【第一章完結】嫌われ者行進曲

田 電々

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第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』

4.真実はまだ闇の底

――午前半ば、王都サフィーア『中央区』

 翌日、裏通りが少ない中央区で苦手な人混みの中を歩くハルトの姿があった。周囲は彼のおかしな風貌に距離をとるが、モンスターテイマーだと知られるよりは、マシなものだった。

 白いレンガ造りの巨大な城が近づいてくる。その圧巻な立ち姿は、これから自分が挑む壁の高さを物語るようで、緊張と不安が心臓を加速させ、額に冷たい汗を滲ませた。

 実のところ、ハルトにとってアンの母親を探す上で一番の課題は『情報収集』だった。この半年間、人との関わりを避けてきた彼は、他人と話すことに抵抗を感じてしまう。話しかけることができても、相手が受け入れてくれる保証もない。
 今回話をしなければいけないのは、大商会の副会長だ。緊張と不安で今にも倒れてしまいそうだった。

「……あそこかな」

 城のすぐ足元にある三階建ての大きな建物。無数にある窓の奥に数人の人影が見える。正面には巨大なガラス扉があり、その上には、風の精霊の横顔が刻まれた木彫りのエンブレムが飾られていた。

 扉の前に立つと、清潔感のある真っ白な室内が目に飛び込み、思わず生唾を飲む。広さで言えばギルドの広間と同じくらいだが、こんなに整ってはいない。

(ここがディートリッヒ商会の本部……)

 丁寧に敷かれた大理石の床を踏む勇気が湧かず、ハルトは目の前の扉に手をかけることを躊躇した。そのとき、受付に座っていた誠実そうな男性が気づき、ゆっくりと歩み寄ってきた。咄嗟に後ずさりしようとした足に力を入れ、なんとかその場に留まる。

「いらっしゃいませ、いかが致しましたか?」
「あ、あの、あえっと……そ、その」
「……?」
「あ、あの!く、クレアさんと話をさせていただきたくて来ました!ぼぼ冒険者ギルドの者です!え、えーっと、これ、マスターからの紹介状……です」

 彼は緊張するハルトに微笑みながら、紹介状を両手で丁寧に受け取った。

「拝見いたします。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「は、ハルトです」
「……ハルト?」

 紹介状を開きかけた彼の手が止まる。そして優しい顔つきが曇り、ハルトを見据えた。

「なるほど、貴方がモンスターテイマーの……お引き取りください」
「……え?で、でも紹介状が」
「いくら紹介状があっても、危険な人物を中にお通しするわけにはいきません」
「そ、そんな危険だなんて」
「魔物を操る力が危険でないと?お引き取りください」

 喉の奥がきゅっと詰まる。過去に残る惨い記憶が、耳の裏で反芻する──

『――モンスターテイマーを追い出せ!』
『いっそアイツも死んでくれたら――』
『――人間面してんじゃねーよ!』

 全身の力が抜け、視線は自然と足先に落ちた。やはり人はこうなのだ。モンスターテイマーというだけで危険人物扱いで、弁明の隙さえ与えられない。これがこの国の――当たり前の考え方なのだ。

「…………わかりました。失礼します」

 連日の罵声と偏見の目に疲れたハルトが彼の言葉に感じるのは、もはや『失望』と『虚無感』だった。
 無気力なハルトが離れようとしたとき、建物の中から別の男性の声が聞こえた。

