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第28話 治水
広めにとった河川敷の横には、巨大な土の塊が盛り上がり、まるで大地に爪を立てた巨大な獣の背骨のような、凸の字のような台形の堤防が築かれていく。普段は穏やかなこの川も、ひとたび雨が降れば、牙を剥き出し、全てを飲み込む暴れ川へと変貌する。この地域には、かつて大洪水によって多くの村が押し流されたという恐ろしい伝説も残っている。この川には、怒りやすい水の精霊が棲んでいるとも言われていた。
「ただ堤防を高く盛り上げるだけでは、駄目なのですか?」
ガレスが、素朴な疑問を口にした。
「短期的には問題ないが、この川は天井川に近い状態だ。川底が周辺の地面の高さよりも高い位置にあるため、もし堤防が決壊し、川より地盤が低い堤内地に洪水が流れ込むと、川に水を戻すことが困難になり、被害が甚大になる。本来ならば、定期的に川の流れを変える付け替え工事を行う方が良いのだが……」
「最低でも、伯爵級以上の権威を持ち、この川が流れる全ての領地の領主に許可を得なければならないということですね」
ガレスは、すぐにその困難さを理解した。
「その通りだ。費用も莫大になるからな。本来であれば、国が音頭を取って資金を出すべきことなのだがな」
エルは、苦笑した。
政治……政とは本来、集落が集まり、都市国家化していく際に、氾濫原の源でもある豊かな河を制御しようとしたことが、その始まりと言える。灌漑農業と治水は表裏一体であり、汎ユーラシア文明、取り分け東洋では、竜は水害の隠喩である。
古代中国の文帝や煬帝は、国を傾け民が困窮しても治水を行った。
川とは、古代において道であり、上下水道であったのだ。税金をかけるべきは、本来、社会の根幹であるインフラなのだ。
多分、異世界で本当に生きる知識は、医療、政治、経済、戦争、農業、土木だろうな……。どれも、そんなに詳しくないし……さて、どうしたものか……。
エルは、前世の断片的な知識と、この世界の常識を照らし合わせながら、今後の領地運営について深く思案していた。
「取り敢えず、こちらに被害が出ないように、しっかりと堤防を作ることが最優先だ。生活や農業に使う支流には水門を設けるのがベストだろう」
エルは、ガレスに指示を出した。
昔は木を植えることで、地盤を固めるのに役立つと言われていたが、近年では否定されているらしい。実利を優先するために、河川敷には、水害に強い作物の栽培を推奨することにした。
品目を限定化し、この地域ではまだ一般的ではないが、主食となる米の生産を推奨し、暫定的に無税、あるいは大幅な減税とすることに決めた。米は、畑の性質から連作障害に強く、また、この地域で主に栽培されている麦類よりも優れた収穫性を誇るからだ。
「ここはどうしますか?濁流がカーブに激突し、堤に穴を開けて決壊するというのが、概ねのお約束ですが」
ガレスは、領内を流れる川の、途中にあるヘアピンのように鋭く曲がった箇所を指さしながら、エルに尋ねた。
「川の中に、水流の勢いを弱める構造物を設置し、下流に行くに従い、その力を減衰させる。あとは、基本である堤防の強化だろうな」
エルは答えた。
「しかし、エル様。上流からの勢いを弱める構造物とは、具体的にどのようなものでしょうか?」
ガレスは、首を傾げた。
「木か、あるいは魔法の力で強化したコンクリートのような人工の岩で作る柵のようなものだな」エルは言った。
「柵ですか?」
「そうだ。騎兵の突撃の威力を弱めるために、柵を置くだろう?」
エルは、ガレスに例え話をした。
「なるほど、そういうことですか」
ガレスは、得心が言ったのか、声を上げた。
「水も同じだ。突破力を弱めてやれば、大した被害は出にくくなる」
エルは続けた。
「では、どうやって水の力を散らすのですか?」
「『聖牛』や『将棋頭』、『消波ブロック』と呼ばれる設備だ」
エルは、それぞれの構造を簡単な絵図で示しながら説明を続けた。
「聖牛は、安価で簡単に量産できるが、耐久性は低い。逆に、将棋頭と消波ブロックは、石やコンクリートを使うからコストはかかるものの、耐久性に優れ商品化もできやすい」
「確かに、これを川に設置すれば、激流から堤防を守ることができそうですね!」
と、ガレスはエルを褒めそやした。
「先の先まで考えておられるとは、流石は次期ステップド騎士爵を継ぐお方です!」
「気が早いな。あと三十年は、父さまに頑張ってもらわないと……」
エルは、苦笑した。
ヘアピンカーブの部分は、他の場所よりも堤防を厚めに作ることにした。さらに、カーブを解消するために、「く」の字の内側を削り、「逆D字」のような貯水池を作る。そして、最も水流が激しくぶつかる角には、将棋頭や聖牛と呼ばれる、古の治水術にも用いられた構造物を建設・設置し、水の勢いを殺すことに焦点を当てている。
税の支払いを渋る者は多いが、この治水事業は、皆が自分たちの生死に関わることだと認識しているためか、多くの領民が積極的に参加している。彼らの顔には、単なる疲労の色だけでなく、これから景気が良くなるという希望の光も宿っているように見えた。全ては、未来に向けた布石だ。エルは、この地が、いつか豊かな実りを迎え、人々が安心して暮らせるようになることを信じて、作業を見守っていた。
「ただ堤防を高く盛り上げるだけでは、駄目なのですか?」
ガレスが、素朴な疑問を口にした。
「短期的には問題ないが、この川は天井川に近い状態だ。川底が周辺の地面の高さよりも高い位置にあるため、もし堤防が決壊し、川より地盤が低い堤内地に洪水が流れ込むと、川に水を戻すことが困難になり、被害が甚大になる。本来ならば、定期的に川の流れを変える付け替え工事を行う方が良いのだが……」
「最低でも、伯爵級以上の権威を持ち、この川が流れる全ての領地の領主に許可を得なければならないということですね」
ガレスは、すぐにその困難さを理解した。
「その通りだ。費用も莫大になるからな。本来であれば、国が音頭を取って資金を出すべきことなのだがな」
エルは、苦笑した。
政治……政とは本来、集落が集まり、都市国家化していく際に、氾濫原の源でもある豊かな河を制御しようとしたことが、その始まりと言える。灌漑農業と治水は表裏一体であり、汎ユーラシア文明、取り分け東洋では、竜は水害の隠喩である。
古代中国の文帝や煬帝は、国を傾け民が困窮しても治水を行った。
川とは、古代において道であり、上下水道であったのだ。税金をかけるべきは、本来、社会の根幹であるインフラなのだ。
多分、異世界で本当に生きる知識は、医療、政治、経済、戦争、農業、土木だろうな……。どれも、そんなに詳しくないし……さて、どうしたものか……。
エルは、前世の断片的な知識と、この世界の常識を照らし合わせながら、今後の領地運営について深く思案していた。
「取り敢えず、こちらに被害が出ないように、しっかりと堤防を作ることが最優先だ。生活や農業に使う支流には水門を設けるのがベストだろう」
エルは、ガレスに指示を出した。
昔は木を植えることで、地盤を固めるのに役立つと言われていたが、近年では否定されているらしい。実利を優先するために、河川敷には、水害に強い作物の栽培を推奨することにした。
品目を限定化し、この地域ではまだ一般的ではないが、主食となる米の生産を推奨し、暫定的に無税、あるいは大幅な減税とすることに決めた。米は、畑の性質から連作障害に強く、また、この地域で主に栽培されている麦類よりも優れた収穫性を誇るからだ。
「ここはどうしますか?濁流がカーブに激突し、堤に穴を開けて決壊するというのが、概ねのお約束ですが」
ガレスは、領内を流れる川の、途中にあるヘアピンのように鋭く曲がった箇所を指さしながら、エルに尋ねた。
「川の中に、水流の勢いを弱める構造物を設置し、下流に行くに従い、その力を減衰させる。あとは、基本である堤防の強化だろうな」
エルは答えた。
「しかし、エル様。上流からの勢いを弱める構造物とは、具体的にどのようなものでしょうか?」
ガレスは、首を傾げた。
「木か、あるいは魔法の力で強化したコンクリートのような人工の岩で作る柵のようなものだな」エルは言った。
「柵ですか?」
「そうだ。騎兵の突撃の威力を弱めるために、柵を置くだろう?」
エルは、ガレスに例え話をした。
「なるほど、そういうことですか」
ガレスは、得心が言ったのか、声を上げた。
「水も同じだ。突破力を弱めてやれば、大した被害は出にくくなる」
エルは続けた。
「では、どうやって水の力を散らすのですか?」
「『聖牛』や『将棋頭』、『消波ブロック』と呼ばれる設備だ」
エルは、それぞれの構造を簡単な絵図で示しながら説明を続けた。
「聖牛は、安価で簡単に量産できるが、耐久性は低い。逆に、将棋頭と消波ブロックは、石やコンクリートを使うからコストはかかるものの、耐久性に優れ商品化もできやすい」
「確かに、これを川に設置すれば、激流から堤防を守ることができそうですね!」
と、ガレスはエルを褒めそやした。
「先の先まで考えておられるとは、流石は次期ステップド騎士爵を継ぐお方です!」
「気が早いな。あと三十年は、父さまに頑張ってもらわないと……」
エルは、苦笑した。
ヘアピンカーブの部分は、他の場所よりも堤防を厚めに作ることにした。さらに、カーブを解消するために、「く」の字の内側を削り、「逆D字」のような貯水池を作る。そして、最も水流が激しくぶつかる角には、将棋頭や聖牛と呼ばれる、古の治水術にも用いられた構造物を建設・設置し、水の勢いを殺すことに焦点を当てている。
税の支払いを渋る者は多いが、この治水事業は、皆が自分たちの生死に関わることだと認識しているためか、多くの領民が積極的に参加している。彼らの顔には、単なる疲労の色だけでなく、これから景気が良くなるという希望の光も宿っているように見えた。全ては、未来に向けた布石だ。エルは、この地が、いつか豊かな実りを迎え、人々が安心して暮らせるようになることを信じて、作業を見守っていた。
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