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65. 海堂邸への帰還
しおりを挟む海堂家は都内に屋敷がある。
いわゆる高級住宅街だ。代々続く政治家のお屋敷や大手企業の社長宅などが多く、閑静だが独特の空気感のある地域である。
嘘か本当かは分からないけれど、敷地が二百平米以上ないと家が建てられないという話を聞いたことがあった。
リリが十年以上お世話になった海堂邸は、そんな住宅街の中でもひときわ敷地が広くて、立派な豪邸だ。
サービスエリアや途中で気になったお店に寄り道しながら運転したので、到着は夕方になってしまった。
広い駐車スペースに軽ワゴンを入れて、ふうと一息つく。
慣れない運転をがんばったので、少しばかり疲れてしまった。
『リリ、大丈夫?』
目敏く気付いてくれた黒猫が後部座席ごしに覗き込んでくる。
頬に触れるぬくもりに、途端にリリは目尻を下げた。
「大丈夫。ちょっとだけ疲れましたが、貴方たちのおかげで元気です」
そう、元気なのだ。
魔素に満ちた異世界ではないのに、もう四時間以上、日本に滞在しているリリが頭痛も吐き気もなく、けろりとしているなんて。
(信じられない。異世界でいる時ほどの活力は感じないけれど……それでもどこも痛くも苦しくもなく『普通』に過ごせている)
性格上、静かに感慨に耽っているが、心の中では躍り上がるほどに嬉しく、とてもはしゃいでいる。
ルーファスはもちろんだが、黒猫のナイトも大魔女シオンの筆頭使い魔だけあり、魔力量はとても多い。
リリの体感だが、おそらくはエルフである辺境伯のルチアよりも膨大な魔力を誇っているように思う。
貴族である彼女が、ナイトには礼を尽くしているのだ。
(でも、そんなナイトよりもルーファスは更に強いのよね……)
日本にいると、よく分かる。
彼がリリのそばにいてくれるだけで、肌がびりびりと震えるような強い魔力を感じた。
もっとも、それは常に魔素枯渇症に怯えるリリの肉体にとっては最高のご馳走で。
ルーファスが近くにいてくれるだけで、とても気分が良かった。
「車を降りましょうか。家族が心配しているようなので」
ちらりと窓の外に視線をやって、リリは端正な口元に微苦笑を浮かべる。
せっかちな従兄二人が今にも車のドアをこじ開けそうな表情で玄関前にスタンバイしていた。
「あれがリリィの家族なのか?」
「はい。従兄です。幼い頃から一緒に暮らしていたので、兄妹みたいなものです」
「ふむ……。あれもシオンの曾孫か」
『あんまり似ていないね』
ルーファスとナイトが興味深そうに従兄たちを観察している。
たしかに、彼らは曽祖母には似ていない。
「おばあさまの血を引く子孫は皆、どういうわけか男性ばかりで。私が唯一の女性だったんです」
「なるほど、魔女の血の集大成というわけだな、リリィが」
何やら一人で納得した様子のルーファスを置いて、リリは運転席から降りた。
魔法のショルダーバッグとストレージバングルのおかげで、荷物はないので身軽でいい。
リリに続いて車から飛び降りた黒猫を抱き上げて、玄関に向かう。
「リリ!」
「おかえり、リリ」
玄関に辿り着く前に、長身の従兄二人に抱き締められた。
「ただいま、レオ兄にルカ兄」
「ああ……! 元気そうだな、良かった」
「顔色もいい。それに、少しふっくらしたんじゃないか?」
「ルカ、それは女性には失礼だぞ」
「ん、悪い。でも、リリはもっとふっくらしてもいいくらい華奢だぞ?」
小柄なリリの頭上で交わされる賑やかなやり取り。
か弱い従妹を気遣って、抱き締める腕はそれほど強くなかったので腕を突き出すようにして、拘束から逃れた。
「もう、二人とも私の頭の上で喧嘩しないでください」
頬を膨らませつつ、ガタイのいい二人を見上げて叱りつける。
怒られているのに、従兄二人は何だか幸せそうに瞳を細めて喜んでいた。
もう、とため息を吐きながら、リリは腕の中の黒猫を二人に紹介する。
「レオ兄、ルカ兄。この子が私の使い魔になってくれたナイトです。とても賢くて優しい、いい子なんですよ?」
「おお! 青い目の黒猫とは珍しいな! リリが世話になっている。 海堂玲王だ、よろしく頼む」
ニャア、とナイトが鳴く。
リリの耳には『よろしくね、レオ』と聞こえるが、【翻訳】スキルを持っていない二人には猫の声にしか聞こえていない。
それでも、玲王は「賢い猫だ」と感心したように頷いている。
「俺は海堂瑠海。レオの弟で、リリの兄でもある。よろしく、ナイト」
リリの腕の中にちょこんと座った黒猫が器用に頭を下げた。とても可愛らしい。
従兄二人はさっそく籠絡されたようで、かわいいかわいいとナイトをちやほやしている。
「そして、彼も私の使い魔になってくれたルーファスです」
「ルーファスだ。よろしく頼む、リリィの兄上殿たち」
堂々とした体躯のルーファスが日本の様式に合わせて、軽く頭を下げて挨拶してくれる。
途中に寄った店で購入した服に着替えたルーファスはどこから見ても立派な紳士だ。
スーツほど格式ばっていない、カジュアルなジャケット姿だが、体格が良いため見栄えがいい。
ショップの店員が店のSNSで宣伝したいから写真を撮らせてほしい、と土下座せんばかりの勢いで頼み込んだくらいだ。
ちなみに撮影代がわりに試着した洋服一式を進呈する、という申し出を耳にしたルーファスは笑顔で請け負ってしまった。
支出が減ったぞ、と喜ぶドラゴンにほんの少し申し訳ない気持ちになったのは内緒である。
(きっと私の事務作業中のぼやきを耳にしたのね……)
ポーションの代金を考えると、ショップの洋服が余裕で数十着以上は買えるのだが、彼なりに気遣ってくれたらしい。
「使い魔? 使い魔とは、ナイトくんのように動物の姿をしているのでは?」
玲王が、はてと首を傾げる。瑠海も瞳を眇めるようにしてルーファスを見やった。
「だな。俺には君が人に見えるのだが」
「当然だ。人に見えるように変化しているからな」
「……ほう」
じろじろとルーファスを見やる二人の従兄の姿に、リリは嘆息する。
少しばかりシスコン気味な従兄たちはリリの周囲に男が近付くのを殊更嫌がるのだ。
「やめて、二人とも。ルーファスのおかげで、私はこの家に帰れるくらいに元気になれたのですよ?」
腰に手を当てて、きっと睨み付けると、慌てる二人。
「貴方たち、いい加減にしないとリリちゃんに嫌われるわよ?」
「伯母さま」
やわらかな声音で割って入ったのは、従兄たちの母──伯母だ。
「貴方がルーファスちゃんね? リリちゃんが言っていた通りのイケメンだわ!」
「母さん……」
キャッキャ、と華やかな歓声を上げる母親の登場で毒気を抜かれたのか。
従兄二人は途端に口を噤んだ。
「さ、いつまでリリちゃんを外で立たせたままにしているの。お入りなさい。ルーファスちゃんもどうぞ」
「感謝するぞ、リリィの叔母上殿」
「あら、まぁ」
懐かしそうに瞳を細めて笑う伯母。
曽祖母シオンがリリを呼ぶのと同じ響きの名前を耳にして、口元を綻ばせている。
「伯父さまはまだお仕事中?」
「ええ。でも、リリちゃんに会いたいから、急いで片付けて戻ってくるそうよ」
「もう伯父さまったら」
「なのに、この子はリリちゃんが帰ってくるって教えたら、さっさと早退してくるのだもの」
「当然だ。仕事よりもリリの方が大事だからな!」
高らかに笑う従兄をリリは呆れたように見やる。その隣を歩く、もう一人の従兄はリリの視線に気付くと、慌てて首を振った。
「俺は大学をサボったりはしないぞ? 今日はたまたま休講だったんだ」
「そういうことにしておきましょう」
何でもお見通しの伯母に笑い飛ばされて、瑠海はバツが悪そうな表情を浮かべる。
「ディナーまで二時間はあるわ。せっかくだから、皆でお茶にしましょう。リリちゃんの異世界での冒険譚を聞きたいわ」
「ふふ。喜んで」
リビングに集まる前に、リリは一言断ってから厨房に向かった。
荷物持ちとしてルーファスにもついてきてもらう。
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「ええ、そのとおりよ。このお肉を我が家自慢の料理長に美味しく調理してもらいましょう」
異世界へ移住した話は伯父一家しか知らないので、料理長の前でストレージバングルを使うわけにはいかない。
美味しい料理と聞いて、ルーファスは素直に荷物運びを手伝ってくれている。
オークの塊肉はひとつ三キロほど。それを三つ、軽々と抱えたルーファスは弾むような足取りで厨房へ向かった。
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