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シザク王の死

兄を失った悲しみと痛み

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 それと入れ違いに、クラウンがナイキ侯爵を見つけて走り寄ってきた。

「暗殺者の身元が分かりました」
「やはりカチューン国の関係か?」

 ナイキ侯爵が声を潜めて問う。それにはセレンも身を乗り出したが、驚いている様子はない。どうやらセレンも一番にカチューン国を疑っていたらしい。

「いえ。……コンサイト侯爵側の刺客でした。私が捕まえたのは、彼の甥のアレフです」
「コンサイト侯爵!? 侯爵がなぜ、そんな事を!」

 コンサイト侯爵とは、セレンのはとこであるマルセリーヌの夫、カルロス伯爵の父親だ。

「……シザク王が亡くなったら、息子のカルロス伯爵が王位を継げるとでも考えたのではないでしょうか。実際シザク王が亡くなった後、王宮には継承権を持つものがいなくなりますから」

「なんてことだ……っ。そんな事のために兄上を殺したのか……?」

 セレンの顔が怒りで歪む。力一杯握りしめたこぶしは小刻みに震えていた。

「権力欲とはそういうものです」
「だったらそんなもの無くしてしまえ! 王政なんか無くしてしまえばいい」

「馬鹿なことをおっしゃらないで下さい! ……ともかく今は、コンサイト侯爵をどう処罰するかを考えなければなりません」

 カッとなったセレンを諫めるように、ナイキ侯爵が声音を低くする。その意図を察して、セレンは奥歯を噛みしめ髪を乱暴に掻き混ぜた。

「……私はカルロス伯爵夫人には会ったことは無いが、彼女はそのような事に加担しそうな人物なのか?」

「さあ、どうでしょう。……ですがこうなった以上、知らぬ存ぜぬでは済まされないでしょう。侯爵らの領地は没収になるでしょうし、修道女として世俗を断つぐらいの事は必要かと。万が一彼女もこのことを知っていた場合は、それだけでは済まされないでしょうが」

 話しながら一同は地下牢を目指して歩いていた。セレンは噂には聞いたことがあっても、地下に行くこと自体が初めてだった。

 薄明りの先に鉄格子が見える。中には一人の男が椅子に縛られた状態でぐったりとしていた。

「……拷問して自白させたのか? 嘘を吐いている可能性は?」

 セレンの問いに、クラウンはきっぱりとした口調で返事をした。

「それはありません。ナハイルらが既にコンサイト侯爵を拘束しております」
「認めたのか……」

「はい。最初は胡麻化そうとしていたようですが、甥のアレフを捕まえたことを知り、首謀者であることを認めたようです。現在パイロン大尉の率いる隊が、彼の居城を包囲しています」

「……分かった。ナイキ侯爵、悪いがそのままここに見張りを付けておいてくれるか? パイロン大尉が動いているのなら間違いは起こらないだろうから、詳細は明日の朝にでも話し合おう」

「承知しました。クラウン、後は任せる」
「はい、畏まりました」

 クラウンの一礼に軽く答えて、セレンとナイキ侯爵は来た道を引き返していく。薄暗い廊下には、足音だけが響いている。
 ナイキ侯爵が隣を歩くセレンを窺うと、彼の顔色は青白かった。

「大丈夫ですか?」

「……大丈夫なわけない。やっと、……ほんの少しだが、兄上とまともに話が出来るようになれそうだと思っていたんだぞ。私は……」

「セレン様……」

 初めて聞くセレンの本心に、ナイキ侯爵は驚いて彼を振り返った。
 今までのセレンなら、決して他人に弱いところを見せたりはしない。父であるシエイ王が亡くなった時でさえ、厳しい表情で唇を噛み、弱音を吐くまいと必死に耐えていたのだ。

