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2日目 いづみお姉さんとの同棲生活 ③
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ひったくり犯を取り逃さないように。距離が縮まるように。
左腕は右前に伸ばし、右手は中条さんの腰に回しているので、彼女を後ろから抱きしめるような構図になっている。あすなろ抱き未遂だ。
「ひったくり犯も粗暴な運転ね。窃盗だけではなく交通ルールについてもしこたま説教が必要ね」
表情は見えないけど、中条さんが発する声からは怒の感情が露わになっていた。
ひったくり犯は車の間を縫うようにすり抜けてゆく。信号も無視しているので非常に危険だ。第三者が巻き込まれないことを切に願う。
奴を追いつつも自身が事故を起こさないよう細心の注意を払っての運転は心身への負担が大きいはず。しかも僕を後ろに乗せていることにより、安定感に欠く状況では尚のことだ。
二つもの命の責任を背負う中条さんの背中は頼りにはなるけれど、少しばかり華奢だった。
ひったくり犯との追いかけっこはしばらく続いたが、
「げっ、渋滞か――チッ、邪魔な車どもめ!」
道路前方は渋滞しており、しかも大型車がちらほら停車していることもあって無闇に間を走行できない。
背後からもたくさんの車が迫ってるので逆走して逃げるのも分の悪い賭けとなる。
バイクでの逃走は無理だと判断した男は歩道から逃げるべくバイクから降りようとするも、
「逃がさないわ!」
中条さんが男のバイクの横に回り込む。
その間に背後から車が来たことで、男の逃げ場はなくなった。
「観念しなさい!」
「ク、クソッ!」
「現行犯逮捕よ!」
中条さんは男の両手に手錠をかけるとスマホを取り出して警察署に連絡を入れた。
しばらく待つと、一台のパトカーがやってきた。
「さて。私たちはひったくり現場まで戻りましょう」
「はい」
一息吐いた中条さんの合図で僕たちはバイクに乗り込んで被害女性たちが待つ現場へと戻る。
急ぐ必要はあるけど、逃走者を追うプレッシャーと焦燥感がないので肩の荷が下りた中条さんの運転は気楽そうだった。
「ありがとうございます!」
「待たせてごめんなさい。無事解決できてなによりよ」
ぺこぺこと何度もお辞儀をする被害女性に、中条さんは陽だまりのような穏やかな微笑を浮かべている。
「あなた方も、ご協力ありがとうございました」
「僕のバイクで犯人を捕まえたんですね!」
バイクを貸してくれたカップルも誇らしげだ。表情は晴れ晴れとしている。
一般住民の力も借りての事件解決。
被害女性も、バイクを提供してくれたカップルも、中条さんも、皆が笑顔になっている。
これが、警察官という仕事の醍醐味なんだろうな。
「そろそろ交番に戻りましょうか」
「了解です」
中条さんの一声で、僕たちは交番へと足を踏み出した。
「さすがは中条先輩、お手柄でしたねー!」
「大した話じゃないわよ」
交番に戻ると、平木田さんが満面の笑みで出迎えてくれた。
「いや、よくやったよ。これも蓑田君効果かな?」
「僕、なんにもしてませんよ」
「ははは。とにかく中条。素晴らしい活躍だった」
平林所長が賛美の言葉を述べるものの、中条さんは複雑そうな表情を浮かべている。
「……犯人が明確に分かっている状況なら、あとは追うだけですから」
小声で何か漏らしたけど、僕の耳はそれを拾えなかった。
「それにしても、ひったくりですか」
「この辺りは窃盗や軽犯罪が多いからね」
平木田さんが嘆くと平林所長は後頭部を掻いた。
「けど蓑田君も活躍したわよ。先ほど訪ねてきたおばあちゃんをおぶって坂道を登ってくれたわ」
「わっ、蓑田さんやるぅ」
平木田さんがキラキラした瞳で見つめてくるけど大した話ではない。
「人として当然のことをしたまでです。買い被らないでください」
僕が堂々と言い切ると、平木田さんが不思議そうな、なんとも言えない表情で見つめてきた。
「……いきなりですけど、蓑田さんって本当に彼女さんはいないんですか?」
「いないと分かってて聞いてるよね?」
もうこれ半分おちょくりだよね。あとマジでいきなりだな。
昨日警察署の取り調べ室の中でいないと伝えたばかりですけれども? ついでに友達も。
「欲しくはないんですか?」
平木田さんは僕の心の中を探るかのように尋ねてくる。
「アクティブに動いてまで欲しいと願ったことはありませんね」
同性とすら深い関係を築けないのに、異性相手となればますます無理ゲーでしょう。
「人様の色恋沙汰に熱量を上げる暇があるのなら、仕事で成果を出してほしいわね」
「うぐぅっ……!」
中条さんの容赦ない物言いに、平木田さんは胸を押さえ込んだ。
「中条も昨日は失態をかましたんだけどね」
「ぐっ……!」
平林所長の容赦ない物言いに、中条さんは胸を押さえ込んだ。
「ハコ長は私の味方ですよね?」
警察官の中には交番を『ハコ』と呼び、交番所長を『ハコ長』と呼ぶ人もいるんだって。
「さすがに仕事しないで喋ってる子の肩は持てないよね」
「……ヲシゴトシマス」
平木田さんはトボトボと自席に着いてパソコンを操作しはじめた。
この子、新卒なんだよね? 普通ならフレッシュでやる気に満ち溢れているであろう新人の段階で既にこの有様で大丈夫なのだろうか?
