【第一章完結】嫌われ者行進曲

田 電々

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第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』

20.仲間と友の思いを乗せて

――アメントリ郊外『糸の森』

 背中に伝わる硬い地面が、戦いで上がった体温を容赦なく奪っていく。
 顔を照らす陽射しは眩しく、焼けつくような痛みと共に眉をひそめた。
 風は止み、森には不気味なほどの静寂が満ちている。

 まだ心臓は荒々しく脈打ち、全身に血がうねるのを感じる。荒い呼吸を整えようとしながら、大の字に倒れ込む。
 伸ばした左手には、虫の息のオリバーの身体が触れていた。その重みと熱が、確かに彼がまだ生きている証だった。

「……オリバーさん」

 彼からの返事はない。ただ、ヒューヒューという喉笛の音と、時折、口に溜まった血の濡れた音が鳴るだけだ。

「『人を簡単に信じるな』って、あなたは言いましたよね」
「……」
「凄く悩みました。……トニーさんに騙されて、バリサイで石を投げられて――」

 ハルトの脳裏に、忘れたい記憶がまた呼び起こされる。

『――モンスターテイマーを追い出せ!』
『いっそアイツも死んでくれたら――』
『――人間面してんじゃねーよ!』
『魔物を操る力が危険でないと?――』
『――モンスターテイマーは悪だ。常識だぜ?』
『追い出せー!!』『出ていけー!』

「……でも、思い出したんです。信じて、ちゃんと信じさせてくれた人もいたって」

 苦しい思い出は塗り替えられ、優しい言葉が耳に聞こえるようだ。

『――身体だけじゃなくてこっちも大切にしなさいね』
『――ワタシ、シンジル』
『……辛かったですな――助けてやれず、すまなかった』
『ハルトさん、ありがとう』
『お前は……強いな、ハルト』
『――ごめんね、気づいてあげられなくて。』

『――忘れないで――貴方が信じて繋がった絆を』

 そう――信じることで繋がった絆。どんなに苦しくても、辛くても、みんながいたから乗り越えられた。

 熱くなる胸。落ち着いていく呼吸と裏腹に、強く脈打つ血管。傷の痛みも僅かに増したが、それを気にしないほどに暖かい感情がハルトの身体をゆっくり起こした。

みんなが――支えてくれたから。

「……オリバーさんの気持ちも伝わってましたよ。苦しんでいりことも分かってました」
「…………」
「だから――僕はやっぱり、みんなを信じてみたいです。それで裏切られるんだとしても、それは信じてみないと分からないから」

 静寂に落とされた優しい言葉は、オリバーの弱々しい息遣いにふわりと消えていった。彼の顔を見ると、もう目は窪み、濁り始めている。
 口から溢れた青い血が頬を伝い、地面に流れ出していた。

「……カハッ」
「…………オリバーさん、じっとしていてください」

 ハルトはステラの手を借りて立ち上がり、ふらつく足を踏ん張ってオリバーを見下ろした。

「……せめて、最後は仲間として――」

 オリバーに向けて差し出された左手。その姿をぼやけた目で追っていた彼の口角が、少しだけ上がったように見えた。
 目を瞑り、深く呼吸を整えると、察したように森が風に揺れた。枝葉の擦れる優しい音が、二人を穏やかに包み込む。

「我が名はハルト、汝と真なる絆を結び、切れぬ誓いとする。力に導かれ、真名として心に刻め――『オリバー』」

 その瞬間、彼の身体が赤い輝きを纏った。視線が合うとほっとしたように目閉じて、一筋の涙が陽の光に輝く。
 やがて彼の輝きを飲み込むように、渦巻く闇がオリバーを包み込んだ。影と光が身体に染み込み、頬に赤い紋章が刻まれる。

 穏やかに大きく息を吐き出したオリバー。これを最後に、彼が目を開くことは無かった。

 隣で見ていたステラは、目を潤ませながら顔を逸らし、鼻を啜った。
 ハルトは胸に残った喪失感を右手で抑え込み、頬に温もりを伝わせる。

「…………オリバーさん、ありがとうございました」

 この言葉は彼に届いただろうか?……届いていたらいいな。

 長い黙祷を捧げたハルトは、彼の傍らに転がる長い剣を拾い上げた。

「……僕には重たいな」

 そう言うと木屋の傍まで歩いていき、落ちていた鞘に刃を納めた。

「ステラ、グラ、オリバーの墓を作りたいから、手伝ってくれないかな?」
「……わかりました」
「ワフ」

 アンをアビスに戻した後、木屋から持ってきた道具を使って、オリバーを森の中に埋葬した。最後に近くに芽吹いていた木の芽を植えただけの簡単な墓だったが、ハルトの精一杯の思いを込めた墓だった。