「何事だ」

 現れたのは眼鏡をかけた聡明で真面目そうな男だった。

「入口で何を話し込んでいる。他のお客様が入れないだろう」
「け、ケハン様、失礼致しました。しかしながら彼はモンスターテイマーでして」
「モンスターテイマー?」

 ケハンは眼鏡越しにハルトを睨みつけた。その眼差しに籠った重圧に、首すら動かすことができない。

「……何の様で?」
「あ、あの、副会長のクレアさんと話をさせて欲しくて……そ、それがマスターからの紹介状です」

 ケハンは男から紙を奪い取り、表情一つ変えずに中を読んだ。そして大袈裟にため息をつくと、次に鋭い視線が捉えたのはハルトではなく男性だった。

「正義感が強いのは結構だが、お前の美徳な価値観のせいで、せっかくのチャンスを逃すところだったぞ」
「は、はい?ケハン様、それはどういう――」

 言い終わる前に、ケハンは再びハルトに視線を向け、左手の中指でクイッと眼鏡を持ち上げて位置を整えた。

「込み入った話になりますので、個室へご案内いたします」
「え?あ、ありがとうございます」

 戸惑いながらも、ハルトは誘導に従い中に入る。フードを取ると、緊張がほんの少し緩み、周囲の様子が目に入った。飛び込んできた景色は圧倒的だった。窓から差し込む光が白い壁を照らし、三階まで吹き抜けの天井が空間を包む――あまりの広さに、緊張も手伝って目が回りそうだ。

 必死に踏ん張って歩くと、視線の先に高級感あふれる一室が広がっていた。上品なラグ、整然と並ぶテーブル、高価な装飾品が無意識に目を引く。「こちらにお座りください」と案内された先には、一生手に入らないだろうフカフカのソファがあった。こんなもの、ギルドでも見たことがない。

 恐る恐る腰を下ろすと、ふかりと沈む感覚に少し驚き、勢いよく尻もちをつきそうになる。こんなにも柔らかい座面に身を預けるのは初めてで、硬く寝苦しい自分のベッドが、今だけは恋しくてしかたがなかった。

「改めまして、私はディートリッヒ商会の財務長を務めるケハン・カイマンと申します。先程はうちの者が失礼いたしました」
「い、いえ、慣れていますので気にしないでください。冒険者ギルドのハルトです」
「彼には、危険人物はフロントで的確に対処し、おかえりいただくよう教育しております。ですが、差別意識での判断は我々の理念に反する恥ずべき行為です。厳しい処罰を与えます。それでどうか、今回はご容赦ください」
「あの、本当に気にしていませんので、その……程々にしてあげてください」
「寛大なお心、痛み入ります」
「……」

 緊張とは違った重い空気に会話が途絶える。同情か、後ろめたさか、警戒心か、ハルトもケハンも次の一言を上手く出せないでいた。

 数十秒の沈黙の後、ケハンは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。

「……紹介状にはこう綴られていました。『ハーピィに関する調査協力の依頼』と。人魔ハーピィが関わるから、貴方がいらしたのですね」
「はい。でも……何故それで話を聞いてくださったのですか?それに『チャンス』とは?」
「ここからは他言無用でお願いします」
「わかりました」
「実は――クレア副会長は、現在行方不明なのです」
「え?」

 心拍が一段跳ねる。アンの母親とクレア副会長が同時に――点と点が結び付く可能性。頭の中で様々な憶測、推理が飛び交う。この話、手がかりを逃してはいけない。

「……詳しく、聞かせてください」

 ケハンの話によると、二週間ほど前に仕入れと商談に向かったクレアを含む四名が、依然戻っていないらしい。本来なら一週間もかからず帰ってくるはずだから何かあったに違いない、と。
 彼女が向かったのは北東にある織り手の町『アメントリ』で、片道約一日の距離にある。糸の材料が豊富で様々な布を作っている町だそうだ。
 アメントリに行って帰って来るのに二日、仕事で数日滞在したとしても追加で三日といったところ。それが二週間も一切連絡がないのは、確かにおかしい。

「真実は定かではないですが、彼女はハーピィと取引をしているという噂があります。そこに『ハーピィの調査』という話、人魔達に何かがあったのでしょう?関係ないとは思えません。どうか、クレア様を探していただけませんでしょうか?」
「なるほど、事情はわかりました。ただ……僕がやっているのはハーピィの調査です。クレアさんの捜索に全力を注ぐわけにはいきません。ですが……」

 ハルトは自身の右の手のひらを見つめ、グラとアンの顔を思い浮かべた。

「えぇ、もし、彼女が本当にハーピィと繋がっていれば、下手に他の方にお願いするわけにはいかないのです」
「魔物に魅入られたと広まれば、僕のように……」
「……申し訳ありません」

