生贄花嫁はアヤカシ狐からの溺愛を受け入れられない

無月兄

文字の大きさ
10 / 48

妻としてのつとめ

しおりを挟む
 誰かが近づいてきた。そんな気配を察して、閉じていた目を開く。
 布団をはいで上半身を起こすと、襖の向こうから声が届いた。

「紬様、おはようございます」

 若い女性の声。
 返事をしようにもすぐには声が出ず、かろうじてうーんとうなると、襖が開き僅かに顔を覗かせる。
 いや、この表現は少々間違っているだろう。何しろ戸を開けた女性には、顔と呼ぶのに必要な目や鼻や口が存在していないのだから。

「おはよう。忍さん」

 眠い目をこすりながら、入ってきたのっぺらぼうに挨拶する。

 彼女の名は、忍。花嫁行列の時、紬の乗った籠に寄り添って歩いていた相手で、この家でも彼女の世話係となっていた。
 紬がこの屋敷に来てから、今日で三日目。こうして毎朝起こしに来るのも、すっかり日課になっていた。

「昨夜はよく眠れましたか?」
「まあ、それなりに」

 本当は何度も目が覚めたのだが、眠りが浅いのはいつものことなので、別段言う必要はないだろう。
 そう思ったが、彼女は目ざとく気づいてくる。

「本当にそうですか? 目元、少しだけくすんでいますし、昨日もそうでしたよ。そういうのは自然と顔に出るものですよ」

 顔のない彼女にそんなことを言われるの、なんだか妙な感じだ。

「紬様も、新しい生活で慣れないことが多いのでしょう。困ったことがあったら、遠慮なく言ってくださいね」
「別に困ってるわけじゃないんだけど。それより、紬様って呼び方、何とかならない?」

 元々彼女は、紬のことを奥方様と呼んでいた。それをやめてくれないかと頼んだところ、このように紬様と呼ぶようになったのだが、紬としてはどうにもむず痒い。

「そうはいきません。詩様とは今のところ形だけの夫婦であることは知っていますが、それでも主の奥方というのには変わりませんもの。たとえご命令でも、こればかりは譲れません」

 胸を張ってそう言われると、やめてとは言えなくなってしまう。
 そうでなくても、忍相手には、どうにも強く言いづらい。
 花嫁行列の最中、彼女を騙して逃亡したという後ろめたさがあるからだ。

 そんな相手の世話係などさぞかし嫌がるだろう。そう思っていたのだが、彼女はそんな様子を微塵も見せずに、何かと世話を焼いてくれている。
 顔がないため表情を読むことはできないが、もしあったとしたら、きっと気さくで明るい笑顔をしているだろう。

 だからこそ、付き合い方がよくわからない。
 月城の家にも使用人はいたが、その中に紬に笑顔を向ける者など一人もいなかった。
 常貞たちが紬を見下すのを見て、使用人たちもまた、紬を見下すようになっていった。

(夫婦なんて形だけのものだし、私に価値なんてないのに)

 それから、忍に手伝ってもらい寝間着から着替える。
 本当は一人でやりたいところだが、ここでの生活は基本的に着物ばかり。一人で着付けをするには時間がかかる。

「さあ。お着替えもすんだことですし、次は奥方としての務めを果たしてもらいましょうか」
「また、あれをやるのね」

 わかっていたことだが、ため息が出る。とはいえ、仕方の無いことだ。
 忍と共に部屋を出ると、廊下の向こうから、白くて丸い毛玉が数体、ワラワラと群がりながらこちらにやって来ていた。もちろん、全部アヤカシだ。
 こんなにもたくさんのアヤカシがいる光景など、紬も滅多に見ることはなかったが、早くもそれに慣れつつあった。

