心の落とし物

緋色刹那

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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

第十二話「懐虫電燈未練街店」⑴

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「わっぷ?!」
 由良は引っ張られるまま、ドアの向こうに立っていた誰かの胸に飛び込んだ。強いコーヒーの香りと、かすかに煙草のにおい。
 顔を上げると、渡来屋が立っていた。いつもの帽子と外套と手袋を脱ぎ、白いシャツの上に懐虫電燈のエプロンを着ている。黄緑色の髪と目の色を除けば、若い頃の祖父にそっくりだった。
「渡来屋さん」
 渡来屋は由良を受け止め、安堵の表情を見せる。
「魔女の家には行くな、と言ったよな?」
「ごめんなさ……」
 由良は謝ろうとして、顔をしかめた。
「コーヒーくさっ」
「おい」
 においの出どころを探し、あたりを見回す。
 ドアの向こうは、懐虫電燈だった。玉蟲匣ではない、由良が幼い頃にかよっていた懐虫電燈だ。レトロな内装、アンティークのテーブルと椅子、天井には世界各国の洋燈__ランプ__#、どこからか落ち着いたジャズが流れている。
 洋燈町に戻ってきたわけではないようで、窓の向こうは未練街の商店街だった。〈探し人〉達が物珍しそうに、懐虫電燈の前を行き交っている。
 においの出どころは、膨大な数のサイフォンだった。LAMPでも使っている業務用サイフォン、ベルがついた海外製のサイフォン、スイッチを押したらタイムスリップしそうな巨大なサイフォンなど、大小さまざまなサイフォンでコーヒーを沸かしている。まるでサイフォンの見本市だ。しかし、お客は一人もいない。
 たまらず、窓を全開にする。コーヒーのにおいに慣れている由良でさえ、鼻をふさぎたくなるほどの強烈なにおいが充満していた。
「お客さんもいないのに、あんな量のコーヒーを沸かすなんて正気? 危うく、永遠野さんの屋敷に戻りかけたわ」
 すると、
「そんな冷たいこと言わないで。渡来屋さん、添野さんを助けるために必死だったんですよ? 労ってあげてください」
「……ナナコさん? 未練街を出たはずでは?」
 ナナコは憂いを帯びた笑みを浮かべる。別れたときにはつけていなかった、蝶の髪飾りをつけている。主人を看取るため、未練街を出たはずだというのに、なぜまだ未練街にいるのだろうか?
 ナナコは由良と共に、換気を手伝ってくれた。
「添野さんが心配で戻ってきました。あ、夏彦さんには会えたので、ご安心を。このとおり、今は〈分け御霊〉やってます」
「……せっかく迎えに来ていただいたのに悪いんですが、私はもう帰れないみたいなんです」
 由良は半ば期待を込め、永遠野から聞いた話をナナコと渡来屋に話した。
 先に現実へ帰ったナナコなら、真相を知っているはずだ。由良を無理矢理帰らせようとした渡来屋も事情を知っているに違いない。
 そしてできれば、二人に否定してほしかった。現実と未練街に時の流れの違いなどないと、由良にはまだ帰れる場所があるのだと、励まして欲しかった。
 が、「やはりそうでしたか」とナナコは納得した様子で頷いた。
「少し見ない間に、ずいぶんと街の風景が変わったなとは思っていたのです。ほんの一週間程度離れていたと思っていたのに、何年も経っているみたいだったんですもの」
「そう、ですか……」
 渡来屋に目をやる。渡来屋は由良を邪魔しようとしたのではなく、助けようとしていたのだ。
「教えてくれれば良かったのに。そうすれば、こんな取り返しのつかないことには」
「教えれば、素直に帰ったか? 俺が忠告しても未練街に来た、お前が?」
「……」
 無言でにらみ合う。ナナコが二人の間に割って入った。
「安心してください。添野さんのとお店は無事です。私のことはご存知なかったですけれど」
「主人?」
「えぇ。夏彦さんに会った後に、添野さんのお店へ立ち寄ったんです。意外と近かったので」
 ナナコは由良を〈探し人〉だと思っている。〈未練溜まり〉に人間がいると混乱するので、今まで嘘をついていた。
 だが、由良は人間だ。主人などいない。こうなった以上、もはや嘘をつく必要もないだろう。
「今まで秘密にしていたんですが、実は私……人間なんです。〈探し人〉ではありません」
「え?」
「なので、ナナコさんがお会いしたという私の主人は確実に偽物なんです。その人、どんな人でしたか? 明るくておしゃべりな女性? 内気そうな女子大生? まさか、雪だるまマニアの女の子とか? 私が知っている人じゃないなら、その店がLAMPかどうかも怪しいですよ」
「……」
 途端に、由良を見るナナコの眼差しが、憐れみのものへと変わる。
「やはり、ご自分を〈探し人〉の主人だと思い込まれていたんですね」
「思い込むも何も、私は……!」
 ナナコだけではない。渡来屋も断言した。
「お前は由良じゃない。由良に〈探し人〉だ。本物の由良は、LAMPで元気に働いている」
「私、添野さんの主人から頼まれたんです。の〈探し人〉を連れてきてって」
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