303 / 314
最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第十二話「懐虫電燈未練街店」⑴
しおりを挟む
「わっぷ?!」
由良は引っ張られるまま、ドアの向こうに立っていた誰かの胸に飛び込んだ。強いコーヒーの香りと、かすかに煙草のにおい。
顔を上げると、渡来屋が立っていた。いつもの帽子と外套と手袋を脱ぎ、白いシャツの上に懐虫電燈のエプロンを着ている。黄緑色の髪と目の色を除けば、若い頃の祖父にそっくりだった。
「渡来屋さん」
渡来屋は由良を受け止め、安堵の表情を見せる。
「魔女の家には行くな、と言ったよな?」
「ごめんなさ……」
由良は謝ろうとして、顔をしかめた。
「コーヒーくさっ」
「おい」
においの出どころを探し、あたりを見回す。
ドアの向こうは、懐虫電燈だった。玉蟲匣ではない、由良が幼い頃にかよっていた懐虫電燈だ。レトロな内装、アンティークのテーブルと椅子、天井には世界各国の洋燈__ランプ__#、どこからか落ち着いたジャズが流れている。
洋燈町に戻ってきたわけではないようで、窓の向こうは未練街の商店街だった。〈探し人〉達が物珍しそうに、懐虫電燈の前を行き交っている。
においの出どころは、膨大な数のサイフォンだった。LAMPでも使っている業務用サイフォン、ベルがついた海外製のサイフォン、スイッチを押したらタイムスリップしそうな巨大なサイフォンなど、大小さまざまなサイフォンでコーヒーを沸かしている。まるでサイフォンの見本市だ。しかし、お客は一人もいない。
たまらず、窓を全開にする。コーヒーのにおいに慣れている由良でさえ、鼻をふさぎたくなるほどの強烈なにおいが充満していた。
「お客さんもいないのに、あんな量のコーヒーを沸かすなんて正気? 危うく、永遠野さんの屋敷に戻りかけたわ」
すると、
「そんな冷たいこと言わないで。渡来屋さん、添野さんを助けるために必死だったんですよ? 労ってあげてください」
「……ナナコさん? 未練街を出たはずでは?」
ナナコは憂いを帯びた笑みを浮かべる。別れたときにはつけていなかった、蝶の髪飾りをつけている。主人を看取るため、未練街を出たはずだというのに、なぜまだ未練街にいるのだろうか?
ナナコは由良と共に、換気を手伝ってくれた。
「添野さんが心配で戻ってきました。あ、夏彦さんには会えたので、ご安心を。このとおり、今は〈分け御霊〉やってます」
「……せっかく迎えに来ていただいたのに悪いんですが、私はもう帰れないみたいなんです」
由良は半ば期待を込め、永遠野から聞いた話をナナコと渡来屋に話した。
先に現実へ帰ったナナコなら、真相を知っているはずだ。由良を無理矢理帰らせようとした渡来屋も事情を知っているに違いない。
そしてできれば、二人に否定してほしかった。現実と未練街に時の流れの違いなどないと、由良にはまだ帰れる場所があるのだと、励まして欲しかった。
が、「やはりそうでしたか」とナナコは納得した様子で頷いた。
「少し見ない間に、ずいぶんと街の風景が変わったなとは思っていたのです。ほんの一週間程度離れていたと思っていたのに、何年も経っているみたいだったんですもの」
「そう、ですか……」
渡来屋に目をやる。渡来屋は由良を邪魔しようとしたのではなく、助けようとしていたのだ。
「教えてくれれば良かったのに。そうすれば、こんな取り返しのつかないことには」
「教えれば、素直に帰ったか? 俺が忠告しても未練街に来た、お前が?」