 侯爵の視線を感じたのだろう。セレンが顔を上げた。そしてそれこそナイキ侯爵が、彼に似つかわしくない他人を気遣う表情をしている事に気が付いて、苦笑を漏らす。

「悪い、流してくれ。急な事だったからまだ受け止められないだけだ。私が嘆いたところで兄上が戻って来られるわけでは無い」

「セレン様がそう望むのであれば、流します。ですが受け止められない悲しみは、他の者と共有することで癒されることもあります。ご自分だけで耐えることは決して良いことだとは思いません。……せっかく傍にルウクという存在があるのですから、彼にくらいは弱音を吐かれて下さい」

「……言ってることが支離滅裂だ。侯爵はルウクに、私を甘やかすなと言っていたではないか」
「場合によりけりです。……シザク王に挨拶をしに行きましょう」
「そうだな。皇太后がいても、休む前に兄上の顔を見ておきたい」

 2人は速足で、シザク王が安置されている部屋へと向かった。

 安置所の部屋は開いたままだった。既に深夜の二時を回っていたが、中にはフリッツも居て、カデル皇太后の傍に寄り添っていた。その2人より数歩後ろに下がった所には、シザク王の3人の乳母がハンカチで目元を拭いながら、互いの背中を擦り合いながら立っていた。

「失礼します」

 セレンの声に皇太后はハッとしたように顔を上げる。そしてセレンをきつく睨みながら近づいて来た。

「何で!? どうしてあなたは無事でいるの? なんでシザクが……っ! シザク王はこの国に必要な大事なお方だったのです。あなたが……、セレンが代わりに死ねばよかったのに!!」

 皇太后は泣きながら拳を振り上げ、セレンの胸を何度も叩く。

 顔色悪く赤く腫れている目元に、皇太后が泣きはらしたのであろう事が伺われた。己に八つ当たりをする事でしか、皇太后の悲しみや怒りを鎮めるすべが今は無いのだろうという事くらいは、肉親の情に疎いセレンでも優に想像がつく。
 セレンは理不尽なことを言われているにも拘らず、身じろぐことなくカデル皇太后の憤りを全て受け止めていた。

「皇太后! カデル皇太后、おやめ下さい!」

 皇太后の様子に驚いたフリッツが慌てて止めに入った。ナイキ侯爵も間に入る形で、カデル皇太后からセレンを引き離す。

「離して! 離しなさい! この男は、セレンは私から何もかも奪っていく悪魔よ!」

「お言葉が過ぎますぞ! カデル皇太后! シザク王を殺したのはコンサイト侯爵の甥です! それにシザク王は最近ではセレン様と打ち解け始めておられました。仮にもお二人はご兄弟なのです。セレン様がどれだけお悲しみなのかも、お分かり下さい」

 真顔で叱咤するナイキ侯爵に、カデル皇太后は我を忘れて大声で泣き始めた。どんなに理性では分かっていても、遣り切れない思いはどうしてもあるのだ。

 皇太后は何も言わずにただ横たわったままのシザク王に縋りつき、そのまましばらく泣き続けていた。

 その様をじっと黙って見ていたセレンが、皇太后とは反対側に回り込んだ。眠るシザク王の傍らに膝をついてしゃがみ込み、その手を握る。 

 兄の手を握るのは初めてだった。

 セレンが幼い時にこの王宮に連れてこられた時から、シザクは腹違いの弟であるセレンを既に毛嫌いしていて、一緒に遊ぶことも無ければ話しかけてくることも無かった。
 それがやっと最近になって、ほんの少しとはいえ、兄と距離を縮めることが出来そうだと思い始めていたところだったのだ。
 それなのに、そんな細やかな思いを権力欲に惑わされた馬鹿に突然奪われてしまったのだ。悔しくて悔しくて、どうしようも無い思いが込み上げてくる。

「兄上……。コンサイト侯爵にもアレフ男爵にも、然るべき罰をしっかり受けてもらいます。だから、……安心して父上の許へと旅立って下さい」

 そのセレンの言葉に、驚いたようにカデル皇太后が顔を上げた。

 そしてフリッツらにも、シザク王の手を握りしめながら震える声で語りかけるセレンの姿に、その悲痛さは伝わっていた。
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