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本当の結末1
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良く晴れた週末の夜。今日も常連客で賑わっていたバーホワイトバカラ。それでも終電が近くなる頃には客はまばらになっていた。そしてとうとう最後の客を残して皆帰ってしまった。
店の中にいるのはバーテンダーの片桐と常連客の星貴也。彼にしては珍しく何か考え事をしているようだ。
「星さん、何か考え事ですか」
星は何も言わない。ゆっくりと視線を片桐に向けるだけだ。
何かに気づいた片桐は、器用に片眉だけ上げた。
「この前工藤さんに話したことに関して、悩んでいるのではないですか」
星はその言葉にハッとして片桐を見た。
「何言ってんだよ。工藤君に話した昔話は何も関係ないよ」
片桐はやれやれと言うように首を横に振った。
「お話に出てきた彼女、星名公佳さん。先日1人でお店にお見えになりました。早い時間で他のお客様も居なかったので少しお話しさせていただいたんです。
彼女、飛行機のパイロットの方と結婚されていたんですね。
星さんは旅行関係でもツアーコンダクターをされていましたよね。その経験を生かして今は通訳や翻訳の仕事をされているんでしたか。
ですが、この前のお話だと、星名さんに猛アタックしてご結婚されたとおっしゃっていませんでしたか? 確か妻だとか何とか。
おかしいですね……。
彼女のご主人5年程前お亡くなりになったそうですよ。不慮の事故で。それも交差点に信号無視して入って来た車から子供を庇ってご自分だけ打ち所が悪くて、即死だったそうです。彼女は『子供は助かったのに自分が身代わりになってしまって、あの人最後までお人好しね』とおっしゃっていました。
最近は大分悲しみも癒えて、亡くなったご主人のお話もできるようになったそうです。決して私が無理矢理聞いたわけではないのでご安心を。
その時サイズの違う指輪を2つ、ネックレスに通して身に付けてらしたので『素敵ですね』とお伝えしたら教えて下さったんです。
今は、志乃山公佳さんとおっしゃるそうですよ。ああ、星さんもご存知でしたね」
いい具合に酔いの回った星は適当な言い訳が思い浮かばなかった。
片桐は声に感情を込めず、星に問いかけた。
「星さんはまだ、彼女の事が忘れられないんですか」
その言葉に血の気が下がるように酔いが醒めた星はフーッと1つ大きく息を吐いた。
すると観念したよう片桐を見て頷いた。
「……どうだろうね……でも、やっぱりそうなんだろうな……」
それっきり、星は黙り込んでしまった。
片桐はカクテルを1つ作り星の前に置いた。
「レモンで作ったギムレットです。ジンはボンベイサファイアを使っています。意外とさっぱりしますよ」
「……。ギムレットは好きだけど、確かライムで作るんじゃなかった?」
「本来のレシピではそうですね。これは最近私がハマっているものです。よかったら星さんも試してみませんか。私の奢りです」
「…………では遠慮なく」
ライムではなくレモンのギムレットは本当に口当たりがさっぱりしていた。思ったよりも酸っぱくないのはバーテンダーの腕なのだろう。
「どうです。少しスッキリしませんか」
「そうだね。思ったよりもイケるね」
「ついでに心の方もスッキリされてはいかがですか」
「マスターには勝てないな……。じゃあ聞いてもらおうかな」
「……はい」
星はもう一口レモンのギムレットを口に含んだ。彼は心なしか少しだけ爽やかな気分になった。
「この前の話で、俺が星キミに猛アタックしたって言ったけど、そんな行動を取ったのは本当はその結婚した旦那だったんだ」
「そうですか。それで?」
片桐は相槌だけ打ち、話を進めるように星を促した。
「旦那は学生でも講師でもなかった。専門学校の講師の知り合いで現役のパイロットだったんだ。その時は確か副操縦士じゃなかったかな。その知り合いの講師は少し前まで添乗員をしていた関係で業界では顔が広かったんだ。理由は覚えてないけど時間の都合もあるからってそのパイロットが学校に直接講師を訪ねて来たんだよ。そして偶然講師に質問しに職員室に来ていた彼女と出会ってしまったらしい」
「出会ってしまった……ね」
「そう。だってそいつは一目で彼女を気に入って自分の連絡先を渡しただけじゃなくて、パイロットの仕事を見学させるだなんて言い出したんだ。って、その講師が教えてくれた。俺に教えてくれるくらいなら、2人がうまくいくように仕向けないで欲しかったよ……。本当に……。
おまけに飛行機に乗るのも見るのも大好きな彼女は二つ返事で見学に行ったそうだよ。信頼していた講師の知り合いだから余計な警戒心はなかったと、ご丁寧にそんな事まで教えてくれたよ。