結構厳しいと聞く警察学校にて警察官としての心構えは学んだのだとは思うけど。
平木田さんは警察学校を卒業してまだ一ヶ月半で、今は先輩巡査の中条さんの指示の下で業務に勤しんでいるとのこと。
彼女の今後のキャリアは中条さんの教育にかかっているのかもしれない。
「当然、お仕事は真面目にやりますとも、えぇ。ただ、それ以上に蓑田さんの恋愛事情が気になります!」
「平木田はもはや一周回って蓑田君のファンでしょ」
「肯定も否定もしませーん」
意味ありげな回答だけど、出会ってまだ一日しか経ってないんだよなぁ。
「そんなに気になるなら蓑田君とデートすれば? もれなく中条がついてくるけどね」
「それデートじゃないですよぉ。中条先輩から監視されてるだけになっちゃいます」
平林所長の提案に平木田さんは中条さんを一瞥して唇を尖らせた。
「そもそも、男と手錠で繋がれた女性の隣に別の女性がいるのはどうかと思うよ」
第三者から見たら僕は犯罪者以外の何者でもないだろう。
「何言ってるんですかぁ、私は蓑田さんの隣に並ぶに決まってるじゃないですか♪」
「もっと悪い絵面だ!?」
僕は捕まった原始人男ですか?
「はいはい、お喋りはお開きにして二人とも仕事してねー」
「え~ハコ長がデートの話振ったのにぃ」
パンパンと手を叩いた平林所長の合図で二人は仕事に戻る。
平林所長は寛大な雰囲気があるけど、締めるところはちゃんと締めてくれる人なんだなぁ。
「中条先輩、よろしいでしょうか」
「はーい」
「これなんですけど……」
「うん、これはね――」
椅子に座って事務作業をしていた中条さんが平木田さんの質問に答えている。
彼女は面倒見がいいだけではなく、説明が丁寧かつ簡潔だ。後輩の平木田さんとしては大変ありがたい先輩だろう。
一方で手持ち無沙汰な僕は中条さんが操作しているパソコンの画面を適当に眺めていた。個人情報が表示されることもあるので、まじまじとは見られない。
中条さんに指示を仰いだものの、一般人の僕に手伝わせるわけにはいかないと一蹴されてしまった。
しかしながら、暇を持て余すと時間が経つのが遅くて苦痛なんだよなぁ……。
業務はつつがなく遂行されていき――定時になった。
鶴見交番は僕がいる期間のみ限定で少々特殊な勤務体系となっており、毎日一名が当直――つまり朝から翌朝までの勤務。勤務後は明休と、翌日が非番で休み。当直は日勤組のローテーションで回している。
当直担当以外のメンバーは日勤と夜勤に分かれており、日勤は八時から十七時までが定時となっている。
「定時だね。蓑田君と中条は帰っていいよ」
「はい、お先に失礼します」
中条さんは僕と一緒にいる間は毎日定時帰宅してよいこととなった。
「失礼します」
一応、僕も挨拶しておいた。
「悪いね、蓑田君。あと数日は耐えてくれ」
「いえいえ」
「私も、お疲れ様でーす」
「おい、平木田はまだ帰るな」
「わわっ」
しれっと一緒に上がろうとした平木田さんの腕を岩船さんが掴んだ。
ちなみに今日の当直担当は岩船さんだ。
「わ、わわ、私、新卒ぞ!?」
「そうか。残念だが、そんなに辞めたいなら俺から上層部に伝えよう」
「……残業がんばるぞ、おー」
平木田さんはわざとらしく拳を振り上げてみせるけど、顔には生気がない。
僕たちはそんな彼女に苦笑して交番をあとにした。
左腕は右前に伸ばし、右手は中条さんの腰に回しているので、彼女を後ろから抱きしめるような構図になっている。あすなろ抱き未遂だ。
「ひったくり犯も粗暴な運転ね。窃盗だけではなく交通ルールについてもしこたま説教が必要ね」
表情は見えないけど、中条さんが発する声からは怒の感情が露わになっていた。
ひったくり犯は車の間を縫うようにすり抜けてゆく。信号も無視しているので非常に危険だ。第三者が巻き込まれないことを切に願う。
奴を追いつつも自身が事故を起こさないよう細心の注意を払っての運転は心身への負担が大きいはず。しかも僕を後ろに乗せていることにより、安定感に欠く状況では尚のことだ。
二つもの命の責任を背負う中条さんの背中は頼りにはなるけれど、少しばかり華奢だった。
ひったくり犯との追いかけっこはしばらく続いたが、
