水死体引き上げ人

Nebu

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7 上海の死体運びと、転運の儀式

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暑さは毎日この時間になると収まり始め、稲田から吹く風には微かな涼しさが混じっていた。 李追遠(リ・ツイエン)は稲田の方を向き、目を閉じて深く深呼吸をした。

「小遠侯(シャオユエンホウ)、どうした? 太爺(ひいじい)が臭うか?」

「ううん、太爺。稲の匂いを嗅いでるの」

「ほう、匂うか?」

「匂わない。教科書には『稲の香りは素晴らしい』って書いてあるのに、違うみたい」

「馬鹿だねえ。時期が違うよ。肥料を撒いた時や農薬を撒いた時に嗅いでみな。保証するよ、強烈な匂いさ!」

「太爺、からかわないでよ」

「ははは」

李三江(リ・サンジャン)は首を回し、孫を背負ってあぜ道を進んだ。

「今は匂わないがね、刈り取って、干して、脱穀して、蒸し上げて餅や飯になった時、湯気と共に立つ香りときたら、そりゃあ遠くからでもわかるもんさ」

「太爺の言う通りだね」

三江は立ち止まり、稲田を見渡した。

「まあ、教科書も嘘じゃないさ。農家の人間にとっちゃ、稲が育ち、蔵に穀物があり、釜に米がある。飢える心配がないってだけで、どこにいても甘い香りがするようなもんさ」

「わかった」

「いや、お前にはわからんよ。小遠侯、お前は本当の『飢え』を知らんからな。俺たちが腹いっぱい食えるようになったのは、ここ数年のことさ。それでも、解放前に比べれば天国だがな」

「ん?」

追遠は不思議そうに聞いた。

「解放前は、みんなお腹いっぱい食べられなかったの?」

「ああ。解放前は『人間』なら誰でも食えたさ。飢えなんてなかった」

「太爺、言ってること変だよ」

「家畜は人間に入らないからな」

「え?」

「小遠侯、太爺も昔は上海滩(上海灘※シャンハイ・バンド)に行ったもんだ」

「許文強(※ドラマ『上海灘』の主人公)を知ってる?」

「誰だそりゃ? 知らん。俺は船で行ったんだ。南通と上海は川一つ隔てた隣だからな。大上海なら仕事があると思ったんだが、運良くすぐにありつけた」

「なんの仕事?」

「背尸隊(はいしたい※死体運び隊)だ」

「葬儀屋さん?」

「はっ、葬儀屋もあったが、庶民には高嶺の花だ。入る前に死者が生き返って逃げ出すレベルさ。俺が入ったのは市政府や富豪の寄付で運営される死体回収部隊だ。毎朝、路地裏や大通りに転がってる行き倒れの死体を背負って、義荘(※仮安置所)へ運ぶんだ。 景気がいい時は寄付の棺桶があったが、一人一桶じゃないぞ。何人も詰め込むんだ。お前くらいの子供を何人も、苦労して詰め込んだこともあったな。揺すっても動かないんだ。わかるか?」

「棺桶が重すぎるから?」

「違う。中身がぎゅうぎゅう詰めで、死体同士が噛み合って動かないんだ。 景気が悪い時は棺桶すらない。むしろで巻いて乱葬崗(※共同墓地)へ放り投げて野犬の餌だ。 冬場は地獄だぞ。朝一番で通りに出ると、家族全員が抱き合ったままカチンコチンに凍ってる。 小遠侯、あそこは大上海だぞ。大都会で、金が溢れてた。誰かの指の隙間からこぼれ落ちた小銭だけで、一家が食っていけるような場所だ。 なのに俺は年中無休で死体を運び続けた。仕事が尽きないんだ。 洋館が並び、着飾った紳士淑女がダンスホールへ消えていくその壁一枚隔てた路地裏で、毎日誰かが餓死してる。 俺はずっと考えて、やっとわかった。 目があって鼻があって二本足で歩いてても、人間扱いされるのは一握りだけだ。残りの連中……いや、『頭数』は、家畜以下の命なんだよ。家畜なら餌をもらえるが、彼らは棺桶の板一枚すらもらえない。死体を片付けるのも、街の景観が悪くなるからだ」