そして、気がついた時には2人は結婚を前提に交際をしていて、お互いの信頼を深めていたんだ」
「猛アタックをしたのはそのパイロットの方だったんですね……」
「結果的にはそう言うことになるのかな。でも俺がそれを知ったのは学校を卒業する時だったんだ。それまで彼女にそんな相手がいるなんて知りもしなかったよ。何にも知らない俺は近くにいるだけで満足して何も行動を起こさずにその状態に甘えていたんだ……」
「そんなことがあったんですね。でも今彼女は独身というか未亡人ですよね。それに仲良しすぎてお子さんはつくらなかったともおっしゃっていましたよ」
星はまた苦虫を噛み潰すような顔をした。
「そうだよ。そんなところに付け入りたいけど、今はまだ彼女は旦那の思い出を大切にしたいんだそうだよ。予防線を張ってる訳じゃないんだろうけど、彼女に言われてしまったよ。今はまだ、あの人の思い出を大切にしたいって。だから今は1番近い場所にいることだけが、この俺にできる精一杯なんだよ」
片桐は彼なりに解釈してみた。
「それは、彼女はまだ誰かと付き合いたいとか結婚したいとか思えないってことでしょうか。星さんそんな女性の側にいるのは辛くないですか? あっ、もしかしてそう言う趣味でもあるんでしょうか……」
すぐに星は反撃した。
「そう言う趣味ってどんな趣味だよ。俺は至ってノーマルだから。自分をいじめて楽しむような淋しい人間じゃないからな。今はせっかく翻訳関連の仕事で繋がってるんだ。お願いだから温かく見守ってくれよ」
片桐は感情の全く篭っていない声で言った。
「そうですね、生暖かい目で見守る事にします。ですが運命の女神とやらに後ろ髪はないらしいですよね。手遅れにならなければいいですね」
いつもより酔いが回っているのか存外に星は素直だった。
「分かってるよ。工藤君の手前かっこよく話を締めくくりたかったんだよ」
「そうでしたか。でしたら彼にバレないうちに早く彼女の心を射止めてくださいね。陰ながら応援しています。お二人揃ってとても50を過ぎたようには見えませんしね。彼女白髪も殆どな無いって教えてくれました。シミもシワも殆んどないように見えました。世の中って不公平ですね」
素知らぬ顔で意外に客を観察しているバーテンダーだった。
「……男は白髪まじりでもダンディーとか言われるからな……。やっぱり星キミって凄いな……」
何が凄いのか分からないがここまで饒舌な星は珍しい。片桐はせっかくだからもう少し吐き出させてやろうと、ほんの少し煽ってみた。
店の中にいるのはバーテンダーの片桐と常連客の星貴也。彼にしては珍しく何か考え事をしているようだ。
「星さん、何か考え事ですか」
星は何も言わない。ゆっくりと視線を片桐に向けるだけだ。
何かに気づいた片桐は、器用に片眉だけ上げた。
「この前工藤さんに話したことに関して、悩んでいるのではないですか」
星はその言葉にハッとして片桐を見た。
「何言ってんだよ。工藤君に話した昔話は何も関係ないよ」
片桐はやれやれと言うように首を横に振った。
「お話に出てきた彼女、星名公佳さん。先日1人でお店にお見えになりました。早い時間で他のお客様も居なかったので少しお話しさせていただいたんです。
彼女、飛行機のパイロットの方と結婚されていたんですね。
星さんは旅行関係でもツアーコンダクターをされていましたよね。その経験を生かして今は通訳や翻訳の仕事をされているんでしたか。
ですが、この前のお話だと、星名さんに猛アタックしてご結婚されたとおっしゃっていませんでしたか? 確か妻だとか何とか。
おかしいですね……。
彼女のご主人5年程前お亡くなりになったそうですよ。不慮の事故で。それも交差点に信号無視して入って来た車から子供を庇ってご自分だけ打ち所が悪くて、即死だったそうです。彼女は『子供は助かったのに自分が身代わりになってしまって、あの人最後までお人好しね』とおっしゃっていました。
最近は大分悲しみも癒えて、亡くなったご主人のお話もできるようになったそうです。決して私が無理矢理聞いたわけではないのでご安心を。
その時サイズの違う指輪を2つ、ネックレスに通して身に付けてらしたので『素敵ですね』とお伝えしたら教えて下さったんです。
今は、志乃山公佳さんとおっしゃるそうですよ。ああ、星さんもご存知でしたね」
いい具合に酔いの回った星は適当な言い訳が思い浮かばなかった。
片桐は声に感情を込めず、星に問いかけた。
「星さんはまだ、彼女の事が忘れられないんですか」
その言葉に血の気が下がるように酔いが醒めた星はフーッと1つ大きく息を吐いた。
すると観念したよう片桐を見て頷いた。
「……どうだろうね……でも、やっぱりそうなんだろうな……」
それっきり、星は黙り込んでしまった。
