【第一章完結】嫌われ者行進曲

田 電々

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第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』

13.少年の心は揺れる

――午後遅く、フォルト王国『トルマン大平原』

 草木を抜ける風が、青々とした草の香りを運ぶ。広大な草原を照りつける日差しとは裏腹に、涼しく澄んだ空気が肌に触れた。馬が土道を踏む軽快な蹄の音を聴く。そんな穏やかな昼下がりから、賑やかな旅は始まった。

「あれはノイチゴ、甘酸っぱくておいしイ。あれはランスホーン、かわいそうだけどおいしイ。あれは――」

 アンは母であるステラに、あちこちを翼で指しながら、旅で教えた知識を延々と自慢していた。ステラは肩の力を抜いてくつろぎ、微笑みながら相槌を打つ。その表情や仕草から、娘の成長を喜んでいるのが伝わってきた。

 南へ向かう真っ直ぐな一本道。練習を兼ねて、今はハルトが手綱を握っている。後ろから見てくれているダグラスが、度々コツを教えてくれた。

 クレアはというと、昨晩の戦いで破れた服を修繕してくれていた。かなり手先が器用らしく、最初に縫ってくれたハルトのマントは、戦以前より綺麗になっていた。

 オリバーは現在、周辺の警戒を続けながら、自身の馬に跨り並走している。この先にある馬車の出張貸出で借りるまではこのまま進むようだ。

 そしてグラは相変わらず、荷台の隅で今日も昼寝だ。

「こんな空気、なんだか懐かしく感じるわ」
「何日も地下室生活だったからな」
「えぇ。昨日あんなことがあったのも、全部夢みたい」

 クレアとダグラスの会話が聞こえてきた。確かにハルト自身、昨晩までの喧騒が非現実的すぎて、身体に残るほんの僅かなだるさがなければ、今も夢だと思い込んでいただろう。
 いや、最近は全てが夢のようだ。アンと出会ってからの一週間、誰かと笑い合える日常すら、ハルトには非日常だったのだから。

「ねぇハルトくん」
「はい?」

 楽しかった思い出に浸っていた時、後ろからクレアに呼ばれ、返事をした。

「この件が全部片付いたらお礼をさせて欲しいんだけど、何か欲しいものはない?」
「え?うーん」
「なんでもいいのよ。ほら、まだ指名依頼受けられないんでしょ?命をかけてもらってるんだから、遠慮しないで」
「うーん、そんなすぐには……」

 急に聞かれてもなぁと考えあぐねていると、いつから聞いていたのか、アンが割って一言呟いた。

「家」
「……え?」
「ハルト、家ボロボロでショ?窓に木の板貼ってル」
「ちょ、ちょっと、恥ずかしいから言わないでよ……」
「……ハルトくん、もしかして、貧民街?」
「え、えぇ。……僕、モンスターテイマーなので」

 前を向いたまま僅かに拳を震わせ、小さな声で答えたハルト。彼を見つめたクレアは、胸を押さえて目を潤ませた。大商会で生まれ育った彼女には、貧民街で暮らす人を知る機会がなかったのだ。
 こんな心優しい少年が、迫害の果てに追いやられていたなんて思いもしていなかった。

「……わかったわ。あなた達が何も気にせず自由に暮らせる土地と家を、商会から贈らせて」
「そ、そんな高価な物いただけませんよ!」
「お前は俺たちの命の恩人なんだ。遠慮するな」
「ダグラス……」
「前が見れてないぞ」
「あっ、ごめん」

 思わず振り返ってしまっていたことに気づき、慌てて前を向き直す。何もかもを諦めて生きてきたハルトは、喜びより申し訳ない気持ちが勝り眉を下げた。

 それでも――心の奥では、抑えきれない温かさが広がっていくのを感じていた。
 自分が「欲しい」と願ったものを、誰かが真剣に叶えようとしてくれる。そんな当たり前の優しさに、ハルトは思わず視線を落とした。胸の奥が、少し熱い。

 ――それからしばらく、誰も何も言わなかった。馬車のきしみと、草原を渡る風の音だけが耳に届く。けれど、その沈黙は重苦しいものではなく、どこか温かく、胸の奥を満たすような静けさだった。

「……あと一時間走ったら馬車の出張貸出所だ。そこから先はスライムの群生地だから、俺が代わる」
「わかった。ありがとう」

 馬の蹄と車輪の音が、広い平原に小気味よく響く。陽が少し傾き始めた頃、小さな小屋と数台の馬車が並ぶ貸出所が見えてきた。
 旅人や商人が行き交うための施設らしく、管理人が慣れた手つきで馬を繋ぎ、新しい馬車を用意してくれる。オリバーは必要な書類といくつかの銅貨を交わし、手続きを滞りなく終わらせた。

