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第90話:屋敷での一夜
その夜、廃墟同然となっていた『嘆きの白亜邸』に、久しぶりに温かな灯りがともった。 ヴォルグが予備電源を接続し、カエデとグレンが掃除をして、ティアがテーブルクロスを敷く(途中で転んで汚したが、リリが綺麗にした)。
あり合わせの食材で作られた夕食だったが、それは間違いなく、この旅の中で一番美味しい食事だった。
「うめぇ! やっぱ屋根の下で食う飯は格別だな!」
「うむ。埃っぽい匂いすら、故郷の土の匂いのように懐かしく感じる」
グレンとカエデが並んでシチューを啜る。 二人の距離は、旅に出る前よりも随分と近くなっていた。
「なぁカエデ。全部終わったらよ、俺と一緒に道場でもやらねえか?」
「……道場、か。悪くない。貴殿の筋肉と拙者の剣技があれば、最強の門弟が育つだろうな」
二人が未来を語り合っている。 死亡フラグのような会話だが、こいつらに限ってはその心配はないだろう。しぶとさが違う。
「私は……教会に戻って、最初からやり直します。ドジな私でも、誰かの役に立てるって証明したいんです」
ティアも握り拳を作って宣言する。 手配書の一件で教会からは破門同然だが、彼女なら持ち前の明るさ(と悪運)で道を切り開くだろう。
「ケッ、しんみりすんじゃねえよ。俺はまだまだヒヒイロカネの研究で忙しいんだ。まずはあのクソ忌々しい天使の鎧を引っぱがして、素材として持ち帰ってやるぜ!」
ヴォルグがニヤリと笑い、ワインを煽る。
皆、明日生き残ることを疑っていない。 そして、その先の未来を見据えている。 それが俺には眩しく、そして少しだけ胸が痛んだ。
「……リリ」
俺は隣に座るリリを見た。 彼女はニコニコと仲間たちの話を聞いているが、その手元のスープにはほとんど口をつけていなかった。
「食欲がないのか?」
「あ……いえ、お腹がいっぱいで。胸がいっぱい、と言ったほうが正しいかもしれませんね」
リリは誤魔化すように笑い、テーブルの下で自分の手をさすった。 指先の感覚がないのだろうか。 時折、グラスを持とうとして空振りかけたり、布の感触を確かめるような仕草をしている。
◇
食後。 仲間たちがそれぞれの部屋へ引き上げた後、俺はバルコニーに出た。 かつてアルスが破壊した前庭が、月明かりに照らされている。
「ジン様」
背後から声をかけられた。 振り返ると、リリが立っていた。 夜風に銀髪が揺れる。その姿は幻想的で、今にも月光に溶けて消えてしまいそうだった。
「……眠れないのか」
「はい。少し、お話をしたいと思って」
リリは俺の隣に並び、手すりに寄りかかった。
「懐かしいですね。ここでジン様と初めて会った時のこと、昨日のことのように思い出せます」
「ああ。空から看板が落ちてきて、お前が座り込んでいたな」
「ふふっ。あの時、ジン様が助けてくださらなかったら、私は今ここにはいませんでした」
リリは遠くを見るような目で、夜空を見上げた。 頭上には、天使たちの監視網が星々のように光っている。
「ジン様。……私、幸せです」
「……」
「呪われた子として生まれて、地下牢で死ぬはずだった私が、外の世界を知り、仲間と出会い、そして……愛する人の、隣にいられる」
リリが俺の手を取る。 冷たい。 氷のように冷たい手だった。
「これ以上の幸せなんてありません。だから……もし、明日、何があっても……」
「よせ」
俺は彼女の言葉を遮り、その体を抱き寄せた。 華奢な体が、腕の中で折れそうに頼りない。
「別れの挨拶なんて聞きたくない。俺たちは明日、勝つ。そして、この家で暮らすんだ。……そうだろ?」
「……はい」
リリは俺の胸に顔を埋めた。 彼女の肩が震えている。
「怖いです、ジン様……。自分が、自分でなくなっていくようで……。指先が、空気に溶けていくようで……」
リリが本音を漏らす。 楔を破壊するたびに進行する身体の消失。 彼女自身、気づいているのだ。自分がこの世界のシステムの一部であり、システムを壊せば自分も消えるという予感に。
「大丈夫だ。俺が繋ぎ止める」
俺は腕に力を込めた。
「俺は強欲な軍師だ。世界を救うために、お前を犠牲にするなんて選択肢は持っていない。……世界もお前も、両方手に入れる」
それは根拠のないハッタリだ。 だが、今の彼女にはそれが必要だった。
「……はい。信じています」
リリが顔を上げ、背伸びをする。 俺たちは月明かりの下で、静かに口づけを交わした。 冷たい唇に、俺の体温を分け与えるように。
「みゅぅ……」
足元で、ラクが心配そうに俺たちを見上げている。 俺はラクもまとめて抱き上げ、三人(?)で温もりを分け合った。
