アウトシステム~「80点の楽園」か「150点の地獄」か。AIの正解を論破せよ。~

ジョウジ

文字の大きさ
32 / 35

第32話:最後の抵抗

しおりを挟む
 翌日から、四ツ谷 海(よつや かい)の戦い方は変わった。

 アポイントメントは取らない。オフィスにも戻らない。 彼は、大量の『アウトシステム(OS)』を詰め込んだバッグを背負い、最も人が多い交差点の真ん中に立った。

「思考を……捨てるな……! 機械に……飼い慣らされるな……!」

 海は叫んだ。 だが、その声はもはや演説ではなかった。 喉は潰れ、唇はひび割れ、薄汚れたコートからは泥と汗の臭いが漂っている。 通行人の目には、彼は「高潔な革命家」ではなく、単なる「不潔な狂人」にしか映らない。

「この街は狂ってる……! お前たちが見ているのは……ただのデータだ!」

 海は、通り過ぎる人々に『OS』を突きつけた。 誰も受け取らない。誰も見ない。 彼らの装着する『アルシオーネ』のARフィルターが、海という存在を「不快なバグ」として認識し、リアルタイムで検閲しているのだ。

 彼らが海の方を向くと、その視界の中で海は「黒いノイズの塊」に変換される。 声は、不快な環境音(ホワイトノイズ)にかき消される。 海がどれだけ必死に叫んでも、誰の鼓膜も震わせない。誰の網膜にも映らない。

「……お願いだ、聞いてくれ!」

 海は、信号待ちをしている若い女性の足元に縋り付いた。

「友達が殺されたんだ……! 思考を奪われて、廃人にされたんだ! ……お前たちも、いずれそうなるぞ!」

 女性は、眉一つ動かさなかった。 彼女の脳は、足元にある「汚物」を認識することを拒絶している。 彼女は虚空のディスプレイでファッション誌を眺め続け、無意識に足を動かして海を蹴り飛ばした。 そこに「石ころ」があったから避けた、程度の動作。

「……ッ」

 海はアスファルトに転がった。 痛み。屈辱。 だが、それ以上に「存在していない」ことの恐怖が、海を打ちのめす。

『警告:市民への物理的接触は、迷惑防止条例違反です』

 ドローン警官が、音もなく飛来した。 無機質な警告音。 海は、ドローンに睨まれながら後ずさった。 逮捕されるわけにはいかない。ここで捕まれば、俺もまた『ハルシオン・センター』行きだ。 蓮と同じ、思考なき肉塊にされてしまう。

 海は場所を変えた。 駅前広場。地下街。公園。 人がいる場所ならどこへでも行った。 汗にまみれ、泥にまみれ、喉から血が出るまで叫び続けた。

「相葉 蓮を忘れるな! 彼は戦ったんだ! 150点の世界を作ろうとしたんだ!」

 だが、反応はいつも同じだった。 無視。無関心。生理的な嫌悪。

 数日が過ぎた。 海の抵抗は、物理的な限界を迎えつつあった。 食事もまともに取っていないため、足元がふらつく。 背負ったバッグの中の『OS』は、一台も減っていなかった。

「……はあ、はあ……」

 海は、路地裏のゴミ箱に寄りかかって座り込んだ。 夕暮れ時。 極彩色の夕焼け(AR)が、街を美しく染め上げている。 だが、海の目には、それがドス黒い血の色に見えた。

(届かない……)

 絶望的な徒労感。 蓮が命を賭けてシステムをハックしても、世界は変わらなかった。 海が命を削って叫び続けても、誰一人足を止めない。 この世界は、あまりにも「完成」されすぎている。 80点の幸福というぬるま湯は、一度浸かれば二度と抜け出せないほどに心地よく、そして強固だ。

「……蓮」

 海は、バッグから一台の『OS』を取り出した。 冷たい鉄塊。 かつて蓮が握りしめ、そして拒絶したもの。

「俺は、無力だ」

 海は、鉄塊に額を押し付けた。 涙が滲む。 悔しい。あいつがあんな目にあって、世界中から忘れ去られて、それでも世界は何食わぬ顔で回っていることが。 そして、それを覆す力を持たない自分自身が、何より許せなかった。

