潰していった。
その未曾有の危機に立ち上がったのは、帝国、王国、公国である。
およそ数百万の魔の軍勢と、同じ数の人間の同盟軍が激突し、凄まじい戦いが勃発した。
人間側が劣勢だったが、イングラス公爵を筆頭とした聖女の家系が、形勢を逆転させた。
その時、イングラス公爵と妻の聖女が皇帝の命を救ったのだ。
皇帝は残忍で冷酷、そして敵には一切の慈悲も容赦もない男だが、義理堅い一面もあった。
帝国と王国が同盟を結べたのも、イングラス公爵がいる限り他国に手を出させないという牽制であった。
イングラス公爵の没落に関しても、バカな男のせいでと大層嘆き悲しみ、辺境伯に命令して父親の実家と分家を族滅させた。
ララは報告書を読んだが、かなり気分の悪くなるような惨たらしい内容で、途中で読むのをやめた程だ。
一族の死体は、木の杭で串刺しにされて辺境伯領にて晒され、イングラス公爵の没落に激怒していた王侯貴族も、想像を絶する凄惨な光景に慄き同情した。
悪夢のような光景を作り出した悪鬼羅刹どもは、今度は前皇帝陛下の手によって族滅させられる。
「前皇帝陛下から連絡が来た時は、あのお母様でさえ動揺していたわ」
「それは、まあ…」
「しかも、今までの事を詫びた内容だったから、宰相はひっくり返ったの」
夫は絶句する。
あの暴虐の皇帝が詫びるとは、全く想像がつかない。
「レイラの事を慮っていたわ。本当に、イングラス公爵に恩義を感じていたのね」
「……そうなると、辺境伯は確実に───」
───夫の予想通り、辺境伯とその一族が待ち受けていたのは、絶望と死だった。
前皇帝の憤怒と憎悪は、人間とは思えないほど苛烈を極めた。
幼い子どもは生きたまま魔獣に追いかけ回された後に食い殺され、なす術のない赤ん坊は燃えて溶けた鉄の中に放り込まれた。
大人達は残酷な拷問の末に磔にされ、レイラが受けた同じ苦しみを5年受けた後、子ども達と同じ結末を迎える事になる。
それが、3日後に待ち受ける残酷な運命だった。
辺境伯と同じ苛烈で残忍な性質をシローヌが受け継いだばかりに、辺境伯はその長い歴史に幕を下ろす。
辺境伯にレイラの情報を伝えなかった諜報部員のリーダーがいたらしいが、それが辺境伯の息子であり、シローヌの伯父だった。姉を蔑ろにしたハーブロート公爵が許せず、あらぬ噂を流し、更に情報の規制をして周囲に悟られないようにシローヌをフォローしていた。
今になって知った辺境伯は、息子を瀕死の状態にしてシローヌと共に捧げ、助命嘆願を行うつもりだが、親より人間らしい現皇帝に怪物を止める術はない。
再び沈黙が部屋を支配する。
耐えかねたララは、深く息を吐いてから、「辺境伯には、再びジュドー侯爵一族が就くそうよ」と疲れ切った声を発した。
壊滅しかけていた本来の辺境伯であるジュドー侯爵家は、ようやく立て直しが完了し、これを機に辺境伯に返り咲く。
忠義の騎士と呼ぶべき清廉潔白な一族だ。辺境は安心して彼らに任せられる。
あとは、帝国に靡いた貴族を駆逐すれば、全て元通りになる。
「私たちの代で元通りになって良かった…」
「そうだね…これからいい方に向かっていく。レイラも、ハーブロート公爵も」
「きっとそうね…」
ララは空を見上げる。
厚い雲の隙間から陽光が差しており、これからの道筋を祝福しているように思えた。
───数年後、ララとその夫が王の座につき、数十年の間、平和的な国政を敷いて国民から絶対的な支持を得た。
狂気の少女シローヌだが、辺境伯一族とは別に凄絶な結末を迎えた。
前皇帝の憎悪はシローヌに最も向けられ、レイラにしようとしていた事を罰として行った。
変態男どもに嬲られ、殺されかけても必ず治療されて死なず、魔道具で自殺できず、およそ20年もの間地獄のような日々を過ごした。