 新たな契約と、静かな旅立ち。僕は一生『シャドウストーカーのオリバー』という最高の友人を忘れない。

「……いこう。王都に」

 ゆっくりと歩みを進め出すハルト。フードを掴んで深く被り直し、下ろした手を強く握り込む。

 その拳の中で「プチリ」という音を響かせた。

――その日の深夜、王都サフィーア『ノーランド伯爵邸』

 普段ならば静かで、虫の鳴き声すら聞こえてくる屋敷の外。だが、今日耳に届いたのは、鎧の一部がぶつかる小さな音と、一人の男性の叫び声だった。

「フリオ・ノーランド!!悪事はすべてバレている!潔く投降しろ!」

 鋭い声が夜気を切り裂く。屋敷を包囲する兵士たちの松明の炎が、赤々と外壁を照らした。
 しかし返事はない。

「……仕方ない。突入する!」

 衛兵隊長の命令が飛ぶ。前列の兵士たちが盾で正面扉を打ち破り、激しい音と共に木片が四散した。中へなだれ込む兵士たちの足音が、広間に反響する。

 だが、彼らの目に映ったのは――剣を構えた兵士ではなく、蒼白な顔で怯える数人の女性と使用人たちだった。
 貴族夫人とまだ幼い娘が、しがみつくように震えている。

「なっ……伯爵はどこだ?!」

 衛兵の一人が声を荒げる。使用人を問い詰めても、返ってくるのは怯えて首を振る仕草だけ。

「ちっ……逃がすな!!屋敷内外をくまなく探せ!!」

 隊長の怒号に兵士たちが屋敷の奥を調べる。そして、書斎の床に隠された鉄格子の蓋が見つかった。外されたばかりなのか、土の匂いが強く立ち込めていた。

――同刻、王都地下『下水道』

 石造りの通路を、ひとりの太った男が身体を揺らし、駆けていた。豪奢な上着はすでに泥に汚れ、髪は乱れている。それでも、その瞳はぎらつき、笑みを浮かべていた。

「は、ははは……包囲だと?小僧どもめ、何を知った気になっている」

 足を止め、伯爵は懐から掌ほどの大きさの魔水晶を取り出す。
 歪んだ光が内部で脈打ち、彼の魔力を注ぎ込まれると、鈍く青白い輝きを放った。

「貴様らがどれほど追い詰めようと、証拠など残さぬ……!麻薬工場も、人身売買の拠点も、すべて灰だ!ふはははは!」

 次の瞬間、地上から轟音が響き渡った。
 重い地鳴りと共に、爆風が下水道の空気を震わせる。伯爵は狂気じみた笑いをあげ、両手を広げた。

「見たか!これで誰も余計なことは喋れん!すべて、すべて無駄に終わったのだ!必ず戻ってきて、復讐してやるぞ!!ふはははははははは!」

 彼の声は、湿った石壁にこだました。
 ――だが、彼は気づいていなかった。この杜撰な計画が、既に頓挫していることを。

 ――同じ頃。爆発が起きた貧民街の一角。

「ヒュー、危なかったねぇ」
「爆弾まで仕掛けてたなんて、用意周到」

 瓦礫と煙が立ちこめる麻薬工場の跡地。そこにいたのは、戦乙女――ヴァルキリーの二人だった。

 火の手が上がる直前に、彼女たちは内部の職員たちを拘束し、隠されていた帳簿や証拠の一部を押収していたのだ。
 瓦礫を背に、長髪を縛った女性は肩をすくめる。

「ふん、手際はいいつもりだったみたいだけど残念ね」

 長髪の女性は腰を落とし、手早く帳簿や隠されていた証拠の一部を革袋に押し込んだ。
 燃え盛る炎の向こう、瓦礫の隙間で乾燥した薬物が燃え、小規模な爆発を時折起こす。

 短髪の女性は口元を引き締め、炎に反射する自分たちの影を眺める。そして振り返り、唐突に剣の先を火事に向けると、ボソリと呟いた。

「……タイダルウェーブ」

 刹那、足元から左右一線に水が湧き出し、高く伸び、崩れるように倒れた。水の塊は巨大な波となり、勢いよく燃え盛る火を押し流す。瓦礫も、薬も、拘束された職員も水を被り、いくつかの悲鳴が聞こえた。