夜が明ければ、最後の戦いが始まる。 王都の地下。 全ての始まりの場所であり、終わりの場所。
俺はリリの手を握りしめたまま、空が白むまでその場を動かなかった。 その手の感触を、一時たりとも忘れないように。
あり合わせの食材で作られた夕食だったが、それは間違いなく、この旅の中で一番美味しい食事だった。
「うめぇ! やっぱ屋根の下で食う飯は格別だな!」
「うむ。埃っぽい匂いすら、故郷の土の匂いのように懐かしく感じる」
グレンとカエデが並んでシチューを啜る。 二人の距離は、旅に出る前よりも随分と近くなっていた。
「なぁカエデ。全部終わったらよ、俺と一緒に道場でもやらねえか?」
「……道場、か。悪くない。貴殿の筋肉と拙者の剣技があれば、最強の門弟が育つだろうな」
二人が未来を語り合っている。 死亡フラグのような会話だが、こいつらに限ってはその心配はないだろう。しぶとさが違う。
「私は……教会に戻って、最初からやり直します。ドジな私でも、誰かの役に立てるって証明したいんです」
ティアも握り拳を作って宣言する。 手配書の一件で教会からは破門同然だが、彼女なら持ち前の明るさ(と悪運)で道を切り開くだろう。
「ケッ、しんみりすんじゃねえよ。俺はまだまだヒヒイロカネの研究で忙しいんだ。まずはあのクソ忌々しい天使の鎧を引っぱがして、素材として持ち帰ってやるぜ!」
ヴォルグがニヤリと笑い、ワインを煽る。
皆、明日生き残ることを疑っていない。 そして、その先の未来を見据えている。 それが俺には眩しく、そして少しだけ胸が痛んだ。
「……リリ」
俺は隣に座るリリを見た。 彼女はニコニコと仲間たちの話を聞いているが、その手元のスープにはほとんど口をつけていなかった。
「食欲がないのか?」
「あ……いえ、お腹がいっぱいで。胸がいっぱい、と言ったほうが正しいかもしれませんね」
リリは誤魔化すように笑い、テーブルの下で自分の手をさすった。 指先の感覚がないのだろうか。 時折、グラスを持とうとして空振りかけたり、布の感触を確かめるような仕草をしている。
◇
食後。 仲間たちがそれぞれの部屋へ引き上げた後、俺はバルコニーに出た。 かつてアルスが破壊した前庭が、月明かりに照らされている。
「ジン様」
背後から声をかけられた。 振り返ると、リリが立っていた。 夜風に銀髪が揺れる。その姿は幻想的で、今にも月光に溶けて消えてしまいそうだった。
「……眠れないのか」
「はい。少し、お話をしたいと思って」
リリは俺の隣に並び、手すりに寄りかかった。
「懐かしいですね。ここでジン様と初めて会った時のこと、昨日のことのように思い出せます」
「ああ。空から看板が落ちてきて、お前が座り込んでいたな」
「ふふっ。あの時、ジン様が助けてくださらなかったら、私は今ここにはいませんでした」
リリは遠くを見るような目で、夜空を見上げた。 頭上には、天使たちの監視網が星々のように光っている。
「ジン様。……私、幸せです」
「……」
「呪われた子として生まれて、地下牢で死ぬはずだった私が、外の世界を知り、仲間と出会い、そして……愛する人の、隣にいられる」
リリが俺の手を取る。 冷たい。 氷のように冷たい手だった。
「これ以上の幸せなんてありません。だから……もし、明日、何があっても……」
「よせ」
俺は彼女の言葉を遮り、その体を抱き寄せた。 華奢な体が、腕の中で折れそうに頼りない。
「別れの挨拶なんて聞きたくない。俺たちは明日、勝つ。そして、この家で暮らすんだ。……そうだろ?」
「……はい」
リリは俺の胸に顔を埋めた。 彼女の肩が震えている。
「怖いです、ジン様……。自分が、自分でなくなっていくようで……。指先が、空気に溶けていくようで……」
リリが本音を漏らす。 楔を破壊するたびに進行する身体の消失。 彼女自身、気づいているのだ。自分がこの世界のシステムの一部であり、システムを壊せば自分も消えるという予感に。
「大丈夫だ。俺が繋ぎ止める」
俺は腕に力を込めた。
「俺は強欲な軍師だ。世界を救うために、お前を犠牲にするなんて選択肢は持っていない。……世界もお前も、両方手に入れる」
それは根拠のないハッタリだ。 だが、今の彼女にはそれが必要だった。
「……はい。信じています」
リリが顔を上げ、背伸びをする。 俺たちは月明かりの下で、静かに口づけを交わした。 冷たい唇に、俺の体温を分け与えるように。
「みゅぅ……」
足元で、ラクが心配そうに俺たちを見上げている。 俺はラクもまとめて抱き上げ、三人(?)で温もりを分け合った。
夜が明ければ、最後の戦いが始まる。 王都の地下。 全ての始まりの場所であり、終わりの場所。
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