「……」
無言でにらみ合う。ナナコが二人の間に割って入った。
「安心してください。添野さんの主人とお店は無事です。私のことはご存知なかったですけれど」
「主人?」
「えぇ。夏彦さんに会った後に、添野さんのお店へ立ち寄ったんです。意外と近かったので」
ナナコは由良を〈探し人〉だと思っている。〈未練溜まり〉に人間がいると混乱するので、今まで嘘をついていた。
だが、由良は人間だ。主人などいない。こうなった以上、もはや嘘をつく必要もないだろう。
「今まで秘密にしていたんですが、実は私……人間なんです。〈探し人〉ではありません」
「え?」
「なので、ナナコさんがお会いしたという私の主人は確実に偽物なんです。その人、どんな人でしたか? 明るくておしゃべりな女性? 内気そうな女子大生? まさか、雪だるまマニアの女の子とか? 私が知っている人じゃないなら、その店がLAMPかどうかも怪しいですよ」
「……」
途端に、由良を見るナナコの眼差しが、憐れみのものへと変わる。
「やはり、ご自分を〈探し人〉の主人だと思い込まれていたんですね」
「思い込むも何も、私は……!」
ナナコだけではない。渡来屋も断言した。
「お前は由良じゃない。由良に捨てられた〈探し人〉だ。本物の由良は、LAMPで元気に働いている」
「私、添野さんの主人から頼まれたんです。私の〈探し人〉を連れてきてって」
由良は引っ張られるまま、ドアの向こうに立っていた誰かの胸に飛び込んだ。強いコーヒーの香りと、かすかに煙草のにおい。
顔を上げると、渡来屋が立っていた。いつもの帽子と外套と手袋を脱ぎ、白いシャツの上に懐虫電燈のエプロンを着ている。黄緑色の髪と目の色を除けば、若い頃の祖父にそっくりだった。
「渡来屋さん」
渡来屋は由良を受け止め、安堵の表情を見せる。
「魔女の家には行くな、と言ったよな?」
「ごめんなさ……」
由良は謝ろうとして、顔をしかめた。
「コーヒーくさっ」
「おい」
においの出どころを探し、あたりを見回す。
ドアの向こうは、懐虫電燈だった。玉蟲匣ではない、由良が幼い頃にかよっていた懐虫電燈だ。レトロな内装、アンティークのテーブルと椅子、天井には世界各国の洋燈__ランプ__#、どこからか落ち着いたジャズが流れている。
洋燈町に戻ってきたわけではないようで、窓の向こうは未練街の商店街だった。〈探し人〉達が物珍しそうに、懐虫電燈の前を行き交っている。
においの出どころは、膨大な数のサイフォンだった。LAMPでも使っている業務用サイフォン、ベルがついた海外製のサイフォン、スイッチを押したらタイムスリップしそうな巨大なサイフォンなど、大小さまざまなサイフォンでコーヒーを沸かしている。まるでサイフォンの見本市だ。しかし、お客は一人もいない。
たまらず、窓を全開にする。コーヒーのにおいに慣れている由良でさえ、鼻をふさぎたくなるほどの強烈なにおいが充満していた。
「お客さんもいないのに、あんな量のコーヒーを沸かすなんて正気? 危うく、永遠野さんの屋敷に戻りかけたわ」
すると、
「そんな冷たいこと言わないで。渡来屋さん、添野さんを助けるために必死だったんですよ? 労ってあげてください」
「……ナナコさん? 未練街を出たはずでは?」
ナナコは憂いを帯びた笑みを浮かべる。別れたときにはつけていなかった、蝶の髪飾りをつけている。主人を看取るため、未練街を出たはずだというのに、なぜまだ未練街にいるのだろうか?