 ハルトは彼の謝罪を簡単に飲み込むことはできなかった。だが彼の切実な思いは、ハルトの心に響いていた。
 きっと彼は葛藤している。モンスターテイマーを頼っていいのか?これが最善なのか?と。

「……僕は冒険者として、あなたの依頼を受けることはできません。ですが今はクレアさんだけが唯一の手がかりなんです。まずは彼女を追ってみます」
「……ありがとうございます」

 ケハンは拳を固く握りしめ、モンスターテイマーに深々と頭を下げた――。

――数十分後、冒険者ギルド『執務室』

「なるほどな」

 一度ギルドに戻ったハルトはマスターに商会での話を報告していた。マスターはいつになく難しい顔で唸っている。

「ママ、イナクナッテカラ、ジュウイッカイ、ヨルガキタ」
「今日で十二日目か。時期は合うね」
「だがここからアメントリは南東に一日の距離、対して霊峰ペールドットは北北東に一日半。アメントリからペールドットに向かったとしたら最低でも二日はかかるぞ」
「最短でもトータル三日ですね。直接ペールドットに向かったとしたら辻褄は合いますが……」
「だが、それだとアメントリでの取引ができずに商会内で疑念が深まる。計算高いクレア副会長がそんな簡単なボロを出すとは思えんな」
「うーん……」

 また二人で唸り沈黙する。この静けさの中で、アンはシャルに髪を梳かしてもらいながら、右翼の先を器用に使ってクッキーを食べている。ぽりっぽりっという咀嚼音とシャルの鼻歌が、真面目な話に水を差していたのは、言うまでもない。

「……これ以上は考えても出そうにありませんね。一先ず、ケハンさんの言葉を信じてアメントリへ向かいます」
「あぁ、わかった。そのままペールドットまで行く可能性もあるだろう。山は寒いから対策は怠るなよ」
「はい。ありがとうございます。アン、帰ろうか」
「ン、シャル、アリガトウ。クッキー、オイシカッタ」
「うん!また作っておくね♡」

 すっかりアンにメロメロのシャルは、アビスに沈む姿が見えなくなるまで、彼女に手を振り続けていた。やれやれ、といった顔でシャルを見ているマスターは、まるでお父さんのようだ。

「すみません。マスター、実はもう一つご報告したいことが」
「ん?なんだ?言ってみろ」

 アンに聞かせるのは気が引けて、タイミングを見計らっていたハルトは、昨日見てしまった奇妙な黒服の人攫いについて話を始めた。思い出して気持ち悪くなるのを堪えながら、状況を細かく伝えていく。
 狂ったように笑う男女、そこに現れた黒服の男達、その後起こった出来事まで。続く話に比例するように、部屋の空気が張り詰めていく。聞いていたシャルは昨日の自分のように、口を抑えて肩を震わせていた。

「……そうか、そっちも根が深そうな話だな」
「はい。おそらく連れ去られた二人はもう……」
「そんな……」

 シャルの目は驚きと恐怖に瞳孔を縮ませ、マスターは腕を組んだまま俯いている。語り終え立ち尽くすハルトは、鼻歌も聞こえない無音の重圧に耐えるほかない。

「……わかった。報告ご苦労。災難だったな」
「すみませんが、この件はよろしくお願いします。僕は――」
「あぁ、分かってる。今は全力でアンを助けてやれ」
「……はい。ありがとうございます」

 短くも重みのあるその言葉が、肩の荷を持っていってくれたのを感じた。ようやくアンのことに集中できる。

 安心の吐息を残し、深々と頭を下げてから執務室を離れるハルト。閉めた扉の向こうでは、二人が慌ただしく、調査依頼の準備を始めたようだった。
 行きより少しだけ軽い足取りで家に帰っていくハルト。だが、この事件の結末に――自身が大きく関わることになるとは、知る由もなかった。

