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エピローグ
第百十五話 変わらないもの
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唐突に微かな水の音が聞こえてきた。
懐かしいような人の気配も感じる
――ここはどこだろう?
そんな疑問を持つが確かめることはできない。
体は冷たく、凍り付いたように動かなかった。瞼すら接着されてしまったかのようで微動だにしない。
「ツカサ様、今日は健診の日なのでいつもより早い時間ですけどお顔を綺麗にしますからね。あっ、そうだ! ついでに枕も洗っちゃいましょう」
懐かしい声が聞こえた。
頭を持ち上げられたのが分かる。枕を引き抜かれたのだろう。先ほどよりも頭の位置が下がっていた。少し息苦しくなる。
寝かされているのは分かった。だが、いまだにここがどこなのかはわからない。あれからどうなったのかもだ。ただ、アリシアの声が聞こえたということは、この世界は無事に救われたんだと思う。
「よいしょっと! ちょっと失礼しますね。枕の代わりになるかわかりませんけど、少しだけこれで我慢してください」
もう一度頭が持ち上げられ、その下に何かが入ってくる。
――あったかい。
不思議と安心感のある温かさは凍り付いた体を溶かしていくようだった。
「ツカサ様、今日はいい天気ですよ。洗濯物もよく乾きそうです」
体はまだ動かない。ただ、瞼だけは震わせることができた。
「ツカサ様?」
――もうちょっと。
「……気のせい……ですよね……ふふ、ちょっと疲れてるのかもしれません。今日は早めに寝たほうがいいかもですね」
真っ暗な視界に微かな光が入る。
「…………ツカサ様?」
息を呑むような音が聞こえた。
「あ、り……しあ」
「?! ツカサ様! 意識が戻って……よかった……うぅ……私、ごめんなさい……」
目を開くと、そこには涙を流しているアリシアがいた。
涙が俺の顔を濡らしていく。
なぜ謝っているんだろうか? カルミナに乗っ取られたことならアリシアのせいじゃない。俺のせいだ。
「あり、し……あ、は、わるく、ないよ」
ようやく動きはじめた体で、ゆっくりとアリシアの頭を撫ではじめる。それと同時に思うことがあった。
……この近さ、覚えがあるような。あぁ、やっぱり。
俺はいつかのときのようにアリシアに膝枕をされていた。
嬉しいような恥ずかしいような、言葉にしづらい感情を持て余してしまう。
泣き続けるアリシアの頭を撫でていると、新たな気配を感じ、明るい光が差し込んできた
「オォ! 目が覚めたんだネ! …………アー、出直そうカ?」
ドルミールさんだ。首を回せず姿は見えないが声でわかる。差し込んできた光はドアを開けたことによるものだったようだ。今は朝か昼なのだろう。
「いえ、き、き……たい、ことが」
「無理はするもんじゃないヨ。とりあえずホラ。アリシアちゃんも魔法をかけてあげテ」
ドルミールさんに注射のようなものを打たれる。アリシアのほうは泣いたままで頷き、魔法を使いはじめた。
「即効性に回復薬ダヨ。魔法と合わせれば少しは喋りやすくなったハズ。それで聞きたいことっテ? なんとなくわかるかラ、とりあえずボクが説明がてら話をしようカ?」
「せつめいは、おねがい……したいです。でも、すこし……まってください」
注射と魔法のおかげか口が回るようになってきた。
「ン? あぁナルホド、膝枕ってそんなに離れがたいものなんだネ」
「ちがいます」
さすがに見られてるとなると恥ずかしさのほうが勝る。それですぐに起き上がろうとしたぐらいだ。体のほうは動いてくれなかったが。
時間が欲しかったのは体が動かしづらく、ゆっくりとした動作しかできそうにないからである。
何にせよ、まずは起き上がらねばならない。なにせ膝枕のままでは話が頭に入りそうになかった。
「あっ……ツカサ様、起き上がるんですね? お手伝いします。ゆっくり起き上がりましょうね」
ほんの少し頭を持ち上げただけでアリシアは気づいてくれたようだ。手伝ってもらいながら座った体勢となる。
よく見れば、俺の格好は変わっていた。簡素な服で寝間着のようなものを来ている。
左肩から先が無いのは変わっていない。ただ、他には傷らしきものはなく、骨折なども治っていた。
