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前編
短針と長針が重なった夜遅く、同居人の小野田万里は帰ってきた。
「おかえり」
共同で使っているリビングに入ってきた万里に、ソファーに座っていたオレは声をかけた。
「准、起きてたのか?」
オレに気づいた万里が、ふわっと笑って言った。
浅黒い彼の顔が、少し赤い。
「また、飲んできた」
万里の問いに答えずに指摘する。別の飲むこと自体悪いと思っていない。
でも、このところ、ずっとだ。
この二月に入り、毎日のように飲んで帰ってきている。
「明日も仕事なのに」
大丈夫かと問うと、じっと見てきた。
「それだけか?」
万里が他の答えを求めるように言う。
「なにが?」
「俺を待っていたんだろ?」
「ま、まさか。クライアントからの依頼があったデザインが決まらなくて終わんないから、休憩してただけさ」
「ほんとに? 言いたいことがあって待ってたんだろ? ずっと、遅くて、飲んできて、なにも思わけないよな?」
「……? な、なにが言いたいんだよ。母親みたいに、酒はやめろ。とか、彼女できたのかって聞いてほしいってわけ?」
「そうだなー」
少し考える様子を見せたあと、言葉を継いだ。
「俺もさ、そろそろ三十だろ。身を固めろってうるさいんだ」
と万里が言いつつ、意味ありげにちらっとオレを見てくる。
その視線が、あまりに妖艶でごくりとつばを飲み込んだ。
コートとジャケットを脱ぎ、カッターシャツの喉元のボタンを外し、隣に座った。
かすかに居酒屋のにおいがする。くすんだ煙たい匂いの中に、アルコールのにおいが混じっている。
万里は手を太ももの上で組むと、窺うようにオレに視線をよこした。
「なにが言いたいんだよ」
と言いつつも、このとき、オレは密かにびくついていた。
もしかしたら、彼女ができて、結婚を考えているから同居を解消しようと言われそうで。
万里に憧れて、恋焦がれて、オレが大学を卒業すると半ば強引に、万里のところに同居を申しこんでから、五年が経つ。
この同居がずっと、続くわけがないと思っていた。
オレが恋焦がれるほどに、万里はいい奴で、立ち姿や顔立ち。どれをとっても、秀でていた。学生時代から人気があった先輩でもあり、お隣さんだった。
万里は卒業と同時に家を出たときは、日常の景色から色が消えた。
お兄ちゃん的存在で、高校になっても暇さえあれば、お互いの家で転がり込んで遊んでいた。
そんな彼を追いかけて、やっと同居できたのに……。
「そろそろけじめをつけないといけないと思ってさ」
さびしそうにぼそりと万里が言った。優し気でやわらかい声。
いつもよりセンチメンタルな声は、艶やかだった。
もっと聞いていたい――。
が、とうとう、潮時か……。
「解消する?」
本当は言いたくない言葉を口にした。ざらついていて、万里の声と違ってかさついている。
「その前にもう一度だけ聞きたい」と万里が言った。
「う、うん」
優し気な目でオレを見る。
その目が好きだった。彼の目に誰も映したくはなかった。
今の万里は、その瞳に誰を映しているのだろう。
そう考えるだけで、胸の奥が焼け付くように痛い。
けれど、万里は万里で、オレのものじゃない。
彼は、彼のままで動くから、その姿や瞳が好きなのだ。
その彼を無理意地してまで手に入れようとは思わなかった。
「准、俺が遅く帰ってきてもなにも思わない?」
優し気に聞かれ、本当のことを言いたくてたまらなくなった。
それでも、のどまで出かかった思いは、のどの奥で止まった。
「俺がいなくても、平気?」
と聞いてくる万里の手が、オレの頭に乗った。
子どもの頃から変わらない、頭をなでる手つき。
これも、もう、味わえなくなるのか。
「結婚するんだな……。解消する」
オレの口から出たのは、気持ちとは反対の言葉だった。
「しない」と言ってほしかった。
一縷の望みをこめて、万里に顔を向ける。
さっきと変わらず、優し気な笑みを浮かべた万里がいた。
「わかった。じゃあ、そうしよう」
と言った万里は、オレが上げた顔を、ぐしゃっと撫でてきた。その重みで、また顔が下がった。
ああ、オレの恋も終わった、なんて思うと涙がこぼれそうで、考えることをやめた。
いっそのこと、抱きついていかないでくれ、と言えたらすっきりするだろうか。
顔を上げるのと同時に、万里がソファーから立った。
そのまま、部屋に戻るのかと思っていると、万里が振り返った。
「俺さ、結婚しないよ。するのは、准、お前だ」