――翌日、王都より東の郊外路

 普段より日の温もりを感じる早朝。ハルトは昨日予約しておいた馬車の手綱を握り、王都を発ってアメントリを目指した。御者を雇うことも考えたが、嫌われ者が多くを求めることは叶わず、断念することになった。結果としては荷台でグラとアンが景色を楽しめているようなので良しとする。

「ハルト、アノオオキイ、マワッテルノ、ナニ?」
「あれは風車だね。風を色んな物を動かす力に変えているんだよ。魔力を使わずにね」
「フウシャ、ニンゲン、スゴイ」
「ワン!」
「人間冥利に尽きるよ。旅の間に色々教えてあげるね」
「ン、タノシミ」

 鼻息を荒くして興奮した様子のアンは見た目以上に子供のようだった。新しい世界の刺激に目を輝かせる小さな子供。アンのはしゃぐ姿を見ると、思わず頬が緩んでしまう。

 最初は舗装されて快適だった道が、土を固めただけの悪路に変わり、小石に乗り上げてはガタンと揺れる。そんな中でも、アンは外の景色を見つめながら、様々なものに目を輝かせていた。グラもしばらくはアンに付き合っていたが、気がついたら隅で丸くなり、揺れにも動じず眠っていた。
 平原を通って山を迂回し、森の目前まで距離を進めたところで太陽が天頂に達し、ハルト達は昼の休憩をとることにした。
 近くを流れる川の傍で、木陰を見つけて馬車を止め、馬に水を飲ませて餌の野菜を与える。ハルト達も水分補給を手早く済ませると、待ち焦がれた昼食の準備を始めた。

「ハルト、ニク、アル?」
「塩漬けの干し肉ならあるけど、食べれる?」
「……ヤワラカイノガイイ」
「ハハハ、そんな気がした。現地調達しようか。この辺の川沿いでよくランスホーンっていうボア種の魔物が水を飲んでるらしいんだ。ちょっと危ないけど、倒し方があるから試してみよう」
「ン、ワカッタ。ケド、イイノ?」

 アンは眉を下げて心配するようにハルトを見つめた。意味を一瞬考えたが、すぐに理解してハッとした。
 直後、穏やかな目でアンを見つめ微笑む。

「……うん、生きるために必要な狩りは、割り切れてるよ。ただ、無駄にはしない。ちゃんと美味しく食べてあげよう」
「……ウン」

 ハルトはアンの頭の上に手を乗せて、優しく撫でた。

 ――槍猪ランスホーンは、頭から生える太く鋭い角が特徴の中級の魔物だ。主な攻撃手段は突進での突き刺しで、ハルトのような軽装備では間違いなく貫かれる。だが、賭けに出れば通る手がひとつだけある。

「……いた」

 少し川を下った先、河原の水辺から少し離れた場所で、水を飲み終えたであろうランスホーンが、砂利の地面に横たわり、ガシャガシャと身体を擦り付けていた。寄生虫や汚れを落としているのだろう。魔物に限らず野生生物にはよく見られる習性だ。

 息を潜めながら周囲を見渡す。近くに見えるのは大きな流木。その先の川がカーブしている場所は恐らく淵ができている。そこから右に目をやると少し太めの木が生えているが……いや、ランスホーンのサイズが思ったより大きい。あの木は少し頼りない。
 ハルトは更に右に視線を動かすと、最適解を見つけてニヤリと笑った。

「いい大岩だ。グラ、念の為アンと一緒にいて」

 カラッという小さな音で返事をしたグラを横目に、再びランスホーンを直視すると、ちょうど擦り付けるのを終えて立ち上がろうとしてる。それを見たハルトは、一目散に大岩の方向へ走り出した。