「……終わり。伯爵は自分の首を絞めただけ」

 二人は互いに頷き、貧民街の狭い路地へと歩みを進める。瓦礫の感触、焼け焦げた木材の匂いが、夜の空気に混ざる。

「……ふぅ。やれやれね」
「気を抜かない。まだ油断はできない。でも、少なくとも今回は、街と人々の未来を守った」

 互いに言葉少なに並び歩き、腕をぶつけてお互いを称えた。闇の中でも変わらぬ決意が宿る背中。二人のシルエットだけが、静かに夜へ溶け込んでいく。

――爆発後、王都中央通りの先『城下の広場』

 城にある西側の塔から、けたたましい鐘の音が三回ずつ鳴る。これは貧民街、及び商業区の端に向けて、避難を呼びかける音だった。
 深夜に響く不快な音に、あちこちから人が出てきて、野次馬のように立ち上る煙を見つめる。

 同じように、ディートリッヒ商会の本部から、広場まで出てきて煙を見つめるケハンの姿があった。
 何があったのか正確に分析するように目を細め、眼鏡を中指で持ち上げる。

「……まさか、ノーランドの仕業か?」

 眉間に皺を寄せ、握る右手を固く結ぶ。額に浮き上がる血管が、彼の怒りの具合を顕にしていた。

「広場を空けてください!避難する人をここにまとめます!家が安全な方は、速やかに戻ってください!」

 群がる国民に衛兵が呼びかける。散り散りになっていく人々と共に、ケハンもまたその場を離れ始めた。
 しかし、向かったのは商会本部ではなく、閉ざされた城壁の東門。その傍らにある細い裏道を通り、防壁の上に続く階段を登った。

「……やはり」

 頂上から西を見つめ、鎮火されて煙が登るだけの爆破地点を見つめる。
 ノーランドが経営していた麻薬工場。そこが爆破されたということは、奴はもう追い詰められたのだろう。

「馬鹿な男だ」

 呟いた刹那だった。星々が輝く空の奥から、大きな鳥の羽ばたきが聞こえる。それは徐々に近づいてきている。
 魔物か?……そう考えたケハンの瞳は、飛来する影がただの魔物ではないと認めた瞬間、僅かに見開いた。――ハーピィだ、と口元が震れた。

 長いスカートが月光に透け、脚の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。その脚に持たれた板に座る少年の姿も映し出され、ケハンの鼓動が慌ただしく動き出した。

「君は……何故ここに?」

 板から降りたハルトは、フードの影を払ってゆっくり素顔をさらした。血と土に汚れた顔だが、瞳だけは冷たく光っている。重く閉ざしていた口をわずかに開き、言葉を紡いだ。

「……全てを、終わらせに」
「なん……だと?」
「全て分かってますよ、ケハンさん」

 ハルトの声は低く、夜気に沈んで響いた。

「ノーランド伯爵邸に出入りしていたことも、伯爵が復讐をするように唆したことも」

 ケハンの見開いた瞳が揺れる。その場に立ち尽くし、何が起きているのか分からない様子だ。

「……伯爵邸に、あなたが送った手紙が残されていました。『モーデン・ディートリッヒを苦しめてやりたくないか?』とね」
「…………」
「ディートリッヒ商会会長『モーデン・ディートリッヒ』クレアさんのお父さんです。クレアさんを殺して、彼を精神的に地獄に落とす。……そういう計画で伯爵に手紙を送った」
「……くっ」

 ケハンは顔を逸らし、悔しさを噛み締める。

「でも……あなたの計画は違いましたね?」
「……なんの話しだ」

 眼鏡の奥から鋭い視線だけがこちらを向く。

「わざわざダグラスさんという用心棒がいるクレアさんを狙うのは、明らかに愚策です。ならば、会長本人を狙ったほうが早かった」
「出鱈目だ!」
「……いえ、あなたのことは調べあげられています。ディートリッヒ商会が経営する孤児院で育ち、商会で働き始めた。若くして財務長の座についたが、それに満足できなかった。なぜなら――『商神の巫女』がいたから」
「?!何故それを!!」

 動揺に息が荒れはじめ、冷静ではなくなっている。普段の聡明なケハンは――もういない。

「優秀な諜報員を雇いました。クレアさんを守るために」
「そうか……それで手紙まで……クソっ!!」
「あなたは伯爵を利用してクレアさんを殺し、副会長――次期会長の座を狙っていた。違いますか?」

 その瞬間、ふらりとよろけたケハンの顔が正面を向く。不吉な笑みを浮かべた愚かな罪人の顔が、淡い月の光に照らされた。

「……だからどうした?モンスターテイマーの戯言を、誰が信じると?お前がどれだけ叫んでも、地を這う虫に誰も耳を貸さない!」
「その虫を一番信じていたのはあなたじゃないか!インセクトテイマー!!妹に蝶を送るように、何故クレアさんに接することができなかったんですか?!」

 彼の顔が一瞬にして強ばった。息を飲み、呼吸を忘れ、喉から絞るような音が鳴る。

「な、なぜ……お、お前が!――妹のこと知っているんだ!!」

 指をさして吠えるが、その手は震え、額に冷や汗が滲んでいる。動揺の色を隠せていない。

「気づいたのは……偶然でした。親しそうに蝶と話すダリアさんを見てしまって。それからあなたの調査結果に妹がいることを知って、そういうことか――って」

 その答えにさす指をだらりと下ろし、俯いて黙り込む。冷たい夜風が彼の乱れた髪を撫でた。

「……ケハンさん、ダリアさんが大切なのであれば、こんなことやめて、自首してください。彼女があなたの今の姿を見て、喜ぶとは思えません」
「……うるさい」
「ケハンさん!」
「うるさい……うるさい!」

 その瞬間、右手が空高々に上げられ、防壁が微かに揺れる。ザワザワと何かが這い上がってくるような気持ち悪い音が鳴り響く。

「?!やめてください!!」
「だーーまーーれーー!!!」

 ハルトに向けて振り下ろされた手。刹那――壁を這い上がってきた何千何万もの虫が――一斉に襲いかかった。

「喰え!喰えぇぇ!!肉を、血を、骨まで残さず啜れぇぇ!!」

 虫を焚きつけるように叫ぶ。だが――虫の軍勢がハルトに届くことはありえない。

「――ウィンドバリア」

 風に舞い、吹き飛ばされたり、バラバラになる虫たち。ケハンの表情がみるみる青ざめていく。握られていた手が解け、空いた口が塞がらない。飛んだ一匹の蜘蛛が彼の頬にぶつかり、潰れて緑色の体液が飛び散る。

「な……な、な、何故だーーーー!」
「仲間がいるからだ!!」

 纏う風の奥から鋭く睨みつける。瞳の奥に燃える決意に、ケハンは尻もちをついて倒れた。

「あなたの攻撃は、乗ってるものが軽い!!オリバーさんとの戦いは、こんなに軽くなかった!」
「くっ――」

 地を這うように逃げ出したケハン。階段を駆け下り始めたが、その肩に鋭い爪がくい込み、足が地を離れる。

「ぐっ……なっ、は?なんだ!!」

 見上げた先にいたのは、青い翼を羽ばたかせる一人の少女。

「ママとクレア、ハルトを泣かせタ。――それ、絶対許さなイ」
「は、ハーピィ……ど、毒が!どくがあぁぁぁぁぁ!!」
「うるさイ。暴れないデ」

 持ち上げられ取り乱すケハンの身体は放り投げられ、再び防壁の上に転がった。落ちた衝撃で腕から異質な音が鳴り、眼鏡は割れ、苦しそうに呻き声を漏らす。

 静かになった夜の帳に、二つの足音と一つの羽音が響き、醜く汚れたケハンに近づいた。力強い鳥の足が彼の手足を押さえつける。

「……ケハンさん、もう終わりです」
「だ、頼む……助げでぐれ――じにだぐない!!」
「……解毒薬はクレアさんからもらっています。あなたを拘束してから、命は助けます。――生きて、罪を償ってください」

 騒乱の余波を飲み込むように、夜はただ静まり返っていた。煙だけが空へと細く伸び、世界の終わりを示す代わりに――静かな始まりを告げているようだった。

 全てを裏で操っていた黒幕ケハンによる『クレア・ディートリッヒ暗殺計画』。この事件はこうして全て潰え、終わりを迎えた。
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