Evil Revenger 復讐の女魔導士 ─兄妹はすれ違い、憎み合い、やがて殺し合う─

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シルフィ

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 もう涙が枯れるほどに泣きつくした。
 その後も私はネモの前で座り、抜け殻のように佇んでいた。
 ネモ……私、これからどうすればいいのかな?
 問いかけても答えは返ってこない。
 ロイオン達は、私に気を使っているのか、誰も何も言わず放っておいてくれた。
 大隊長たちは、それみたことか、といわんばかりの視線を投げかけてくるが、今の私にはもうどうでもいいことだった。
 あの日の作戦は、結局両軍痛み分けに終わった。兄の部隊の進軍が予定より遅れたため、その間に魔王軍優勢で戦いが進んだからだという。
 作戦通りに兄の部隊を敗走させていれば魔王軍の勝利だったんだ、と私達を責める者もいた。
 なら、あなた達がやってみればいい、と私は思うだけだった。
 あれから何日経ったかもよくわからないし、もう自分でもいつ眠ったのかわからない。まったく寝ていない気もするし、ずっと眠っていた気もする。
 そんな私に、近づいてくる人影があった。
 それは私の横に跪き、死んだ眼をしている私に話し掛けてきた。

「チェント様」

 魔王軍の兵士のようだが、初めて見る顔だった。
 今はネモと2人きりにして欲しいのに、彼はそんな私の気持ちは気に止めていないようだった。

「……何?」

 苦労して声を絞り出す。返事を返すのも億劫だった。

「こちらをお受け取りください」

 彼は懐から1枚の紙切れを取り出し、私に差し出した。
 私はそれを受け取ると、すぐ広げた。それは地図のようだった。

「これは……?」
「敵の本陣の位置を記した地図です」

 見ると、砦から離れた位置に印があった。

「魔王様より、これを調べてあなたにお渡しするように命じられてきました」

 魔王──祖父が……これを?

「私に何をしろというの?」

 心身ともに疲れ果てていた私は、とてもじゃないが、何かをこなせると思える状態ではなかった。

「いえ、具体的な事は何も。それをあなた様にお渡しして、後は好きにさせよと言われております」

 祖父の考えがすぐにはわからず、私は地図を見つめなおす。
 では失礼いたします、と兵士はそのまま立ち去った。
 私は地図の印、一点をじっと見つめた。
 ここにきっと兄がいる。ここに行けば兄に会える。
 私は目を閉じて考える。
 ネモならば、行くなというだろう。彼はいつも私の身を優先に考えてくれた。
 私も、そんな彼とともに生きていたいと思った。
 だが、彼はもういないのだ。
 私はゆっくりと立ち上がった。床に横たわる彼を見る。

「ネモ……行ってくるね」

 私は砦を後にした。



 マントを羽織り、夜の荒野を1人歩く。地図に記されたあの場所をただ目指して。
 目の前に広がる灰色の荒野は薄暗い。まるで私の行く末のようだった。
 私はどこへ行くのか? ネモがいなくなった今、私が魔王領のために働く理由などないというのに。
 魔王領に身を置く以上は、私は祖父の命令には逆らえないはずであった。
 しかし、それももうどうでもいい。
 魔王領を追い出されたって構わない。
 生きることすら、どうでもよくなっていた。
 じゃあ、何故私はこんなところを歩いているのだろう?
 私はどこに向かっているのだろう?
 どこへ向かえばいいの? ネモ……教えて……。
 自問自答を繰り返しながら、おぼつかない足取りで、地図の一点を目指した。