 やがて、オリバーが馬車に荷を積み直したのを確認し、再び南へと進み出す。徐々に草陰に光沢のある水色が増え始め、スライム群生地にさしかかった。

「今年は多いって聞いてたけど……すごい数ね」
「新人冒険者も今年は少ないらしくて、僕も半年前はここに入り浸ってました」
「これだけ増えたら、植物の生態系が心配ですね」

 山で生きてきたステラは、奥の禿げてしまった一帯を見て、心配そうに呟いた。しかし、その表情にいたずらな笑みを浮かべたアンが、そこを指さした。

「ママ、見てテ」
「?」

 すると、奥からじわじわと緑が迫り、禿げていた部分はあっという間に元の姿を取り戻した。生えたところにまたスライムがやってきて、身体で包み込むように食べていく。

「アン、よく覚えてたね」
「えへへ」
「あれはどうなって……」
「見てもらったほうが早いかな。ダグラス、少し止まって」

ダグラスはハッとして口を開いて、瞼を少し持ち上げた。

「……まさか抜くのか?」
「すぐに終わらせるよ」
「???」

 二人のやり取りに、ステラとクレアは首を傾げた。ダグラスはため息をついて馬車を停める。
 ハルトはバックパックから何かを取りだし、握りしめて馬車から降りた。

「クレアさん、魔力回復薬の主な材料って知っていますか?」
「えっと……水と薬草とマンドラゴラだったかしら」
「そうですね。では、マンドラゴラって見たことありますか?」
「いいえ。畑に生えてることは知っているけど、産地が山奥だから……」
「そうです。何故、山奥で栽培されているかを、今から教えます。野生のマンドラゴラで」
「え?!」

 目を丸くしたクレアとステラをよそに、ハルトは馬に耳当てをつけた。「お前らも耳を塞いどけ」とダグラスが伝えた。慌てて耳穴に指を突っ込むクレアと、翼で押さえるステラ。アンは自信満々に、既に耳栓をしていた。

 後ろの馬車にいるオリバーに話をしたハルトは、自身も耳栓をして手袋を付ける。ゆっくりと歩き、一本の草の前に立った。
 根元をしっかり掴み、深呼吸で精神を整える。風が草原を駆け抜け、静寂に草を鳴らした。
 次の瞬間――目を見開き歯を食いしばったハルトは、一気にそれを引き抜いた。

「ぎゃあああああああああああああああ!!!」

 草の根にある口から放たれる絶叫。空気が揺れ、馬車が軋んだ。ハルトを中心に草は煽られ、スライムの身体は波打つ。耳を塞いでも大音量で聞こえるほど叫びに、寝ていたグラは飛び起きた。
 直後、顔を歪めるハルトが腰のナイフを取り出し、手からぶら下がるマンドラゴラを切りつけ、一瞬で一刀両断する。
 その瞬間、叫びは余韻もなくピタリと鳴り止み、聴覚を失ったかのような静寂が訪れた。根菜のような身体の断面からはぽたぽたと青い雫を落とす。

「な……何が、起こったの?」
「相変わらず強烈だな」

 髪が乱れ、呆然とするクレア、苦笑いしながら耳栓を外すダグラス。

「…………」
「ママ?」
「キュー……」

 見たことないほど羽が逆立てて言葉を失うステラに、アンは満足そうに笑いながら、気絶したグラの身体を撫でた。

「これがマンドラゴラの正体です。こいつら、下級の魔物なんですよ」
「なる……ほど。山奥にあるわけだ」
「さっき見た通り、マンドラゴラの葉は大半を失っても魔力ですぐに復活します。ここはスライム群生地と言われますが、マンドラゴラの群生地でもあるんですよ」
「……そんなことより、ハルトさん」
「ん?」

