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第24話:勝利の祝杯と、甘いひととき
扉を開け放ち、一歩外へ踏み出すと、夜の冷気が戦いで火照った頬を心地よく撫でた。
俺たちは喧騒の渦中にあるギルドを後にし、静まり返った石畳の街路を歩き出していた。空には満月が浮かび、二人の影を青白く伸ばしている。懐には、ずしりとした確かな重みがあった。
――去り際、職員のミライから渡された報酬の入った革袋だ。
「こ、こちらが……今回の素材買取と、特別討伐報酬になります……」
上擦った声で差し出された震える手。運び込まれたドラゴンの素材、そして勇者パーティの凄惨な敗北。一夜にして起きたあまりに大きな出来事の連続に、彼女の処理能力は限界を迎えているようだった。
想像以上の重量。生涯遊んで暮らせるほどの金額が、今、この懐にある。だが、不思議と高揚感は静かだった。金そのものへの執着よりも、これがリリとの生存を証明する対価であるという事実の方が、俺には重要だったからだ。
遠ざかる背後では、まだ微かに騒めきが聞こえる。担架で運ばれていった勇者アルスたちの呻き声と、治療師たちの怒号。
かつて俺を追放した連中の末路。それを憐れむつもりも、嘲笑うつもりもない。ただ、俺たちの道とはもう交わることがないのだと、確信しただけだった。
「行こうか、リリ」
「はい、ジン様」
俺は隣を歩くリリに短く声をかけ、高級宿街の方角へと足を向けた。月明かりの下、二人の足音だけが静かに響いていた。
◇
俺たちが向かったのは、以前利用した宿よりもさらに格式高い、王都でも一、二を争う最高級宿『銀月の庭』だった。死線を越えた身体を癒やし、二人だけの祝杯をあげるには、これ以上ない場所が必要だったからだ。
通されたのは最上階のスイートルーム。足首まで沈み込むような深紅の絨毯、壁に掛けられた名画、そして窓の外に広がる王都の夜景。戦場の土埃と血の匂いが嘘のような、洗練された空間だった。
「すごい……お城みたいですね」
リリが目を輝かせて部屋を見回す。その横顔を見て、俺は少しだけ口元を緩めた。 戦闘中は鬼神の如き強さを見せる彼女も、こうしていると年相応の少女に戻る。
ルームサービスで最高級の料理とワインを注文し、俺たちは向かい合ってソファーに腰を下ろした。
やがて運ばれてきたのは、厚切りの特選ステーキに、新鮮な魚介のマリネ、そして香り高いヴィンテージワイン。グラスを軽く合わせる。澄んだ音が、二人の間の空気を優しく震わせた。
「乾杯」
「乾杯です、ジン様」
一口ワインを含むと、芳醇な香りが鼻腔を抜け、心地よい熱が体内に広がっていく。空腹も手伝って、俺たちは無言で食事を進めた。肉はナイフが不要なほど柔らかく、噛みしめるたびに濃厚な旨味が溢れ出す。
ふと、視線を感じて顔を上げると、リリがフォークに切り分けた肉を刺し、じっとこちらを見ていた。
頬をほんのりと赤らめ、潤んだ瞳でこちらを窺っている。
「……なんだ?」
「あの……ジン様。あーん、して差し上げます」
「は?」
俺は思わず動きを止めた。リリは恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、フォークを下げようとはしない。
「その……私の、感謝の気持ちです。手が、塞がっていると大変でしょう?」
いや、俺の手は完全に空いているし、なんなら今まさに自分のフォークで肉を食べようとしていたところだ。だが、リリの瞳には、拒絶を許さないような、それでいて縋るような色が宿っていた。断れば、彼女は泣き出してしまうかもしれない。そんな予感がした。
「……わかった」
俺は観念して、小さく口を開ける。リリはパァッと花が咲いたような笑顔になり、慎重にフォークを俺の口元へと運んだ。
「はい、あーん」
柔らかな肉の感触と共に、甘いソースの味が広がる。ただの肉だ。自分で食べるのと味など変わるはずがない。それなのに、喉を通るその一口は、妙に甘く、熱く感じられた。
「……どうですか?」
「あぁ……美味いよ」
俺が素っ気なく答えると、リリは「えへへ」と嬉しそうに笑い、自分の頬に手を添えた。その仕草が愛らしくて、直視できずに俺はグラスに手を伸ばす。