追遠は三江の首に腕を回し、顔を背中に押し付けた。

「太爺は、その時に今の技を覚えたの?」

「まあな。あの頃は一日死体を運んでようやく飯代だったが、今は一人の水死体でしばらく贅沢できる。やっぱり解放後はいいな。人間がようやく『人間』として値がついた」

「爺ちゃんも言ってた。地主の家で働いてた時、鞭で打たれたって」

「漢侯(カンホウ)のほら吹きめ。あいつは毛が生え揃う前に解放されたんだぞ。小遠侯、お前が言ってるのは漢侯じゃないな?」

「北のお爺ちゃん」

「ははあ、北京の父方の爺さんか」

「うん。生きていけないから革命軍に参加したって言ってた」

三江は足を止めた。

「なんだと? 北の爺さんは戦争に行ったのか?」

「うん」

「生きてるのか?」

「うん」

「日本鬼子(※日本兵)と戦ったか?」

「最初はね。後から別のとも戦ったって」

「チッ、チッ、チッ! 大したもんだ」

「小遠侯、北の爺さんとは仲がいいのか?」

「正月とかにパパとママとご飯を食べに行くよ」

「普段は?」

「行かない」

「行き来なしか?」

「北のお婆ちゃんとママの仲が悪いの。伯父さんたちは北の爺ちゃんたちと一緒に住んでるけど、うちは外に住んでる。ママは僕を行かせないし、パパもこっそり帰ってるみたい」

「蘭侯(ランホウ)め、何を考えてやがる」

三江は呆れた。嫁姑問題は世の常だが、相手を選べと言いたい。 だが、蘭侯ならやりかねない。泥臭い一族から生まれた金色の鳳凰だ。幼い頃から兄たちを支配し、村の口うるさい婆さんたちさえ黙らせる威圧感を持っていた。

「小遠侯、名前を変えたんだろ?」

「うん」

「はあ……。離婚しても子供の姓まで変えるとはな。いいか、北京に戻ったら、北の爺さんたちと仲良くするんだぞ」

「行かないよ。ママが悲しむから」

「お前は素直だな。でも太爺の言うことを聞け」

「行けないよ。ママを怒らせたら、僕は捨てられちゃう」

「そんなことあるか。母親はいつだって子供が一番大事だ」

「違うよ」

追遠は小声だが断言した。

「ママを不機嫌にさせたら、僕はいらない子になる。僕はママのこと、わかってるもん」

三江は話題を変えた。

「宿題は持ってきたか? 明日ばあちゃんに持ってこさせよう」

「持って帰ってきてないよ」

「はは、賢いな! わざと置いてきて、田舎で遊び呆ける気だな?」

「うん、いっぱい遊ぶ」

「まあ勉強もしろよ。姉の英侯(インホウ)に教えてもらえ」

「うん」

……

二人は川沿いの道を進み、開けた場所に出た。 李三江の家の敷地は、李維漢の家の数倍もあった。 三棟の建物があり、中央には南向きの新築二階建てがある。ただし翠翠(ツイツイ)の家のような正方形ではなく、横に長い長方形だ。二階にはいくつかの部屋があるだけで、まるで巨大な積み木を置いた平たい屋根のようだ。 左右には平屋が向かい合って建っている。

「太爺、おうち大きいね」

「だろ?」

三江は撈屍(ろうし)以外に、扎紙(ザージー※葬儀用の紙細工)の商売もしている。材料や完成品を置くスペースが必要なのだ。さらに葬儀用のテーブルや椅子の貸し出しもしており、一階は巨大な倉庫のようだった。

三江は追遠を下ろし、中央の家に入った。 西側にはテーブルや椅子、大量の食器が積み上げられ、東側には紙の人形、家、馬などが林立している。紙製のサンタナ(車)まであった。 自分と同年代くらいの質素な身なりの女性が、紙人形に色を塗っていた。筆運びは速く、滑らかだ。 彼女は振り返り、追遠を見た。