「げっ、渋滞か――チッ、邪魔な車どもめ!」
道路前方は渋滞しており、しかも大型車がちらほら停車していることもあって無闇に間を走行できない。
背後からもたくさんの車が迫ってるので逆走して逃げるのも分の悪い賭けとなる。
バイクでの逃走は無理だと判断した男は歩道から逃げるべくバイクから降りようとするも、
「逃がさないわ!」
中条さんが男のバイクの横に回り込む。
その間に背後から車が来たことで、男の逃げ場はなくなった。
「観念しなさい!」
「ク、クソッ!」
「現行犯逮捕よ!」
中条さんは男の両手に手錠をかけるとスマホを取り出して警察署に連絡を入れた。
しばらく待つと、一台のパトカーがやってきた。
「さて。私たちはひったくり現場まで戻りましょう」
「はい」
一息吐いた中条さんの合図で僕たちはバイクに乗り込んで被害女性たちが待つ現場へと戻る。
急ぐ必要はあるけど、逃走者を追うプレッシャーと焦燥感がないので肩の荷が下りた中条さんの運転は気楽そうだった。
「ありがとうございます!」
「待たせてごめんなさい。無事解決できてなによりよ」
ぺこぺこと何度もお辞儀をする被害女性に、中条さんは陽だまりのような穏やかな微笑を浮かべている。
「あなた方も、ご協力ありがとうございました」
「僕のバイクで犯人を捕まえたんですね!」
バイクを貸してくれたカップルも誇らしげだ。表情は晴れ晴れとしている。
一般住民の力も借りての事件解決。
被害女性も、バイクを提供してくれたカップルも、中条さんも、皆が笑顔になっている。
これが、警察官という仕事の醍醐味なんだろうな。
「そろそろ交番に戻りましょうか」
「了解です」
中条さんの一声で、僕たちは交番へと足を踏み出した。
「さすがは中条先輩、お手柄でしたねー!」
「大した話じゃないわよ」
交番に戻ると、平木田さんが満面の笑みで出迎えてくれた。
「いや、よくやったよ。これも蓑田君効果かな?」
「僕、なんにもしてませんよ」
「ははは。とにかく中条。素晴らしい活躍だった」
平林所長が賛美の言葉を述べるものの、中条さんは複雑そうな表情を浮かべている。
「……犯人が明確に分かっている状況なら、あとは追うだけですから」
小声で何か漏らしたけど、僕の耳はそれを拾えなかった。
「それにしても、ひったくりですか」
「この辺りは窃盗や軽犯罪が多いからね」
平木田さんが嘆くと平林所長は後頭部を掻いた。
「けど蓑田君も活躍したわよ。先ほど訪ねてきたおばあちゃんをおぶって坂道を登ってくれたわ」
「わっ、蓑田さんやるぅ」
平木田さんがキラキラした瞳で見つめてくるけど大した話ではない。
「人として当然のことをしたまでです。買い被らないでください」
僕が堂々と言い切ると、平木田さんが不思議そうな、なんとも言えない表情で見つめてきた。
「……いきなりですけど、蓑田さんって本当に彼女さんはいないんですか?」
「いないと分かってて聞いてるよね?」
もうこれ半分おちょくりだよね。あとマジでいきなりだな。
昨日警察署の取り調べ室の中でいないと伝えたばかりですけれども? ついでに友達も。
「欲しくはないんですか?」
平木田さんは僕の心の中を探るかのように尋ねてくる。
「アクティブに動いてまで欲しいと願ったことはありませんね」
同性とすら深い関係を築けないのに、異性相手となればますます無理ゲーでしょう。
「人様の色恋沙汰に熱量を上げる暇があるのなら、仕事で成果を出してほしいわね」
「うぐぅっ……!」
中条さんの容赦ない物言いに、平木田さんは胸を押さえ込んだ。
「中条も昨日は失態をかましたんだけどね」
「ぐっ……!」
平林所長の容赦ない物言いに、中条さんは胸を押さえ込んだ。
「ハコ長は私の味方ですよね?」
警察官の中には交番を『ハコ』と呼び、交番所長を『ハコ長』と呼ぶ人もいるんだって。
「さすがに仕事しないで喋ってる子の肩は持てないよね」
「……ヲシゴトシマス」
平木田さんはトボトボと自席に着いてパソコンを操作しはじめた。
この子、新卒なんだよね? 普通ならフレッシュでやる気に満ち溢れているであろう新人の段階で既にこの有様で大丈夫なのだろうか?
