白猫は今日も横笛を吹く

夜桜てる

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真夏日

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「あー……暑い」

 怠惰を貪るようにベッドの上で大の字に寝転がったままそう呟く。
 夏の暑さはまさに地獄。扇風機の生温い風が肌に浮き出てきた汗に当たったとき仄かにひんやりと感じられる、それだけが救いだ。
 私の部屋にエアコンは無い。あるのは数世代前の旧型扇風機がただ一つだけ。羽が回って風を送るという、なんともシンプルな構造だ。

 暑くて何もやる気にはならないが、何もせずとも暑いものは暑い。我慢の限界に達する前に何か縋るものを探そうと端末を起動させSNSを漁る。

「何かいいものは……」

 目に入ってくるのは海水浴場やキャンプ場の画像の数々。爛々と輝く太陽の下で大所帯で楽しむ、いわゆる『陽』の民の方々だ。陽キャとも言う。
 うへー、みんな元気だねぇ。住んでる世界が違うんかね。まあ私は一人寂しくネットサーフィンしてますよっと。あー楽しい愉しい。……これが人間格差ってやつか? 違うか。違うな。
 そんなテキトーなことを考えながら日々の呟きの波に乗っていると、涼しく快適という言葉が目の傍らに引っかかった。

「これは……たしかに涼しそうだね」

 読んでみるとそれは先日新たに発売された五感完全没入型VRゲーム機のVIP機種の記事のようだ。冷暖房完備で快適なVRゲームをお届けする、と。

 たしかに、一人で涼むという点で言えばこれでも全く問題ない。むしろ部屋の壁が薄いせいでエアコンを取り付けられないことや最近暇を持て余していることを考えれば、涼むための最適解かもしれない。

 そして気になるお値段は……なんといちきゅっぱ、十九万八千円!

「……って高いわ‼」

 買えるわけないじゃん! こちとらピッチピチのJKだぞ。怠惰だからバイトもしないで親の脛かじりまくってる女子高生。そんな私に二十万も払えるわけがない。

 それから他に無いかと探してみるものの、まあそう簡単に涼しむアイテムがSNSに流れて来るはずも無い。
 涼しそうな写真は大体プールか海。涼しげなイラストは水着姿か浴衣姿。そんな服装はリア充じゃなければそもそも持っているはずも無い。

 そんな風に自らの世界の狭さを再認識したところで、ようやく私はベッドから起き上がった。さすがにもう暑すぎて我慢ができない。
 この近くで涼める場所を思い浮かべ、自分の取り得る選択肢の少なさに呆れながらも目的地を決める。

 ……とりあえず喫茶店で涼んでくるかぁ。

 そんなわけで、端末だけをポケットに突っ込み一人街へ繰り出す……と言っても、行くのは徒歩三分のところにある顔馴染みの小さなお店。本音を言えば暑い中外に出るのも面倒なのだが、まあこのまま家で灼熱地獄に苦しみたくはない。それにひんやりとした空気と冷たくて美味しい珈琲のためだと思えば重い腰も上がる。

 幸いにもそのお店は味のわりに人気店というわけではなく、いつも数席空いているから待たされることも無いだろう。ゆったりと涼みたい今の私にぴったりだ。

 玄関を出ると、すぐに地獄のような熱気に包みこまれた。これだけで、これホントに行くの。死なない? と自問してしまう程度にやる気がそがれるから夏の暑さは恐ろしい。私の意思が弱いとか怠惰だとかでは決してない。全て夏の暑さのせいである。

 そんな何かに対する言い訳を考えながら惰性で歩いていると目的のお店に辿り着いた。『結局惰性で生きるのが一番楽なんじゃね?』というのが私の持論であり座右の銘だ。嘘、今考えた。

 そんな惰性に身を任せて来たのが、住宅街の一角にぽつんと置かれた喫茶店『白百合』である。ここの珈琲はとても美味しく、ついつい足を運んでしまう。コーヒー以外はどうなのかって? ……まあ良くも悪くも無難なお味だ。

 個人的なレビューはさておいて、早く夏の暑さから解放されたい一心で扉を開ければ、からんからんと乾いたベルの音とともに涼しい空気が迎えてくれる。ついでに中から店員さんがパタパタと駆けてくるのが見えた。
 なんだここは天国か。おいら天国さ行くんだでと言ってしまいそうな程だ。涼しいって素敵。冷房は正義。徒歩3分という長い旅路を経てここまで来れて良かった。

