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第44話 爵位
謁見の間は、巨大な静寂に包まれていた。磨き上げられた大理石の床が、ステンドグラスから差し込む光を反射し、荘厳な、しかし冷たい空間を作り出している。玉座に座す国王は、四十代半ばだろうか。その顔に刻まれたしわは、単なる年齢ではなく、国家を背負う者の重責を物語っていた。彼の傍らには、王国の重臣たちが並び、その中には、勝ち誇った笑みを浮かべる宗主伯爵の姿もあった。
「ステップド騎士爵。勅令については、特使より聞き及んでおろう」
国王の声は、穏やかでありながら、逆らうことを許さない絶対的な響きを持っていた。
「貴殿の働きに、余は深く感謝している。故に、王国へ直接奉仕するという、最大級の栄誉を与えることにした。その務め、滞りなく果たすことを期待する」
それは、問いかけではない。決定事項の最終通告だった。父ガイウスが、緊張でこわばった顔のまま、深く頭を下げてその言葉を受け入れようとした、その瞬間。
「お待ちください、陛下」
父の隣にいたエルキュールが、一歩前に出た。その場にいた誰もが、息を呑む。幼い子供が、国王の言葉を遮るなど、前代未聞の無礼だった。伯爵の口元に、嘲笑の色が浮かぶ。
「失礼を承知で申し上げます」エルキュールの声は、静かな謁見の間に、凛として響いた。「我々ステップド家は、陛下より賜りました栄誉ある務めを、ただ果たすだけでは、あまりに不忠であると考えております」
「……ほう、申してみよ」国王が、面白そうに眉を上げた。
「我々は、陛下の期待を、遥かに『超える』ご提案を携えて、参上いたしました」
エルキュールはそう言うと、宮廷儀礼を半ば無視する形で、革鞄から紙の束を取り出した。彼が心血を注いで作り上げた、事業計画書だ。
「陛下。勅令に示された要求量を、我々がただこなした場合、五年で王国が手にする利益は、このグラフの通りとなります」
彼は、美しいインクで描かれた図表を、国王の前に広げてみせた。
「しかし、もし、王家が我々に『投資』してくださるならば。すなわち、初年度の要求量を緩和し、我々が領地の生産基盤をさらに拡大することを、お許しいただけるのであれば……」
彼は、もう一枚の、未来予測を示した図表を差し出した。「五年後の王国への献上量は、当初の計画に比べ、実に五割増しとなるでしょう。これは、実った畑からただ収穫するのか、あるいは、新たな種を播いて、さらなる畑を耕すのか、の違いでございます」
エルキュールは、嘆願する家臣としてではなく、王国の利益を最大化するための、有能な事業責任者(プロジェクトマネージャー)として語っていた。謁見の間は、驚きと困惑の沈黙に包まれた。国王は、初めて玉座から身を乗り出すと 、「続けよ」と命じた。
◇
それから数日間、王城の一室で、前代未聞の交渉が続けられた。国王の側近である財務大臣や軍務大臣が、エルキュールの計画書を隅々まで検証し、鋭い質問を浴びせる。だが、エルキュールは、自らが作り上げたデータを元に、その全てに、淀みなく、論理的に答えていった。伯爵は、何度も「子供の戯言だ」と茶々を入れようとしたが、エルキュールの圧倒的な論理と、彼が提示する「利益」の前に、その言葉は次第に力を失っていった。
しかし、交渉は、ある一点で行き詰まる。王家側は、ステップド家の将来性を認めつつも、前例のない要求を呑むことに、躊躇していた。
「……エルキュール殿。君の才覚は認める。だが、我々が譲歩するに足る、決定的な何かが、まだ足りぬ」
財務大臣の言葉に、エルキュールは、静かにうなずいた。そして、最後の切り札を、テーブルの上に置いた。それは、一つの、雪のように白い磁器の壺だった。
「陛下。これは、我々の領地で、新たなる製法によって生み出された『白磁』でございます」