ナナコは由良と共に、換気を手伝ってくれた。
「添野さんが心配で戻ってきました。あ、夏彦さんには会えたので、ご安心を。このとおり、今は〈分け御霊〉やってます」
「……せっかく迎えに来ていただいたのに悪いんですが、私はもう帰れないみたいなんです」
由良は半ば期待を込め、永遠野から聞いた話をナナコと渡来屋に話した。
先に現実へ帰ったナナコなら、真相を知っているはずだ。由良を無理矢理帰らせようとした渡来屋も事情を知っているに違いない。
そしてできれば、二人に否定してほしかった。現実と未練街に時の流れの違いなどないと、由良にはまだ帰れる場所があるのだと、励まして欲しかった。
が、「やはりそうでしたか」とナナコは納得した様子で頷いた。
「少し見ない間に、ずいぶんと街の風景が変わったなとは思っていたのです。ほんの一週間程度離れていたと思っていたのに、何年も経っているみたいだったんですもの」
「そう、ですか……」
渡来屋に目をやる。渡来屋は由良を邪魔しようとしたのではなく、助けようとしていたのだ。
「教えてくれれば良かったのに。そうすれば、こんな取り返しのつかないことには」
「教えれば、素直に帰ったか? 俺が忠告しても未練街に来た、お前が?」
「……」
無言でにらみ合う。ナナコが二人の間に割って入った。
「安心してください。添野さんの主人とお店は無事です。私のことはご存知なかったですけれど」
「主人?」
「えぇ。夏彦さんに会った後に、添野さんのお店へ立ち寄ったんです。意外と近かったので」
ナナコは由良を〈探し人〉だと思っている。〈未練溜まり〉に人間がいると混乱するので、今まで嘘をついていた。
だが、由良は人間だ。主人などいない。こうなった以上、もはや嘘をつく必要もないだろう。
「今まで秘密にしていたんですが、実は私……人間なんです。〈探し人〉ではありません」
「え?」
「なので、ナナコさんがお会いしたという私の主人は確実に偽物なんです。その人、どんな人でしたか? 明るくておしゃべりな女性? 内気そうな女子大生? まさか、雪だるまマニアの女の子とか? 私が知っている人じゃないなら、その店がLAMPかどうかも怪しいですよ」
「……」
途端に、由良を見るナナコの眼差しが、憐れみのものへと変わる。
「やはり、ご自分を〈探し人〉の主人だと思い込まれていたんですね」
「思い込むも何も、私は……!」
ナナコだけではない。渡来屋も断言した。
「お前は由良じゃない。由良に捨てられた〈探し人〉だ。本物の由良は、LAMPで元気に働いている」
「私、添野さんの主人から頼まれたんです。私の〈探し人〉を連れてきてって」
0
あなたにおすすめの小説
空色のサイエンスウィッチ
コーヒー微糖派
SF
『科学の魔女は、空色の髪をなびかせて宙を舞う』
高校を卒業後、亡くなった両親の後を継いで工場長となったニ十歳の女性――空鳥 隼《そらとり じゅん》
彼女は両親との思い出が詰まった工場を守るため、単身で経営を続けてはいたものの、その運営状況は火の車。残された借金さえも返せない。
それでも持ち前の知識で独自の商品開発を進め、なんとかこの状況からの脱出を図っていた。
そんなある日、隼は自身の開発物の影響で、スーパーパワーに目覚めてしまう。
その力は、隼にさらなる可能性を見出させ、その運命さえも大きく変えていく。
持ち前の科学知識を応用することで、世に魔法を再現することをも可能とした力。
その力をもってして、隼は日々空を駆け巡り、世のため人のためのヒーロー活動を始めることにした。
そしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになる。
魔法の杖に腰かけて、大空を鳥のように舞う【空色の魔女】と。
※この作品の科学知識云々はフィクションです。参考にしないでください。
※ノベルアッププラス様での連載分を後追いで公開いたします。
※2022/10/25 完結まで投稿しました。
Husband's secret (夫の秘密)
設楽理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
死ぬ瞬間にだけ、愛してほしい
しょくぱん
恋愛
「代わって。死なない程度に、ね?」
異母姉リリアーヌの言葉一つで、エルゼの体は今日もボロボロに削られていく。
エルゼの魔法は、相手の傷と寿命を自らに引き受ける「禁忌の治癒」。
その力で救い続けてきたのは、初恋の人であり、姉の婚約者となった王太子アルベルトだった。
自分が傷つくほど、彼は姉を愛し、自分には冷ややかな視線を向ける。
それでもいい。彼の剣が折れぬなら、この命、一滴残らず捧げよう。
だが、エルゼの寿命は残りわずか。
せめて、この灯火が消える瞬間だけは。
偽りの聖女ではなく、醜く焼けた私を、愛してほしい。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
盲目公爵の過保護な溺愛
クマ三郎@書籍&コミカライズ3作配信中
恋愛
伯爵家の長女として生まれたミレーヌ。平凡な容姿に生まれた彼女は、美しい妹エミリアと常に比べられ、実の両親から冷遇されて育った。
パーティーでは家族の輪に入れて貰えず、いてもいなくてもいい存在。
そんな現実から逃れようと逃げ出した先で、ミレーヌは美しい容姿をした目の不自由な男性と出会うが──
泡になった約束
山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。
夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。
洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。
愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。
そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。
振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。
平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる