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序章 こうして私のお嬢様生活は始まった

6.淑女は西園寺の母として告げる

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「一つ、問わせてもらうわ。今後に関わる重要な質問だから、嘘偽りなく、はっきりと答えて。瑞樹……いえ。瑞樹の中の『あなた』。あなたは、今……まだ、この世界が夢か何かだと、思ってはいないかしら? 好き勝手に生きて、いざ問題が浮き彫りになってもやり直しがきく。そういう状況にある、そう思ってはいないかしら」

 私がその問いかけをしたのはほかでもない、私自身が一度誤った選択をして、とてつもない後悔を強いられてしまったからだ。
 今もまだ、その後悔はなくならない。いまだに、社交界では白い目で見られることが時々あるからだ。

 西園寺に似つかわしくない。なぜあんな女が西園寺に選ばれたのか。西園寺は目が曇ったか。
 そんなことばかり、言われたし、今でもたまに言われることがある。
 特に一番堪えられないのは、私を選んだ・・・西園寺家自体をそしる言葉だ。
 事実であるがために、何も言い返せない。故に耐えるしかなく、とてもつらく、重い荷となって私にのしかかってくるのである。

 そんな荷を、瑞樹には、そして瑞樹という存在に宿った『中の人』には背負ってほしくない。だから、というべきか。私には、一つ、決意していることがある。
 すでに夫には理解と納得と、許可をもらっている。だから、あとは瑞樹の返答を聞くだけである。
 かけた言葉が辛らつだとは私は思う。でも、それでも言わなければ、後悔するのはこの子だ。少なくとも、この世界は名家に生まれた者にとってそう甘い世界ではないということを、私は知っている。知ってしまっている。だから、言わざるを得ない。この世界が、どれだけ厳しい世界なのかを。

 私の言葉を受けて、瑞樹はしばらく茫然としていたが、やがてぽつり、と声を発した。

「…………えっと、その、」
「うん? なにかしら。急かさないから、落ち着いて答えてちょうだい」
「は、はぃ……」

 案の定、すっかり縮こまってしまっている。
 そしてなにやら悔やむような表情をする。
 これはよく考えないで行動していたパターンだと、一番合ってほしくなかったパターンだとうかがうことができて、私は内心ちょっとだけ鬱屈とした感情を持ってしまった。
 これで少なくとも、現状では瑞樹に中学以降もここにいられる、とは言えなくなってしまったからだ。入学して以降、太陽のような笑みを浮かべる瑞樹を見て、場合によっては中学以降も親公認で公立に、と思ってはいたけど、やはりそうはいかないようだ。
 最初はそう思ったが、瑞樹の言葉を聞くとそれは早計だったとわかった。

「正直、言えばあまり考えてはきませんでした。ただ、どこかしら前世で『見た』未来像と現実を重ねてしまったのは事実です」
「それは……」
「つまり、お嬢様はこの現実をやはり、夢のようだと……?」

 菅野はそう取ったようだが、ほんの少し考えて、それは違うと私は断じる。なぜなら、この子は私と同じ、『レン劇』プレイヤーだったのだから。
 だから、この子の言ったそれはおそらく……。

「悪い意味で、前世でやってた『ゲーム』と同じ世界だ、と捉えてしまったわけね」

 こくん、と頷く瑞樹。やはり、そういうことだったようだ。
 考えてみれば、そのケースは考えていなかったのは事実だ。
 前世で読んだネット小説にもこういったケースがあったのはうっすらと覚えているけど、大抵は『悪役』や単純な『その身内』だった。『悪役の身内』が『攻略対象』というのもなくはなかったかもしれないが……それでも、レン劇はちょっとだけその内容がハード過ぎた。
 ゆえに悪い意味で『ゲーム』の設定と重ねてみてしまってもおかしくはない話だった。すなわち――西園寺家が没落するのではないか、という懸念だ。かつて、私もこの家に嫁いできた時に通った同じ道。
 でも、そうならないように私や、私の夫がいるのだし、この子が考えることではないのだ。
 それ・・は、少なくとも今は、この子が考えることではない。私達が考えて、そうならないような道を進ませる時期だ。

「なら、そんなくだらない警戒心は捨てなさい。少なくとも、今のあなたには不要よ」
「どうして?」
「未来は確定じゃない。あなたが動かなくても、私達の方でも皐月の『運命』はいかようにもできる。だって――あの子だって、私の子供なのよ?」
「あ――」

 虚を突かれたように、瑞樹は目を見開く。
 そもそも彼女にとっては、私までもが転生者だということ自体が想定外だったのだから、そこまで考えが至らなくてもおかしくはない話だ。
 でも、これは事実である。ある程度成長すればそうではなくなるものの、親の言うことが絶対であるこの世界の『名家』の子供たち。
 私達親が一番やってはいけないのは、子供たちに間違った教育をして傲慢な性格に育ててしまうことだ。それにはもちろん、普段の私生活でどうあっても見せてしまう仕草でさえ含まれる。

「少なくとも、皐月は大丈夫よ。あの子が通ってる学園は校風が校風だからね。断言する。私達が前世でプレイしていたゲームに出て来るような『皐月』は、存在し得ないって」
「…………、」
「だから、あえてより苦痛を強いられるような茨の道を自ら進むような真似をしなくてもいいの。あなたは最初から、袋小路のような『運命』から外れているんだから」

 どういえば、瑞樹を、その『中の人』を説得できるのか、懸命に言葉を選んで、ありったけの気持ちを込めて言う。
 どうか気づいて、どうか過去のことは忘れて、今の現実を見てほしいと。
 通わせている学園が違う時点で、すでに物語の中にいた『彼女』の設定と、今の皐月はかけ離れている。この後どうなるかはもちろん、私達親次第。でも、私がこの気持ちを忘れない限り、皐月も傲慢な悪徳・・令嬢にはならないと私は確信している。
 だから、ありもしない『妄想』にとらわれて、自分で輝かしい未来を捨てようとしている馬鹿なこの子を、どうにかして元の道に戻らせないと、いけない。
 すでに瑞樹は俯いてしまっている。それはそうだろう。これまでやってきたことが、時には年甲斐もなく・・・・・・地団駄を踏んでまで我を通したその『努力』が、実は無駄なことだった、といわれているのだから。
 でも、私は待たない。待ってはいられない。
 待たせたら、きっとこの子は――。

「ねぇ、聞かせて。あなたは本当は、どうしたい?」
「……え?」
「実はね。すでに、瑛斗さんには事情をすべて説明してあるの。包み隠さず。だから、今回の件についても、瑛斗さんと話し合って、あなたには三つの道を用意してある」
「どういう、こと……?」

 再び、驚いたような表情。当たり前だろう、普通なら前世の記憶があるなど、間違っても他人に言っていいことではない。言ったところで信じてもらえないし、それどころか正気を疑うからだ。
 だが、今回の件について夫と話す際に、自分のことも話してしまったのである。
 結果は、やはり私は面白い、結婚してよかったとどこかずれた答えが返ってきたが。しかし瑞樹のただならない様子に『おおもとの原因』が存在することは理解してくれたようで、柔軟な対応で相談に乗ってくれたのは僥倖といえよう。
 おかげで、私にとっての最悪だけは何とか回避できたのだから。

「あのね。あなた、自分がどういう立場にあるか、わかってる? 普通の名家なら、どこか適当な場所に一軒家を買って、そこに住まわせて事実上の育児放棄、ということだってあり得る状態なの。思い当たる節があったとはいえ、立ち直らせるのに普通に説得をしただけでは無理だと断定できるところまでいってた。だから、私は決死の覚悟ですべてを話さざるを得なくなったのよ。あなたを救うために」

 いくら『お手伝いさん』が付き添うとはいえ、一軒家に十数年も子供一人の状態が続くとあっては、心の中に大きな穴が開いた状態でその後の人生を歩まなければならないだろう。そんなのは悲しすぎる話だ。
 せっかくお腹を痛めて産んだ我が子なのだ、前世がどうだったかは知らないけど、この世界では幸せな人生を送らせてあげたいと思うのはいけないことだろうか。

「もう一度、聞くわね。あなたはこの世界で、どう生きたい? 西園寺の娘としてお嬢様生活を全うしたいのか、一時的にかつ疑似的にでも一般人らしい学生生活を送りつつ西園寺の娘としてふさわしいお嬢様を目指すか。それとも――これまであなたが思っていたように、本当の意味で一般人となりたいのか」
「お嬢様生活……一般人…………」
「そう。最終的には、そのどちらか。この家に女として生まれた以上、あなたがお嬢様学校に通うことはほぼ確定されていた。お嬢様生活を送ることも、ほぼ確定されていた。それを打ち壊したのはあなた自身だし、その先の暗い未来を招き寄せたのも望んだのもあなた自身。でも、私はあなたがその暗い未来へ旅立つのは見たくない。だから、無理を通して、三つの選択肢を用意したのよ」
「……選ばせて、くれるんですか?」
「えぇ。逆に、そうでなければこんなことは聞かないわ。とっくに、どこぞの地方へ放逐してる」
「…………容赦、ないですね」
「当り前よ。こちとら失敗続きで失望されてたけど、それでも一応は名家のお嬢様として英才教育を施されてたんだもの。先輩・・を、舐めんなっての」

 横合いから菅野が『言葉が汚いですよ、奥様』と苦笑しながらたしなめて来るが、まぁ、その中にはどこか理解の意をはらんでおり、決して心の底からといったものではないのがうかがえた。
 視線でごめんなさい、と謝りながら瑞樹に選択を迫る。
 すでに、私の気持ちと、覚悟は伝えた。あとはこの子の答えを待つだけだ。