 朦朧とした意識の中、歩き続ける。
 気が付くと少しずつ夜明けが近づき、辺りはうっすらと明るくなり始めていた。
 夜襲で不意を突けば、あるいは兄を仕留められるかもしれない。
 なんとなく、そんなことも考えながら出てきたはずだが、太陽が昇り始めてはそれも破綻している。
 まだ早朝でそれほどの明るさではないが、目的地を探してフラフラと彷徨っているうちに、闇に乗じられる時間は過ぎてしまっていた。
 元々、深く考えての出撃ではなかった。
 私がどれほど強さに自信があろうと、数万の兵士がいる敵本陣に、1人で真正面から挑んで勝ち目などあるわけがない。
 それなら、そこでそのまま果てても別に構わないと思っていたのかもしれない。
 自分自身でも何も考えているかわからないまま歩き続けると、前方に複数のテントの群れが姿を現した。
 あった。あれがベスフルの本陣だ。
 大人の身長を超える大き目のテントが多くの立ち並び、その周囲を木の柵が囲んでいる。
 陣への入口のところに松明が並び、2人の見張りが立っているのが見えた。
 まだ寝静まっているからなのか、人気が少ない。
 不意を突ければ、万が一にもチャンスがあるかもしれない。私はフードを目深に被り、見張りの兵士にゆっくりと近づいていった。

「どうした? どこから来たんだ、お前?」

 近づいてくる私に、声を駆けてくる見張りの兵士の警戒心は薄そうだった。
 正体さえわからなければ、私はただの小柄な女に過ぎないのだから、当然かもしれない。
 飲み水を分けてもらえませんか? と弱々しい声で聞いた。
 実際心は弱り切っていたのだから、不自然には聞こえないだろうと思った。
 兵士2人は顔を見合わせる。

「……仕方ないな。聞いてきてやる」

 人の良さそうな兵士が、そう答えた。
 だが、彼が陣の奥へ引っ込もうとすると、もう1人が呼び止めた。

「待てよ。この辺りの住民に白い肌の人間はいないはずだ。おかしいぜ」

 言われて、ハッとなり足を止める。

「確かにそうだ。お前何者だ?」

 次の瞬間、彼らは赤い剣で喉と心臓をそれぞれ斬り裂かれていた。
 それらは一瞬のもとに実行したつもりだったが、彼らが呻き声を上げるのを許してしまった。
 騒ぎを聞きつけて、奥から人が顔を出し始める。
 失敗した。肌の色まで徹底して隠すべきだった。だが、元々衝動的に飛び出してきた上での行動だったのだ。こうなるのは必然だったのかもしれない。
 すぐに姿を見せたのは、救護や炊事を行う女性達、非戦闘員だった。
 彼女達は私と倒れた兵士を見比べると、悲鳴を上げて逃げ出した。
 即座に走り寄り、背中を斬りつける。黙らせたのは3人。だが、もう遅かった。
 悲鳴を聞きつけて、さらにぞろぞろと人が現れる。
 立ち向かうか逃げるか、決断するのは今だった。もたもたしていると、逃げるチャンスを完全に失う。
 だがおかしい。次々と姿を現す殆どは、先ほど見たような非戦闘員ばかりで、兵士達の数は圧倒的に少なかった。
 兵士達は槍や剣を構え、私を取り囲もうとする。
 私はそれをさせる前に動いた。魔力剣でいつものように相手の槍を無力化し、2人、3人と斬り裂いていく。
 もうかなりの騒ぎになっているはずなのに、兵士は大した数まで増えていなかった。
 まだ多くが寝静まったまま、とは考え辛い。敵襲となれば、慌てて皆を起こして回るだろう。
 多くの兵士が出払っていると判断して間違いない。早朝から砦を奇襲するつもりなのかもしれない。
 剣を持った兵士の手首を斬り飛ばし、悲鳴を上げたところを斬り捨てる。
 兵士の数は、見える範囲で精々数十人。しかも、まともに隊列が組めていない。
 私1人でも、充分勝ち目のある戦いに思えた。
 当然、兄も姿を見せていなかった。おかげで命拾いしたといっていい。
 兄を殺しに来たはずなのに、兄がいないことで命を拾った。
 自暴自棄になって出てきたはずなのに、生き延びたことにほっとしている自分がいた。
 どれだけ心が壊れようと、戦うことで冷静さを取り戻す。私はそういう人間になってしまったのだろうか?
 戦っている間にも、次々と非戦闘員達が陣から逃げ去っていく。それは別にいい。彼女達に用はない。
 さらに1人斬り裂いた際に、勢い余って近くのテントが裂ける。
 テントの中には逃げそびれた女性が2人、震えて抱き合っていた。
 直後に後ろから兵士が2人、同時に斬りかかってくる。
 かわして腰を斬り抜ける。呻き声を上げて、あっさり倒れ伏す兵士。その間に女性2人は、這うようにして逃げ出した。
 非戦闘員に構うことはない。向かってくる兵士だけを片っ端から相手する。
 やがて、兵士達の中にも逃げ出すものが出始めた。
 こうなるともう立て直せはしない。
 本来の兵の数と陣の広さを考えれば、もう少し人数を残してもおかしくなさそうなものだが、それすらも惜しむほどの状況なのかもしれない。
 流石に逃げ出す兵までも、全ては倒せない。
 残っている敵兵は確実に数を減らしてゆき、最後は奥のテントの前で見張りをしていた兵士4人を斬り伏せて、戦いは終わった。
 ふぅ……。
 大きく息を吐く。
 減らした兵士の数は知れているとはいえ、本陣をここまで荒らされたとなれば、ベスフル軍にそれなりに損害を与えたことにはなるだろう。計らずも魔王軍に貢献したこととなってしまった。
 もう軍の勝敗など、私にはどうでもいいことのはずなのに……。
 私は最後に4人もの兵士が守っていたテントが気になった。
 入り口をかき分け、警戒しながら中を覗く。
 そこにいたのは、槍を構えた1人の女性。
 かつて生活を共にした人物。私と比べて2歳しか違わないのに、少女というには大人びた容姿をした彼女は──

