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第39話 狩野探幽の一人語り
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◇胡蝶の一人語り
一ヶ月前の九月に、狩野探幽が客として吉原に来た。
揚屋茶屋の二階の座敷奥。片膝を立てて酒杯を手にする白髪の老人は、仙人のよう、いや眼光の鋭さは尋常でなく、人間というより、龍か白虎といった神獣のようだ。
私の隣の新造、禿に加えて、百戦錬磨の遣り手婆まで、目をそらしてガタガタと震えている。
私も身体が震えていた。でもそれはいわゆる「武者震い」ってやつだ。私は稀代の天才絵師の一挙手一投足を見逃さないように、まっすぐに目を向けていた。
酒杯が空になったことに気付いた新造が慌てて酒を注ごうと近づくと、探幽は「要らん。酒くらい自分で注げる」と一喝する。
私は心の中で「じゃあ、何しに吉原に来たんだよ」と少し可笑しく思う。
ガタガタ震えているのは、太鼓持ちの中年の男も同じだ。この日は一郎さんではない。
探幽は私に「胡蝶太夫!なんで太鼓持ちが多賀朝湖じゃないんじゃ!」と問いただす。
私は「太鼓持ちは専属というわけではありませんので」と説明をしようとすると、探幽はいきなり遣り手婆を指差して「お前、暇そうだな」と決めつけると、「さっさと多賀朝湖を連れて来い!」と怒鳴りつける。
そんな無理難題は通らないはずだが、一刻も早くこの場を離れたいのか、遣り手婆は立ち上がって、直立不動の体勢で、「かしこまりました。女将と一緒に探してきます」と言うとそそくさと座敷を出ていく。太鼓持ちも慌てて「わ、私も朝湖さんを探しますので、失礼します」と逃げ出す。
しばらくして、階下から、一郎さんの声がする。
「いたっ、痛い。女将さん、そんなに強く引っ張らないで下さいよ。今日は僕、胡蝶さんになんにもしてませんから」
階段を引きずり上げるような音がして、女将と遣り手婆に両脇を抱えられた一郎さんが座敷に召し出される。
一郎さんが「えっ? 探幽先生? なんで?」と驚いて目を白黒させる。私はそれを横目で見て、「一郎さんがこんなに動揺するの、四年ぶりかしら」とちょっと嬉しくなる。
女将はチラッと探幽の鋭く光る目を見ると、「ひぃ、くわばら、くわばら」と言って、「じゃあ、あとはよろしく」と居なくなる。遣り手婆も便乗して姿を消す。
探幽は「太鼓持ち、お前は太夫の横に座れ。太夫の横にいる女たちは脇に移動せい」と有無を言わさず指示する。
探幽の向かい合わせに、太夫の私と、太鼓持ちの一郎さんが、叱られた子供のように、二人並ばされて正座をしている。
さすがに私も「なんなの、これ」って思ったけど、今考えると、なかなか悪くない。吉原の座敷で二人でこんなに近くにいるのは四年前に裸で手を繋いで狩野派の絵を見て回ったとき以来だ。
一郎さんが「あのぉ、一曲お弾きしましょうか」とおずおずと聞き、私もすぐに「ワッチも踊ります」と言うと、探幽は「一郎の三味線なんぞ聞きたくないわ。まぁ胡蝶太夫の舞はあとで見せてもらうとするが」と言う。
一郎さんが「で、では、一体なにを僕にご所望で?」と質問するので、私も気になって、うんうんと頷く。
探幽は「そんなもん、決まっておるじゃろう。弟の悪口じゃ」と当然といった顔で言う。
◇
それから一刻(二時間)、探幽は弟、つまり狩野宗家の狩野安信の悪口を延々と語り続けた。
壁際の新造や禿はコクリコクリと舟を漕いでいるがお構いなしだ。もっとも一郎さんと私が少しでも気をそらそうものなら、「ちゃんと聞いておるのか!」と叱られたのだけど。
「というわけじゃ。これで弟の悪口は全部じゃ」と探幽は満足げに言う。
一郎さんが「よーく拝聴しました。一つ教えてもらいたいのですが」と聞くと、探幽は「なんでも聞け」と上機嫌で言う。
「なぜ今、狩野派を破門になった僕に、このお話をされるのでしょうか」と一郎さん。私も大きく頷く。
探幽は当たり前のように「なぜって、ワシはまもなく死ぬんじゃ。まぁいいとこ一月か二ヶ月かの。年は越せん」と軽く言う。
これが冗談でもなく、理屈でもなく、絶対的な真実なのだと、私と一郎さんは理解、確信し、ごくりと同時に唾を飲み込む。
探幽は飄々と「あの世に弟の悪口は持って行きたくないからの。ワシは狩野永徳じぃさまとあっちで語りたいことが山ほどあるんじゃ」と言う。
私と一郎さんは「なるほど」と同時に顎を引く。
一郎さんは「今という理由は分かりました。でもなぜ僕、そして」と私の顔を見て、「彼女に?」と聞く。
探幽は乱暴に目の前の料理の盆を除けると、私たちを手招きする。私たちは近づく。「もっと近くじゃ」。私たちは近づく。「もっと」。何度か繰り返されたあと、三人の顔がひっつきそうなほどの距離になる。
探幽はヒソヒソ声で、「ワシが描いた名古屋城の帝鑑図を、尾張藩の将軍家への当てこすりと読み解いたのは、胡蝶太夫、お前さんなんだろ?」といたずらっぽく言う。
一郎さんにこの話しはしていない。一郎さんは「名古屋城? 帝鑑図?」と不思議そうな顔をしている。
私はこの仙人のような怪物に嘘をつけるとは思えず、「はい、その通りです」と答える。