「いらっしゃいませ――って優ちゃんじゃん。よく暑い中ここまで歩いて来られたね。てっきり途中で倒れちゃうものかと」

 地獄のような暑さから解放された幸福感への浸りを妨げたのは、駆けてきた店員さん――もとい同級生の鈴原千夏ちなつだ。

「いやそんな『幸福感に浸ってたのに妨げられたわー』みたいな顔しないでよ」
「えっ、千夏って読心術の心得でもあるの?」
「無いわ! ってホントにそんなこと考えてたの!?」

 千夏、恐るべし。とまあ、そんなことはさて置いて店員さんが来たことだし早く席に座って寛ごう。いやまあ寛ぐと言っても端末弄るくらいしかやること無いけど。

「カウンター席で。あとアイスコーヒー1つ」
「はーい。いつもの席空いてるからどうぞ。コーヒーはいつも通りな感じで?」
「うん。ミルクお砂糖多めで!」

 ブラックなんて飲めるわけない。……えっ、それで珈琲の香り分かるのかって? いやいや、鼻を抜ける香りが全然違うんだって。家のインスタントよりずっと美味しいんだよ?
 …………私は満足してるからいーの。


 それから暫く、私は運ばれてきた珈琲をちびちびと飲みながら端末を弄っていたが、手持ち無沙汰になったらしい千夏がカウンター越しに話しかけてきた。

「ねえ、優ってゲームとかしてたっけ?」
「ゲーム? んーまぁぼちぼち?」

 PCの所謂サンドボックス系のゲームはしてるし、かなり前に叔父さんに貰ったお下がりのゲーム機も偶に遊んだりもしている。とはいえ最近のVRゲームとかいうものには手を出していないから、本当に『ぼちぼち』といった感じ。

「……じゃあ、冷暖房機能付きのゲーム機にいくら出せる?」
「えっ? どういう意味?」
「冷暖房付きのゲーム機が買えるとしたら、いくらまで払える?」

 意図はどうであれ、要するにさっきSNSで見たお高いアレだろう。冷暖房付きというVRゲームのVIP機種。今の私が最も欲しているものと言っても過言ではない。とはいえ、いくら『払えるか』と言われれば答える額は決まっている。

「9万5千円かな、私の買える金額としてなら」

 私のお年玉貯金額である。いや、お金さえあったら20万でも払うかもしれないけど。

「じゃあ、1人用の冷暖房完備のVRゲームチェアが今なら8万円で手に入るって言ったら、どうする?」
「えっ、買うよ」

 即答する。当たり前だ。どうせ特に買いたいものも無い。これから現れる可能性もあるが、まあ過去10年間買おうと思えるものが何もなかった私だ。これからもきっと同じだろう。

 そして今唯一欲しいのは冷暖房。それが予算内で買えるなら買うしかない。

「オッケー。あっ、一応サイズだけ確認しとく? 部屋に入らなかったら困るでしょ?」
「たしかに。……ってガチで買えるの? それ、VRゲームのVIP機種だよね? 20万円とかじゃなかったっけ」
「おっ、知ってたんだ。そうそう、FUTUROフトゥーロSエスのVIP機種。ついこの間VIP機種発売記念イベントがあってね、行ってきたんだよ」

 発売記念イベント。そんなものをやっていたのか。

「それのビンゴコーナーの景品で、『1個買ったらもう一個ついてくる』っていう」
「えっ、なにその景品。需要ある?」

 一人で使うなら1つだけでしょ。それなら普通に1つプレゼントしてくれてもいいのに。

「もちろん他にも色々と景品はあったわけだけど、全体的になんとも言えないチョイスだったし、まあその中で言えば当たりだったよ。ただ優ちゃんも知っての通り1つ20万の機種だからね」
「高くて買えなかったわけか」
「そうそう。誕プレの前借りって事でお爺ちゃんが3万くらいなら出してくれるって言うんだけど、それでも17万じゃん? だから誰かと割り勘で買えないかなーって探してたんだよね。まあ大体の人には断られちゃったわけだけど」

 なるほど。VIP機種で無ければ4万円~5万円で購入可能。そのほぼ倍額払うってなるとゲームをすることだけが目的で買うにはかなりお高い。それこそ私みたいに冷暖房の方が主目的だったりしないと買わないかも。……いや、冷暖房が目的だったら普通エアコン設置するよね。じゃあお金持ちしか買わないわ。