 その時。 路地の奥から、小さな足音が聞こえた。

「……おじちゃん」

 顔を上げると、一人の少年が立っていた。 十歳くらいだろうか。服は少し薄汚れ、サイズが合っていない。 貧困層か、あるいは何らかの事情でデバイスを買えない「未適合者」か。 少年は、生身の目で、真っ直ぐに海を見ていた。 フィルター越しの「ノイズ」としてではなく、「泣いている人間」として。

「……なんだ、坊主」 

「それ、なに?」

 少年は、海が持っている『OS』を指差した。 モザイク処理されていない、ありのままの「黒い鉄塊」を。

「……これはな」

 海は、掠れた声で言った。 かつての自分なら、ここで「思考拡張デバイスだ」と説明しただろう。 だが、今の海には、そんな言葉はあまりに空虚だった。

「『魔法の石』だよ」

 海は、卑屈な笑みを浮かべた。 プライドも何もない。ただ、この子に興味を持ってもらいたい一心での、子供だましの嘘。

「魔法?」 

「ああ。これを持つとな、世界が本当の姿に見えるんだ。……でも、すごく重くて、熱くて、痛いんだぞ」

 少年は、興味深そうに近づいてきた。 そして、海の手にある『OS』に、恐る恐る触れた。

「……冷たいよ?」

 少年の無垢な言葉。 海は、ハッとした。 そうだ。起動していないOSは、ただの冷たい金属だ。 熱を与えるのは、それを使う人間の「思考」と「情熱」だけなのだ。 今の俺が冷え切っているから、こいつも冷たいままなんだ。

「……今はな。でも、お前が本気で考えれば、これは太陽みたいに熱くなる」

 海は、少年の手をそっと包んだ。 泥だらけの自分の手と、少年の小さな手。

「いつか、お前が大人になって……この世界の『嘘』に気づく時が来たら。その時は、俺を探せ」

 これは、種蒔きだ。 今の大人たちはもう手遅れかもしれない。 だが、まだシステムに完全に染まっていない子供たちなら。 いつか、蓮のような「異端」が現れるかもしれない。

「……うん。わかった」

 少年は、不思議そうな顔で頷いた。 その瞳に、微かな好奇心の光が宿る。

「コラ! タカシ!」

 突然、ヒステリックな声が響いた。 路地の入り口に、母親らしき女性が立っていた。彼女は『アルシオーネ』越しに海を見て、露骨に顔をしかめた。

「何やってるの! 変な人に近づいちゃダメって言ったでしょ!」 

「でも、おじちゃんが……」 

「触っちゃダメ! 病気が移るわよ!」

 母親は少年の手を引ったくり、バッグから除菌スプレーを取り出した。

 シューッ!

 海が触れた少年の手に、冷たい霧が吹き付けられる。 まるで、汚物を消毒するかのように。

「……ごめんなさい」

 少年は悲しげに海を見て、母親に引きずられていった。 遠ざかる背中。 海の手には、消毒液のアルコール臭だけが残された。

 海は、再び一人になった。 惨めだった。情けなかった。 だが、胸のつかえが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。

「……まだだ」

 海は、よろめきながら立ち上がった。 バッグを背負い直す。 重い。だが、この重さこそが、俺の生きる意味だ。

 あの子は、覚えていてくれるだろうか。 路地裏で会った、泥だらけの狂人のことを。 冷たい鉄の感触を。

「俺は、諦めないぞ」

 海は、血のような夕焼けに染まる大通りへと、再び足を踏み出した。 声が出なくてもいい。誰にも見えなくてもいい。 俺がここに立ち続けること自体が、この完璧な世界に対する、最後の「異議申し立て(抵抗)」なのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一
SF
​【あらすじ】 ​「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」 ​ 坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。  かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。  背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。 ​ 目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。  鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。 ​ しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。  部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。 ​ (……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?) ​ 現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。  すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。  精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。 ​ これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...