「…………できるなら、一般人としての人生を、歩みたい。やっぱり、お嬢様生活って窮屈そうだから……」
「……そう」

 果たして、答えは私にとっては望ましくないことだった。一家離散はないとは前もって言っていたけど、それでもせっかく作れた『家族』という輪から離れることになってしまうのは確かだ。
 でも、ある意味ではそれが最善なのかもしれない。どれだけ取り繕っても――やはり、中身は庶民でしかないのだから。この子も、そして私も。
 そこまで考えたところで、瑞樹が再び口を開いたことでまだ言葉が終わっていないことに気づく。

「でも、それじゃいやだって思ってる私も、いる。なにより、プライドが許してくれない」
「プライド?」
「うん……。どれだけ取り繕っても、私が西園寺であることは覆せない。この家に生まれた以上――その義理は、果たさないとね。この家の名に恥じない、立派な『ご令嬢』にならないといけない、って思ってる」
「つまり、それが西園寺という『家』に対する義理を立てることになる、と?」
「正確にはそれと、母さん、父さんにも、だけどね」
「そう……」

 なんとなく、とってつけたようなありきたりっぽい『続き』だった。でも、しばらく、じっと目を見据えてみたけど、その目は逸らされることはなく、どこまでもまっすぐだった。
 大丈夫だ。この目は、信頼できる目。社交パーティーにまともに参加したことなどこの家に嫁いできてからだったけど、そこで培われた私の『目』は、この年になってようやっとまともに働くようになってきたと自負している。だから、これが本心だと、信じて問題はなさそうだ。

「そう。じゃあ、決まったわね」
「決まった……?」
「そう。今後のこと。あなたは……瑞樹は、このままあなたの好きなように進学しなさい。あなたがそう望むのなら、私達は無理して進学先を指定することはしない」
「それは、……でも……」

 一瞬だけ、喜ばしい表情を浮かべたものの、すぐに曇らせる。
 まぁ、当然だろう。私が今言ったのは、一般人として生きなさい、といっているのと同じなのだから。でも、瑞樹がそうしたように、わたしもこれで終わりじゃない。

「ただし。将来は西園寺の令嬢としてふさわしい人になってもらうわよ」
「……それって」
「言ったでしょう。選択肢は三つだ、って。西園寺の娘としてお嬢様生活を全うしたいのか、一時的にでも一般人らしい学生生活を送りつつ西園寺の娘としてふさわしいお嬢様を目指すか。それともこれまであなたが思っていたように、本当の意味で一般人となりたいのか、って。小説とかなら二つ目を選ぶのが一番盛り上がるけど、まさか現実でそれを選ぶなんてね~」
「…………許して、くれるんですか?」
「許すも何も、選択肢の一つとして挙げていた以上、問題はないわね。瑛斗さんも、その道を選んだなら、それはそれで認めるって言ってくれたわ」
「じゃあ……――」
「ただし!」

 恐る恐る、嘘ではないかと伺ってくる瑞樹だったが、失礼なと思いつつ夫も私の方針を尊重してくれていると、これは両親からの公認なのだといった途端、今度こそぱぁっと顔を輝かせた。
 見れば、重圧から解放されたような心情さえうかがえる顔だ。まあ、実際かなり重い雰囲気で話をしてしまったから、かなりの重圧を感じていただろう。だから、こうなるのは必然だ。よく耐えてくれた、よく本心を言ってくれた、とほめてあげてもいいくらいだとも思う。

 でも、あえてそうはしない。だって、まだいうことがあるのだから。

「さっきも言った通り、将来西園寺を名乗るにふさわしい淑女になってもらいます。そのための英才教育も受けてもらいますからね」
「あ……はい、まぁ……お嬢様学校に通わず、普通の学校に通うなら当然かな、と覚悟はしています」
「アイドルも真っ青なハードスケジュールが毎日続くと思うから、今のうちにそれも覚悟してね? それと、お嬢様学校に通わない以上、俗世に染まり切らないようにある程度の矯正が必要ね。ついては、瑞樹に限って、私が子供時代に親から課せられていたのと同じような制限を付けさせてもらいます。具体的には令嬢としての立ち振る舞いの指導、並びに私生活の娯楽の面において禁則事項を増やさせていただきます」
「えぇっと……できれば、お手柔らかにお願いします…………」
「ダ・メ・よ♪ 普通なら許されない選択をしたのだから、相応の代償は払わないとね~」
「うぅ……」

 太陽のような表情から一転、再び顔をどんより曇らせる瑞樹。でも、こればっかりは譲れない。普通の子たちと普通に接することを、許すことはできない。だって私は、――私達は、西園寺・・・。日本どころか、世界中に声を響かせて世界をうならせることもできる、超大富豪一族の、本家筋なのだから。

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