死神の砂時計

蒼依月

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20話 12月28日(2)

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 深雪の車の様子がおかしいことに、レティはすぐに気付いた。深雪をここ一か月間見守っていて、彼女はブレーキをかなりゆっくりと踏む傾向があったのに、この時は目の前にの赤信号に突っ込む勢いでスピードが増していったのだ。
 指先がさぁっと冷えて、背に冷たい汗が流れていくのを感じる。

「駄目。駄目、駄目駄目駄目。っ先生!!」

 レティは咄嗟にデスロードを放った。タイヤを傷つければ、車の軌道が曲がって赤信号に突っ込むことは避けられるかもしれない。そう思って。

「!?」

 だが、それは叶わなかった。
 デスロードが深雪の車の前で弾かれたのだ。
 まるで見えない壁に阻まれるように、何度放っても返されて、深雪の車に傷一つつけられない。
 何故。まさか死神の団体本部が手を出してきているというのか。いやそれは無い。今日はまだ、あの視線を感じていないのだ。だとしたら、何が深雪とレティの間に割って入っている?

「どうして!どうしてどうして!どうしてよ!!嫌!嫌嫌嫌嫌嫌!先生!行かないで!」

 深雪の砂時計が生を拒んでいるとでもいうのか。
 そんなこと許さない。
 守るって決めた。頑張るって、誓った。今更、それを破るなんて出来るはずもない。
 レティの頬に涙の筋が走る。何度も何度も流したその涙が、またレティを苦しめた。視界がぼやけて深雪の車の輪郭も判然としない。でも、もうすぐそこに深雪の死が迫っていることだけは分かった。
 深雪の車を追いかける。普段の深雪には考えられないスピードが出ていた。レティが何か手は無いかと束の間に逡巡した時、大きなクラクションが鳴り響いた。
 顔を歪ませるほどの大きさのクラクションは、深雪の車の右側から走ってくるトラックから聞こえた。

(あのままじゃぶつかる!)

 深雪の車が操作できないなら。
 レティはデスロードをトラックに向けて投げた。大鎌のデスロードは、遠心力を味方に回転しながらスピードを上げ、トラックのタイヤに突き刺さった。
 一気にバランスを崩し減速していくトラック。その軌道は、深雪の車から大きく外れて、手前の電柱に車体を擦り、やがて止まった。
 その様子にレティはほっと息をつく。
 振り向いて深雪の車を探した。

「っ!先生っ」

 深雪の車は、トラックに気付いた彼女が咄嗟にハンドルを左に切ったため、そのまま縁石に乗り上げ近くの植え込みに突っ込んだ形で止まっていた。
 木の枝が、フロントガラスを突き破って刺さっている。
 現場は騒然とした。車が2台損傷し、交差点は一時通行止めとなった。
 トラックの左前のタイヤには何か大きな刃物で着られたような跡があった。
 
「先生!」

 レティはすぐに深雪のもとに向かった。
 レティが車に近付いても壁に阻まれることは無かった。助手席側のドアは大破していたので、深雪はそっと運転席のドアを開けた。
 車の中は散々な様子だ。窓ガラスや鏡が割れ、助手席のシートに街路樹の枝が刺さっている。
 深雪はエアバッグに顔をうずめ、気を失っている様子だった。割れたフロントガラスの破片や木の枝がが当たったのか、深雪の手や腕には無数の傷があり血も出ていた。
 深雪の体を起こすと、胸の当たりにガラス片が刺さっていた。
 レティは恐る恐る深雪を抱きかかえ車から離れる。歩道に座り込み、深雪に声をかけた。

「先生。先生。起きて」

 揺さぶってよいものか分からず、レティはひたすら深雪を呼び続けた。ガラス片も抜いていいのか分からない。

「先生、お願い。目を開けて。お願いよ、先生。もう一度だけ、先生っ」

 サラサラと砂時計の砂が落ちる音が聞こえる。それがレティの焦燥を煽った。
 深雪の頬に触れた。まだ、僅かに温かい。少しだがぬくもりがある。それだけが、彼女を安心させた。

「先生?」

 不意に、深雪の瞼が震えた。
 声をかけると、目の前で彼女の黒い瞳が薄く開かれた。
 
「先生!」
「……っ…レ……ティ……」

 深雪は何度か苦し気に咳き込んだ後、レティの名前を口にした。
 
「先生!大丈夫?どこか痛いところは?」

 こういう時、死神として何もできないことに、レティは内心歯噛みした。人間がとる行動も分からない。
 深雪は痛みから逃れるように、身を捩った。

「全身、痛い。私……どうなったの……?」
「助かったのよ。先生。この後どうすればいい?私分からないの」

 深雪はその問いかけには応じず、また瞼を閉じた。レティは深雪が永遠にその瞳を見せてくれない恐怖に駆られ、叫ぶように深雪を呼んだ。

「先生!お願い教えて。私は何をすればいい?どうしたら元気な先生に戻るの?怪我はどこで治すの?」
 
 思わず深雪の手を強く握る。すると深雪の顔が歪んで瞼が開かれた

「レ、ティ……。手、痛い……」
「ご、ごめんなさい。でも」
「レティ。このままでいいわ。このままこうしてて。救急車は、多分誰かが呼んでるから……」

 救急車。それが深雪を助けてくれるのだろうか。
 レティは、深雪が本当に大丈夫なのか不安だったが、渋々言うとおりにした。
 少しだけ握っていた手の力を抜き、上から深雪の顔色を覗き込むように見つめる。すると深雪の表情が少し緩んだ。

「レティの手、あったかい……」
「先生の手が冷たいだけよ。ねぇ、本当に大丈夫なの?血がすごく出てる」
「血?……そう」

 深雪は何かに気付いたように、目を細めた。
 握った手が血に濡れている。ぬめって滑り落ちないように、レティは深雪の手の指を自分の指に絡めるように握りなおした。
 胸の辺りの服がじわじわと血の色に染っていく。
 深雪が小さく呻いた。

「先生?」
「レティ」
「先生、泣いてるの?」
「ううん」
「嘘。泣いてるじゃない。どうして?」
「……レティが……目の前にいるから……」

 レティは言葉の意味を汲みかねて、首を傾げる。その仕草に、深雪はふっと笑った。

「嬉しいの……レティがいてくれて」
「ならずっと隣にいるわ」
「ふふ」

 深雪がまた小さく笑う。そうして体が動く度に、胸の血の染みが大きくなっていった。心做しか呼吸音が荒くなっている様な気がする。
 深雪は目を数度、ゆっくりと瞬かせた。

「すごく、眠い…少し眠らせて……」

 深雪が優しく微笑んで言った。その双眸は焦点が定まっていないのか、どこを見ているのか分からない。
 レティは寂し気に唇を引き結んで、眉を下げる。

(眠るだけ、よね?少ししたら起きるわよね?ねえ、先生)

 聞きたくても聞けない。
 深雪はゆっくり目を閉じた。
 レティは深雪の砂時計を見た。
 まだ砂は、完全には落ちきっていない。
 けれど、確実に落ちている。
 そして、終わりが目の前にある。
 レティは視線を逸らすように頭を振った。
 深雪はきっとまた目を覚ましてくれる。また笑いかけてくれる。一緒に話をしてくれる。
 大丈夫、大丈夫とレティは不安に支配されそうな自分に言い聞かせた。

 だが──。

 するり、と。深雪の手はレティの手の中から零れ落ちた。
 それは、まるで砂時計の最後の砂が狭いガラスの通路を流れ落ちるように、静かに。

「先生?」

 呼びかけても応える声は無かった。
 
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