一冬の糸

倉木 由東

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#18.paris 接点

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 公園での遺体発見から、事件に大きな進展はないままだったがヨシムラから気になる情報が入って来た。
「マルセル警部、死んだナスリですが1年前に日本へ行っていますね」
「日本?」
「ええ。部屋で見つかったスクラップ記事のことも考えると偶然ではないとは思いますが」
「まぁ記事も日本で手に入れただろうしな」
「ただ・・・」
「どうした?」
「パリを発ったのが昨年の12月8日。日本の成田を経ったのが12月24日。ここまでの間で日本各地の主要空港のフライトの乗客名簿を日本の警視庁に調べてもらったんです。すると彼は日本のオキナワという場所に向かっているのがわかりました」
「オキナワ?」
「はい」
 そう言うとヨシムラは棚から世界地図を取り出し、デスクの上に広げた。
「例の強奪事件が起きたのは首都であるトウキョウ。ここです。そしてナスリが向かったオキナワはここです」
 ヨシムラがスーっと指を動かした先は、世界地図で表すにはあまりにも小さい島国だった。
「随分離れているな」
「はい」
「しかし、何が気になるんだ?」
「被害者のキリタニはこのオキナワにある大学を出ています」
「そうだったかな」
「はい。それも日本の警視庁に確認済みです」
「ナスリはそこでキリタニと顔を合わせた可能性があるということか」
「いえ、それは無いと思います。昨年の同じ時期、キリタニはミナト・ジャポンの仕事でスウェーデンで開かれている北欧製家具の展示会に出席しているのが確認出来ています。それにキリタニがオキナワで生活していたのは調べる限り大学時代だけですね」
「ではナスリは何をしにオキナワへ」
「わかりません。そして私たちのよく知っている人間で、キリタニと同じ大学に1年間留学している人物もいます」
「誰だ?」
 言いながら答えはわかっていた。
「モーリス警視です」
「そうか」
 メグレ警視に見せられた1枚の写真。そこに映っていた若かりし頃のモーリス。そして同封されていた手紙の差出人はキリタニ。一緒に映っていたのは時代的にも被害者の親族、おそらく父親といったところか。
 しかし警視庁内のトップシークレット扱いであるモーリスと日本の現金強奪事件の関わりに、このヨシムラが辿りつつあることがマルセルには気になった。
「そしてもう1人この大学に通っている人物がいます」
「なに?」
「被害者、キリタニの娘です」
「娘?」
 たしかキリタニが務めていたミナト・ジャポンのサワダもキリタニには子供がいると言っていた。
「メグレ警視には何か報告しているのか?」
「いえ、あなたと行動するように言われていますし、私からの報告を上にあげるのもあなたの判断にお任せ致します」
「わかった。ありがとう」
 一連の状況からモーリスが公園での事件と日本の強奪事件に関わっている可能性は高い。ヨシムラからの報告はメグレ警視にも伝えたほうが良いだろう。
「マルセル警部」
「なんだ?」
「被害者の自宅の家宅捜査はどうなっているのでしょうか?」
「それならメグレ警視が行っている」
「なぜ報告が無いのでしょうか?」
「報告するほどのことが無いということだろう」
「それでマルセル警部は納得なさっていると?」
 何も言い返せなかった。確かに昨日メグレ警視はキリタニの自宅の家宅捜査を行っているが何も報告が無い。もしかしたら現金強奪事件との関連性に近づいたのかもしれない。それならばトップシークレット扱いなぶん、なおさら現場には情報は下りてこないだろう。ヨシムラに指摘されるまでもなく自分自身納得はしていない。
「ちょっとメグレ警視と話してくる」
「わかりました」
 捜査課部屋を出るとマルセルはメグレ警視に電話をかけた。
「メグレだ」
「マルセルです。今、お電話大丈夫でしょうか?」
「どうした?」
「被害者のキリタニの家宅捜査は昨日で終わっていますね?」
「あぁ」
「何かわかったことは?」
「特に無い」
「本当に?」
「無い。自宅には日本の雑誌やドラマのDVDが置かれていただけだ。それ以外は生活の匂いがしない殺風景な部屋だったよ。ノートパソコンも回収して調べさせたがメールの中身も仕事関係ばかりのもので大したものは出てこなかったよ。携帯といった通信機器も見つからなかった」
「そうですか」
「もういいかな」
 メグレ警視が捜査状況を意図的に伝えていない。というのは思い過ごしか。それとも・・・。
「オキナワ」
 思い切って口にしてみた。
「なんだ?」
「オキナワ。モーリス警視が学生時代に1年間留学していた日本の地名です。ご存じなかった?」
「知っている。それがどうした?」
 特段変わった反応はない。
「マルセル、私を相手に捜査状況を聞き出す揺さぶりでもかけているつもりかね?」
「いえ、そういうわけでは」
「キリタニの家からはナスリに関係することや、オキナワに関係することも何も出なかった。もういいだろ。切るぞ」
「はい」
 プツン、と通話が切れる音が鼓膜に響く。マルセルは携帯電話を耳に当てたままその場を動けずにいた。規則正しく耳元に響くリズム。それが何の意味も持たない音だと感じる。そして自分自身の存在意義について自問する。自分がこの殺人事件の捜査において何も出来ていない歯痒さ、またモーリスとの人間関係においても彼の抱える心の問題に寄り添うことも出来ていなかった罪悪感、耳に響くリズムと同じく自分自身という存在の無意味さに情けなくなってきた。
「マルセル警部」
 顔を上げるとそこにはヨシムラがいた。その瞳は覇気のない私の姿を見ての軽蔑か、同情か。いずれにせよ自分のことを哀れんでいるとわかった。
「メグレ警視は、キリタニの自宅からは特に何も出なかったと言っていたよ」
「そうですか」
「あぁ。パソコンもメールまで隅々チェックしたらしい」
「キリタニの携帯電話というのは見つからないのでしょうか?」
「遺留品の中にも携帯は無かった。自宅にもな。ただ各キャリアに問い合わせてみてキリタニが契約していたのはオレンジというところまではわかった。オレンジ、わかるか?」
「はい。国内最大の携帯キャリアですよね?私もフランスに来て契約しました」
「オレンジでGPS検索しても反応はないそうだ。今、携帯がどこにあるかはわからないが、いずれにせよ電源が切れている状態ということだ」
「日本の携帯は?」
「どういうことだ?」
「いえ。キリタニは日本人ですから日本キャリアの携帯電話も所持しているのではないでしょうか?」
「いや。そこまでの情報は無いな」
「日本の警視庁を通して調べてもらいます」
「わかった。もし日本キャリアの携帯が存在していれば何かわかるかもしれないな」
「動きます」
「頼む」
「それから・・・。あまり思い詰めるのは止めてください。精神までやせ細ってしまっては身体が持ちませんよ」
「優しいんだな」
「捜査に私情を挟んでほしくないだけです。冷静な判断が出来なくなるだけですから」
 そう言い残し、ヨシムラは背を向けて廊下の先を歩いて行った。
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