「うおぉぉぉぉお!!来い!」

 ハルトの叫びに驚いたランスホーンは、ビクリと身体を跳ねさせて、頭の槍をしならせた。

「ブォーーーー!」

 ランスホーンは雄叫びを上げながら、角を空高く突き上げ、風を裂く音と共に、それをハルトに向けて突進してきた。

「来ると思ったよ!でも、君は走り出した時点で負けだ!」

 心臓は爆発しそうなほど跳ねていたが、それでも口元には笑みを浮かべた。
 切先が迫る中、ハルトは大岩の目の前で立ち止まり、ランスホーンの動きに集中した。砂利を蹴って走る音が徐々に近づいてきて、焦りと緊張感が心拍をあげていく。そして、十分に引き付けたギリギリのタイミング、その瞬間――右足を一気に踏み込み、地面を蹴って攻撃を躱した。

『バキン!!』

 次の瞬間、ランスホーンは的を失い、大岩に角を突き立てた。岩の破片が飛び散り、硬いものが割れる痛々しい音を響かせる。直後、崩れ落ちるように地面に倒れ込む。そして痙攣して泡を吹き、そのまま息絶えた。
 額の角は先端が欠けている程度だが、ある場所を見た時、ハルトとアンは酷い罪悪感に駆られてしまった。……顔だ。

「……ナンカ、カワイソウ」
「う、うん。聞いてたよりグロテスク……だね」
「……ホントウニ、ヤリカタ、アッテタノ?」
「うん……マスターから教わった常套手段なんだけどな」

 角の根元から額が陥没し、目玉は眼窩から零れ落ちそうなほど腫れあがっている。
 こうなる原因は固く鋭い角と脚力に対して、頭蓋骨は耐えれるほど強くないからで――

「セツメイシチャ、ダメ……ミンナハ、ソウゾウシチャ、ダメダヨ」
「ん?何の話?」
「コッチノハナシ」
「?……。とりあえず、解体しちゃうね。味付けて焼いて出すから待ってて」
「ン」

 ランスホーンは食用としても比較的流通している魔物だが、その味は期待を裏切らない美味なものだった。獣臭さはほとんどなく、甘みのある脂が口一杯に拡がった瞬間には、アンも思わず「オイシイ!」と声が出るほど感動していた。

 休憩を終え、馬を繋いだ綱を解きながら、ハルトは進路を確かめた。
 道は森の際を避けるように緩やかに曲がり、その先には草原が広がっている。森に踏み入らない道筋は、人々の知恵と警戒の証でもあった。

「よし、そろそろ行こうか」

 先に馬車でのんびりしていた、グラとアンに声をかけて、ハルトは再び先頭に座った。パシンと手網を弾く合図に呼応し、高らかな馬の鳴き声が響いた。

 本来、王都からアメントリへは一日で着く距離だが、馬の操作に慣れないハルトは、少し道を間違えたり、馬が道沿いの草を食べ始めたりと、ハプニングにも見舞われ、結果、アメントリに到着する前に夕刻となってしまった。仕方がないとはいえ、不甲斐ない自分の腕にため息が溢れる。
 心身共に疲労が蓄積していたこともあり、夕焼けが燃える内に進路を逸らし、最寄りにある小村『バリサイ』でテントを立て、一泊させてもらう事になった。

――

「この村で僕のことが広まってないのが、不幸中の幸いかな」

 誰にも聞こえないくらい小さな独り言を漏らしながら、黙々とテントを組み立てていく。
 グラとアンにはアビスで過ごしてもらうほかなく、申し訳ないし、少し寂しい。すごく久しぶりに感じる一人の時間。どれほど仲間の存在が自分を支えているか、改めて実感することができた。

――夜

「なにも無い村で退屈だと思いますので……村の歴史書くらいしかないですが、暇つぶしにでもお読みください」

 村長が恐縮したように差し出したのは、厚い革の表紙すらない、紙を紐で綴じただけの簡素な冊子だった。粗雑な作りにもかかわらず、手に取ると意外な重みがある。紙には長年の手垢が染みつき、ところどころ文字がかすれて読みにくい。
 それでも、記された内容は驚くほど細かかった。収穫の記録、疫病の流行、近隣との小競り合い、そして村を救った英雄の逸話。小さな村で紡がれてきた、幾世代分の息遣いがそこにあった。