片桐はカクテルを1つ作り星の前に置いた。
「レモンで作ったギムレットです。ジンはボンベイサファイアを使っています。意外とさっぱりしますよ」
「……。ギムレットは好きだけど、確かライムで作るんじゃなかった?」
「本来のレシピではそうですね。これは最近私がハマっているものです。よかったら星さんも試してみませんか。私の奢りです」
「…………では遠慮なく」
ライムではなくレモンのギムレットは本当に口当たりがさっぱりしていた。思ったよりも酸っぱくないのはバーテンダーの腕なのだろう。
「どうです。少しスッキリしませんか」
「そうだね。思ったよりもイケるね」
「ついでに心の方もスッキリされてはいかがですか」
「マスターには勝てないな……。じゃあ聞いてもらおうかな」
「……はい」
星はもう一口レモンのギムレットを口に含んだ。彼は心なしか少しだけ爽やかな気分になった。
「この前の話で、俺が星キミに猛アタックしたって言ったけど、そんな行動を取ったのは本当はその結婚した旦那だったんだ」
「そうですか。それで?」
片桐は相槌だけ打ち、話を進めるように星を促した。
「旦那は学生でも講師でもなかった。専門学校の講師の知り合いで現役のパイロットだったんだ。その時は確か副操縦士じゃなかったかな。その知り合いの講師は少し前まで添乗員をしていた関係で業界では顔が広かったんだ。理由は覚えてないけど時間の都合もあるからってそのパイロットが学校に直接講師を訪ねて来たんだよ。そして偶然講師に質問しに職員室に来ていた彼女と出会ってしまったらしい」
「出会ってしまった……ね」
「そう。だってそいつは一目で彼女を気に入って自分の連絡先を渡しただけじゃなくて、パイロットの仕事を見学させるだなんて言い出したんだ。って、その講師が教えてくれた。俺に教えてくれるくらいなら、2人がうまくいくように仕向けないで欲しかったよ……。本当に……。
おまけに飛行機に乗るのも見るのも大好きな彼女は二つ返事で見学に行ったそうだよ。信頼していた講師の知り合いだから余計な警戒心はなかったと、ご丁寧にそんな事まで教えてくれたよ。
そして、気がついた時には2人は結婚を前提に交際をしていて、お互いの信頼を深めていたんだ」
「猛アタックをしたのはそのパイロットの方だったんですね……」
「結果的にはそう言うことになるのかな。でも俺がそれを知ったのは学校を卒業する時だったんだ。それまで彼女にそんな相手がいるなんて知りもしなかったよ。何にも知らない俺は近くにいるだけで満足して何も行動を起こさずにその状態に甘えていたんだ……」
「そんなことがあったんですね。でも今彼女は独身というか未亡人ですよね。それに仲良しすぎてお子さんはつくらなかったともおっしゃっていましたよ」
星はまた苦虫を噛み潰すような顔をした。
「そうだよ。そんなところに付け入りたいけど、今はまだ彼女は旦那の思い出を大切にしたいんだそうだよ。予防線を張ってる訳じゃないんだろうけど、彼女に言われてしまったよ。今はまだ、あの人の思い出を大切にしたいって。だから今は1番近い場所にいることだけが、この俺にできる精一杯なんだよ」
片桐は彼なりに解釈してみた。
「それは、彼女はまだ誰かと付き合いたいとか結婚したいとか思えないってことでしょうか。星さんそんな女性の側にいるのは辛くないですか? あっ、もしかしてそう言う趣味でもあるんでしょうか……」
すぐに星は反撃した。
「そう言う趣味ってどんな趣味だよ。俺は至ってノーマルだから。自分をいじめて楽しむような淋しい人間じゃないからな。今はせっかく翻訳関連の仕事で繋がってるんだ。お願いだから温かく見守ってくれよ」
片桐は感情の全く篭っていない声で言った。
「そうですね、生暖かい目で見守る事にします。ですが運命の女神とやらに後ろ髪はないらしいですよね。手遅れにならなければいいですね」
いつもより酔いが回っているのか存外に星は素直だった。
「分かってるよ。工藤君の手前かっこよく話を締めくくりたかったんだよ」
「そうでしたか。でしたら彼にバレないうちに早く彼女の心を射止めてくださいね。陰ながら応援しています。お二人揃ってとても50を過ぎたようには見えませんしね。彼女白髪も殆どな無いって教えてくれました。シミもシワも殆んどないように見えました。世の中って不公平ですね」
素知らぬ顔で意外に客を観察しているバーテンダーだった。
「……男は白髪まじりでもダンディーとか言われるからな……。やっぱり星キミって凄いな……」
何が凄いのか分からないがここまで饒舌な星は珍しい。片桐はせっかくだからもう少し吐き出させてやろうと、ほんの少し煽ってみた。
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