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嫉妬と羨望と

王としての意志2

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 そして、セレン自身が本人に人事の了承を得た後、ルウクが辞令交付に際する辞令書を仕上げていた。 
 ルウクは元々綺麗な字を書くことに定評はあるのだが、それでも公の物に筆を入れる事は初めてで、緊張で手が震えそうになる。時折深呼吸をしながら、ルウクは筆を進めていった。

 出来た辞令書をセレンに渡す。セレンはそれらを確認し、国王のサインをする場所に丁寧にペンを走らせた。
 静かな執務室にノックの音がする。ルウクがそれに答えて扉を開けると、そこにはナイキ侯爵が立っていた。 

「人事が決まったようですね」

 執務室に現れたナイキ侯爵が、セレンの手元を見ながら話しかける。

「ああ。兄上が配置した人事も、少し引き継がせてもらった。新たに創設した物もあるが、それはわずかなものだ」

 セレンの言葉に侯爵はサインを済ませた辞令書を手に取った。一枚一枚確認して、そこに教育長長官の文字を見る。

「教育長……? これはどういう趣旨ですかな?」

「ああ……。優秀な人材には身分の差異無く高い学問を受けることが出来るようにと新設した。フリッツなら適任だろう?」

「……セレン王らしい考え方ですな」
「何だ。侯爵は反対なのか?」
「いえ、必要だとは思います。成功した例も身近にありますから。ところで――」

 意味深に言葉を切ったナイキ侯爵が、視線をゆっくりとずらしルウクを見る。無防備にただ主と侯爵のやり取りを見ていたルウクは、突然ナイキ侯爵に意識を持って来られびっくりして固まった。

「第一秘書を、ルウクにするとは驚きました」
「嘘つけ」

 厭味ったらしく薄く笑いながら話すナイキ侯爵に、セレンも冷たく返す。冷ややかな雰囲気にも関わらず、2人とも全く動じる様子はない。ただ、話のネタにされている従者であるルウクのみが居たたまれない気持ちになっていた。

「クラウンを秘書に就ける気はありませんか? 彼は剣術や銃の腕も確かですし機転も利きますから、護衛を兼ねた秘書として、必ずセレン王のお役に立ちますよ」

「彼はお前の側近だろう。それに護衛とやらも必要は無い。自分の身くらい自分で守れる。……小さい頃から護身に関する事は一通り習わされている」

「それは、シザク王も同じでしたよね」
「…………」

 侯爵の言葉にセレンは唇を噛んだ。未だ記憶に新しいシザク王の、非業の死を思い出したようだった。

「……失礼いたしました。今すぐ決断しろとは申しません。ですが考えてはいただけませんか? 慎重に慎重を重ねることで、災難を遠ざけることが出来るのですから」

「……分かった。考えてはおく」

 了承すらしなかったが、セレンは侯爵の言葉が的を射ていることを理解したようだ。しぶしぶではあるが前向きな返事が返ってきたことで、ナイキ侯爵もホッとしたような表情になった。

「それでは、失礼します」
「ちょっと待て」

 言いたいことを全て伝えたのだろう。ナイキ侯爵が出ていこうとしたところをセレンが引き止める。

「何でしょうか」
「……引き続き、ナイキ侯爵には宰相として辣腕を揮って欲しい。良いか?」
「畏まりました」

 一礼した後、ナイキ侯爵はそのまま部屋を出て行った。と、同時にセレンがため息を吐く。

「はっきり言って侯爵は嫌いだが、頭は切れるから国のためには必要な人材だ」
「はい……」

 神妙に返事をするルウクに、セレンが申し訳なさそうな視線を向けた。

「いやな思いをしただろう? すまなかったな」
「いえ、とんでもないです! ……それよりも、僕はセレン様の足手纏いにはなっていませんか? そちらの方が心配です」

「馬鹿な事を言うな。お前は私の精神安定剤だ。それでなくても私には、本来は国王になる資格なんて無いんだぞ。本当の意味で信頼できる人間が傍に居なければ、こんな重責なんぞ背負ってられん」

「セレン様……。あ、すみません。陛下とお呼びしなければなりませんね」
「身内の間では前のままの呼び名で良い。シガにもそう言ってある」
「……畏まりました」
「さて、と。とりあえず人事方面は粗方片が付いたから、ちょっと付き合え」

 そう言ってセレンは席を立った。ルウクも慌てて後に続いた。

「どちらに行かれるのですか?」

「父上と兄上の所だ。王位を継いでしまった事や、諸々の報告もしたいしな。それと先に、謝っておかなければならない事もある」

「謝って……?」

 ルウクは怪訝に思いセレンの顔を見るが、当の主は薄く笑うだけで、それに対する答えは教えてくれそうに無かった。
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