 そして、ひときわハルトの目を引いたのは――近くの森に眠る『バリサイ遺跡』の項目だった。

「遺跡か……」

 唇に乗せた言葉と同時に、心の奥がふと熱を帯びる。無くしたと思っていた少年の心――未知を夢見る感覚が、胸の奥から顔を覗かせる。遺跡には、古代の人々が残した遺物が眠っているかもしれない。あるいは、強大な魔物が封じられているのかもしれない。

「バリサイ遺跡……王都の記録に残っているのかな」

 自分に問いかけるようにつぶやき、ページを閉じる。
 その夜、ハルトは久方ぶりに「未知」へ胸を躍らせながら、柔らかな眠りへと落ちていった。夢の中でさえ、古代の石の残響が聞こえてきそうな気がしながら。

――同刻、とある屋敷の一室

 幾つかのキャンドルの火が揺れ、暗い部屋を仄かに照らす。一人の肥えた男がグラスを持ち、口に運んだとき、入口の扉が四回、硬い音を鳴らした。

「フン、やっときたか。さっさと入れ!」

 不機嫌なその一声に扉が開くと、鍛えられた身体に無数の古傷を残した男が立っていた。その面持ちは感情を探れず、まるで心を失っているようだ。

「オリバー!いつまで時間をかけておる!」

 肥えた男が、扉の前に立つ男に吠えた。

「……申し訳ございません」
「二週間だぞ!!貴様らにいくら手付金を払ったと思っておるんだ!!」

 依然として無愛想なオリバーに苛立ちを覚え、再びグラスを口に運ぶが、中身は既に空だった。それを見て気を効かせたのは、隣に座るもう一人の男。ワインの瓶を手に取り、ゆっくりとグラスに注ぎながら、肥えた男を宥めた。

「まぁまぁノーランド伯爵、私のほうでも手は打っております。もう三日もすれば吉報が届きましょう」
「ふん!いいかオリバー!今すぐ戻ってディートリッヒの娘を始末しろ!!もししくじって逃げられたら貴様の首を跳ねてやるからな?!」
「はっ、必ずや」

 オリバーは偉そうな伯爵に頭を下げると、静かに部屋を離れていった。
 ノーランド伯爵は深々と椅子に座りなおし、グラスに注がれた酒を、感情のまま一気に飲み干す。そして荒々しく机に打ちつけ、恨みの籠った感情を言葉に乗せた。

「モーデン・ディートリッヒ……今に地獄をみせてやる」

――朝

 眩しい日の出と共に目を覚ましたハルトは、早々に荷物をまとめて馬車に乗せ、ちょうど顔を洗いに出てきた村長へ挨拶を済ませて、肌寒さを感じながら村を出た。

 ここからアメントリまでは遅くとも3時間ほどで着く。日が高いうちに聞き込みをし、場合によっては今日中にペールドットに向けて出発するつもりだ。

「アン、グラ、ごめんね。急いで出ちゃったから干し肉しかなくって」
「ン、ガマンスル」
「クゥン……」

 少し不満そうなグラの声に苦笑いする。骨だけの身体で食べた肉がどこに消えるのかは、ハルトも未だに知らない謎だ。そもそも味覚はあるのだろうか?

 そんな他愛もないことを考えながら、遺跡のある森に沿って東へ進んだ。遺跡の断片でも見えないかと、チラチラ視線を向けていたが、奥深くにあるのか、小さいのか、残念ながら、ロマンに触れることはできなかった。

 道中は平和そのもので、たまにアンに、見つけたものを説明をしてあげると、素っ気ないながらに楽しそうな姿を見せてくれた。グラはというと、相変わらず片隅で体を丸めて眠りこけている。今まで寝てただろうに。