あれからどれぐらいの時間がたっているのだろうか……
思わず手を見ると、しわが増えていることに気づく。加速して成長した代償か、寝てる時間が長すぎたのかはわからない。
ただ、成長した代償は残っているはずだ。身長が伸び、体格も少し変わっているのはわかる。確認できていないが、顔も更けているだろう。あまり見たいとも思わないが。
体勢を整え、一息ついたろころで俺は改めてドルミールさんのほうへ顔を向ける。
「ドルミールさん、お願いします」
「わかっタ。とりあえず簡単に説明するヨ。質問があったら聞いてネ」
ドルミールさんから聞いたこと。まず元居た世界が無事だということを伝えられた。
カルミナの力を観測する魔道具をずっと見ており、力の流れを確認してくれていたようだ。それによるとカルミナの反応が消える前に、この世界とは違う場所に伸びていた繋がりが消えたとのことだった。どうやら俺の破壊は上手くいったらしい。
そしてこっちの世界も無事だ。当初の予定どおり魔王さんが崩壊を止めてくれた。ただ、今でも動く余裕がない状態だという。
「辛うじて話すことはできたけどネ。それで伝言ダ。”よくやってくれた。ありがとう”だってサ」
「こちらこそですよ。魔王さんには負担ばっかりかけてしまいました。ロイドさんたちもそうですし、俺一人じゃ勝てなかったです」
「まったくだネ。キミたちは無茶ばかりダ。特に思いつき作戦は無茶の極みだネ。かなり綱渡りだったヨ? ボクが通信で指示を出さなきゃ魔王は魔力不足で終わってタ。魔王のもとにルイをよこさなければアリシアちゃんだって怪しかったんだヨ。ネ、アリシアちゃん」
「まぁ、こうして無事でしたから。目を開けて魔王さんがいたのにはびっくりしましたけど」
詳しく聞くと、どうやら俺がかけてもらった加速の魔法が原因らしい。成長を加速することによって、手に入るであろう未来の経験を先取りしたあの魔法、時間経過とともに消費魔力が多くなっていたそうだ。それによって途中から魔力が不足しはじめたが、ドルミールさんが気づいて対処したとのことだった。
ドルミールさんはルイさんとヴァンハルトさんに通信の魔道具を持たせていたらしい。その魔道具でルイさんは魔王さんのもとへ。ヴァンハルトさんとロイドさんたちは停止の魔法をかけられている人たちのもとに向かい、緊急性がない人たちを解除して魔王さんの消費魔力を抑えるという作業をしていたのだという。
カルミナの力の観測、他の人への指示、魔王さんの魔力量計測とほかの魔族の人たちの健康状態の推移、それらをやりながらでもドルミールさんは戦いに参加しようと新たに体を作り上げたという。ただ、さすがに間に合わせることはできなかったようだ。
「さっきも言ったけどあれだけの無茶をしてよく生き残れたネ」
「ギリギリでした。あと五分も持たなかったと思います」
実際、カルミナを倒した直後に魔王さんが魔法を解いてくれなければ死んでいただろう。自分では無効化するほどの魔力は残ってなかった。おそらくカルミナを倒したことで世界の崩壊が進み、それが合図になって気づいてくれたのだ思う。
「アリシア、俺ってどれぐらい寝てた?」
ギリギリまで魔法を使った結果、あの当時で寿命は十年も残っていなかったはずだ。
寝ていた時間にもよるが、最悪の場合、明日死んでもおかしくはないだろう。
「……約一年です」
……一年……それならまだ少しだけ時間は残されてるかもな。
「そんなに深刻にならなくても大丈夫だヨ。今すぐは無理だケド、魔王に余裕が出来たら寿命を止めてもらえばイイ」
「魔王さんは余裕がないんじゃ……」
「ボクたちは魔王の負担を減らすために動いてるから大丈夫だヨ。それに最近は魔王自身の魔力量も上がってるみたいだカラ。間に合うヨ。間に合わせル。だから心配しなくていいからネ」
ゆっくりと頷く。
無茶をした代償だ。希望があるだけでもありがたい。
「ゆっくり体を慣らしながら、気長に待ってます」
「魔王は魔法においては笑っちゃうくらいに優秀だからネ。今からならそんなに待たせないと思うヨ。次にやりたいことでも考えてれば一瞬サ」
「次にやりたいこと……」
もうこの世界に脅威はない。今までのように戦うことはないだろう。
元の世界も救った。一応、千原さんへの恩返しにもなったはずだ。
……やることは終わった。次、か……俺は何をしたいんだろう?