その、これまで大陸の東方でしか作れないとされてきた、幻の陶磁器の登場に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「これは、我々の持つ可能性の、ほんの一端に過ぎません。陛下が、我々という名のガチョウを、ただ飢えさせるだけではなく、健やかに育ててくださるのであれば、我々は、このような『金の卵』を、今後も陛下のためだけに、産み続けることをお約束いたします」
◇
その言葉が、天秤を動かした。国王は、目先の支配よりも、未来の、測り知れない利益を選んだ。
数日後、新たな勅令が、ステップド家に対して発布された。
それは、エルキュールにとって、完全な勝利を意味していた。
王家への献上義務は残る。しかし、その量は、領地の成長に合わせて段階的に引き上げられる、現実的なものへと修正された。
そして、その「対価」として。
第一に、旧サイム領を含めた、現在のステップド家の支配領域が、王家によって正式に承認されること。
第二に、その功績と、拡大した領地の規模を認められ、ステップド家は、騎士爵から『準男爵』へと昇爵されること。
第三に、王家直轄特区として、宗主である伯爵家を含む、あらゆる貴族からの干渉を排除し、高度な自治権を保証する『王家特許状(ロイヤル・チャーター)』が、授与されること。
国王は、ステップド家を支配下に置く代わりに、彼らを王家直属の、強力な「利益共同体」として、取り込むことを選んだのだ。
◇
王城の門を、父と二人で出る。中庭の向こうで、伯爵が、怒りと不信感に顔を歪ませて、こちらを睨みつけていた。
父ガイウスは、息子の肩に、そっと手を置いた。その手は、誇りと、畏敬の念で、かすかに震えていた。
エルキュールの手には、国王の印璽が押された、真新しい特許状が握られていた。彼は、国家の圧力を、自らを守る最強の盾へと変えてみせたのだ。
彼はもはや、辺境の騎士爵家の、聡明な子どもではない。王がその存在を認め、法がその権利を保証する、ステップド準男爵家の、若き当主代行。
王都のまばゆい日差しの中で、エルキュールは、自らが、より巨大で、より危険な、新たなゲームの盤上に立たされたことを、静かに自覚していた。
「ステップド騎士爵。勅令については、特使より聞き及んでおろう」
国王の声は、穏やかでありながら、逆らうことを許さない絶対的な響きを持っていた。
「貴殿の働きに、余は深く感謝している。故に、王国へ直接奉仕するという、最大級の栄誉を与えることにした。その務め、滞りなく果たすことを期待する」
それは、問いかけではない。決定事項の最終通告だった。父ガイウスが、緊張でこわばった顔のまま、深く頭を下げてその言葉を受け入れようとした、その瞬間。
「お待ちください、陛下」
父の隣にいたエルキュールが、一歩前に出た。その場にいた誰もが、息を呑む。幼い子供が、国王の言葉を遮るなど、前代未聞の無礼だった。伯爵の口元に、嘲笑の色が浮かぶ。
「失礼を承知で申し上げます」エルキュールの声は、静かな謁見の間に、凛として響いた。「我々ステップド家は、陛下より賜りました栄誉ある務めを、ただ果たすだけでは、あまりに不忠であると考えております」
「……ほう、申してみよ」国王が、面白そうに眉を上げた。
「我々は、陛下の期待を、遥かに『超える』ご提案を携えて、参上いたしました」
エルキュールはそう言うと、宮廷儀礼を半ば無視する形で、革鞄から紙の束を取り出した。彼が心血を注いで作り上げた、事業計画書だ。
「陛下。勅令に示された要求量を、我々がただこなした場合、五年で王国が手にする利益は、このグラフの通りとなります」
彼は、美しいインクで描かれた図表を、国王の前に広げてみせた。
「しかし、もし、王家が我々に『投資』してくださるならば。すなわち、初年度の要求量を緩和し、我々が領地の生産基盤をさらに拡大することを、お許しいただけるのであれば……」