「あっ、奥方様だー」
「奥方様だー」
「こら、あなたたち。奥方様でなく紬様です」

 毛玉たちが紬を奥方様と呼び、忍がそれを窘める。
 この毛玉、ある程度の知性はあるようだが、詩や忍らと比べると少し単純なようだ。

 その後二人は、紬の部屋のすぐ隣にある部屋の前に立つ。
 ここからが、忍の言っていた、奥方としての務めの始まりだ。
 とはいえ、大したことをするわけではない。

「詩──」

 形式上夫となった相手の名を呼ぶが、返事は無い。
 紬のやることというのは、要は寝ている詩を起こすこと、それだけだ。
 そんなもの、さっき紬が起こしてもらったように忍たちでもできるだろうし、実際紬が来るまではそうしていたらしい。
 だが詩は、形だけとはいえ夫婦になったのだから、妻に起こしてもらうくらいの楽しみはあっていいはずと、よくわからないことを主張したのだ。

 とはいえ紬も、相当都合のいい条件でここにいる身。そのくらいならと、特別嫌がることなく引き受けたのだが……

「詩──詩────」

 さらに呼ぶが、またも返事はない。

 襖を開けると、畳の上に敷かれた布団がひとつ。そこで詩は眠っていた。

「声をかけただけでは、起きないようですね」
「わかってるわよ」

 昨日も一昨日もこうだったのだから、今日もそうなのだろうという気はしていた。
 ため息をつきつつ部屋の中に入ると、寝ている詩の傍らに座る。

 横向きに寝ている彼の寝顔を見ると、本当に驚くくらいの綺麗な顔をしている。
 もしも彼が人間だったなら、寄ってくる女性は数多くいるだろう。
 とはいえ、紬もそんな彼に惹かれるかというと、そんなことはない。

 それは、詩がアヤカシだからというわけではない。
 人に好かれることのなかった自分には、人を愛するということが、どうしても想像できないのだ。

「詩!」

 大きな声で、もう一度彼の名を呼ぶ。すると小さくううんと唸った後、顔を傾け、僅かに目を開いた。

「紬……」

 紬の名を呼び、ニコリと幸せそうな顔で笑う。
 とりあえず、起きてはくれたようだ。
 そう思った途端、詩の手が急に伸びてきて紬の肩を掴み、そのままグッと引き寄せた。

「あっ……ちょっと!」
「紬~」

 抱きつくような体勢になりながら、詩は実に幸せそうに声をあげる。
 それだけでない。寝ぼけているのか、今にも密着しそうなくらい、顔を近づけてきた。

「い、いい加減にしなさーい!」

 吐息がかかるほど近づいたその瞬間、バッと振り上げた紬の手が詩の頬を打ち、バチーンと大きな音を響かせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています

空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。 『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。 「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」 「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」 そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。 ◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

巻き込まれて異世界召喚? よくわからないけど頑張ります。  〜JKヒロインにおばさん呼ばわりされたけど、28才はお姉さんです〜

トイダノリコ
ファンタジー
会社帰りにJKと一緒に異世界へ――!? 婚活のために「料理の基本」本を買った帰り道、28歳の篠原亜子は、通りすがりの女子高生・星野美咲とともに突然まぶしい光に包まれる。 気がつけばそこは、海と神殿の国〈アズーリア王国〉。 美咲は「聖乙女」として大歓迎される一方、亜子は「予定外に混ざった人」として放置されてしまう。 けれど世界意識(※神?)からのお詫びとして特殊能力を授かった。 食材や魔物の食用可否、毒の有無、調理法までわかるスキル――〈料理眼〉! 「よし、こうなったら食堂でも開いて生きていくしかない!」 港町の小さな店〈潮風亭〉を拠点に、亜子は料理修行と新生活をスタート。 気のいい夫婦、誠実な騎士、皮肉屋の魔法使い、王子様や留学生、眼帯の怪しい男……そして、彼女を慕う男爵令嬢など個性豊かな仲間たちに囲まれて、"聖乙女イベントの裏側”で、静かに、そしてたくましく人生を切り拓く異世界スローライフ開幕。 ――はい。静かに、ひっそり生きていこうと思っていたんです。私も.....(アコ談) *AIと一緒に書いています*

処理中です...