「ゆっくり考えるとイイ。丁度いい暇つぶしになるはずだろうからネ。……さテ、じゃあボクはそろそろ行くヨ。みんなに朗報を伝えないとだからネ」
「あ、はい。いろいろお世話になりました」
「あとは若者同士仲よくネ」
「若者って、アリシアはともかく俺はもういい年ですよ? それこそ魔王さんより上だと思います」
魔王さんの正確な年齢は知らない。けれど今の俺より上ということはないだろう。
「ハハ、ボクからしたらキミも魔王も若イ。やっと青年になったぐらいだヨ」
……そういえばドルミールさんは百歳を超えてるんだった。
「そうだ忘れてタ! これあげル。アリシアちゃんも持ってるけど、これはキミ用ネ。何かあったら連絡しテ。力になるカラ」
そう言って渡されたのは手に収まるぐらいの長方形の石だ。連絡と言っていたことから通信用の魔道具なのだろう。
「遠慮しなくていいからネ。キミと魔王は異世界からきテ、強制的に勇者にされたのに世界を救ってくれたんダ。この世界を代表するわけじゃないケド、恩返しさせてほしイ。可能な限り何でも手伝うカラ」
「ドルミールさん、行っちゃいましたね」
夕焼けの空の中、歩き去ったドルミールさんを見送るとアリシアが呟いた。
「ロイドさんたちには先に連絡しておきました。すぐ来るって言ってましたけど……もう少し時間がかかりそうですね。ツカサ様、家に戻って横になりますか?」
「いや、横になるのはいいかな。アリシアのほうこそ疲れてない? 座ってるときもずっと支えてもらって、今は肩まで借りちゃってるし……」
「私は大丈夫です。この一年で結構体力ついたんですよ。魔法の腕も上がりました。……でも、すみません、ツカサ様に魔法も回復薬も使い続けたんですけど効果が薄くて……」
「たぶんいろんな特殊属性の魔法を体に受けたせいだと思う。少し時間がたてば戻るはずだから気にしないで」
実際、体は徐々に動くようになってきていた。この分なら明日には普通に歩けるようにはなるかもしれない。おそらくだが、目覚めるの時間がかかったのも特殊属性を受けすぎたせいだと思う。
まだ時間はある。ロイドさんたちが来るまでに少しでも今後のことを考えておくべきだろうか?
………………ダメだな。何も思いつきそうにない。
あまりにも何も思い浮かばず、思わず小さく溜息をついてしまった。
「ツカサ様?」
「あ、いや、ごめん。やりたいことを考えたんだけど思いつかなくてつい」
「……元の世界はいいんですか?」
「恩返しはできたと思ってる。戻りたかった理由も恩返しで千原さんの命を助けるためだったし、今となっては戻る理由もないかな」
元の世界に戻ろうとは思わなかった。特に未練もない。加速して成長したせいか、元の世界のことは遠い昔のことのようだった。
だからといって、この世界でやりたいことも思いつかない。
……ドルミールさんの言ってたとおり、ゆっくり考えるか。
そう思ったときだった。
「……あの、ツカサ様、一緒に旅をしませんか?」
「アリシア……?」
アリシアは緊張した面持ちでそんな提案をしてくれた。
「動けるようになって、もしよかったら……なんですけど……この世界ってまだまだ広いんです。他の大陸だってありますし、そっちには見たことない動植物もいて、美味しいものもあるかもしれなくて、ドルミールさんの知らない魔道具とかもあって、それで……」
……アリシアとの旅。大変だろうな。でも楽しそうだ。ただ――
「俺はもうこんな見た目だよ? 一気に年を取った。変わりすぎてほとんど別人だ。こんな俺と一緒でいいの?」
「はい! ツカサ様には変わりありませんから!」
変わらない。それは老化し、見た目が変わってしまった俺には嬉しい言葉だった。
「――ありがとう」
「えへへ、あっ! みんな来たみたいです!」
ぼやけた視界の先にみんなの姿が見える。懐かしく感じてしまう人たちが多い。俺はアリシアの手を借りながら、みんなのもとへ、新たな未来に向かって歩きはじめるのであった。
懐かしいような人の気配も感じる
――ここはどこだろう?
そんな疑問を持つが確かめることはできない。
体は冷たく、凍り付いたように動かなかった。瞼すら接着されてしまったかのようで微動だにしない。
「ツカサ様、今日は健診の日なのでいつもより早い時間ですけどお顔を綺麗にしますからね。あっ、そうだ! ついでに枕も洗っちゃいましょう」
懐かしい声が聞こえた。
頭を持ち上げられたのが分かる。枕を引き抜かれたのだろう。先ほどよりも頭の位置が下がっていた。少し息苦しくなる。
寝かされているのは分かった。だが、いまだにここがどこなのかはわからない。あれからどうなったのかもだ。ただ、アリシアの声が聞こえたということは、この世界は無事に救われたんだと思う。
「よいしょっと! ちょっと失礼しますね。枕の代わりになるかわかりませんけど、少しだけこれで我慢してください」
もう一度頭が持ち上げられ、その下に何かが入ってくる。
――あったかい。
不思議と安心感のある温かさは凍り付いた体を溶かしていくようだった。
「ツカサ様、今日はいい天気ですよ。洗濯物もよく乾きそうです」
体はまだ動かない。ただ、瞼だけは震わせることができた。
「ツカサ様?」
――もうちょっと。
「……気のせい……ですよね……ふふ、ちょっと疲れてるのかもしれません。今日は早めに寝たほうがいいかもですね」
真っ暗な視界に微かな光が入る。
「…………ツカサ様?」
息を呑むような音が聞こえた。
「あ、り……しあ」
「?! ツカサ様! 意識が戻って……よかった……うぅ……私、ごめんなさい……」
目を開くと、そこには涙を流しているアリシアがいた。
涙が俺の顔を濡らしていく。
なぜ謝っているんだろうか? カルミナに乗っ取られたことならアリシアのせいじゃない。俺のせいだ。
「あり、し……あ、は、わるく、ないよ」
ようやく動きはじめた体で、ゆっくりとアリシアの頭を撫ではじめる。それと同時に思うことがあった。
……この近さ、覚えがあるような。あぁ、やっぱり。
俺はいつかのときのようにアリシアに膝枕をされていた。
嬉しいような恥ずかしいような、言葉にしづらい感情を持て余してしまう。
泣き続けるアリシアの頭を撫でていると、新たな気配を感じ、明るい光が差し込んできた
「オォ! 目が覚めたんだネ! …………アー、出直そうカ?」
ドルミールさんだ。首を回せず姿は見えないが声でわかる。差し込んできた光はドアを開けたことによるものだったようだ。今は朝か昼なのだろう。
「いえ、き、き……たい、ことが」
「無理はするもんじゃないヨ。とりあえずホラ。アリシアちゃんも魔法をかけてあげテ」
ドルミールさんに注射のようなものを打たれる。アリシアのほうは泣いたままで頷き、魔法を使いはじめた。
「即効性に回復薬ダヨ。魔法と合わせれば少しは喋りやすくなったハズ。それで聞きたいことっテ? なんとなくわかるかラ、とりあえずボクが説明がてら話をしようカ?」
「せつめいは、おねがい……したいです。でも、すこし……まってください」
注射と魔法のおかげか口が回るようになってきた。
「ン? あぁナルホド、膝枕ってそんなに離れがたいものなんだネ」
「ちがいます」
さすがに見られてるとなると恥ずかしさのほうが勝る。それですぐに起き上がろうとしたぐらいだ。体のほうは動いてくれなかったが。
時間が欲しかったのは体が動かしづらく、ゆっくりとした動作しかできそうにないからである。
何にせよ、まずは起き上がらねばならない。なにせ膝枕のままでは話が頭に入りそうになかった。
「あっ……ツカサ様、起き上がるんですね? お手伝いします。ゆっくり起き上がりましょうね」
ほんの少し頭を持ち上げただけでアリシアは気づいてくれたようだ。手伝ってもらいながら座った体勢となる。
よく見れば、俺の格好は変わっていた。簡素な服で寝間着のようなものを来ている。
左肩から先が無いのは変わっていない。ただ、他には傷らしきものはなく、骨折なども治っていた。
あれからどれぐらいの時間がたっているのだろうか……
思わず手を見ると、しわが増えていることに気づく。加速して成長した代償か、寝てる時間が長すぎたのかはわからない。
ただ、成長した代償は残っているはずだ。身長が伸び、体格も少し変わっているのはわかる。確認できていないが、顔も更けているだろう。あまり見たいとも思わないが。
体勢を整え、一息ついたろころで俺は改めてドルミールさんのほうへ顔を向ける。
「ドルミールさん、お願いします」
「わかっタ。とりあえず簡単に説明するヨ。質問があったら聞いてネ」
ドルミールさんから聞いたこと。まず元居た世界が無事だということを伝えられた。
カルミナの力を観測する魔道具をずっと見ており、力の流れを確認してくれていたようだ。それによるとカルミナの反応が消える前に、この世界とは違う場所に伸びていた繋がりが消えたとのことだった。どうやら俺の破壊は上手くいったらしい。
そしてこっちの世界も無事だ。当初の予定どおり魔王さんが崩壊を止めてくれた。ただ、今でも動く余裕がない状態だという。
「辛うじて話すことはできたけどネ。それで伝言ダ。”よくやってくれた。ありがとう”だってサ」
「こちらこそですよ。魔王さんには負担ばっかりかけてしまいました。ロイドさんたちもそうですし、俺一人じゃ勝てなかったです」
「まったくだネ。キミたちは無茶ばかりダ。特に思いつき作戦は無茶の極みだネ。かなり綱渡りだったヨ? ボクが通信で指示を出さなきゃ魔王は魔力不足で終わってタ。魔王のもとにルイをよこさなければアリシアちゃんだって怪しかったんだヨ。ネ、アリシアちゃん」
「まぁ、こうして無事でしたから。目を開けて魔王さんがいたのにはびっくりしましたけど」
詳しく聞くと、どうやら俺がかけてもらった加速の魔法が原因らしい。成長を加速することによって、手に入るであろう未来の経験を先取りしたあの魔法、時間経過とともに消費魔力が多くなっていたそうだ。それによって途中から魔力が不足しはじめたが、ドルミールさんが気づいて対処したとのことだった。
ドルミールさんはルイさんとヴァンハルトさんに通信の魔道具を持たせていたらしい。その魔道具でルイさんは魔王さんのもとへ。ヴァンハルトさんとロイドさんたちは停止の魔法をかけられている人たちのもとに向かい、緊急性がない人たちを解除して魔王さんの消費魔力を抑えるという作業をしていたのだという。
カルミナの力の観測、他の人への指示、魔王さんの魔力量計測とほかの魔族の人たちの健康状態の推移、それらをやりながらでもドルミールさんは戦いに参加しようと新たに体を作り上げたという。ただ、さすがに間に合わせることはできなかったようだ。
「さっきも言ったけどあれだけの無茶をしてよく生き残れたネ」
「ギリギリでした。あと五分も持たなかったと思います」
実際、カルミナを倒した直後に魔王さんが魔法を解いてくれなければ死んでいただろう。自分では無効化するほどの魔力は残ってなかった。おそらくカルミナを倒したことで世界の崩壊が進み、それが合図になって気づいてくれたのだ思う。
「アリシア、俺ってどれぐらい寝てた?」
ギリギリまで魔法を使った結果、あの当時で寿命は十年も残っていなかったはずだ。
寝ていた時間にもよるが、最悪の場合、明日死んでもおかしくはないだろう。
「……約一年です」
……一年……それならまだ少しだけ時間は残されてるかもな。
「そんなに深刻にならなくても大丈夫だヨ。今すぐは無理だケド、魔王に余裕が出来たら寿命を止めてもらえばイイ」
「魔王さんは余裕がないんじゃ……」
「ボクたちは魔王の負担を減らすために動いてるから大丈夫だヨ。それに最近は魔王自身の魔力量も上がってるみたいだカラ。間に合うヨ。間に合わせル。だから心配しなくていいからネ」
ゆっくりと頷く。
無茶をした代償だ。希望があるだけでもありがたい。
「ゆっくり体を慣らしながら、気長に待ってます」
「魔王は魔法においては笑っちゃうくらいに優秀だからネ。今からならそんなに待たせないと思うヨ。次にやりたいことでも考えてれば一瞬サ」
「次にやりたいこと……」
もうこの世界に脅威はない。今までのように戦うことはないだろう。
元の世界も救った。一応、千原さんへの恩返しにもなったはずだ。
……やることは終わった。次、か……俺は何をしたいんだろう?