「あなたは……シルフィ……」

 侵入者に怯えるシルフィ・ディバードの姿がそこにあった。



 彼女も騒ぎを聞きつけながら、逃げそびれた1人なのだろう。慣れない手つきで槍を構えながら、隠れて騒ぎが収まるのを祈っていたのかもしれない。

「あんた……チェント!?」

 驚いた声。彼女の声を聴くのも、随分久しぶりだった。

「ヴィレントから聞いた。あんたが魔王軍に付いたって。自分が何をやっているかわかってるの?」

 彼女は槍を構えたまま、強気に言った。
 以前のようにまた説教でもする気だろうか? 自分の立場がまるで分っていないようだった。

「だから何? あなたには関係ない話だと思うけど?」

 私は冷ややかにそう返した。

「関係あるわ。私はこの戦いが終わった後もヴィレントと共に生きていくの。これ以上、ヴィレントの邪魔をしないで!」

 そうか。そういえば彼女は兄の恋人だった。ならば……
 ──彼女を殺せば、私の苦しみを兄に思い知らせることができるだろうか?──

「ねえ、シルフィ。さっきからあなたは随分攻撃的だけど、今の状況をわかってるのかな?」

 私は赤い剣をちらつかせながら、彼女に笑いかけた。

「馬鹿にしないで! 私だってヴィレントにいつも稽古をつけてもらってるのよ。あんたなんかに……」

 私は、彼女の構えた槍を一振りで叩き斬ると、右腕を軽く斬りつけた。

「……っ!?」

 先端の無くなった槍を取り落とし、悲鳴を上げて右腕を押さえる。
 まだ腕を浅く斬られただけだというのに、大袈裟な人だと思った。
 稽古……記憶をたどると、彼女は確かに兄に度々せがんでは、戦う稽古をつけてもらっていたことを思い出した。
 ただし、それは戦闘訓練というにはあまりにもお粗末なものだったと記憶している。
 デタラメに木の棒を振り回す彼女を、兄が適当にいなすだけ。兄の方にも真剣さは見られない。2人でただじゃれ合っているようにしか見えなかった。
 私に力と自信をくれたネモのそれとは、まるで違った。