 さすがVIP機種だなぁとそんな風に考えつつアイスコーヒーを啜る。

「あったあった……サイズは縦横1.2mの正方形で、高さが1.75mだって」
「でかいね」
「うん、そりゃあね。でも優ちゃんの家なら余裕でしょ」
「余裕って……たしかにそれくらいなら問題なさそうだけど」

 別に壁が薄いと言っても私の家はオンボロというわけではない。耐久性と防音性を兼ね備えた上での最先端の薄い壁なのだ。壁が薄い分1つ1つの部屋は大きいし、ゆったりとした空間がある。そう、ただ冷房が取り付けられないだけで……。
 いやそこが一番大事だから! と今でこそ思うが、家の間取りを決めた時に思い至らなかったのだろう。

 まあ過去の愚痴はコーヒーと一緒に飲み込んでおく。

「あっ、そういえば優、VRでやりたいゲームとかあるの?」
「ん? あー、考えたことなかった」

 そうか。ゲームソフトが無いと暇は潰せないのか。これはうっかりしていた。

「それでよく買うって即答したよね……っとまあそれはいいとして。優、やりたいのが無いなら私と一緒にMMOやらない?」
「MMO? えーと、Massivelyマッシブリー Multiplayerマルチプレイヤー Onlineオンラインの略で、大規模多人数同時参加型オンラインRPGのこと……であってる?」

 聞き慣れないエムエムオーという単語を端末に入力して調べた結果を読み上げた。

「うん、それそれ。やったことない?」
「やったことない……と思う」

 私がやったことのあるゲームといえば育成シミュレーションゲームとパズルゲームが主だ。

「一人プレイもマルチプレイも楽しめるし、やり込み要素も多いし、何より自由度が高くてね。暇つぶし程度にしても楽しいと思うよ」
「ふーん……なんてタイトル?」
「えっと――」


 ◇


「やっぱりデカい……」

 千夏から持ち掛けられたゲームの割り勘購入に即答してから早5日。業者ロボットによって運ばれてきたそれは、言われていた通りのサイズで私の部屋に鎮座していた。

 シャープな曲線を描いた外見は近未来的で格好良く、女子高生の部屋にはおよそ似付かわしくない場違い感がある。

「暑いしさっさと快適空間に入りろうか。えっと……?」

 説明書を軽く見つつコンセントに電源コードを繋ぎ、ゲーム機中央に空いていた椅子部分へと腰掛ける。
 それから専用VRゴーグルを掛け、いつも使ってる端末を専用の差し込み口に挿れてから電源ボタンを押せばゲーム機『FUTURO S』通称フツロスが起動。

「お、蓋が閉まった?」

 椅子の背凭れ部分から薄い板が現れて閉まったようだ。同時にゴーグルを通した視界にタイトルロゴが広がり、それが消えるとホーム画面が見える。

 とりあえず初めは千夏に言われたゲームをダウンロードしようと思う。えっと……FUTURO-Storeを起動して検索に打ち込みっと。タイトルがたしか……。

 検索『幽玄の魔紀章_』

 確定。すぐにゲームタイトルが見つかる。お値段8800円、レビュー☆5を確認し、端末経由でお金を支払う。
 すぐにインストールが開始され、それも十数秒で完了。

 ホーム画面に戻り中央のカーソル位置に『幽玄の魔紀章』のタイトルロゴが浮かんでいることを確認。さて早速、とゲームを始める前に。
 少し疑問が浮かんだため、それを確かめるべく感覚のままにゆっくりと横に手を伸ばす。するとやはり、コツりと硬い感触に手が触れた。
 フツロスはいわゆる『五感完全没入型VRゲーム機』だと聞いていたのだが、どうやらまだ五感はリアルにあるらしい。

 まあ、いいか。ひとまずそのことは頭の片隅に追いやり、目の前に浮かぶ『幽玄の魔紀章』のタイトルへ手を伸ばし、起動した。

 新しいゲームにいちいち胸が高鳴ったり、うずうずしたりというのは私らしくない気がする。……けれどまあ、偶には良いかもしれない。

 さあ、どんな風に始まるのだろうか。
 未知のゲームを前に、私は柄にもなく期待に胸を膨らませていた。
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