「ゆっくり考えるとイイ。丁度いい暇つぶしになるはずだろうからネ。……さテ、じゃあボクはそろそろ行くヨ。みんなに朗報を伝えないとだからネ」
「あ、はい。いろいろお世話になりました」
「あとは若者同士仲よくネ」
「若者って、アリシアはともかく俺はもういい年ですよ? それこそ魔王さんより上だと思います」
魔王さんの正確な年齢は知らない。けれど今の俺より上ということはないだろう。
「ハハ、ボクからしたらキミも魔王も若イ。やっと青年になったぐらいだヨ」
……そういえばドルミールさんは百歳を超えてるんだった。
「そうだ忘れてタ! これあげル。アリシアちゃんも持ってるけど、これはキミ用ネ。何かあったら連絡しテ。力になるカラ」
そう言って渡されたのは手に収まるぐらいの長方形の石だ。連絡と言っていたことから通信用の魔道具なのだろう。
「遠慮しなくていいからネ。キミと魔王は異世界からきテ、強制的に勇者にされたのに世界を救ってくれたんダ。この世界を代表するわけじゃないケド、恩返しさせてほしイ。可能な限り何でも手伝うカラ」
「ドルミールさん、行っちゃいましたね」
夕焼けの空の中、歩き去ったドルミールさんを見送るとアリシアが呟いた。
「ロイドさんたちには先に連絡しておきました。すぐ来るって言ってましたけど……もう少し時間がかかりそうですね。ツカサ様、家に戻って横になりますか?」
「いや、横になるのはいいかな。アリシアのほうこそ疲れてない? 座ってるときもずっと支えてもらって、今は肩まで借りちゃってるし……」
「私は大丈夫です。この一年で結構体力ついたんですよ。魔法の腕も上がりました。……でも、すみません、ツカサ様に魔法も回復薬も使い続けたんですけど効果が薄くて……」
「たぶんいろんな特殊属性の魔法を体に受けたせいだと思う。少し時間がたてば戻るはずだから気にしないで」
実際、体は徐々に動くようになってきていた。この分なら明日には普通に歩けるようにはなるかもしれない。おそらくだが、目覚めるの時間がかかったのも特殊属性を受けすぎたせいだと思う。
まだ時間はある。ロイドさんたちが来るまでに少しでも今後のことを考えておくべきだろうか?
………………ダメだな。何も思いつきそうにない。
あまりにも何も思い浮かばず、思わず小さく溜息をついてしまった。
「ツカサ様?」
「あ、いや、ごめん。やりたいことを考えたんだけど思いつかなくてつい」
「……元の世界はいいんですか?」
「恩返しはできたと思ってる。戻りたかった理由も恩返しで千原さんの命を助けるためだったし、今となっては戻る理由もないかな」
元の世界に戻ろうとは思わなかった。特に未練もない。加速して成長したせいか、元の世界のことは遠い昔のことのようだった。
だからといって、この世界でやりたいことも思いつかない。
……ドルミールさんの言ってたとおり、ゆっくり考えるか。
そう思ったときだった。
「……あの、ツカサ様、一緒に旅をしませんか?」
「アリシア……?」
アリシアは緊張した面持ちでそんな提案をしてくれた。
「動けるようになって、もしよかったら……なんですけど……この世界ってまだまだ広いんです。他の大陸だってありますし、そっちには見たことない動植物もいて、美味しいものもあるかもしれなくて、ドルミールさんの知らない魔道具とかもあって、それで……」
……アリシアとの旅。大変だろうな。でも楽しそうだ。ただ――
「俺はもうこんな見た目だよ? 一気に年を取った。変わりすぎてほとんど別人だ。こんな俺と一緒でいいの?」
「はい! ツカサ様には変わりありませんから!」
変わらない。それは老化し、見た目が変わってしまった俺には嬉しい言葉だった。
「――ありがとう」
「えへへ、あっ! みんな来たみたいです!」
ぼやけた視界の先にみんなの姿が見える。懐かしく感じてしまう人たちが多い。俺はアリシアの手を借りながら、みんなのもとへ、新たな未来に向かって歩きはじめるのであった。
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