体型が崩れてきたので相手にされなくなり、解放されるかと思いきや、その後非人道的な投薬実験を30年も続けられ、最期は実験の果てに変異した体が魔道具の材料になるとの事で、神経の一本に至るまで細かくバラバラにされた。
レイラは暫くの間王家で療養し、ハーブロート公爵とともに心の傷を癒して年相応の娘となった。
その後は公爵領に戻って安寧と過ごしたあと、遠縁の男性と結婚して再びイングラス公爵を興し、幸せな日々を送り、晩年には沢山の孫に囲まれてその生涯を終えたという。
「いやよいやよ!どうして!?私は高貴な存在なのよ!?なんでこんな安物で満足しなきゃいけないの!!」
ヒステリックな金切り声に、他の令嬢達は青ざめたり、顔を顰めたり、珍獣を見るような嘲笑と、三者三様の反応を示した。
今日は、この国の王太子妃が開催したお茶会の日である。
それをぶち壊しているのは、レイラ・ハーブロート公爵令嬢である。
しかし、公爵令嬢と言っても、彼女は愛人の子である。
本妻が死んだ後、喪が明ける前に、公爵がさっさと後妻とレイラを招き入れた。
本妻との子である、シローヌ・ハーブロート公爵令嬢も参加しているが、主催で従姉妹でもあるララ・ユフォン王太子妃と共に別室で少し話をしている筈だ。
「まあ、聞きしに勝る癇癪ぶりですわ。まるで、幼子のよう」
ここにいる高位貴族の令嬢の大半は、かの有名なレイラ・ハーブロート公爵令嬢を一目見たいと楽しみにしていたのである。
レイラの癇癪は凄まじく、美しいはずの金髪を振り乱し、歯を剥き、顔を真っ赤にさせて涙を流しながらテーブルを叩いている。
レイラの醜態は、社交界中に轟き、吟遊詩人が声高に歌っている程だ。
曰く、デビュタントの際に、凄まじい癇癪を起こして周囲の男性に密着し、姉を困らせた。
曰く、どこに行っても癇癪を起こし、恐ろしい辺境伯から平民に御者に泣きついた。
曰く、姉が招かれたお茶会に、無理矢理着いていって台無しにした。
曰く、思い通りに行かずにタウンハウスをめちゃくちゃにした。
貴族の庶子問題は、それはそれは魑魅魍魎、悲喜交々としたストーリーが多々ある。しかし、ここまで露骨にまずいのは珍しい。
本妻の子よりも愛して甘やかす馬鹿親は星の数程おり、大抵碌な教育をされずに大醜態を晒すが、一応取り繕ってはいる筈だ。
しかし、目の前の珍獣は、取り繕うどころか曝け出している。
貴族の幼児でもこんな無様は晒さないだろう。
予想を上回る醜態っぷりに、周囲は冷ややかに、それでいて好奇に目を細め、目の前の獲物をどうしてくれようかと画策している。
その中でも、貴族の中で一際悪どいという侯爵令嬢が嗤った。
「ふふふ、お見事ですわね。レイラ・ハーブロート公爵令嬢。ここにいる全ての令嬢の心を鷲掴みにして、王太子妃殿下よりも目立っておりますわね」
無論、称賛ではなく挑発である。
そうすれば、更なる醜態を晒すと思ったからだ。
しかし、反応は予想外のものが返ってきた。
あれだけ喚き散らし、暴れていたレイラの動きがピタリと止まり、侮辱した侯爵令嬢を見つめた後、にっこりと屈託なく笑ったのである。
「本当!?褒めてくれてありがとう!」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────はい?」
目の前の珍獣が何を言ったのか理解できず、侯爵令嬢は数度瞬く。
ありがとう?
お礼?を?言われた???
何故????????????
他の令嬢達も、混迷の境地に入っていた。
先程まで醜態を晒していた珍獣が、ニコニコと嬉しそうに笑って、殆ど気絶している侯爵令嬢の手を取って振っている。
なんだ?どういうことだ?
ただのバカで愚かな愛人の子ではないのか?
「すごいすごい!初めて褒められた!お姉ちゃんの言った通りだ!」
「…あ、あの、今日はお姉様に何と言われてここに来たのですか?」
真っ先に正気を取り戻した気弱そうな子爵令嬢が質問すると、令嬢達が我に返ってレイラの返事を固唾を飲んで待つ。
「今日は、お姫様のお茶会だって言ってたよ。だから、レイラはいつも通りにしてって言われた」
まるで子どものような喋り方で、子どものように笑い、いまだに侯爵令嬢の手を取ってブンブン振って遊んでいる。
侯爵令嬢は正気に戻っているものの、ニコニコ笑うレイラの手を振り払うのは気が引けるのか、それともまだ混乱しているのか、困っている様子だ。
見た目と言動がチグハグだ。
演技でやっているとはとても思えない。
「いつも通りって…もしかして、さっき騒いだ事でしょうか?」
察しの良い別の公爵令嬢が、分かりやすく質問をする。顔は怒りと恐怖で強張っていた。
レイラはうん、と行儀良く頷いた。
「お姉ちゃんが言ってたの。いっぱい騒いで、いっぱい暴れれば、みんなレイラの事褒めて、好きになってくれるって!レイラとお母様は、お父様が居なくなったら家か追い出されるから、いっぱい騒いで、特に男の人と仲良くしなさいって!」
周囲が静まり返る。
恐怖、侮蔑、怒り、失望に彩った顔で、貴族令嬢達は目配せした。
「……………………………………どなたか、現ハーブロート公爵夫人を見たという方はいらっしゃいますか?」
古くから王国を支えている由緒正しい公爵令嬢が、静かだがよく通る声で質問をする。
誰も答えないのが、答えだった。
ここに居る誰もが、実物を見た者はいない。
毒婦やら、貴族の雌犬らしい下品で豪奢な格好をしているだとか、他の男をたぶらかしているとかは、全て噂でしか聞いたことがない。
それなりに社交界に出ている令嬢達もいるが、本当に、誰1人として公爵夫人を見ていない。
「では、ハーブロート公爵は?」と訊ねると、勝ち気そうな男爵令嬢が手を挙げて一歩前に出た。
公爵令嬢が続きを促すと、男爵令嬢は澱みなく滔々と答えた。
「ファーソーン男爵家のウェイラインと申します。先週の初めに、現当主である私の父と商談がありました」
「その際に何か不審な点は?」
「商談は無事に成立しましたが…数年前に比べて随分と老け込んみ痩せ細ったそうです。父が心配したと記憶しております」
「そう…よく、分かったわ」
怜悧な顔立ちの公爵令嬢は、深いため息の後に庭園の奥へ視線を向けた。
そこには、冷めた表情のララ・ユフォン王太子妃と2名のメイド、そして、死人のような顔色になったレイラの姉である、シローヌ・ハーブロートが立っていた。
ララは口元に微笑みを浮かべているものの、目は全く笑っておらず、護衛のメイドは、化け物を見るかのようにシローヌを見ていた。
シローヌは今にも倒れそうな程ふらついているが、誰も助けようとはしない。
令嬢達は見事なカーテシーをするが、レイラは無垢な瞳でララを見つめた。
無礼な行為だが、ララは咎める事はせずに、今度は本当に微笑んでレイラに近づいた。
「!?まっ───」
シローヌがララを止めようとするが、メイド2名が立ち塞がって見えなくなる。
姉が見えなくなって不安そうにしているレイラを、ララが安心させるように目線を合わせて微笑み、壊れ物を扱うように優しく手を握った。
「こんにちは、レイラ。私はララよ。貴女の言う、お姫様ね」
「!お姫様!すごい!本物!」
レイラは嬉しそうにはしゃぎ、ララの手を握り返した。
子どものように温かい手は、よく見ると細かい傷が走っていることに気づく。
「お会いできて光栄です、お姫様!」
「私もとっても嬉しいわ。貴女も私の従姉妹ですもの。お茶とお菓子は美味しかった?」
「え、あ───」
レイラは何かを思い出したかのように顔をあげ、見えなくなった姉に目を向けた後、青ざめて俯いてしまった。
「あ、あの…お姉ちゃんに、お姫様と、みんなと喋っちゃいけないって、言われてたの、忘れてました…」
「あら、それはどうして?」
「騒いでないのに喋っても、仲良くなれない、みんなから嫌われるよって…」
「そんな事ないわ。レイラとこうしてお喋りができて、とても嬉しいもの」
「ほ、ほんと…?」
レイラは恐る恐るララとシローヌを交互に見る。
すると、ララは振り返ってシローヌに穏やかな声で話しかけた。