「叔父さん、その子は? 色が白くて可愛いわね」

「婷侯(ティンホウ)、紹介するよ。俺の曾孫、李追遠だ。追遠、婷侯おばさんだ」

「婷おばさん」

「はい、いい子ね」

劉曼婷(リュウ・マンティン)は筆を置き、追遠の頬を撫でた。「可愛い」 追遠は少し後ずさりして照れ笑いを浮かべた。

「叔父さんが子供を連れてくるなんて珍しいわね」

「ここに遊びに来る度胸のあるガキがいなかっただけさ」

三江はタバコを取り出した。

「婷侯、この子はしばらく預かることになった。二階の部屋を片付けてやってくれ。小遠侯、一人で寝るのは怖いか?」

「怖くないよ、太爺」

「よし、太爺は隣の部屋にいるからな。婷侯、頼んだぞ。俺はトイレに行ってくる」

「おいで、小遠。二階へ行きましょう」

一階は物が多くて階段が見えにくい。追遠は階段の下にもう一段階下がる階段があることに気づいた。

「婷おばさん、下にも部屋があるの?」

「地下室よ。ここ(一階)と同じ広さがあるわ」

「同じものが置いてあるの?」

「ううん。叔父さんの私物置き場よ。捨てられないものを全部溜め込んでるの」

「へえ」

「それとね、小遠。私の名前は劉曼婷。これからは劉(リュウ)おばさんって呼んでね」

「劉おばさんはここの人じゃないの?」

「ええ、出稼ぎに来て、紙細工を手伝ってるの」

「一人で?」

「旦那も一緒よ。叔父さんの畑を借りて耕してるわ。あとで帰ってくるから、秦(チン)叔父さんって呼びなさい。娘と姑も一緒よ。東側の平屋に住んでるわ。解放前なら、あなたのことを『若旦那様』って呼ばなきゃいけない立場ね」

追遠は首を振った。

「それは封建的な残滓だよ」

「あら?」

マンティンは驚いた。「難しい言葉を知ってるのね」

二階に上がり、マンティンは部屋を開けた。古いベッドとタンスだけのシンプルな部屋だが、掃除は行き届いている。

「ここに住みなさい。洗面器とタオル、それと痰盂(※おまる)を持ってくるわね」

「ありがとう、劉おばさん」

追遠は部屋を出て、テラスに出た。 手すりも何もない広い空間だ。ここから庭や川、田んぼが一望できる。 あぜ道を、一人の男が歩いてきた。タンクトップから覗く筋肉は、農作業でつくものとは違う、鋼のような質感を持っていた。あれが劉おばさんの夫、秦叔父さんだろう。

視線を左に向けると、東側の平屋が見えた。 ドアの内側に、自分と同じくらいの少女が座っていた。 赤い刺繍入りの上着、白い模様の入った黒いズボン、髪は綺麗に結い上げられ、浅緑色の刺繍靴を履いている。 まるで時代劇から抜け出してきたような、あるいは精巧な日本人形のような、完璧な美しさだった。 彼女は敷居に足を乗せ、前を見つめていた。 夕日の最後の一筋が、彼女の足元を照らしていた。

追遠はじっと彼女を見ていた。 視線を感じれば気づくはずだが、彼女は微動だにしない。 手を振ってみた。反応なし。

「こんにちは」

声をかけた。反応なし。 目が見えないのか? 耳が聞こえないのか? 追遠は胸が痛んだ。こんなに美しいのに、何かが欠けているなんて。

「小遠」

後ろからマンティンの声がした。

「あれは私の娘、秦璃(チン・リ)よ」

追遠は頷いた。 マンティンはそれ以上何も言わず、部屋に案内して道具を置いた。 普通なら「仲良くしてね」とか言うはずなのに。

追遠は再びテラスに出た。 秦璃はまだ同じ姿勢で固まっていた。まるで彫像のように。 秦叔父さんが帰ってきて、彼女の前でしゃがんで話しかけた。 だが、彼女は父に視線を向けることすらせず、ただ前を見続けていた。 彼女はこの世界に存在しているようで、どこか別の世界を見ているようだった。 秦叔父さんが追遠に気づいて手を振った。