彼は、もう一枚の、未来予測を示した図表を差し出した。「五年後の王国への献上量は、当初の計画に比べ、実に五割増しとなるでしょう。これは、実った畑からただ収穫するのか、あるいは、新たな種を播いて、さらなる畑を耕すのか、の違いでございます」
エルキュールは、嘆願する家臣としてではなく、王国の利益を最大化するための、有能な事業責任者(プロジェクトマネージャー)として語っていた。謁見の間は、驚きと困惑の沈黙に包まれた。国王は、初めて玉座から身を乗り出すと 、「続けよ」と命じた。
◇
それから数日間、王城の一室で、前代未聞の交渉が続けられた。国王の側近である財務大臣や軍務大臣が、エルキュールの計画書を隅々まで検証し、鋭い質問を浴びせる。だが、エルキュールは、自らが作り上げたデータを元に、その全てに、淀みなく、論理的に答えていった。伯爵は、何度も「子供の戯言だ」と茶々を入れようとしたが、エルキュールの圧倒的な論理と、彼が提示する「利益」の前に、その言葉は次第に力を失っていった。
しかし、交渉は、ある一点で行き詰まる。王家側は、ステップド家の将来性を認めつつも、前例のない要求を呑むことに、躊躇していた。
「……エルキュール殿。君の才覚は認める。だが、我々が譲歩するに足る、決定的な何かが、まだ足りぬ」
財務大臣の言葉に、エルキュールは、静かにうなずいた。そして、最後の切り札を、テーブルの上に置いた。それは、一つの、雪のように白い磁器の壺だった。
「陛下。これは、我々の領地で、新たなる製法によって生み出された『白磁』でございます」
その、これまで大陸の東方でしか作れないとされてきた、幻の陶磁器の登場に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「これは、我々の持つ可能性の、ほんの一端に過ぎません。陛下が、我々という名のガチョウを、ただ飢えさせるだけではなく、健やかに育ててくださるのであれば、我々は、このような『金の卵』を、今後も陛下のためだけに、産み続けることをお約束いたします」
◇
その言葉が、天秤を動かした。国王は、目先の支配よりも、未来の、測り知れない利益を選んだ。
数日後、新たな勅令が、ステップド家に対して発布された。
それは、エルキュールにとって、完全な勝利を意味していた。
王家への献上義務は残る。しかし、その量は、領地の成長に合わせて段階的に引き上げられる、現実的なものへと修正された。
そして、その「対価」として。
第一に、旧サイム領を含めた、現在のステップド家の支配領域が、王家によって正式に承認されること。
第二に、その功績と、拡大した領地の規模を認められ、ステップド家は、騎士爵から『準男爵』へと昇爵されること。
第三に、王家直轄特区として、宗主である伯爵家を含む、あらゆる貴族からの干渉を排除し、高度な自治権を保証する『王家特許状(ロイヤル・チャーター)』が、授与されること。
国王は、ステップド家を支配下に置く代わりに、彼らを王家直属の、強力な「利益共同体」として、取り込むことを選んだのだ。
◇
王城の門を、父と二人で出る。中庭の向こうで、伯爵が、怒りと不信感に顔を歪ませて、こちらを睨みつけていた。
父ガイウスは、息子の肩に、そっと手を置いた。その手は、誇りと、畏敬の念で、かすかに震えていた。
エルキュールの手には、国王の印璽が押された、真新しい特許状が握られていた。彼は、国家の圧力を、自らを守る最強の盾へと変えてみせたのだ。
彼はもはや、辺境の騎士爵家の、聡明な子どもではない。王がその存在を認め、法がその権利を保証する、ステップド準男爵家の、若き当主代行。
王都のまばゆい日差しの中で、エルキュールは、自らが、より巨大で、より危険な、新たなゲームの盤上に立たされたことを、静かに自覚していた。
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