「ねえ、ハーブロート公爵令嬢。私とレイラが仲良くして、何か問題があるかしら?」
「ひっ…も、問題、ありません、妃殿下っ…」
「そう。───あら?貴女、顔色が悪いわね。チェレン、ミーナ、ハーブロート公爵令嬢は体調が優れないようだから、お母様の所へ連れて行って差し上げて」
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
シローヌはあっという間にメイド2人に連れて行かれた。
令嬢達は侮蔑の眼差しで見送るが、レイラは気づかず、純粋に心配していた。
「お姉ちゃん、お腹痛いの?」
「そうよ。ベッドでお休みするの。だから、シローヌが良くなるまで、私達とお喋りしましょう!」
達、と聞いて、レイラは不安げに他の令嬢達を見回す。
令嬢達はすぐさま淑女の仮面を被り、幼い子どもを安心させるように微笑んだ。
目には憐憫が宿っているが、無垢な子どもは気づかない。
レイラは満面の笑顔で頷いた。
ハーブロート公爵家の悍ましい秘密が明るみに出たのは、お茶会から5日後の事であった。
シローヌ・ハーブロート公爵令嬢は、長年に渡り実の父親と、義妹、義母を虐待し続けていた。
レイラとその母親が公爵家に迎え入れられたのは、約5年前。
シローヌは13歳、レイラは10歳であった。
義母は高級娼婦だったが、元々没落貴族の令嬢であったため、後妻でも問題ないと、現公爵が屋敷に招き入れて籍を入れて、めでたく夫婦となった。
それは、母親を亡くしたばかりのシロ─ヌにとって耐えられない事だったかもしれない。
シローヌの怒りは凄まじいものだった。
シローヌは、母親を慕っていたメイドや家令達を言含めて、義母を薬漬けにして監禁、人質にし、父親を脅迫した。
自分に従わなければ、義母とレイラを殺す。
誰にも助けを求めず、黙って仕事を続けていればいい。
そしてレイラは、檻に監禁され、虐待と洗脳が行われていた。
檻に入れられ、凄まじい体罰を受けていたせいで精神年齢はかなり下がっている。
レイラが言う事を聞かない、泣く、癇癪を起こすと、夏は高温の部屋に放置され、冬は極寒の中外に放り出された。さらに、ある時は熱湯を、ある時は冷水をかけられ、鞭を打たれ、蹴られ、殴られ、熱した火かき棒を押し付けられた。
しかし、ちゃんと言う事を聞けば、褒められたし、優しくされた。
暖かいご飯を食べられたし、ふかふかのベッドで眠ることができた。
そうやって15歳になるまで洗脳し、支配していった。
さらに、無知なのをいいことに、周囲から孤立させるように言含め、飼い殺しそうな変態男どもに引き取られるように仕向けた。
変態どもに食い散らかせ、惨めに死んでしまえば、自分達を裏切った父親への最高の復讐になるだろうと。
幸い、爵位が高かったためか、そのような人物に見初められることなく、王太子妃に救助された。
シローヌも、まさか癇癪を起こして暴れるレイラに話しかける令嬢がいるとは思ってもみなかったのである。
しかも、皮肉と嫌味とは言え、褒めたのだ。幼い心のレイラにはとても嬉しかったのだろう。
こうして、シローヌの凶行は白日の下に晒され、レイラ達は保護されたのだった。
報告書を読み終えたララは、深い深いため息をついた。
まさか、シローヌがあんな凶行に走るなんて思いもよらなかった。
空はララの気分を反映したように厚い雲が覆っている。
憂を帯びた顔が窓ガラスに映し出されて、余計に憂鬱になる。
そこへ、夫である王太子がやってきた。
金髪と海のような深い碧が美しい、容姿端麗な男だ。
貴族らしい逸物ありそうな微笑みだが、これは純粋に心配しているとララは見抜いていた。
「お疲れ様。ここ数日、大変だったろう」
「大変だったのは私ではなく、叔父様よ…」
現国王の弟であるハーブロート公爵は、前夫人の葬式以来の再会となったが、その姿はあまりにも変貌していた。
毒は盛られていなかったが、馬車馬の如く働かされ、更に愛人とその子どもは常に命の危険に晒され、助けを求められないよう魔法契約までさせられたのだ。ストレスはかなりのものだったのだろう、病人と見間違える程痩せ細っていた。
兄と姪がレイラを助けたと知った時、そのまま倒れてしまった。
目が覚めた後、レイラと5年ぶりの再会を果たし、涙を流して抱き合っていた。
「長い療養とリハビリが必要らしいわ」
「大丈夫。公爵領の運営は、予定通り親戚筋の息子が執り行う。人格にも問題ないし、お家乗っ取りとかも発生しない」
夫の報告にララは頷くが、顔色は優れない。
理由はわかっている夫は、慰めるように肩に手を添えた。
「ハーブロート公爵夫人の事は、残念だったね…」
ハーブロート公爵夫人は既に手遅れだった。
5年に渡る薬物の摂取により、廃人と化していた。
神殿の聖女や神官でも治療はできない程に、体はボロボロで、呼吸をする度にどこかしらの細胞が死滅している。
いくら元娼婦とはいえ、正式にハーブロート公爵夫人となっているので、薬物を投与していた前公爵夫人のメイド数名を拷問にかけた後、速やかに処刑した。
「その事もあるけど、問題はこっちよ…」
ララは報告書を夫に渡す。
夫は読み進めて、いつもの王太子としての仮面を完全に忘れて、愕然とした表情を浮かべた。
「え…え?これ、本当なのか?」
「ええ。親子鑑定もしたから、間違いないわ」
拷問をしていたメイドが、痛みに耐えかねて許しを乞う中、信じられない事実を口にした。
「まさか、シローヌがおばさまの不貞の子なんて…」
なんと、シローヌはハーブロート公爵の娘では無かった。
人でなしの一族と名高いデッドリー子爵との不貞の子だった。
前公爵夫人の不貞は、シローヌが生まれる前から始まっていた。
すぐに気がついて即刻離婚しようとしたが、前公爵夫人の父親である辺境伯がこれを阻止した。
娘が浮気したのは、お前が甲斐性なしだからという罵倒と共に、辺境の守りを放棄するという脅しを使ってきた。いくら王位継承権を放棄しているとはいえ、王族であつハーブロート公爵を、脅したのである。
元々、現在の辺境伯は帝国からの貸出(という名の殆ど侵略行為)で、王家の言う事を全く聞かない。
この出来事で、王家との仲が一気に悪化したといえよう。
凄まじい攻防を繰り広げた末、再構築の流れになったが、夫婦仲は冷え切っていた。
そして、性懲りも無く再び浮気をした前公爵夫人は誰の子かもわからない子を妊娠した。
王家も再構築は無理だと判断したが、これ以上辺境伯との軋轢は避けたいので、公爵は秘密裏に新しい妻を娶った。
それが、レイラの母親である。
元々は聡明な公爵令嬢だったが、婿入りした男──彼女の父親が稀代の大馬鹿者で、爵位を担保に大博打に近い投資をしたところ、王族が感知する前にあっという間に破滅した。
悪漢に売り払われる前に母親──レイラの祖母が知り合いに頼み娼館に匿った事でレイラの母親は無事だったが、これで一家離散し、父親と兄はバラされて売られ、母親は最底辺の娼館に売られて僅か2ヶ月で命を散らした。
顛末を知った王家が急いでレイラの母親を探し、ようやく見つかったところで、王家の後ろ盾を得てハーブロート公爵家へ嫁入りするという話になった。
辺境伯に気取られるように子どもを産み、育て、そして遊びすぎて性病にかかった前公爵夫人が死んだところで、公爵家に迎え入れた。
シローヌは辺境伯の養子になる予定だった。
だがしかし、狂気に駆られたシローヌによって、公爵は妻と子どもを人質に取られ、シローヌと親子関係を無理矢理続けさせざるを得なくなった。
ここで、実子じゃないと告げれば、もっと狂う可能性があったからだ。
地下牢に閉じ込められたシローヌは真実を知り、錯乱していた。
自分こそが、穢らわしいと思っていた不義の子であったと受け入れたくない様子であったため、公爵の判断は正しかった。
「…で?辺境伯の処遇は?」
「帝国に返還してお取り潰しにするそうよ」
「え!?」
予想もしなかった答えに、夫は唖然とする。
てっきり、帝国に圧力をかけられて大した処罰がされないと思っていたのだ。
それが、お取り潰し。
柔らかく言っているだけで、実質「族滅」である。
一族郎党、母親の腹の中にいる赤ん坊から、病気で伏せったお年寄りまで鏖殺である。
「どうして…辺境伯と皇帝は、親戚だろう?」
「イングラス公爵」
「?それはレイラの母親の実家だろう?」
「前皇帝の大恩人だそうよ。50年前の魔族侵攻で戦った際に、イングラス公爵は前皇帝を命懸けで救ったの」
50年前。禁足地である北の果ての大地から、魔族が侵攻してきた。
暗雲立ち込め、大地は魔で黒く覆われ、空気が汚れた。
魔族達は、通りすがらに町や村、小国を完膚なきまでに粉砕し、踏み潰していった。
その未曾有の危機に立ち上がったのは、帝国、王国、公国である。