「やあ、こんにちは」

「こんにちは、叔父さん」

「小遠侯、飯だぞ!」

下から三江の声がした。 一階の紙人形の間にテーブルを作り、豚の頭肉、豚の耳、昆布、落花生などが並んでいた。出来合いの惣菜だ。

「座れ」

三江は白酒を注ぎ、自分に一杯やった。

「太爺、こんなに食べられないよ」

「残りは俺が食うから安心しろ」

三江は豚の鼻先を追遠の碗に入れた。

「漢侯の家じゃこんなご馳走は出ないだろ?」

「おばあちゃんの漬物も美味しいよ」

「ふん。あいつらは孫を甘やかしすぎだ。一生子供の奴隷だな。お前は違うぞ、お前の母親は金を払ってるからな」

追遠は黙々と食べた。 マンティンが卵スープを持ってきて、すぐに去っていった。彼らは別々に食事をするらしい。

「小遠侯、一つ忠告だ。東の家には近づくな」

「なんで?」

「婷侯の娘がいるだろ? あの娘は頭がおかしいんだ。近づくと引っ掻かれたり噛みつかれたりするぞ」

「……わかった」

追遠は驚いた。あの静かな少女が? でも、目や耳の不自由な子じゃなくて良かった、と少し安堵した。

食事を終え、追遠はトイレに行くついでに東の家を見た。 老婆が秦璃の手を引いて食卓へ連れて行くところだった。老婆には、自分の北の祖母と同じような気品があった。 秦璃は自分の碗の飯だけを食べ、老婆がおかずを取り分けてやっていた。 老婆は追遠を一瞥したが、挨拶はしなかった。

風呂は二階の奥にあった。簡単なシャワーだ。 風呂上がりに三江の部屋へ行くと、部屋の中央に蝋燭が並べられ、奇妙な模様が描かれていた。床には手書きの古い本が落ちていた。 『金沙羅文経』。 中身は陣形図と注釈だが、字が汚い。 『転運過煞陣(てんうんかさつじん)』。 効果:ある人の煞気(さっき)を別の者に移す。注:人を傷つける恐れあり。

追遠は本と床の図を見比べた。

「太爺、なんか図が違う気がするけど……」

そもそも本の手書き図も歪んでいるので、正解がわからない。 三江が風呂から戻ってきた。パンツ一丁だ。

「はは、読めるのか小遠侯」

「うん」

「賢いな」

三江は本を取り上げ、追遠を座らせた。 蝋燭に火を灯し、三本の黒い紐を追遠の手首、足首、首に結び、もう片方を自分の同じ場所に結んだ。 三江は呪文を唱え始めた。南通訛りがきつく、歌のように聞こえる。 しばらくして三江はお茶を飲みたそうに喉を鳴らし、咳払いをして、背後からお札を取り出した(パンツのどこに入っていたのか謎だ)。 お札を燃やし、二人の間の地面に叩きつけた。

パシッ!

部屋の蝋燭が一斉に消え、電球もチカチカと点滅した。 追遠はきょろきょろした。

「終わり?」

「よし!」

三江は紐を噛み切ったが、追遠の体には黒い輪っかが残された。

「今夜はこのまま寝ろ。明日の朝、切ってやる」

「わかった。おやすみ太爺」

三江は自分の足の紐を噛み切ろうとして転んだが、そのまま手を振った。

「早く寝ろ」

追遠は自分の部屋に戻ると、すぐに深い眠りに落ちた。

隣の部屋で、三江は呟いた。

「成功したよな? 電球も点滅したし」

「待てよ、あの本が書かれた時代に電球なんてあったか?」

「まあいい、蝋燭も消えたし大丈夫だろ」

三江はベッドに倒れ込み、すぐにいびきをかき始めた。 だが、しばらくして寝返りを打ち、眉をひそめた。

夢を見た。 白玉の階段に座っている。周りには高い壁と壮大な宮殿。 故宮(紫禁城)だ。 カレンダーや映画で見たことがある。皇帝の住処だ。 三江はタバコを探そうとして、膝の上に柔らかいものを感じた。 茶トラの猫だ。 猫を払いのけ、タバコに火をつける。

ギィィィ……。

宮門が開く音がした。 入場料を取られるかな? いや、夢だからタダだ。 前方の三つの門から、足音が聞こえてきた。

ドン! ドン! ドン!

重く、整った音。 観光客の行進か? 三江は身を乗り出した。

門から出てきたのは、清朝の官服を着て、頂戴花翎(※官帽の飾り)をつけ、顔色の悪い「彼ら」だった。 彼らは同じリズムで跳ねながら進んできた。

ドン! ドン! ドン!

三江の口からタバコが落ちた。 突然、彼らは跳躍を止め、静止した。 次の瞬間、全員が一斉に左を向き、三江の方を見据えた。
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