しかし、不意にリリの表情から笑みが消え、真剣な眼差しに変わった。彼女はフォークを置き、膝の上でぎゅっと拳を握りしめている。
「ジン様」
「ん?」
「私……夢を見ているみたいです」
リリの声が微かに震えていた。
「少し前までの私は、誰にも必要とされない、呪われた体質のせいで、誰の隣にもいられない存在でした。いつ魔物に殺されても、誰にも知られず野垂れ死んでもおかしくない、そんな惨めな毎日でした」
彼女の脳裏に過っているのは、俺と出会う前の光景だろうか。理不尽な暴力、搾取、そして孤独。それがこの世界の弱者が辿る、ありふれた末路だ。
「でも、ジン様が私を拾ってくださった。私の力を、信じてくださった。……私に、生きる意味をくださいました」
リリの大きな瞳から、ぽろりと涙が溢れ落ちた。それは頬を伝い、握りしめた拳の上に落ちる。
「今日のドラゴンとの戦い……私、怖くありませんでした。ジン様が背中を見ていてくださると思ったら、身体の底から力が湧いてきたんです。……ジン様のおかげで、私は生まれ変われました」
涙声で紡がれる言葉の一つ一つが、俺の胸に突き刺さる。彼女は自分を過小評価している。俺はただ、きっかけを与えたに過ぎない。
俺はソファーから腰を浮かせ、テーブル越しに身を乗り出した。そして、リリの柔らかな銀色の髪に、無骨な手を乗せる。
「……あっ」
リリが驚いて顔を上げる。俺は、子供をあやすように、不器用に、けれど力を込めてその頭を撫でた。
「勘違いするな、リリ」
「え……?」
「俺がすごいんじゃない。今日、あのドラゴンにトドメを刺したのはお前だ。あの速度、あの剣撃……お前自身が血を吐くような努力をして、手に入れた力だ」
髪の感触を掌に感じながら、俺は続ける。
「お前が強かったから、俺たちは勝てた。……俺の方こそ、お前に助けられたんだ」
それは、紛れもない本心だった。俺の支援魔法がいかに強力でも、前衛が脆ければ意味を成さない。リリがいたからこそ、俺の策は完成したのだ。
リリは大きく目を見開き、やがてくしゃりと顔を歪めた。
「ジン様ぁ……っ!」
堰を切ったように泣きじゃくりながら、リリは俺の手に自分の頭を押し付けてくる。その温もりが、彼女が生きている証そのもののように感じられた。
しばらくの間、俺は何も言わず、ただ彼女の頭を撫で続けた。部屋には、リリの嗚咽と、暖炉の薪が爆ぜる音だけが響いていた。
◇
リリが泣き止み、落ち着きを取り戻した頃。俺はテーブルの上の革袋――報酬の山を見やりながら、ふと思い浮かんだ考えを口にした。
「そういえば、リリ」
「はい、なんですか?(グズッ)」
まだ少し鼻声のリリが、ハンカチで目元を拭きながら小首を傾げる。
「これだけの金があれば、宿暮らしを続ける必要もないなと思ってな」
「えっ……?」
「拠点が欲しい。装備のメンテナンスや、お前が気兼ねなく剣を振るえる場所も必要だ。それに、宿だとお前も落ち着かないだろう」
俺はワイングラスを揺らし、何でもないことのように告げた。
「家を買おうと思う。庭付きの、でかいやつを」
リリの動きが完全に止まった。時が止まったかのように凝固した後、彼女の顔がみるみるうちに沸騰したように赤く染まっていく。
「い、家……ですか!?」
「あぁ。どうせなら、王都の一等地に構えようかと思ってな」
「そ、それって……つまり……ジン様と一緒に……ひとつの屋根の下で……あ、あの、えと……」
リリは両手で頬を抑え、視線を泳がせている。拠点としての利便性を説いたつもりだったが、どうやら彼女は別の意味――より情緒的な「家庭」のようなもの――を想像しているらしい。
その慌てふためく様子が、さっきまで泣いていた姿とあまりにギャップがありすぎて、俺は思わず吹き出してしまった。
「ははっ、なんでそんなに慌てるんだ」
「だ、だってぇ……! 心の準備というものが……!」
顔を真っ赤にして抗議するリリ。
その賑やかで温かい空気の中で、俺は改めて勝利の実感を噛み締めていた。
最強への道はまだ半ばだが、帰るべき場所と、守るべきパートナーがいる。それさえあれば、どんな敵が来ようとも負ける気はしなかった。