およそ数百万の魔の軍勢と、同じ数の人間の同盟軍が激突し、凄まじい戦いが勃発した。
人間側が劣勢だったが、イングラス公爵を筆頭とした聖女の家系が、形勢を逆転させた。
その時、イングラス公爵と妻の聖女が皇帝の命を救ったのだ。
皇帝は残忍で冷酷、そして敵には一切の慈悲も容赦もない男だが、義理堅い一面もあった。
帝国と王国が同盟を結べたのも、イングラス公爵がいる限り他国に手を出させないという牽制であった。
イングラス公爵の没落に関しても、バカな男のせいでと大層嘆き悲しみ、辺境伯に命令して父親の実家と分家を族滅させた。
ララは報告書を読んだが、かなり気分の悪くなるような惨たらしい内容で、途中で読むのをやめた程だ。
一族の死体は、木の杭で串刺しにされて辺境伯領にて晒され、イングラス公爵の没落に激怒していた王侯貴族も、想像を絶する凄惨な光景に慄き同情した。
悪夢のような光景を作り出した悪鬼羅刹どもは、今度は前皇帝陛下の手によって族滅させられる。
「前皇帝陛下から連絡が来た時は、あのお母様でさえ動揺していたわ」
「それは、まあ…」
「しかも、今までの事を詫びた内容だったから、宰相はひっくり返ったの」
夫は絶句する。
あの暴虐の皇帝が詫びるとは、全く想像がつかない。
「レイラの事を慮っていたわ。本当に、イングラス公爵に恩義を感じていたのね」
「……そうなると、辺境伯は確実に───」
───夫の予想通り、辺境伯とその一族が待ち受けていたのは、絶望と死だった。
前皇帝の憤怒と憎悪は、人間とは思えないほど苛烈を極めた。
幼い子どもは生きたまま魔獣に追いかけ回された後に食い殺され、なす術のない赤ん坊は燃えて溶けた鉄の中に放り込まれた。
大人達は残酷な拷問の末に磔にされ、レイラが受けた同じ苦しみを5年受けた後、子ども達と同じ結末を迎える事になる。
それが、3日後に待ち受ける残酷な運命だった。
辺境伯と同じ苛烈で残忍な性質をシローヌが受け継いだばかりに、辺境伯はその長い歴史に幕を下ろす。
辺境伯にレイラの情報を伝えなかった諜報部員のリーダーがいたらしいが、それが辺境伯の息子であり、シローヌの伯父だった。姉を蔑ろにしたハーブロート公爵が許せず、あらぬ噂を流し、更に情報の規制をして周囲に悟られないようにシローヌをフォローしていた。
今になって知った辺境伯は、息子を瀕死の状態にしてシローヌと共に捧げ、助命嘆願を行うつもりだが、親より人間らしい現皇帝に怪物を止める術はない。
再び沈黙が部屋を支配する。
耐えかねたララは、深く息を吐いてから、「辺境伯には、再びジュドー侯爵一族が就くそうよ」と疲れ切った声を発した。
壊滅しかけていた本来の辺境伯であるジュドー侯爵家は、ようやく立て直しが完了し、これを機に辺境伯に返り咲く。
忠義の騎士と呼ぶべき清廉潔白な一族だ。辺境は安心して彼らに任せられる。
あとは、帝国に靡いた貴族を駆逐すれば、全て元通りになる。
「私たちの代で元通りになって良かった…」
「そうだね…これからいい方に向かっていく。レイラも、ハーブロート公爵も」
「きっとそうね…」
ララは空を見上げる。
厚い雲の隙間から陽光が差しており、これからの道筋を祝福しているように思えた。
───数年後、ララとその夫が王の座につき、数十年の間、平和的な国政を敷いて国民から絶対的な支持を得た。
狂気の少女シローヌだが、辺境伯一族とは別に凄絶な結末を迎えた。
前皇帝の憎悪はシローヌに最も向けられ、レイラにしようとしていた事を罰として行った。
変態男どもに嬲られ、殺されかけても必ず治療されて死なず、魔道具で自殺できず、およそ20年もの間地獄のような日々を過ごした。
体型が崩れてきたので相手にされなくなり、解放されるかと思いきや、その後非人道的な投薬実験を30年も続けられ、最期は実験の果てに変異した体が魔道具の材料になるとの事で、神経の一本に至るまで細かくバラバラにされた。
レイラは暫くの間王家で療養し、ハーブロート公爵とともに心の傷を癒して年相応の娘となった。
その後は公爵領に戻って安寧と過ごしたあと、遠縁の男性と結婚して再びイングラス公爵を興し、幸せな日々を送り、晩年には沢山の孫に囲まれてその生涯を終えたという。
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