 そして木々が生い茂る山道を上り切った時、山の麓の少し先に、風情ある景色を見下ろした。色鮮やかな旗で飾られ、テラコッタの外壁が趣きを感じる家々が立ち並ぶ。

「スゴイ、キレイ」
「うん。僕も初めてきたけど、こんなに素敵な町があったんだね」
「ウン」
「……あそこが織り手の町――『アメントリ』」

 町が近づくと、糸を弾く乾いた音、薄く甘い染料の匂いが、風に乗って届く。町全体が機を織っているようだ。

――

 町に到着したハルトは、商会でケハンから教えてもらった取引先の男性に会いに来た。最近は知らない人と話す機会が多かったからか、前よりほんの少しだけ、緊張せずにいられる。それでも、こびりついてしまった抵抗感がなくなるのは、かなり先になりそうだ。

「あー、ディートリッヒ商会の人なら確かに二週間くらい前に来たよ」
「ほ、本当ですか?そこに副会長は……」
「ん?クレアちゃんか?いやー、今回はいなかったな」
「え?」
「彼女が来るのは二月に一回なんだ。今回きたのは若い男が二人だよ。彼女が持ってきてくれる王都の土産菓子が絶品でね。いつも楽しみにしてるんだがなぁ」
「そ、そうなんですね……ありがとうございます」
「あぁ。せっかくだから旅の消耗品でも買ってくかい?安くしとくよ」

 聞くだけ聞いてさようなら――というのも気が引けて、ランタン用のオイルと水、それから、アンの為に薄手のマントを一つ買う。陽気な店主にお礼を伝え、一度馬車に戻るとたハルトは、荷台を整理して木箱に腰を下ろして、一度情報を整理することにした――。

 この町に商会の一行が来たことは事実だが、副会長はいなかった。他の場所で待機していた?

 もし来ていたのだとしたら、副会長はアンの母親の失踪と直接関わってはいない可能性が高い。二人をそれぞれ同時に攫ったのかもしれないが。

 だが、ハルトはこう考えた。一番濃厚な線は、ここには来ていない説だと。
 王都から出発した時点でアメントリ組とペールドット組に別れたのだとしたら、アンの母親と一緒に襲われた。そう考えるとタイミング的にも辻褄が合う。

 ただ、アメントリにきた二人まで行方不明になっている理由がわからない。ハーピィが絡むなら狙うのは副会長だけでいいと思うのだが……。

「……まだ情報が足りないな。もう少し聞き込みしないと」

 この後、ハルトは再び町へ出て情報収集を続けた。
 午前の陽光が白い石畳を照らし、通りには織物を売る店や露店が軒を連ねている。風に揺れる反物は赤や青、金糸を織り込んだ布まであり、町全体がひとつの大きな布市場のようだった。道端では若い職人が織機を並べて技を披露し、木の軋むリズムと糸を打つ乾いた音があちこちから響いてくる。

 染料を煮る独特の匂いが漂い、通りを歩くだけで目と鼻が忙しくなる。彩り鮮やかな布を抱えた商人や仕立て屋が行き交い、声を張り上げては値を競り合っていた。その賑わいに混じって、焼き立てのパンや香草を煮込む匂いも流れ込み、町が確かに「生きている」ことを実感させる。

 ハルトはそんな光景を眺めながら、耳を澄ませていた。布の相場や染料の質をめぐる会話の合間に、旅人や冒険者がひそやかに口にする噂が混じる。森の奥で見かけた怪しい灯り、夜な夜な響く低い唸り声――どれも一笑に付される話だ。

 だが耳を澄ますだけでは限界がある。意を決して商人に声をかけると、言葉が途中でつっかえ、声もかすかに上ずってしまう。相手の眉が動くたびに胸が冷たくなり、背中に汗がにじむ。それでも旅人らしい好奇心を装い、ぎこちない笑みを浮かべて問いかける。

 もっとも、自分が「モンスターテイマー」だと知られれば、誰も口を割らなくなるだろう。だからあくまで素性を隠し、あくまで通りすがりの旅人を演じるしかない。

 胸の奥に緊張を抱えながらも、ハルトは「織り手の町」のざわめきの中で、次なる手がかりを探し続けた。

 しかし――ハルトが最も恐れていたこと、それは唐突に現実になってしまった。

『おい!お前――モンスターテイマーだろ!』
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のぞみ
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