 ダグラスが同意するように頷く。そんな中、消えそうなほど小さく震える声で、俯いたステラがハルトを呼んだ。

「腰が……抜けてしまって……助けてください」
「あ、あははは」

 倒したマンドラゴラを持ち馬車に戻ったハルト。ステラの羽を宥めながら、馬車は再び進み始める。

「……しばらく魔力回復薬飲めないかも」

 そんなクレアのぼやきが聞こえた。

――同刻、王都サフィーア、冒険者ギルド本部『大広間』

『ズズッ…』

「??……地震かしら?」
「誰かがマンドラゴラでも抜いたんじゃないか?」
「えぇー……物好きな人もいますね。はい!報酬金です。お疲れ様でした」

 受付の仕事をするシャルは、対応していた冒険者とそんな雑談をしていた。この時間は依頼を終わらせた人が集中するので、毎日バタバタだ。

「シャル、少しいいか?」
「あっ、マスター。はーい」

 突然現れたマスターに呼ばれ、心地よい足音を響かせながら、マスターの執務室へ向かった。
 到着早々椅子に腰掛けたマスターは、机の上にある開封済の手紙を差し出す。

「ハルトからだ。早便で届いた」
「良かった!五日も帰らないから心配してたんです!」
「あぁ、ただ……状況があまり良くない」
「えっ?!」

 慌てて手紙をめくる。そこには、ハルトがザバールに到着した日の内容が綴られていた。

『調査報告――アンの母親、及びクレア副会長を見つけました。しかし、副会長が狙われています。ザバールで身を隠しており、明日脱出予定です。もうしばらく帰れそうにありませんが、詳細は戻り次第ご報告します。――ハルト』

「……副会長が狙われてるって、どういうことでしょう?」

 シャルは青ざめた表情でマスターに問いかける。部屋の空気が微かに重くなり、一瞬の沈黙がひどく息苦しい。

「断定はできないが、あの村で狙われているということは、ハーピィは絡んでそうだな」
「こちらでも調査をしますか?」
「……いや、今は調べる事が多すぎる。ハルトが情報を握っているなら、今は待とう」

 徐に立ち上がったマスターは後ろの窓から、薄ら黄色を帯び始めた空を睨みつけた。
 シャルも窓の外を見つめ、眉をひそめる。僅かに口を開き、ギュッと締め付ける胸の痛みを押さえ込んだ。

――夕刻、トルマン大平原『南の丘』

 陽は傾き、柔らかなオレンジ色が草原を染め上げる。レンガで舗装された坂道を登り、丘の上で馬車は停車する。疲れた体を伸ばすハルトの肩を、クレアが軽く叩いた。

「さぁ、今日はここまでだ。荷物を下ろして野営の準備をしよう」
「わかった、お疲れ様」

 ダグラスの一声に皆が続々と動き出した。ハルトは馬から降り、荷物を整理する。グラは荷台から飛び降り、嬉しそうに辺りを駆け回った。クレアとステラ、アンもテントの設営に取りかかる。

「ハルト、飯の準備は任せていいか?」
「うん。じゃあ誰か、火を起こしておいてくれない?」
「俺がやろう」
「オリバー、助かる」

 慣れた手つきで薪を積むオリバーを横目に、ハルトはマンドラゴラの下処理を始めた。同時に、保存処理をしたホーンラビットを持ってきて、食べやすいサイズにカットしておく。

「手際がいいわね」
「クレアさんは料理とかしないんですか?」
「ほとんどやらないわ。お菓子はたまに焼くけど」
「意外ですね。上手そうなのに」
「うちには専属シェフがいるから」
「あ……」

 思わず苦笑いすると、クレアは吹き出すように小さく笑った。お金持ちはすごいなぁ、と心の中で呟く。

「でも、ハルトくんの料理はシェフ顔負けよ!魔物料理だけでも店が持てそうなくらい!」
「そんな大したものじゃないですよ」
「謙遜しなくていいのよ。あなたがBランクになったら、晩御飯作るって依頼出しちゃおうかしら」
「……そんなことしなくても、たまには作りに行きますよ」
「……そう、ありがとう」

 オリバーが火をつけ終え、辺りが明るさを取り戻した。バツが悪そうに離れていく彼の背中を、クレアは申し訳なさそうに笑って見送った。

「よしっ、じゃあすぐに作るので、少し待っててください」
「はーい、楽しみにしてるね」

 嬉しそうに鼻歌を歌いながら歩いていくクレア。命を狙われていても、楽しく未来を語れる彼女が、ただただ眩しく、そして羨ましかった。

 ハルトは手際よく食材を整え、様々な料理を仕上げていった。最後に香ばしいスープの匂いが漂い始める頃には、皆が自然と火の周りに集まってくる。
 温かい夕餉を終えた一行は、満ち足りた静けさの中でそれぞれの時間を過ごしていた。