「弱いね、シルフィ。あなたはそうやって何もしないで、ずっと兄さんに守られて生きてきたのね」

 いつかの彼女の言葉を、そのまま返してやった。
 彼女は歯を食いしばって痛みをこらえながら、私に反論してきた。

「あんたには、ヴィレントの苦しみなんてわかんないでしょうね。育ててくれた相手に平気で刃を向けるあんたには!」

 今度は左太腿を突き刺す。彼女は金切り声をあげて膝をついた。
 いい気味だ。
 兄の苦しみ?
 私には、彼女が何を言っているのか全く分からなかった。

「他人のあなたに、何がわかるの?」

 いつか怒鳴るように浴びせた言葉と同じことを私は、しかし今度は薄笑いを浮かべながら、穏やかに言った。
 刺さった剣は抜いていない、彼女の足に突き刺したままだ。血がどんどん溢れ出してくる。

「あ、あんたなんか……、ヴィレントに……手も足も出ない癖にっ! ヴィレントにやられちゃえば……いいんだっ!!」

 さらに剣を深く突き入れた。甲高い悲鳴が響く。
 うるさいなあ。
 私は剣を引き抜いてやった。
 抜かれた時にも同じ悲鳴が上がる。
 彼女は刺された部分を抑えて、のたうち回った。
 いい気味だ。

「だ……誰か……」

 彼女は足を引きずりながら、私の脇を抜けてテントの出口に這って行こうとしていた。

「無駄だよ? 外の人は私が全員殺したから」

 親切にそう伝えてやるが、彼女の耳には届いていないようだった。
 呻き声を漏らしながら地を這うその姿は、美しかったはずの彼女のとても醜い姿だった。
 もういいか。
 私はゆっくりと歩き寄り、右手を振り上げる。そして、逆手に構えたその剣をまっすぐ突き下ろした。
 さようなら、シルフィ。

「!?」

 背中から心臓を一突き。血が水たまりのように広がり、何度か痙攣した後、彼女は動かなくなった。
 私は立ち上がり、剣をしまった。もうこの近くに戦える人間は残っていないだろう。
 ここに戻ってきてこれを見た兄は、どう思うだろうか?
 怒り狂うだろうか? 絶望するだろうか?
 どんな形でもいい。兄を苦しめられたのなら、それで。
 これで仇が討てたのかな? ネモ。
 動かなくなった彼女を見下ろしながら、自分の中に問いかける。
 いや、これはあくまで兄に同じ痛みを与えてやったに過ぎない。本当の復讐は、兄自身に与えてやらねばならないと思った。
 だが、今の私では兄には勝てない。どうすればいい?
 私は一旦考えるのをやめて、テントを出た。
 とりあえず、私は陣に残されていた糧食に火をつけた。
 量が少ない。殆どは進軍した部隊が持っていったのだろう。こんな守りの薄い陣に多くの糧食を放置するよりは納得できる話だった。
 それでも、多少の痛手にはなるはずなので、実行しておく。
 もし敵本隊が近くにいたら、煙を見て引き返してくるかもしれない。私はさっさと立ち去ることにした。
 外はまだ薄暗い。
 陣の出入り口をくぐる。ちょうどその時、誰かが陣の外側の遠くから走ってくる気配がした。
 本隊が戻ってきたのかと身構えるが、向かってくる人影は1人のようだった。
 たった1人の兵士なら、何も恐れることはない。
 応戦するため、赤い剣だけを準備する。
 やがて、その姿が鮮明となる。
 それは、剣を腰に下げた1人の青年だった。
 彼と私の視線が合う。
 なぜ、このタイミングで彼と出会うのだろう。

「……スキルド?」
「チェント!?」

 そこに現れたのは、かつていつも私を気にかけてくれた青年。
 シルフィの双子の兄。
 スキルド・ディバードの姿だった。
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