夜は更けていく。甘く、穏やかな勝利の美酒に酔いしれながら。
俺たちは喧騒の渦中にあるギルドを後にし、静まり返った石畳の街路を歩き出していた。空には満月が浮かび、二人の影を青白く伸ばしている。懐には、ずしりとした確かな重みがあった。
――去り際、職員のミライから渡された報酬の入った革袋だ。
「こ、こちらが……今回の素材買取と、特別討伐報酬になります……」
上擦った声で差し出された震える手。運び込まれたドラゴンの素材、そして勇者パーティの凄惨な敗北。一夜にして起きたあまりに大きな出来事の連続に、彼女の処理能力は限界を迎えているようだった。
想像以上の重量。生涯遊んで暮らせるほどの金額が、今、この懐にある。だが、不思議と高揚感は静かだった。金そのものへの執着よりも、これがリリとの生存を証明する対価であるという事実の方が、俺には重要だったからだ。
遠ざかる背後では、まだ微かに騒めきが聞こえる。担架で運ばれていった勇者アルスたちの呻き声と、治療師たちの怒号。
かつて俺を追放した連中の末路。それを憐れむつもりも、嘲笑うつもりもない。ただ、俺たちの道とはもう交わることがないのだと、確信しただけだった。
「行こうか、リリ」
「はい、ジン様」
俺は隣を歩くリリに短く声をかけ、高級宿街の方角へと足を向けた。月明かりの下、二人の足音だけが静かに響いていた。
◇
俺たちが向かったのは、以前利用した宿よりもさらに格式高い、王都でも一、二を争う最高級宿『銀月の庭』だった。死線を越えた身体を癒やし、二人だけの祝杯をあげるには、これ以上ない場所が必要だったからだ。
通されたのは最上階のスイートルーム。足首まで沈み込むような深紅の絨毯、壁に掛けられた名画、そして窓の外に広がる王都の夜景。戦場の土埃と血の匂いが嘘のような、洗練された空間だった。
「すごい……お城みたいですね」
リリが目を輝かせて部屋を見回す。その横顔を見て、俺は少しだけ口元を緩めた。 戦闘中は鬼神の如き強さを見せる彼女も、こうしていると年相応の少女に戻る。
ルームサービスで最高級の料理とワインを注文し、俺たちは向かい合ってソファーに腰を下ろした。
やがて運ばれてきたのは、厚切りの特選ステーキに、新鮮な魚介のマリネ、そして香り高いヴィンテージワイン。グラスを軽く合わせる。澄んだ音が、二人の間の空気を優しく震わせた。
「乾杯」
「乾杯です、ジン様」
一口ワインを含むと、芳醇な香りが鼻腔を抜け、心地よい熱が体内に広がっていく。空腹も手伝って、俺たちは無言で食事を進めた。肉はナイフが不要なほど柔らかく、噛みしめるたびに濃厚な旨味が溢れ出す。
ふと、視線を感じて顔を上げると、リリがフォークに切り分けた肉を刺し、じっとこちらを見ていた。
頬をほんのりと赤らめ、潤んだ瞳でこちらを窺っている。
「……なんだ?」
「あの……ジン様。あーん、して差し上げます」
「は?」
俺は思わず動きを止めた。リリは恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、フォークを下げようとはしない。
「その……私の、感謝の気持ちです。手が、塞がっていると大変でしょう?」
いや、俺の手は完全に空いているし、なんなら今まさに自分のフォークで肉を食べようとしていたところだ。だが、リリの瞳には、拒絶を許さないような、それでいて縋るような色が宿っていた。断れば、彼女は泣き出してしまうかもしれない。そんな予感がした。
「……わかった」
俺は観念して、小さく口を開ける。リリはパァッと花が咲いたような笑顔になり、慎重にフォークを俺の口元へと運んだ。
「はい、あーん」
柔らかな肉の感触と共に、甘いソースの味が広がる。ただの肉だ。自分で食べるのと味など変わるはずがない。それなのに、喉を通るその一口は、妙に甘く、熱く感じられた。
「……どうですか?」
「あぁ……美味いよ」
俺が素っ気なく答えると、リリは「えへへ」と嬉しそうに笑い、自分の頬に手を添えた。その仕草が愛らしくて、直視できずに俺はグラスに手を伸ばす。
しかし、不意にリリの表情から笑みが消え、真剣な眼差しに変わった。彼女はフォークを置き、膝の上でぎゅっと拳を握りしめている。