「……は?」
「おかえり」
共同で使っているリビングに入ってきた万里に、ソファーに座っていたオレは声をかけた。
「准、起きてたのか?」
オレに気づいた万里が、ふわっと笑って言った。
浅黒い彼の顔が、少し赤い。
「また、飲んできた」
万里の問いに答えずに指摘する。別の飲むこと自体悪いと思っていない。
でも、このところ、ずっとだ。
この二月に入り、毎日のように飲んで帰ってきている。
「明日も仕事なのに」
大丈夫かと問うと、じっと見てきた。
「それだけか?」
万里が他の答えを求めるように言う。
「なにが?」
「俺を待っていたんだろ?」
「ま、まさか。クライアントからの依頼があったデザインが決まらなくて終わんないから、休憩してただけさ」
「ほんとに? 言いたいことがあって待ってたんだろ? ずっと、遅くて、飲んできて、なにも思わけないよな?」
「……? な、なにが言いたいんだよ。母親みたいに、酒はやめろ。とか、彼女できたのかって聞いてほしいってわけ?」
「そうだなー」
少し考える様子を見せたあと、言葉を継いだ。
「俺もさ、そろそろ三十だろ。身を固めろってうるさいんだ」
と万里が言いつつ、意味ありげにちらっとオレを見てくる。
その視線が、あまりに妖艶でごくりとつばを飲み込んだ。
コートとジャケットを脱ぎ、カッターシャツの喉元のボタンを外し、隣に座った。
かすかに居酒屋のにおいがする。くすんだ煙たい匂いの中に、アルコールのにおいが混じっている。
万里は手を太ももの上で組むと、窺うようにオレに視線をよこした。
「なにが言いたいんだよ」
と言いつつも、このとき、オレは密かにびくついていた。
もしかしたら、彼女ができて、結婚を考えているから同居を解消しようと言われそうで。
万里に憧れて、恋焦がれて、オレが大学を卒業すると半ば強引に、万里のところに同居を申しこんでから、五年が経つ。
この同居がずっと、続くわけがないと思っていた。
オレが恋焦がれるほどに、万里はいい奴で、立ち姿や顔立ち。どれをとっても、秀でていた。学生時代から人気があった先輩でもあり、お隣さんだった。
万里は卒業と同時に家を出たときは、日常の景色から色が消えた。
お兄ちゃん的存在で、高校になっても暇さえあれば、お互いの家で転がり込んで遊んでいた。
そんな彼を追いかけて、やっと同居できたのに……。
「そろそろけじめをつけないといけないと思ってさ」
さびしそうにぼそりと万里が言った。優し気でやわらかい声。
いつもよりセンチメンタルな声は、艶やかだった。
もっと聞いていたい――。
が、とうとう、潮時か……。
「解消する?」
本当は言いたくない言葉を口にした。ざらついていて、万里の声と違ってかさついている。
「その前にもう一度だけ聞きたい」と万里が言った。
「う、うん」
優し気な目でオレを見る。
その目が好きだった。彼の目に誰も映したくはなかった。
今の万里は、その瞳に誰を映しているのだろう。
そう考えるだけで、胸の奥が焼け付くように痛い。
けれど、万里は万里で、オレのものじゃない。
彼は、彼のままで動くから、その姿や瞳が好きなのだ。
その彼を無理意地してまで手に入れようとは思わなかった。
「准、俺が遅く帰ってきてもなにも思わない?」
優し気に聞かれ、本当のことを言いたくてたまらなくなった。
それでも、のどまで出かかった思いは、のどの奥で止まった。
「俺がいなくても、平気?」
と聞いてくる万里の手が、オレの頭に乗った。
子どもの頃から変わらない、頭をなでる手つき。
これも、もう、味わえなくなるのか。
「結婚するんだな……。解消する」
オレの口から出たのは、気持ちとは反対の言葉だった。
「しない」と言ってほしかった。
一縷の望みをこめて、万里に顔を向ける。
さっきと変わらず、優し気な笑みを浮かべた万里がいた。
「わかった。じゃあ、そうしよう」
と言った万里は、オレが上げた顔を、ぐしゃっと撫でてきた。その重みで、また顔が下がった。
ああ、オレの恋も終わった、なんて思うと涙がこぼれそうで、考えることをやめた。
いっそのこと、抱きついていかないでくれ、と言えたらすっきりするだろうか。
顔を上げるのと同時に、万里がソファーから立った。
そのまま、部屋に戻るのかと思っていると、万里が振り返った。
「俺さ、結婚しないよ。するのは、准、お前だ」
「……は?」
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