探幽は七十三歳のどこにでも居そうな老人の顔つきになると、「胡蝶太夫よ。ワシはお前さんと絵について語り合いたいんじゃ」と優しく言った。
一ヶ月前の九月に、狩野探幽が客として吉原に来た。
揚屋茶屋の二階の座敷奥。片膝を立てて酒杯を手にする白髪の老人は、仙人のよう、いや眼光の鋭さは尋常でなく、人間というより、龍か白虎といった神獣のようだ。
私の隣の新造、禿に加えて、百戦錬磨の遣り手婆まで、目をそらしてガタガタと震えている。
私も身体が震えていた。でもそれはいわゆる「武者震い」ってやつだ。私は稀代の天才絵師の一挙手一投足を見逃さないように、まっすぐに目を向けていた。
酒杯が空になったことに気付いた新造が慌てて酒を注ごうと近づくと、探幽は「要らん。酒くらい自分で注げる」と一喝する。
私は心の中で「じゃあ、何しに吉原に来たんだよ」と少し可笑しく思う。
ガタガタ震えているのは、太鼓持ちの中年の男も同じだ。この日は一郎さんではない。
探幽は私に「胡蝶太夫!なんで太鼓持ちが多賀朝湖じゃないんじゃ!」と問いただす。
私は「太鼓持ちは専属というわけではありませんので」と説明をしようとすると、探幽はいきなり遣り手婆を指差して「お前、暇そうだな」と決めつけると、「さっさと多賀朝湖を連れて来い!」と怒鳴りつける。
そんな無理難題は通らないはずだが、一刻も早くこの場を離れたいのか、遣り手婆は立ち上がって、直立不動の体勢で、「かしこまりました。女将と一緒に探してきます」と言うとそそくさと座敷を出ていく。太鼓持ちも慌てて「わ、私も朝湖さんを探しますので、失礼します」と逃げ出す。
しばらくして、階下から、一郎さんの声がする。
「いたっ、痛い。女将さん、そんなに強く引っ張らないで下さいよ。今日は僕、胡蝶さんになんにもしてませんから」
階段を引きずり上げるような音がして、女将と遣り手婆に両脇を抱えられた一郎さんが座敷に召し出される。
一郎さんが「えっ? 探幽先生? なんで?」と驚いて目を白黒させる。私はそれを横目で見て、「一郎さんがこんなに動揺するの、四年ぶりかしら」とちょっと嬉しくなる。
女将はチラッと探幽の鋭く光る目を見ると、「ひぃ、くわばら、くわばら」と言って、「じゃあ、あとはよろしく」と居なくなる。遣り手婆も便乗して姿を消す。
探幽は「太鼓持ち、お前は太夫の横に座れ。太夫の横にいる女たちは脇に移動せい」と有無を言わさず指示する。
探幽の向かい合わせに、太夫の私と、太鼓持ちの一郎さんが、叱られた子供のように、二人並ばされて正座をしている。
さすがに私も「なんなの、これ」って思ったけど、今考えると、なかなか悪くない。吉原の座敷で二人でこんなに近くにいるのは四年前に裸で手を繋いで狩野派の絵を見て回ったとき以来だ。
一郎さんが「あのぉ、一曲お弾きしましょうか」とおずおずと聞き、私もすぐに「ワッチも踊ります」と言うと、探幽は「一郎の三味線なんぞ聞きたくないわ。まぁ胡蝶太夫の舞はあとで見せてもらうとするが」と言う。
一郎さんが「で、では、一体なにを僕にご所望で?」と質問するので、私も気になって、うんうんと頷く。
探幽は「そんなもん、決まっておるじゃろう。弟の悪口じゃ」と当然といった顔で言う。
◇
それから一刻(二時間)、探幽は弟、つまり狩野宗家の狩野安信の悪口を延々と語り続けた。
壁際の新造や禿はコクリコクリと舟を漕いでいるがお構いなしだ。もっとも一郎さんと私が少しでも気をそらそうものなら、「ちゃんと聞いておるのか!」と叱られたのだけど。
「というわけじゃ。これで弟の悪口は全部じゃ」と探幽は満足げに言う。
一郎さんが「よーく拝聴しました。一つ教えてもらいたいのですが」と聞くと、探幽は「なんでも聞け」と上機嫌で言う。
「なぜ今、狩野派を破門になった僕に、このお話をされるのでしょうか」と一郎さん。私も大きく頷く。
探幽は当たり前のように「なぜって、ワシはまもなく死ぬんじゃ。まぁいいとこ一月か二ヶ月かの。年は越せん」と軽く言う。
これが冗談でもなく、理屈でもなく、絶対的な真実なのだと、私と一郎さんは理解、確信し、ごくりと同時に唾を飲み込む。
探幽は飄々と「あの世に弟の悪口は持って行きたくないからの。ワシは狩野永徳じぃさまとあっちで語りたいことが山ほどあるんじゃ」と言う。
私と一郎さんは「なるほど」と同時に顎を引く。
一郎さんは「今という理由は分かりました。でもなぜ僕、そして」と私の顔を見て、「彼女に?」と聞く。
探幽は乱暴に目の前の料理の盆を除けると、私たちを手招きする。私たちは近づく。「もっと近くじゃ」。私たちは近づく。「もっと」。何度か繰り返されたあと、三人の顔がひっつきそうなほどの距離になる。
探幽はヒソヒソ声で、「ワシが描いた名古屋城の帝鑑図を、尾張藩の将軍家への当てこすりと読み解いたのは、胡蝶太夫、お前さんなんだろ?」といたずらっぽく言う。
一郎さんにこの話しはしていない。一郎さんは「名古屋城? 帝鑑図?」と不思議そうな顔をしている。
私はこの仙人のような怪物に嘘をつけるとは思えず、「はい、その通りです」と答える。
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