 火の揺らめきが夜を照らす中、ハルトの隣に腰を下ろしたダグラスが、静かに口を開いた。

「少し話さないか?」
「……うん」

 二人の影が長く伸び、草原の上で静かに揺れる。風は止み、草の匂いと火の香りだけが漂っていた。

「その……昼間はすまなかった」
「え?」
「オリバーの件だ。俺はまだ受け入れられないが、お前が恩人と呼んだ人に向ける態度じゃなかった」

 低く落とされた懺悔の声は、炎の爆ぜる音にかき消されそうに弱々しく響く。ダグラスは視線を落とし、握り込んだ拳がわずかに震えていた。

 冷たい夜風を浴びながら、焚き火の熱が胸の氷を溶かす。ハルトは炎を見つめ、心の奥に沈めてきた感情を、ひとつひとつ掬い上げるように言葉にした。

「……僕も、今はよく分からないんだ。オリバーから、人を簡単に信じるなって言われて」
「……」

「でも……トニーさんに裏切られて、信じることが怖くなった時、オリバーさんはモンスターテイマーである僕を励ましてくれた。嫌われ者として罵声を浴びることはあっても、励まされたことなんて一度もなかったから……それが、すごく嬉しかった」

 言葉を重ねるたび、焚き火が小さくはぜて夜空に火の粉を散らす。

「……そうか」
「うん。だから僕は信じたい。モンスターテイマーを恐れて蔑まない彼を――今は、信じていたい」

 ダグラスはしばし黙し、炎の奥に視線を落とした。分厚い掌が膝の上で静かにほどけ、深い吐息が夜に溶けていく。

「お前は……強いな、ハルト」
「え?」
「信じることを恐れずに、なお信じようとする。その強さを……俺は羨ましいと思う」

 照れ隠しのように低く笑い、ダグラスはわずかに首を振った。炎に照らされた横顔は厳つさを残しながらも、不思議と柔らかかった。

 ハルトは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。黙って二人、揺れる炎を見つめる。火の粉が夜空に吸い込まれ、やがて星々と混じり合っていった。

「――そういえば」
「うん?」

 不意にダグラスが声音を上げ、腕と背中伸ばしながら口を開いた。

「お前の魔物の知識といい、料理といい……どう考えても普通の冒険者の域を超えてるだろ」
「あー、そうだね。僕はモンスターテイマーだから、魔物にはある程度詳しくないと、仲間になってくれたときに困るから」
「なるほどな。でも、それでなんで料理まで?」

 その問いに、ハルトはふっと夜空を仰いだ。思い出されるのは、アゲート湖でアンと交わした夜の会話。見上げた月は、残念ながらまた満月を逃してしまったみたいだ。

「……僕の魔物料理は、いわば供養なんだ」
「供養?」
「うん。形が違えば、仲間になっていたかもしれない魔物たちを……道具にして、料理にして、僕の力に変えていく。たぶん、それは僕のエゴで……罪悪感の穴埋めなんだと思う」

 火の揺らめきに視線を落とすハルト。その言葉をしばらく黙って聞いていたダグラスは、やがて短く息を吐き出す。

「……やっぱり、お前らしいな」
「え?」
「筋は変わってても、そうやって全部に理由を見つけて背負い込む。――まったく、お前ってやつは」

 穏やかに言い切ったあと、彼は肩をすくめて口元を緩めた。

「ただの飯がそんな話になるんだな。哲学者かと思った」
「なっ……ちょっと!」
「はは、悪かったよ。でも、そういうところは嫌いじゃない」

 焚き火の傍らでダグラスは大きく息を吐き、腰を落ち着けた。火の光に照らされる影が、夜の草原にゆらりと揺れる。

「俺が先に見張りをする。交代まで寝てろ」
「え、でも――」
「いいから。今は休め」

 ハルトは小さく頷き、素直にテントへ戻って寝袋に身を沈めた。まだ残る会話の余韻に心を預けながら、わずかに外から差し込む焚き火の揺らめきが影を作る。ダグラスの見守る気配が、テントの中まで静かに届いていた。

――翌朝、トルマン大平原の南『山の中』

 見張りを終え、早朝の光に目を覚ましたダグラス、ステラ、オリバーと共に旅支度を整える。クレアとアン、そしてグラを起こしてテントをたたみ、眠そうな二人と一匹を馬車に乗せると、南へ向けて再び車輪が回り出した。

 山道を進む中、突然、木々に囲まれた一帯で、先導していたオリバーが馬車を止めた。辺りには鳥の声すら届かず、静寂が重くのしかかる。
 続いて停車したダグラスと共に馬車を降り、そっと彼の元へ確認に向かった。

「オリバー、どうした?」

 返事はない。代わりに、彼の視線が林の奥のわずかな隙間に吸い寄せられていた。
 ハルトもその視線を追った瞬間、心臓が跳ねた。

「死ん……でる」

 木々の陰に、三人の『人間だったもの』が無造作に転がっていた。体は無惨に引き裂かれ、血の匂いが仄かに漂う。言葉にならない異様さが辺りの静けさをいっそう際立たせた。思わず息を飲み込み、唇がわずかに震んだ。
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