結構厳しいと聞く警察学校にて警察官としての心構えは学んだのだとは思うけど。
平木田さんは警察学校を卒業してまだ一ヶ月半で、今は先輩巡査の中条さんの指示の下で業務に勤しんでいるとのこと。
彼女の今後のキャリアは中条さんの教育にかかっているのかもしれない。
「当然、お仕事は真面目にやりますとも、えぇ。ただ、それ以上に蓑田さんの恋愛事情が気になります!」
「平木田はもはや一周回って蓑田君のファンでしょ」
「肯定も否定もしませーん」
意味ありげな回答だけど、出会ってまだ一日しか経ってないんだよなぁ。
「そんなに気になるなら蓑田君とデートすれば? もれなく中条がついてくるけどね」
「それデートじゃないですよぉ。中条先輩から監視されてるだけになっちゃいます」
平林所長の提案に平木田さんは中条さんを一瞥して唇を尖らせた。
「そもそも、男と手錠で繋がれた女性の隣に別の女性がいるのはどうかと思うよ」
第三者から見たら僕は犯罪者以外の何者でもないだろう。
「何言ってるんですかぁ、私は蓑田さんの隣に並ぶに決まってるじゃないですか♪」
「もっと悪い絵面だ!?」
僕は捕まった原始人男ですか?
「はいはい、お喋りはお開きにして二人とも仕事してねー」
「え~ハコ長がデートの話振ったのにぃ」
パンパンと手を叩いた平林所長の合図で二人は仕事に戻る。
平林所長は寛大な雰囲気があるけど、締めるところはちゃんと締めてくれる人なんだなぁ。
「中条先輩、よろしいでしょうか」
「はーい」
「これなんですけど……」
「うん、これはね――」
椅子に座って事務作業をしていた中条さんが平木田さんの質問に答えている。
彼女は面倒見がいいだけではなく、説明が丁寧かつ簡潔だ。後輩の平木田さんとしては大変ありがたい先輩だろう。
一方で手持ち無沙汰な僕は中条さんが操作しているパソコンの画面を適当に眺めていた。個人情報が表示されることもあるので、まじまじとは見られない。
中条さんに指示を仰いだものの、一般人の僕に手伝わせるわけにはいかないと一蹴されてしまった。
しかしながら、暇を持て余すと時間が経つのが遅くて苦痛なんだよなぁ……。
業務はつつがなく遂行されていき――定時になった。
鶴見交番は僕がいる期間のみ限定で少々特殊な勤務体系となっており、毎日一名が当直――つまり朝から翌朝までの勤務。勤務後は明休と、翌日が非番で休み。当直は日勤組のローテーションで回している。
当直担当以外のメンバーは日勤と夜勤に分かれており、日勤は八時から十七時までが定時となっている。
「定時だね。蓑田君と中条は帰っていいよ」
「はい、お先に失礼します」
中条さんは僕と一緒にいる間は毎日定時帰宅してよいこととなった。
「失礼します」
一応、僕も挨拶しておいた。
「悪いね、蓑田君。あと数日は耐えてくれ」
「いえいえ」
「私も、お疲れ様でーす」
「おい、平木田はまだ帰るな」
「わわっ」
しれっと一緒に上がろうとした平木田さんの腕を岩船さんが掴んだ。
ちなみに今日の当直担当は岩船さんだ。
「わ、わわ、私、新卒ぞ!?」
「そうか。残念だが、そんなに辞めたいなら俺から上層部に伝えよう」
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