「ジン様」
「ん?」
「私……夢を見ているみたいです」
リリの声が微かに震えていた。
「少し前までの私は、誰にも必要とされない、呪われた体質のせいで、誰の隣にもいられない存在でした。いつ魔物に殺されても、誰にも知られず野垂れ死んでもおかしくない、そんな惨めな毎日でした」
彼女の脳裏に過っているのは、俺と出会う前の光景だろうか。理不尽な暴力、搾取、そして孤独。それがこの世界の弱者が辿る、ありふれた末路だ。
「でも、ジン様が私を拾ってくださった。私の力を、信じてくださった。……私に、生きる意味をくださいました」
リリの大きな瞳から、ぽろりと涙が溢れ落ちた。それは頬を伝い、握りしめた拳の上に落ちる。
「今日のドラゴンとの戦い……私、怖くありませんでした。ジン様が背中を見ていてくださると思ったら、身体の底から力が湧いてきたんです。……ジン様のおかげで、私は生まれ変われました」
涙声で紡がれる言葉の一つ一つが、俺の胸に突き刺さる。彼女は自分を過小評価している。俺はただ、きっかけを与えたに過ぎない。
俺はソファーから腰を浮かせ、テーブル越しに身を乗り出した。そして、リリの柔らかな銀色の髪に、無骨な手を乗せる。
「……あっ」
リリが驚いて顔を上げる。俺は、子供をあやすように、不器用に、けれど力を込めてその頭を撫でた。
「勘違いするな、リリ」
「え……?」
「俺がすごいんじゃない。今日、あのドラゴンにトドメを刺したのはお前だ。あの速度、あの剣撃……お前自身が血を吐くような努力をして、手に入れた力だ」
髪の感触を掌に感じながら、俺は続ける。
「お前が強かったから、俺たちは勝てた。……俺の方こそ、お前に助けられたんだ」
それは、紛れもない本心だった。俺の支援魔法がいかに強力でも、前衛が脆ければ意味を成さない。リリがいたからこそ、俺の策は完成したのだ。
リリは大きく目を見開き、やがてくしゃりと顔を歪めた。
「ジン様ぁ……っ!」
堰を切ったように泣きじゃくりながら、リリは俺の手に自分の頭を押し付けてくる。その温もりが、彼女が生きている証そのもののように感じられた。
しばらくの間、俺は何も言わず、ただ彼女の頭を撫で続けた。部屋には、リリの嗚咽と、暖炉の薪が爆ぜる音だけが響いていた。
◇
リリが泣き止み、落ち着きを取り戻した頃。俺はテーブルの上の革袋――報酬の山を見やりながら、ふと思い浮かんだ考えを口にした。
「そういえば、リリ」
「はい、なんですか?(グズッ)」
まだ少し鼻声のリリが、ハンカチで目元を拭きながら小首を傾げる。
「これだけの金があれば、宿暮らしを続ける必要もないなと思ってな」
「えっ……?」
「拠点が欲しい。装備のメンテナンスや、お前が気兼ねなく剣を振るえる場所も必要だ。それに、宿だとお前も落ち着かないだろう」
俺はワイングラスを揺らし、何でもないことのように告げた。
「家を買おうと思う。庭付きの、でかいやつを」
リリの動きが完全に止まった。時が止まったかのように凝固した後、彼女の顔がみるみるうちに沸騰したように赤く染まっていく。
「い、家……ですか!?」
「あぁ。どうせなら、王都の一等地に構えようかと思ってな」
「そ、それって……つまり……ジン様と一緒に……ひとつの屋根の下で……あ、あの、えと……」
リリは両手で頬を抑え、視線を泳がせている。拠点としての利便性を説いたつもりだったが、どうやら彼女は別の意味――より情緒的な「家庭」のようなもの――を想像しているらしい。
その慌てふためく様子が、さっきまで泣いていた姿とあまりにギャップがありすぎて、俺は思わず吹き出してしまった。
「ははっ、なんでそんなに慌てるんだ」
「だ、だってぇ……! 心の準備というものが……!」
顔を真っ赤にして抗議するリリ。
その賑やかで温かい空気の中で、俺は改めて勝利の実感を噛み締めていた。
最強への道はまだ半ばだが、帰るべき場所と、守るべきパートナーがいる。それさえあれば、どんな敵が来ようとも負ける気はしなかった。
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